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均一世界のイレギュラー  作者: 長崎 光
17/22

 大きく膨らんでいかにも高級そうなソファに、倒れるように座り込んだ。背もたれにぐったりと寄りかかって目を閉じる。風呂上がりの身体の火照りを感じながら、ただ張り付くような疲労感に支配されていた。

 もう既に日は沈みかけているが、それほど遅い時間帯でも無いので、軍服を着たままだ。全力のリラックスは出来そうにないが、それでも何もする気が起きなかった。

 居住区へ帰還した後、落ち込むアカネをとっとと宿舎の部屋に押し込み、風邪を引かないようにしろと言った。その後自分は濡れた身体のまま自室で本部への連絡を済ませ、次に鬼塚への報告に移った。今回の戦闘の事だけでなく、合議の結果がどうなっているのかを聞くためだ。

 鬼塚によると、アカデミー側の融通の利かなさにより合議はかなり難航しているようで、未だに終わる気配を見せないらしい。それでもいくつか決定した事項はあるようで、その中に新世代計画のことも入っている。


―新世代計画第一世代の生殖能力は乏しく、また、任務達成率から見ても戦闘能力に優があるとも考え難い。よって、第一世代の戦闘配備を中止、研究対象とすることで、今後の計画の進行に役立てることとする。

―だ、そうだ。実質的に、アカデミーのオモチャに逆戻りすることになる。お前の所ももうすぐで部下が外されるだろう。


「うっ…」


 激しい嘔吐感に襲われ、黒瀬は目の前のテーブルに手をついた。ガラス製の表面に映る自分の姿は、なんとも醜い。


「はぁ……フ…はぁ…」


 ゆっくりと立ち上がり、今度は壁に手をついた。別にその行動に意味などなかった。存在しない逃げ場所を探して彷徨っているようにも見えた。


―黒瀬君。


「はぁ…はっ、はぁ、ハァ……ぐっ…」


 翠の声が聞こえた。軍服の胸の部分を、破れそうになるほど強く掴んだ。

 痛い。痛い。痛い。どうしてこんなに苦しい。


―陸。


「ぐうぅ…う…ぐ…」


 雅の声が聞こえた。心臓を突き刺されたような痛みが走った。壁に手をついたまま徐々に姿勢が下がっていき、部屋の隅に蹲るような体勢になった。


―………!


 聞こえない。

 何て言った?誰が言った?

 誰だ、この三人目は?


―少佐殿!


 明るい声だった。


「フ……フフ……どうして、お前が…」


 黒瀬は壁に頭を突き、自嘲的に微笑んだ。


「出てくるんだよ…」


 呟くと、暫くそのまま動きを止める。右手の拳で、か弱く床を殴った。


「変わらない…変わってない…」


 自分の拳が水滴に濡らされた。何故だろう?わざとらしく疑問に思った。


「変われてないじゃないか…フフ…」


 笑いながら涙を零す男は、床をポンポン殴り続けていた。

 結局、勝てないのだ。自分より強い者には、自分は勝てる筈が無いのだ。

 最初は両親。次は大人。次は天命。そして次は…権力、だろうか?

 そうだ、自分が強くなったって何の意味も無い。業炎を纏う神器も、大きな意思の前にはなまくらの棒切れだ。

 力を手に入れたって、他には何も手に入らない。じゃあ自分は何のために強くなったのだろうか?何のためにここまで頑張ってきた?

 自分のこの拳ではアカネを助けることが出来ない。無意味に床を叩き続けることしか出来ない。

 自分は、どうしてここまで生き永らえて来たんだ?

