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均一世界のイレギュラー  作者: 長崎 光
14/22

「次の講義って何だったっけ?」

「何で俺に向けて聞くんだよ。水曜日はいつも俺と違うカリキュラムだろ」

「長瀬教授のロボット工学、四号館の三階です」

「ああ、そうだったそうだった」

「というか、お前それ毎週聞いてないか?」

「いえ、毎日のように聞いています」

「お前らよくそんなに覚えられるな」

「普通覚えるだろ。今何月だと思って…」

「陸、次の講義は何でしたっけ?」

「…」

「…」

「…」

「え?えっ?どうして皆黙っちゃうんですか?」

「わざとやってるのか?」

「素でやっているとするならば、稀有な才能ですね」

「わかるわかる。忘れちゃうよな」

「今のは話を聞いてなかったことの方が凄いけどな」

「どういうことですか?除け者にしないで説明してくださいっ!」

「ほら黒瀬、佐倉さんがこう言ってるぞ」

「なんか説明するの面倒臭いな」

「何で!?教えて下さいよっ」

「エビフライやるから諦めろ」

「んむっ」

「瞬間的にパクついたなぁ」

「箸まで食われるかと思ったぞ」

「んむ?」

「…亮二」

「何だ、アリサ?」

「私にもあれをしなさい」

「あれって…エビフライは無いけど」

「そこの人参で構いませんから私に何か物を食べさせなさい」

「要するに『あーん』的な事をして欲しいの?」

「はい」

「いや…黒瀬と佐倉さんの前だし…痛い痛い痛い!!!無理矢理俺の腕掴んで操作したら意味無くない!?」

「そうです、そこで人参を掴んで…そのまま私の口まで運んでください」

「や、やめてくれ…やめてください、アリサさん!」

「おい、イチャつくなお前ら」

「お前が事の発端だろぉ!?」

「陸、陸!」

「何だよ」

「ほっぺにご飯粒付いちゃいました!取ってください!」

「わざとだろ絶対。てか自分でとれるだろ。…分かった、分かったからそんな顔をするな。取ってやるからじっとしてろよ」

「口で直接取ってください!」

「取るか!」

「はむ」

「あ、あの、これで大丈夫ですよねアリサさん?」

「駄目です。私からも食べさせます」

「いや、でも、こういうのは二人きりの時に」

「大丈夫です。あちらの二人も二人の世界に入ってしまっているみたいですし」

「入ってない、入ってないからな?」

「陸、その取ったご飯粒はどうするんですか?もちろん食べて」

「ぽいっ」

「あーーーーーーー!!!」

「入ってるじゃねぇかよ…むぐうっ!?」

「亮二、余所見をしていると食べ物を入れづらいです」

「むぐっ!むぐぐっ!」

「食べ物を粗末にしちゃいけませんよ!」

「じゃあ最初から頬に付けてないでちゃんと食え!」


 黒瀬陸、佐倉雅、安堂亮二、有原アリサの四人は、食堂の隅で賑やかな昼食を取っていた。それは終わるはずの無い様に思えた時間。もはや遠い記憶となって色褪せ始めている空間だった。



