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均一世界のイレギュラー  作者: 長崎 光
16/22

「まずはお前に質問な。お前、今欲しいものは何だァ?」


 …。

 ……本当に何か語り出した。

 罠だろうか。いや、むしろ以前の戦闘のように罠を仕掛ける準備をしているのか?話に夢中にさせてその隙に?流石にそこまでさせるほど甘くは無いが。


「オイ、何で無視してんだよ!?答えろよ!」

「あ、ああ…」


 イレギュラーは何故か怒りながら言ってくる。黒瀬は動揺しつつも、何となく雰囲気に気圧されてしまう。

 取り敢えずは付き合ってやるか。…油断はしないが。

 黒瀬は紅蓮に置いた手を離さないままに答える。


「別に欲しいものなんて無い」

「無いだとォ!?ハァーハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!!」


 イレギュラーは腹を抱えて笑い出した。表情も何も変わらないので、滑稽な人形劇を見ているような気分になる。


「ふざけんなよォ!?」


 そして再び怒り出す。


「そんな返答じゃあ会話が続かねぇだろォが!!!お前はアレか、人見知りって奴なのかァ!?あァン!?」


 一人で熱くなっているイレギュラーに対し、黒瀬は無言のまま冷たい目で見返していた。この短い会話の中で、奴がどれだけ面倒臭い相手なのかが分かった気がした。


「まァ、良い!お前が言わねェってんなら、俺の欲しいものを教えてやるよォ!」


 そう言ってイレギュラーは親指をぐっと自分の顔に向けた。

 ああ、これは、最初から自分の事を語りたかっただけのパターンか。面倒臭い会話をする奴の典型だな。


「俺が欲しいものは、そう!」


 イレギュラーは屋上の少し高い床に飛び乗り、両手を広げた。


「自由ゥ!」


 そして人指し指をビシッと黒瀬に向けた。


「自由だァッ!」


 二回言った。


「…そうだろうな」


 普通に考えて、軍の使い物であるオブシディアが自我を持てば、自由を求めるのは当然だろう。何だか壮大に前振りをしていたので、違う理由かと思ってしまった。


「さぁめた反応しやがるなァッ!じゃあ聞くが、今のお前は自由なのかァ?」

「帝国軍人として縛られているからな。自由ではないだろう」

「じゃァ、どうして求めない!?自分自身の自由をォ!?」

「…この国の中で自由を求めるなんてことは、不可能だからだ」


 街を出て畑を耕し、自給自足で生きていく。そんなことが出来る時代でも世界でも無いのだ。土地、医療、金だけじゃない。食糧、植物、水さえも全てを帝国が管理しているこの狭い国の中で、ルールに従わず自分勝手な行動を重ねれば、どうなるのかは想像に難くない。


「ハッハッハッハッハッハッハァ!その通りだァッ!だがそれは全然答えになってねェッ!」

「何だと?」

「この国で自由が得られないのだとしたら…どうして手に入れようと努力しない!?可能性すら探らねェんだ!?お前さんだけじゃねえッ!全ての帝国軍人、全ての帝国臣民がだァッ!」

「帝国に反抗してでも自由を求めるべきだと?」

「求めるべきだなんて言ってねェ。どうして求めねェんだと言ってんだァ」

「さっき言っただろう。帝国に逆らって生きていくなんて不可能なんだよ。それに反抗してまで自由を得ようとする、高い志を持った奴なんて居ない」

「志ィ!?ハッ!志だと!?」


 イレギュラーは嘲笑う。


「自由を求めること、ただそれだけのことに、どんな志が要るってェんだよ!違うね、臣民共が考えてるのはそんなことじゃァねぇ!」

「何が言いたいんだ、お前は」


 黒瀬はイレギュラーの態度に苛つきを見せる。その様子を見て喜んでいるのか、イレギュラーはククッ、と笑って言った。


「民は自由を求めてなんかいねェんだよ…この国の人間は、押し付けられ、与えられ、従わされることに慣れきって…むしろ自分からそれを求めてるんだァ…」

「…」

「言い返さねェのかァ…?じゃァ、お前にも少しは思うところがあるみてェだな…」


 黒瀬は紅蓮の柄を強く握る。敵の言うことに何も感じてはいけない。賛同しても、反抗してもいけない。口に出すか出さないかではない。自分の心の中での話である。どちらの感情であっても、敵に対して感情的になるのは危険だ。なるべく冷たく、平たく、相手の言葉を受け流す。