 その時、唐突にドアがノックされた。

 黒瀬は急いで立ち上がり、ドアの方を見る。自分の醜態に気が付き、タオルを乱暴に掴み取って目に押し当てる。


「誰だ?」


 なるだけ普通の声色で問いかけた。返事はすぐには来ず、暫くの間静寂が続いた。


「…少佐殿、私です」


 呟くような小さな声が聞こえてきた。とりあえず、会うだけで緊張感が増すような人物では無いらしい。

 …それでも、今の自分の姿を一番見られたくない相手だった。


「あの、先程の戦闘について、今一度…」

「待て。すぐ開ける」


 アカネの言葉を遮って黒瀬は言った。洗面所へ駆け込み、顔に水を叩きつける。目の回りを濡らしに濡らし、タオルで拭き取り、また濡らしたりして、とにかく証拠隠滅に努めた。

 鏡を見ると、違和感が無いというほどでは無いが…まあ、人前に立つのに不十分では無いほどの表情にはなっていた。

 一つ深呼吸をし、ドアを開けた。


「あ…」


 突然ドアを開けられたアカネは驚いて顔を上げる。その顔を見て、黒瀬もまた驚愕した。目を真っ赤に泣き腫らして、未だに涙が溜まっている。


「…あの、お話がありまひて」

「噛んでるぞ。とりあえず入れ」

「いえ、ここで大丈夫ですから」

「いいから入れ」

「えっ…あっ」


 背中に手を回し、強制的に部屋に押し込んだ。セクハラだと本部に直訴されれば、人として終わりを告げそうな気もするが。まあ、大丈夫だろう。

 部屋の中に入れられたアカネは困惑してきょろきょろと周りを見渡していたので、向かい合ったソファの一つに座らせた。対面に黒瀬も腰かける。


「言っておくが、謝罪は受け付けていない」

「それでも謝りたいです。また私が足手纏いになりましたし…」

「イレギュラー戦での狙撃、あれが無ければ俺は死んでいた。お前が居なければ生きて帰ってくることも出来なかったんだ」

「あの女の人との戦いで私が逃げられていれば…」

「それでも劣勢のままだ。確実に勝てる見込みは無かった」

「援軍の到着まで持ちこたえられれば、負けることは無かったかもしれません」

「言っただろ、生きて帰ってこれたんだから大勝利だ」

「でも」


 アカネは軍服をぎゅっと握り締めた


「上層部は敗北と見なすと思います」

「…」


 黒瀬は答えに窮した。


「私は、勝ちたかったです」

「どうしてだ」

「私達が勝てば…あのイレギュラーに勝てば、実力が認められて…このコンビが強いんだって、思われるから…だから…」


 言いながら、アカネは段々と俯いていく。

 ああ、そういうことか。

 黒瀬は悲しい笑いを浮かべた。二人での任務をずっと続けていたい。この娘は、そんなことの為に頑張っていたのか。ひた向きに、真っ直ぐに…。

 再び、黒瀬の胸に痛みが走った。…逆らおうとしてるんだ。自分を取り巻く大きな力に。こんなに非力なのに、必死で。

 無駄なのに。そんなことをしても。

 決まっているんだ。お前が俺と一緒に居られないことは。

 もう、既に決まっているんだよ。

 胸の痛みが強くなってくる。四方八方から槍で突き刺されているように、痛みが拡散し、拡大する。


「少佐殿!?」


 黒瀬は胸を抑えて前屈みになり、苦しんでいた。額には脂汗が浮かび、どう見ても正常な状態ではない。アカネは飛び上がって黒瀬の傍に駆け寄った。


―うん。何があっても友達をやめませんって誓い!


 翠。約束したのに。心に決めたのに。守れなかった。見ていることしか出来なかった。


―私と同じ人に出会えて、とっても嬉しいです。


 雅。俺の愛した人。助けたかった。あと少しでも、俺に力があったなら。


―一年前から、貴方はきっぱりと変わってしまった。それは良いことなのかも知れないけれど…無理は、していませんか?


 無理なんかしてるものか。「無理」だと悟ったから変わったのだ。もう俺には何もかもどうにも出来ないんだ。


「少佐殿!」


 傍らで黒瀬の肩を揺さぶるアカネの声は届いていない。


―俺にはそうは見えんな。お前は昔ほど昇進に拘らなくはなったが…仕事に打ち込まなくなった分、他の事で頭が一杯になっているような感じだ。違うか?


 一杯になどなっていない。「諦め」という巨大な空白が脳を圧迫しているのだ。諦観という虚無で心が侵されているのだ。


―お前、今欲しいものは何だァ?