 * * *



「…とまあ、俺とアリサ、黒瀬と佐倉さんの出逢いはこんな感じだな」


 安堂は何故か得意気にそう言う。アカネも食い入るように聞いていた。


「佐倉さんって、少佐殿と会った女の人ですか?」

「ああ、そうだよ。言ってなかったっけ?そんで、黒瀬の恋人になった人」

「ええぇっ!?」

「え、そんなに驚く?今の流れ的にそうだと思わない?」

「少佐殿って恋人出来たんですね…」

「その言い方はちょっと酷いと思うけどなー…」


 微妙に落ち込むアカネに対して、安堂も微妙な顔をする。話しながら淹れた紅茶のカップの一つをアカネの前に置き、自分も口をつける。


「まあ俺も、あいつにあんな可愛い彼女が出来るとは思わなかったけどなぁ。無愛想だし、自分から話そうとしないし」

「そうですか?」

「そうだよ。アカネちゃんに対してはそうじゃない?」

「うーん…何か、口うるさいお兄ちゃんみたいな感じです」

「口うるさい兄貴か」


 安堂は笑いながらその言葉を反芻する。


「そういうところも確かにあるかもな。俺もアリサも、結構なじられながら世話焼かれたもんだ」

「やっぱりそうなんですか?」

「うん。あいつ、口は悪いけど根は優しいもんな。だけどそういうことするのも、自分が気に入った奴に対してだけだぜ?アカネちゃんも大分気に入られちまったみたいだな」


 安堂の言葉に、アカネは過剰に反応する。


「そ、そんなわけ無いじゃないですか!自分は少佐殿に迷惑しかかけてないですし…」

「自分の役に立つ人間だけを好きになる訳じゃ無いんだよ、特にあいつのような人間は。それに、何も思うところのない部下をわざわざ旧友の所に連れてくるか?んな訳は無い。多かれ少なかれ、あいつに好かれてるって証拠さ」

「あ…いや…そんなことは…」

「何を話している」


 赤面して口ごもるアカネの後方、部屋のドアの方からバスケットボールが飛んでくる。不意打ちは安堂の頭を直撃し、ソファの横へと崩れ落ちさせた。


「痛ぇよ!」

「それは何よりだ」


 犯人である黒瀬が部屋の中に入ってくる。バスケットボールは部屋の入り口に転がっていたものだ。


「亮二、私達の馴れ初めを語るなんて、少し恥ずかしいです」


 黒瀬の後ろに付いていたアリサが、頬を赤く染めながら言う。


「いや、どう考えても俺の話をメインでやってたけどな」

「それでどこまで話したんですか?私達が初めてデートをした日の事までですか?」

「聞けよ。その話は聞きたくねぇよ」


 両頬を手のひらで押さえ、目を閉じながら言うアリサに対して、黒瀬は心底気分の悪い顔をしながら言う。転倒していた安堂は起き上がってソファに座った。


「というか君達、いつからそこに居たの?」

「『俺とアリサ、黒瀬と佐倉さんの出逢いはこんな感じだな』の所からです」

「結構待ったな!?」

「興味深い話をしていたからな」

「いやぁ…まぁ…な?」


 安堂は大した言い訳も思い付かずに適当に返す。黒瀬が対面にあるソファに腰かけると、アリサもその横に座った。アリサが自分の近くに来なかったことで、アカネは安堵の息をつく。


「余計なことを言わなくていい」

「…悪りぃ」


 真面目な口調になって言う黒瀬。安堂はおどけて返すこともせず、ただ謝った。アリサは何も言わずにその様子を見ていた。

 沈黙が訪れた。異様な雰囲気の中で、アカネはただ困惑していたが、やがて沈黙に耐えきれずに口火をきった。


「あの、少佐殿」

「何だ」


 視線がアカネに向けられた。それだけで、蛇に睨まれた蛙のように喉元が凍りついてしまう。それでもこの静寂が続くことには耐えられずに、アカネは何か話題を探そうとした。

 しかし、気の利いた話題など見つかる筈も無くて。元々自分にそんな事をする頭も無いのだと気がつき、結局はド直球を投げることにした。


「少佐殿の恋人って…佐倉さんって、どんな人なんですか?」


 アリサと安堂がアカネの方を見る。事もあろうか、自分達がすーっと横を通りすぎようとしていた地雷を、アカネは踏み抜いて行ったのだ。次に、アリサは安堂を睨んだ。そもそもその地雷を掘り出したのは安堂である。安堂は視線で謝罪の意を述べた。


「あいつは…」


 黒瀬は遠い目をして、腫れ物に触るかのように、ゆっくりと語りだした。


「学院の理事長の娘でな。その立場が理由で自分に寄ってくる人間が鬱陶しくて、自分から人を避けていたみたいだ。いや、ある程度の歳になるまでは我慢していたみたいなんだが…ある時その不満が爆発して、友達にも親にも当たり散らしていたらしい。それ以来周りからは避けられるようになって、自分で自分の事を嫌な奴だと思い込んでいたみたいだな。学院に入ってからは人間関係が一新されて、また近づいてくる輩が多かったみたいで、人気の無い場所で昼食をとっていたんだと」


 アカネは、先程の安堂の話を思い出す。隠れた場所にある丘で、黒瀬と佐倉は出会ったのだ。

 アリサと安堂は驚愕していた。無理矢理話を聞こうとすれば、本気で怒りかねないような話題の筈だが…それにも関わらず、黒瀬はアカネの一言で語り始めたのである。異常も異常。二人は固まったまま、黒瀬とアカネを見つめることしか出来なかった。