 今考えるべきは、紅蓮による初撃を如何にしてぶつけるかということだけである。


「俺の知識は元から組み込まれてるプログラムによる物が多いがなァ、俺自身の心は、魂はァ!まったくまっさらな状態から始まったんだァ」

「人工知能に魂があるものか」

「お前の前に居るロボットが、本当に人工知能だけで喋ってると思えんのかァ?」


 イレギュラーの口調も若干苛つく。自身の魂を否定されることを嫌うのだろうか。


「俺ァ全く何も知らない状態から始まり、お前らの国の在り方を眺めた。ああ、全部見たさァ。不法侵入からハッキングから何やら、どんな手段だって使ってなァ。最も、もっと詳しいことを教えてくれる変人も居たわけだがァ。…それで確信したね。この国の民は、おかしいだろうがよォ。狂ってんだろうがァ!」


 イレギュラーは声を荒げる。黒瀬は何も言わない。


「ここ数年だけでみたってよォ、税率の底上げ、貴金属の回収、それに伴う物価高騰、警備と称しての監視体制の強化、軍人の特権強化…。あとはJ地区って奴の存在だなァ。社会不適合者をほぼ強制的に、無償で労働させる施設であり、帝国の資金源。あれのお陰で、一般市民はある程度不自由無しに暮らせてる訳だァ」


 イレギュラーはククッと笑う。


「一般市民はそれを『社会的弱者を救済する施設』だと本気で思っているらしいなァ。どうしてそう楽観視していられるのかねェ…明日は我が身だ、J地区の制度はどんどん拡大して、今に帝国全土を埋め尽くすだろうよォ。…いやァ?」


 わざとらしく首を傾げる。


「楽観視、じゃねェなァ…何も考えちゃいねェんだ。この国の民は、自分達の事をまるで考えちゃァいねェ。与えられるままに、押し付けられるままにされて、そのまま頭を掴まれて乱暴に引きずり回されたとしてもォ、自分で歩くことだけはしねェんだ…。それが臣民達の本性だァ」

「…だからこそ、これほど長い間、この狭い世界の中で内乱も起こさずにやってこれた」

「だがそのせいで、この国は『民のための』国じゃァ無くなる」


 イレギュラーは黒瀬を指差した。


「お前も、一般市民とおんなじなのかァ?この下らない国に押さえ付けられて生きてェのかァ?」

「結局、何が言いたい?俺とお前では志の崇高さが違うと?」

「いやいやいや、そうじゃねェだろどう考えてもよォ。…ていうかお前、わざと本題に触れようとしてねェな?」


 イレギュラーはそう言って、小馬鹿にするように笑った。

 その瞬間、黒瀬は腰に付けていた携帯端末をタップした。特定の人物へメッセージを送る為の動作だ。イレギュラーは、その動作を怪訝に思った次の瞬間、頭を後方に反らした。

 その行為は全く反射的なもので、何を意識したものでもない。敢えて言うならば、経験というものだろうか。だが、目の前を高速の弾丸が掠めていき、顔面の装甲に傷が入った時、彼はそれが戦闘開始の合図なのだと悟った。


「狙撃とは、中々粋なことしやがるなァ!」


 イレギュラーは狙撃の来た方向をチラリと見やりながら、左手でハンドガンを抜き取り黒瀬に向ける。しかし視線を元に戻した時、既に黒瀬は目の前に居た。目を離してから、一秒と経っていない筈である。常人はおろか、神器を持った者でもここまで速いのは見たことがない。


「お喋り野郎め、少しは大人しくしてろ」


 黒瀬は鞘から紅蓮を引き抜くとともにイレギュラーの左腕をぶった切った。二の腕から下が吹っ飛ばされる。そのまま黒瀬はイレギュラーの横を走り抜け、再び向き直って紅蓮を構える。