 欲しいものなんて無い。欲しがったって何一つ手に入らない。逆に全てを失って、それで終わりなんだよ。


―じゃァ、どうして求めない!?自分自身の自由をォ!?


 自由なんて手に入る筈が無いだろう!アカネも俺も、帝国という存在にがんじがらめになって身動きが取れないんだ!


―この国で自由が得られないのだとしたら…どうして手に入れようと努力しない!?可能性すら探らねェんだ!?


 可能性なんて無い。努力なんてやりきったんだ。もう分かったんだ、俺には何も出来ない。


―自由を求めること、ただそれだけのことに、どんな志が要るってェんだよ!


 求めたって手に入らない物があるんだ!もう分かっているんだよ!


―お前も、一般市民とおんなじなのかァ?この下らない国に押さえ付けられて生きてェのかァ?


 そんなわけが無い。でも、もうどうしようもないんだ。国に押さえつけられずに、自由に生きるなんて。アカネを幸せにしてやるなんて、助けてやることなんて出来ない。

 そうだ。

 例えば。

 帝国から、逃げ出さない限り。


「少佐殿!」


 はっと、黒瀬の意識が元に戻った。目の前には、心配そうな顔をしたアカネが居た。


「良かった…どこか、怪我でもしましたか?医務室に連絡して…」


 欲しいものは何だ?

 何故求めない?

 可能性すら探らない?

 …そうだ、

 …その、通りだ。 

 欲しいものがあるなら。

 全力で求めるだけだろう。


「アカネ」

「はい?」


 黒瀬はアカネの肩に手を置き、ゆっくりと立ち上がった。つられてアカネも立ち上がる。アカネが不思議そうに黒瀬を見つめていると…突然その手が背中に回され、強く抱き締められた。


「へぇえっ!?」


 アカネは驚き、奇妙な声を上げる。身体が硬直して動かず、抵抗も全くしない。


「あ、あの少佐殿!これもまたセクハラですか!?」


 黒瀬は答えない。強く抱き締めることで返答とする。


「あ…ぅ…」


 その返答により、アカネは身体だけでなく思考まで硬直してしまい、赤面したままただ身を委ねた。

 黒瀬は、腕の中の確かな温もりに安心感さえ覚えていた。

 アカネは今ここにある。誰のものでもない。生きて、今ここに存在しているのだ。

 ああ、良かった。間に合った。手遅れになっていなかった。まだ、俺の手で守ってやることが出来る。


「アカネ」

「は、はい」


 二人の身長差のせいで、アカネは黒瀬の胸に押し付けられるような形になっていた。黒瀬がアカネの耳元で囁くと、その腕の中でアカネは答える。


「一緒に逃げようか」


 それまで黒瀬から聞いたことが無かったような、穏やかな声だった。


「逃げるって、何処にですか」

「んー…邪魔な奴等が一切居ない場所、とかかな…」

「帝国から、抜け出すってことですか…?」

「まあ、そうなるだろうな」

「で、出来るんですか…?」

「知らん。やってみる」


 黒瀬らしからぬぼんやりとした物言いに、アカネは戸惑う。


「あの、それで、一緒に…って…その…どういう…」

「…そうだな、プロポーズと思ってくれればいい」

「プロッ…!」


 アカネは言葉が出ずにあわあわと口を動かす。


「…で、どうだ?付いてきてくれるか?それとも、こんな下らない事には付き合ってられないか?」


 黒瀬は優しく囁く。返答を待っていると、次第にアカネの肩が震え出した。


「アカネ?」

「…そんなの」

「ん?」


 アカネは顔を上げた。真っ赤に染まった顔で、涙をぼろぼろと零しながら黒瀬を見つめた。


「そんなの、嬉しすぎるに決まってるじゃないですかぁ…」


 黒瀬は笑ってアカネを抱き締めた。アカネは黒瀬の軍服に顔を押しつけてわんわん泣いた。アカネに見られていないのを良いことに、黒瀬もまた少し、泣いた。

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