「あいつは自虐的な事を良く言う奴でな。それを否定されるのも嫌いみたいだった。そんなところが俺と良く似ててな。だから気が合ったのかもしれない…いや、結局どうして好きにまでなったのかなんて分からんけどな。普通に毎日話してて、普通に付き合い始めることになったよ」


 そこで黒瀬の話は止まった。

 アカネは何か返事を返そうと思い…先程から感じている違和感の原因を考え始めた。黒瀬の口調は、何かを懐かしむような、昔のことについて話すような…いや、昔の話であることに間違いはないのだろうが、それにしても…何か終わったことのように感じられて…。

 その事について触れるのは、果たして良いことなのだろうか。アカネの心は揺れ動く。

 しかし、ここまで来てしまった以上引き返す訳にも行かなかった。意を決して、踏み込んでいく。


「あの、佐倉さんって…今は何処に…」

「死んだよ、一年前にな」


 あまりにも、あっけない言葉だった。黒瀬は表情一つ変えずにそう言い放ったのだ。アカネは開いたままの口を、どういう風に動かせばいいのかもわからずに、ただ言葉を探していた。


「…あの、変なことを聞いてしまって」

「謝るなよ」


 アカネの言葉は遮られた。


「謝るくらいなら踏み込んでくるな。聞きたいから話を振ったんだろ?じゃあ適当に取り繕った言葉を返すな。お前は一体、俺に何を聞きたいんだ?」


 黒瀬の語調は段々と強くなってくる。張りつめた空気は広い部屋を凍りつかせて、四人の存在を明らかにする程であった。

 黒瀬は明らかに動揺していた。付き合いの長いアリサや亮二だけでなく、アカネでさえも分かるほどにはっきりと。彼がこれほどまでにきつい口調で問い詰めてくるなど、ほとんど無いことだ。それも女性に対して。

 アカネは困惑していた。心のどこかで黒瀬の事を信頼していた。…いや、信頼関係が築けているのだと思っていたのだ。どんな話を聞こうとも、最後には丸く収まって普通の会話に戻れるのだと…そう思っていたから聞いてしまったのだ。

 でも違う。もしここで彼の問いに間違ってしまったのなら、きっともう戻ることはできないのだろう。そんなことは考えていなかった。自分の頭の悪さを、このときばかりは呪った。

 しかしここまで着たら、黙りを決め込む訳にはいかない。踏み込んでしまったのなら、進んでいかなくてはならない。


「…少佐殿」


  他の三人の視線は、アカネに集まっていた。


「好きです」


 …。

 ………。

 ……………………。

 時が、止まった。

 今までとはまた別の意味の静寂が、室内を支配した。

 アリサは自らの聴覚機能を疑った。安堂は状況に呑まれた頭を動かすことが出来なかった。黒瀬は必死に言葉の意図を拾おうとした。


「少佐殿の事が、男性として好きです」


 アカネの言葉は継矢のように次がれた。黒瀬は胸をずんと押されたかのようによろめいた。


「…………あー………」


 黒瀬は額を抑えて呻いた。どう返せばいいのだろうか。今度はこちらが悩む番となってしまった。


「…何故、ここでそれを言う」


 落ち着いて見れば、アカネの頬は仄かな朱に染まっている。冗談というわけでもないのだろうか。それにしても何故ここで。


「少佐殿の事を知りたいです」


 アカネは至って真剣な眼差しで黒瀬を見つめていた。


「少佐殿の愛した人の事を知りたいです。少佐殿が苦しかったり悲しかったりするのは…やっぱり私は嫌だから、だから私は少佐殿の事が知りたい。教えてください、佐倉さんの事」


 矢継ぎ早に発せられるアカネの言葉に、黒瀬は口を挟むことすら出来ずにただ聞きに徹していた。

 三人の視線が集中するなか、黒瀬は思わぬカウンターに戸惑いながらも思考を巡らせ続けた。

 そして、結論が告げられた。


「分かった、話す。…下らない話だ、途中で寝るなよ」


 アカネの顔が笑みに染まっていく。その様子を見ていたアリサと安堂も、ようやくホッと息をついた。



 * * *



 俺が軍人になった理由は知ってるか?まあ知らないだろうな、言ってないんだから。実は何の事はない、ただ惰性で続けているだけだ。

 軍人を志した切っ掛けも大したことはない。俺は鬼塚大佐に拾われてJ地区から引っ張ってきて貰えたんだからな。あの人に恩を返す意味でも軍人に成ろうと思っていた。元々将来の夢なんて高尚な物は無かったし、帝国軍人なんて世間から見れば勝ち組だからな。