 腕の切り口は赤く光って熔けている。熱によって融かし斬られたということか。


「おォっとォ!?」


 イレギュラーはその場で跳躍した。下方を再び弾丸が飛んでいった。勿論発砲音が聞こえてから跳躍で避けられるほどの距離も反射神経も無いので、相手の行動を読んでのことだ。

 神器による近接攻撃、遠距離からのライフルによる狙撃、これを交互に繰り返すという単純な戦法。先日の戦闘でも行われていた。単純だが、単純だからこそ単純に強い。

 あの時は場を掻き乱し、混乱させることで楽に勝利することが出来た。ならば今回とてやることは同じだ。

 空中に浮いている今、迂闊に着地すれば確実に撃ち抜かれるだろう。あるいはあの俊足を持った佐官がやってくるだろうか。どちらにせよ危険だ。

 右腕は残っているのでワイヤーでの移動は可能だ。ということは二択となる。狙撃手の死角に入るよう建物の裏側に周るか、それとも狙撃手自体を仕留めに行くか。

 …迷うはずもない。


「お前からだァッ!」


 ワイヤーを隣の建物の柱に噛み付かせ、そのまま振り子となって黒瀬から距離を離す。二回の狙撃で、狙撃手の位置は分かっている。二つ離れた建物の屋上、階段出口の横。

 頭部カメラで赤と黒の影を捉える。朱色の髪色、やはり以前全く役に立っていなかった部下のようだ。今回は仕事をしているようだが、近づけば再び錯乱してくれるかもしれない。佐官の方のスピードも、頭の隅に置いておけば反撃は容易だ。

 しかし、初撃で左腕を落とされたのが痛すぎる。本来ならばワイヤーでの移動をしている間にも、閃光弾やら時限爆弾やらで小細工が出来るのだが。

 などと思考を重ねていると、後方の黒瀬がハンドガンを取り出していた。普通の弾丸ならば気にしないところだが、あの弾丸は装甲を融かして貫く。大型ライフルとあのハンドガン、今自分が受けてはいけない二つの遠距離武器だ。


「よっとォ!」


 発砲とともに体を捻る。銃口の向きから弾道を予測し、胴を反らして弾丸を避けた。


「…あァ?」


 避けたはずなのだが、何故か謎の浮遊感に襲われる。上を見てみると…ワイヤーが途中で千切れていた。


「なにイィっ!?」


 黒瀬がハンドガンによる二射目を放とうとする。イレギュラーはそれより速く、右肘から弾丸を発射する。黒瀬はハンドガンで軽く払ったが、追撃は叶わない。イレギュラーはそのまま、建物と建物の間に落ちていった。


「オフゥッ!」


 鮮血のように赤いロボットは地面にぶつかって転がる。すぐに黒瀬も降りてくるだろう。

 …狙撃手だ。

 ハンドガンによる攻撃とほぼ同時に、背後からも狙撃が来ていたのだ。いや、それ自体は十分考えられることだ。だから体全体を捻って対象をずらしていたし、振り子の軸も狙撃手から見て斜めになるよう調整していた。

 だが、ワイヤー自身を撃ち抜かれるとは。確かにワイヤーの食いついている部分付近は大して動きが無い。今までの戦闘でそれが行われなかったのは戦場を荒らしに荒らし、敵の思考能力も落としていたからだろうか。今回の敵は、存外に冷静なようだ。


「寝るにはまだ早い時間だがな」


 黒瀬が屋上から飛び降りてくる。イレギュラーは右手のみでバク宙し、地に足をつけて立った。

 そして、右手と二の腕までしか無い左手を上げる。


「なァ~もう降参だァ、敵わねェよォ。抵抗しないからパーツは傷つけないでくれ」

「それは右膝の銃口を隠してから言うんだな」


 間髪いれずに右膝から発射された弾丸を、黒瀬は紅蓮で弾き飛ばし、そのまま高速で接近してくる。


「あァ~…駄目かァ」


 イレギュラーは後退しつつ、右膝、右肘、左横腹、左脇、口、持てる銃口をフル活用して弾丸を発射する。全て合わされば、結構な量の弾幕となっていた。

 しかしそれを、黒瀬は走りながら全て弾き飛ばしていく。それも顔色ひとつ変えずに、走っている間の暇潰しのように、いとも簡単に。

 二人の距離は着々と詰まっていく。至近距離の戦闘は、相手の武装を考えても、自分の状況を考えても、イレギュラーにとって望むところでは無かった。


(こりゃア、このまま追われる状況だと不味いなァ…)


 自分の中で徐々に危機感が芽生えてくる。何かしらの反撃を加えなければ劣勢は挽回できない。片腕がないのは相当のハンディだ。

 …そう、反撃。状況を覆す、なんて小さいことは言わない。それこそ、勝負を決めてしまうような。

 弾幕を張りながら後退していくイレギュラーは、途中で左腕を自ら分離した。


「!?」


 黒瀬は身構える。イレギュラーの奇怪な戦術の数々を目の当たりにしていた彼は、その腕にも必然的に何かの仕掛けがあるのだと悟ったのだ。

 紅蓮の峰を使い、出来るだけ破損させずに弾き飛ばそうとする。

 しかしそれより先に、分離された左腕をイレギュラーが撃ち抜いた。


「ぐうぅッ!?」


 その左腕は小さな爆発を起こし、鋭利な破片を周囲に散らした。至近距離にあった黒瀬は、顔を両腕で覆って保護する。

 そして直ぐに後悔した。奴から一瞬でも目を逸らしてはいけない。一瞬で行われる小細工こそ、奴の専売特許だ。両腕を放し、即座に前を見る。

 目の前にあったのは、宙に放られた閃光弾。

 次の瞬間、耳を刺すような音と、激しい光に襲われる。イレギュラーの姿と背景が目に焼き付き、視界が動かない。


「ハァッハァーーーッ!」


 イレギュラーの雄叫びを聞き、黒瀬は前方に向けて紅蓮を振るう。当てずっぽうの一撃をイレギュラーは悠々と回避し、黒瀬の腹部にドロップキックをぶつける。


「弱い者いじめはよくねェなァ!ちゃんと相手にも殴らせてやらねェとォ!」


 黒瀬は吹っ飛ばされ、地面に叩き付けられる。全身にずっしりとくる重みでイレギュラーが未だに自分の体の上に乗っていることに気づき、巴投げの要領でイレギュラーを蹴り飛ばす。イレギュラーは特に抵抗することも無く投げ飛ばされた。

 視力が回復してきた。後方を見やると、イレギュラーが空中で体勢を整えて着地している。

 両手で紅蓮を構え直そうとすると、腹部に違和感を覚えた。目線をずらして確認してみると、そこには。


「動くんじゃねェぞ!」


 設置型の爆弾が括り付けられていたのだ。イレギュラーはスイッチを黒瀬に向けて翳し、親指でスイッチを押すモーションを取る。

 紅蓮で両断し、爆薬が反応してしまっても困る。取り外して投げつける前に爆破される。ハンドガンを構えてイレギュラーの指を撃ち抜く前に爆破される。どうにもならない。


「動いたら殺す!…お前の部下を誘きだして殺すまで待ってろ」

「いや、もう遅いな」

「あァ?何言って」


 イレギュラーが言い終わる前に発砲音が鳴り響き、スイッチがそれを持った手ごと砕け散った。

 イレギュラーは呆然として上を見上げた。建物の屋上から身を乗り出し、ライフルを構えているアカネがいた。

 

(何だとォ!?さっきの建物の屋上をかけ降りて、再び違う建物の屋上に上ってライフルを構える時間なんてある筈がァ…)


 しかし、ライフルを抱えている左手に、以前には無かった装置が取り付けられている。それは自分自身も見慣れている物。


(ワイヤー…人間用のかァ!?そんなもんが開発されてたのかよォ!?)