 学院に入って士官学校科に所属していたのはそういう理由だ。あの学院に行ったのもあの丘の上に辿り着いたのも只の偶然だった。彼女…雅と出会ったのも。

 雅と付き合い初めてから俺の生活は一変した。俺はその時まで何も物事を考えずに生きていた。脱け殻みたいなもんだった。だから、真剣に人の気持ちを考えるようになったのは…あれが初めてだったかもしれない。

 それまで周りに無配慮だった訳じゃない。だが雅の前に居るときの俺は、常に彼女に良く思われていたいと、そして彼女を絶対に傷つけてはいけないと考えていた。あそこまで会話の一つ一つに気を付けていた頃はない。気を遣いすぎて、逆に怒られたこともあったくらいだ。

 …まあ、そんなことはどうでもいい。そうして、多分一年くらいか…時間が過ぎた。鬼塚大佐にあることを言われた。士官学校科の特待生推薦制度だ。

 基本的に、帝国軍人になれるのは士官学校科を卒業した生徒のみだ。しかし、成績が優秀で教官などの推薦がある者は数年早く現役の軍人になることができる、という制度だ。鬼塚大佐は、俺を推薦してもいいと言ってくれた。俺の成績も殆ど基準を満たしていた。

 だがこうも言われた。軍人になるにはまたとないチャンスであるが…あくまで、俺の考えを尊重すると。帝国軍人になれば、そう簡単に辞めることなど許されない。別の道を志すのならば、断ることも出来る。

 俺は考えてみますとは言ったものの、断ろうと思っていた。軍人になることで生命の危険が少なからず生まれることは確かだし、休みも自由に取れるかは分からない。

 俺は雅と一緒になる気でいた。普通の企業に就職し、普通に働いて、普通に雅を幸せにしてやりたいと、そう感じるようになっていたんだ。

 その頃には丘の上で雅と二人の昼食を摂ることも無くなって、殆どアリサや安堂と一緒に食堂でのものになっていた。

 だがその日は、昼食の時間に雅が居なかった。携帯タンマツヲ見るとメッセージが届いていた。その内容を見ると、俺は午後の講義の事など忘れて学院を飛び出した。

 アカデミーに属している帝国立の病院にたどり着いた。物々しい病室には雅が居た。彼女は車椅子に座っていた。朝から学院を休んで、病院に来ていたらしい。

 彼女は病気だった。体の機能が徐々に徐々に低下していき…手始めに手足が動かなくなり…視力を失い…食事も摂れなくなり…最後には内臓、脳まで機能しなくなって死に至る。進行はゆっくりで、死ぬまでは数年かけて少しずつ悪くなっていく。治療法が確立されて居ない上に、致死率はほぼ百パーセントだと。

 彼女は別れようとか、別の人と一緒になった方がいいとか言ってたが…俺は聞く耳を持たなかった。絶対に俺の手で助けると約束した。

 当たり前だが、俺は医学に詳しくない。戦場での応急処置は知っているが…そんな難病に関しては分かる筈もない。そもそも前例が少ないが故にデータが無い、治療の糸口さえ掴めていない…もう普通の方法に頼るなんて絶望的だった。

 普通の方法が駄目なら…人智の及ばぬ病なら、どう解決する?当たり前だ、人智の及ばない、普通じゃない方法で治す。

 神器だ。

 士官学校の授業でも少しだけ習う兵器。科学的にその原理は解明されていない、皇帝から授けられる武器。

 その力の種類は、神器を授けられる際の想いによって変化するらしい。形は槍にも銃にも盾にもなる。速さを強化するものも、力を強化するものもある。

 その力を、人の治癒に活かすことは出来ないのか?