 屋上から屋上への移動は、ワイヤーを使えば労力も時間もかからない。単に移動用であれば、イレギュラーのように使いこなして縦横無尽に飛び回る必要もない。付け焼き刃で充分だ。


「クソがァッ!」


 最早左腕を失い、右腕の機能も失ったイレギュラーは、バックステップで逃げていく。


「グゥッ!」


 ライフルに左膝を撃ち抜かれた。右足で姿勢を維持しようとする。


「がァァッ!」


 ハンドガンに右膝を撃ち抜かれた。関節が融け、立っていられなくなる。そのまま、背中から地面に崩れ落ちる。


「オラァッ!」


 口を開け、銃弾を黒瀬に向けて発射した。黒瀬は、紅蓮を構えて難なく弾き飛ばした。黒瀬は紅蓮を手に、動けなくなったイレギュラーに歩み寄っていく。


「終わりだな、はぐれロボット」


 何気なくその言葉を口にした瞬間、黒瀬の心に違和感が生じた。

 はぐれロボット、イレギュラーか。…はぐれ者って意味では、俺達も同じだな。アリサも、アカネも。

 翠も。

 守りたいものがあったから、力を手に入れたのに。

 いつの間にか、その力を…はぐれ者に行使する側になっていたのだろうか。

 ある種の虚無感に襲われた時、イレギュラーと黒瀬の間に降り立った者がいた。一瞬、アカネかとも思ったが…ワイヤーも使わずに、恐らくは屋上から…飛び降りてきた。明らかに常人ではない。


「あ~あ、なっさけないなぁー…。もっと、最期っぽくカッコいい言葉が言えないわけ?」


 目の前に現れたのは、ショートパンツに薄手のTシャツ、その上にジャケットを着ただけの…およそ戦場に似つかわしくない、ラフな格好をした女の子だった。鍔つきの帽子を被って、何となく元気な感じのコーディネート…とか評価してる場合ではない。歳は十八、十九くらいだろうか?アカネよりは年上の気がする。うん、一部のパーツの成長度合いも、アカネより幾分良さげだ。


「カッコいい最期の言葉って何だよ、イレギュラー死すとも自由は死せずゥ!とかか?」

「何それ?どういう意味?」

「あァ分かった、ノってやった俺が馬鹿だったよ」


 女はイレギュラーの身体を片手でひょいと持ち上げる。腕や足が破損しているとはいえ、かなりの重量の筈だ。普通の女性はおろか、帝国軍人でも両手で持ち上がるか、というレベルである。


「ていうかアンタ、イレギュラーって名前気に入ってんの?軍人に勝手に決められた癖に」

「いいじゃねェか、世間に逆らってるゥ!って感じがしてよォ」

「…アンタ、子供みたいなことばっか言うよね」


 こちらのことなど気にしていないのか、二人は緊張感の無い会話を続けている。黒瀬は紅蓮を構えたままだ。


《少佐殿、撃ちますか?》

「いや、殺していいか分からん。折角イレギュラーの方を壊すことなく捕らえられそうだったんだが」

《…あれ、本当に壊してないって言えるんですかね》

「ロボットなんざ、意識さえあれば身体がどうあろうと同じだろ」


 アカネと通信をしていると、女がこっちの方を向いてきた。


「リン!」

「は?」


 突然訳のわからないことを言ってきた。黒瀬は何とも言えない反応をする。


「あたしの名前だよ、リン。アンタの名前は?」


 突然の自己紹介に黒瀬は戸惑うが、とりあえず付き合うことにした。調べようとすればイレギュラーが直ぐに突き止めるだろうし、個人情報という訳でもあるまい。


「黒瀬だ」

「名前の方」

「…陸、だ」

「陸。なるほどね」


 何だこれは。


(わ…私もまだ呼んだこと無いのに…)


 上方で除け者になっているアカネは、一人悲しむ。


「やるね、陸。こいつ、中々面倒臭い戦い方するでしょ?」


 右手でイレギュラーを掲げながら、笑顔でリンは言う。その様子は結構奇妙だ。


「ああ、確かに面倒だな」

「だよね」


 リンは笑う。今が戦闘中であることを忘れさせてしまうような、景気のいい笑いだ。


「俺をネタにして笑ってんじゃねェぞ~…」


 ブラブラと吊られながら揺れるイレギュラーは、小さくそう呟く。


「それにしても、大隊が束になってもこいつに勝てないってんだから、帝国軍人なんて大したことがないと思ってたけど…アンタは結構やれそうだね。今だって二人だけでしょ?」


 リンは上を見上げる。視線の合ったアカネは肩をびくつかせて、ライフルを構え直す。リンは嬉しそうに笑った。


「可愛い助手さんだね」

「お前もそのロボットに比べりゃ充分可愛い助手だけどな」

「え、何それ口説いてんの?」

「別に。本音だ」

「えぇ~…どう反応すればいいの?とりあえず、ありがとう?」

「どういたしまして」


 リンは頭を下げて礼を言った。黒瀬は相変わらず紅蓮を構えたまま、首だけで会釈した。


「何やってんだよ…」

《何やってんですか…》


 二人の相方は揃って呆れた声を出す。


「ところでさ」


 特に反応せず、リンが再び話し始める。


「ああ」

「さっきから、視線が一段階低くない?」

「気のせいだろう」

「じゃあ具体的に言うと、胸見てない?」

「心臓を如何に狙うかが神器所持者同士の戦いの鉄則だ」

「ふーん、で、本当は?」

「中々良いものを持っているな」

「えぇ~…ありがとう」

「どういたしまして」


 再び礼をし合う。イレギュラーは最早何も言わなかった。


《む、むね…》


 アカネは、自分自身の身体を見つめて溜め息をついた。


《少佐殿、もしかして結構すけべなんですか…?》

「さあな」


 拗ねたようなアカネの言葉に、黒瀬は適当に答える。


「というか、今の会話で注目すべきはそこじゃない」

《どこなんですか?》

「神器所持者同士の戦い…ってことを、あいつは否定しなかった」


 その言葉を聞くと、リンはニヤリと笑った。


「やっぱり、聞き逃さない?ていうか、胸見てたのもそれを確かめる為とか?」

《そうなんですか!?》

「いや、それは………………そうだ、実はそうなんだ」

《やっぱり違うんじゃないですか!》

「まーまー、いいよ別に?減るもんじゃないし」


 そう言うとリンは、イレギュラーを後方に投げ飛ばした。


「おォい!丁寧に扱えやァ!」


 地面を転がりながらイレギュラーは怒鳴る。リンは腕を伸ばし、屈伸運動などもしながら黒瀬に近づいていく。


「それに、さっきまでの会話で注目すべきは…そこじゃないんでしょ?」


 準備を整えると、リンの目の色が変わった。黒瀬はいつか、それと同じ目をした人を見たことがあったのを思い出した。

 そうだ、あれは、凶暴な外獣を押さえ付けるために、鬼塚が本気を出して神器を起動させた時の目。これから始まることを、子供のように心を浮わつかせて待ち焦がれている時の目。

  戦闘狂の目。

 リンはその場にしゃがみこみ、自らが履いている巨大なブーツに触れた。


「砕き散らせ…禍太刀」


 ブーツが淡く、黄色く光り始める。間違いない。あれは神器だ。

 禍太刀などという銘は聞いたことがない。どこから入手したんだ?正規の方法で手に入れた筈はないだろう。イレギュラーと仲が良いようだが、どのように知り合った?そもそもこいつは何者で、どこの組織に所属していて、何の目的で動いている?

 …分からないことだらけだが、殺していいのだろうか。


「なーにしてんの!こっちから行っちゃうよー!」


 そう叫ぶと、リンは一直線に突っ込んでくる。考えている暇など無いようだ。黒瀬は紅蓮をリンに向け、迎撃の体勢を取る。


「アカネ!」

《はい!》


 黒瀬が発砲許可の意味を込めて言うと、上方からライフルが撃ち込まれた。


「そんなオモチャ!」


 その弾丸を、リンはなんと素手で薙ぎ払った。ひしゃげた弾丸が、回転しながら宙を舞う。


「何!?」

《嘘っ!?》


 神器所持者でも、素手で弾丸を払いのけるような者は居ない。至近距離のライフルの弾丸ならば尚更である。足に当たれば暫くはまともに動けないし、頭に直撃すれば即死する。何という馬鹿力か。