 俺は駄目元で大佐に聞いてみた。すると大佐は、神器に詳しい知り合いがいるから聞いてみる、と言ってくれた。大佐は暫く席を外した。恐らくその知り合いに電話でもしていたのだろう。戻ってきた大佐から、想いの強さによっては不可能ではないが、病気を治すほどの能力ならば戦闘能力は落ちてしまうと言われた。是非もない。俺の進むべき道が決まった。

 俺は帝国軍に入った。神器を授かるには、佐官になる必要があった。昇進に最も必要なのは功績。功績を上げる最も効率的な手段は、外獣を狩ることだ。

 俺は外獣の討伐任務を果たし続けた。もちろん競争相手も多かったがな…あの頃の俺は、それこそ狂気に支配されたように戦い続けた。アリサと安堂なら覚えている筈だ。

 雅の容態は悪化していくばかりだった。ベッドの上での生活が続き、日を増すごとに日常生活で多くの助けを必要とするようになった。暇がある度に会いに行った。会いに行く度に笑顔を見せてくれた。だが段々と起きている時間も短くなり…数年が経つと、ついに完全に意識が無くなった。

 俺は焦りに焦って、大佐に頼み込んで任務を増やしてもらったりもした。病院に行って雅の姿を見る度に、心に重石が乗ったような気分になった。

 そしてついにある日、佐官へ昇格することが出来た。最近では異例なほど早い昇格だと、大佐は喜んでくれた。しかも皇帝の予定が丁度合ったらしく、翌日には神器の授与が行われるようだった。

 俺は興奮して、やっと今までの苦しみから、雅を解放してやれると…俺が救ってやれるんだと思いながら、その日も病院に向かった。

 だがその時には雅はもう、この世から居なくなっていた。



 * * *



「というわけだ。雅を助けるために得た階級も功績も神器も…本当はもう要らないのさ。大佐には恩があるから続けてるけどな」


 黒瀬は言い終わると、アリサの淹れた紅茶に口をつけた。アカネは俯いた。


「…悲しいです」

「どうしてお前が」

「少佐殿が悲しいなら、私だって悲しくなります」

「別にもう、気にしていない」

「では何故、まだ指輪を肌身離さず持っているのですか?」


 アリサが口を挟んでくる。黒瀬は黙ってアリサの方を見つめた。


「…いえ、すいません」

「…どうしてそこで謝る。怒ってる訳じゃない。…単純に言い返せなかっただけだ」


 しん、と会話が無くなった。気まずい雰囲気の中、沈んでいる三人から弾かれたような立ち位置の安堂は話題を探しながら目を泳がせる。

 暫くして、黒瀬が立ち上がった。


「帰る。行くぞ、アカネ」

「は、はい」


 アカネもつられて立ち上がり、二人揃って部屋から出ていこうとする。が、安堂が声をかけて止めた。


「待て待て!…あー、折角だから今日は泊まってけよ!部屋は幾らでも空いてる!明日は仕事はあるのか?」

「…いや、無いが」

「じゃあ決まりだ!な?どうせやることも無いんだろ?」

「…」


 黒瀬は苦々しい顔でアカネの方を見る。


「私も、そうしたいかな…なんて…」


 申し訳なさそうにして言うアカネ。黒瀬は諦めたように頷いた。


「わかったよ」

「そうこなくちゃあな!じゃあ今から部屋を用意するから…」

「その前に、何かあるでしょう?」


 アリサが再び割って入ってくる。


「アカネさんの想いに、貴方はどう答えるのですか?」


 アリサは碧い瞳で黒瀬を見つめる。アカネも緊張した面持ちで黒瀬を見ていた。黒瀬は二人の視線から顔を逸らしながら答えた。


「…俺とアカネで、幾つ歳が離れてると思ってるんだ。親子というほどまでは離れていないにしろ、兄妹と言うには憚られるほどだぞ。それにアカネは人間関係を持った回数が少ないだろう…出会った男が少ないだけで、周りが見えてないだけだ。さあ安堂、さっさと部屋に案内しろ」

「あ、ああ…」


 黒瀬に押されるようにして安堂は部屋から出ていった。部屋の中には女子二人が残された。

 俯いているアカネの肩に、アリサは手を置いた。


「中々、良い反応だったじゃないですか」

「え?」

「はっきりと断った訳じゃない。言葉を濁して有耶無耶にしようとしていました。黒瀬も悩んでいるということですよ」

「…それは、ちょっとポジティブすぎませんか?」

「付き合いが長いから分かりますよ。大丈夫、頑張って」


 アリサは、座っているアカネの頭を胸に押し付けるようにして抱き締めた。アカネは涙の浮かんだ顔を、アリサに隠してもらうようにして抱き締め返した。

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