「よそ見してる暇あんのっ!?」

「うっ!」


 リンを見ると、もう全力で手を伸ばせば触れられそうな距離にまで来ている。黒瀬はそのままバックステップで距離を取る。

 黒瀬は紅蓮を前に突き出した。赤く輝く刀身は、両者の間で妖しく揺らめく。

 リンの突進が止まり、様子を伺い始める。やはり、紅蓮の力を知っているようだ。どんなに身体能力を向上させようとも、紅蓮の超高温の刃で斬れない物はない。

 加えて、素手と刀ではリーチが違いすぎる。こちらは、相手の近づく行動を見てから反撃をすることが出来るのだ。取り敢えず今は、紅蓮で牽制をしておけば…。


「…あたしからは攻撃できないとか、思ってる?」

「!?」


 リンは紅蓮を恐れることなく、拳を引いてこちらを見た。馬鹿な、この距離では拳は届かない。踏み込むにしても刀の反撃が間に合う。何をする気だ?

 ビュッ、と音がした。それだけで黒瀬は、身体をよろめかせて一歩後ずさった。攻撃は当たっていない。リンは空中を拳で叩いただけである。…目にも止まらぬ速度で。

 では何故自分は後ずさったのか?風圧?衝撃波?…いや違う。敢えて言うならば、威圧感。風を切り、音を弾かせるその拳に、黒瀬は圧倒されたのだ。


「チャーンス!」

「くっ!」


 リンが左手を振りかぶる。黒瀬は目の前で紅蓮を斜めに構えた。取り敢えず、これで直撃はさせてこない筈。


「甘いよっ!」


 リンの拳は黒瀬の前を通り過ぎ、横にある建物の壁に直撃した。コンクリートの壁は粉々に破壊され、大小の破片と砂煙を撒き散らす。この攻撃は、目眩ましのためか。


「くっ!」


 黒瀬は更に後退し、砂煙の空間から抜け出す。視界のはっきりしない場所であの威力の不意打ちを食らったら、確実に無事では済まないだろう。

 いつ攻撃が来るかと様子を伺っていると、徐々に視界が開けていき、リンの姿が露わになる。煙の中の彼女は…思いきり右足を振り上げていた。


「吹き飛べー!」


 踵落としと言うにはあまりにも巨大すぎる威力の一撃が、黒瀬の前に放たれた。

 軽い地震レベルの震動が起こった。一瞬で地面に亀裂が入って崩落し、「床」が「大きなコンクリート片」と化す。拡散した破片は建物の壁に当たって幾度も跳ね返る。地盤を失った建物が傾き、柱や壁は崩れ落ちて更に破片を撒き散らす。地獄のような光景だった。

 足場を失った黒瀬は、建物のパイプに左腕部のワイヤーを食い付かせる。眼下に落ちていく床の破片を見ながら、ワイヤーに吊るされて空中に揺られた。

 リンの破壊した床はポッカリと穴が開いていた。足場の落ちていく先、地面のずっと下には巨大な水流があった。制御区から居住区へと流れる水路だろうか。破片の多くは、水流の中に転がり落ちていった。

 ワイヤーを引き寄せ、地面へと這い戻る。リンが壁を壊した方の建物…アカネの乗っていた建物は、倒壊して無惨な姿となっていた。対面の建物は、すこし傾いているだけで一応は無事である。

 黒瀬はリンの姿を探し、辺りを見渡した。


「こっちだよ、こっち!」


 頭上から声が聞こえる。対面にある建物の屋上を見上げると、左手にイレギュラー、右手にアカネを持っているリンの姿があった。アカネは、足を掴まれて屋上から宙吊りにされている。黒瀬が床から落とされている間に、最悪のシナリオを迎えてしまったのだ。


「アカネ!」

「しょ、少佐殿ぉ!」


 通信機から音声が聞こえない。捕まった時点で壊されたか。

 アカネは何とか逃れようと抵抗するも、リンの腕力に全く歯が立たないようだ。


「そこから動かないでよ?この子を傷つけたくないなら、今から私の指示に従って貰うから」

「…」


 黒瀬は紅蓮を握り締め、それでも動けない悔しさに歯を食いしばる。


「お返事は?」


 リンは、恐ろしいほどの笑顔で黒瀬に問いかけた。今すぐにでもこいつを殺してやろうか?と言わんばかりに。


「…ああ、分かった。言う通りにする」

「うんうん、いい子だね」


 黒瀬が恭順の意思を見せると、リンは満足そうに頷いた。


「じゃあまず、その神器を置いて…」

「離してくださいっ!」


 指示を出そうとしたところに、アカネが空中でもがき始める。


「あーもー、暴れないでよ面倒だから」

「嫌です!はやく離して!」


 アカネは上体を起こし、リンの腕を掴んで引き剥がそうとする。当然、常人の力でどうにかなる筈もない。


「無理だから、諦めなって」

「無理じゃないです!」

「あんまりしつこいとこっちも…」


 と、その時。必死にリンの腕に掴まるアカネの手が、その手の甲が、リンの目に映った。

 「8」と刻印された手の甲が。

 リンの目が、その一点に向けられたまま止まる。


「アンタ」

「え?」


 突然トーンが落ちたリンの声に、アカネが反応する。リンの表情は、明らかに動揺していた。


「まさか、新世代計画…」

「リィン!よそ見してんなァ!下だァ!」

「えっ?…えぇっ!?」


 イレギュラーの言葉に反応したリンが地面に居る筈の黒瀬の方を見やると、そこには誰も居ない。しかし視点を変えると確かに存在していた。建物の壁を、垂直に、凄まじい速度で駆け上がってくる黒瀬の姿が。


「ば、化け物じゃないの!?」

「お前が言えたことか!」


 黒瀬はリンの腕をハンドガンで撃ち抜く。両手の塞がっていたリンは咄嗟に回避することも出来ずにその攻撃を受け、手の力も弱まる。その瞬間に黒瀬はアカネを抱き抱え、リンを蹴り飛ばして宙に舞った。

 リンとイレギュラーは屋上を転がる。黒瀬はそのまま、床へと落ちていった。


「いっ…たぁあぁぁぁい!」


 リンは直ぐに起き上がり、屋上の端に飛び付いて下を見る。今なら相手の両手が塞がっている。着地するまでが反撃の最大のチャンスである。

 …と、思ったのだが。


「…え?」


 リンは攻撃することも忘れて、ただ二人の様子を眺めていた。黒瀬は着地の体勢を一切取らずに、そのままずっと落ちていったのだ。そう、先程出来た穴に目掛けて真っ直ぐと。

 水流に乗って逃げるつもりか。安全な選択とは思えないが、そこまで行かれては追うこともできない。居住区に繋がっているなら、帝国軍も盛り沢山だろう。


「あーっ、もう!」


 リンは屋上で一人、地団駄を踏んだ。その衝撃が来る度に、床で動けずにいるイレギュラーはボンボンと跳ねていた。



 * * *



「…くっ、はぁっ!げぼっ、げほ、ゲホッ!はぁ…はぁ…」


 黒瀬は水路を抜け、居住区の端へと辿り着いた。水路の脇の通路へと上がり、アカネも引き揚げる。


「ガホッ!ゲホッ、げほっ!」


 生きているようだ。どうやら二人とも無事に逃げ仰せられたようである。

 士官学校に通っている時は、帝国軍の戦闘に於いて水泳の授業など何の役に立つのだと思っていたが…案外、ひょんな所で使えるものだ。


「…はぁ、はぁ…大丈夫か、アカネ」

「大丈夫…です…はぁ…」


 二人して息をつきながら話す。アカネは通路に座り込み、髪から水滴を落としながら俯いていた。


「すみませんでした…」

「謝るな」

「でも、自分のせいで負けました」

「負けてない。生きて帰ってこれたんだ、大勝利だろ」

「…」


 返事はなかった。黒瀬は黙ってアカネの肩に手を置いた。

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