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メドゥーサの彼女  作者: 吉國 冬雪
7/41

M7 隣家、リビングにて

 堅苦しい制服を脱ぎ、シャツとジーンズ姿になる。携帯と家の鍵だけを持って、櫻井家のインターホンを押す。

「別に押さなくていいぞ。鍵開いてるから、勝手に上がれ」

 祥太朗の声の後ろで、海雪(みゆき)もしゃべるーと言う声が聞こえる。あと数秒で直接話せるのに、恋する乙女というのは、わずかな時間も我慢ができないようだ。

 適当に返事をして、ドアを開ける。お邪魔しま……と言葉を遮るように「邪魔じゃねぇぞ~!」という祥太朗の声が入ってくる。いつものやり取りに思わず吹き出す。

 リビングに入ると、ソファには座らず、床に胡坐をかき、その上に海雪を座らせた祥太朗がいた。

「祥太朗さん、一応、礼儀っつーか、あいさつですから」

「まぁまぁ、堅苦しいことは抜き抜き。飯もうすぐ出来るから、ちょっと座れ。コーヒー飲めよ。どうせ帰ったら勉強だろ?学生はさ」

「いただきます。勉強は……宿題くらいしかしないっすけどね」

 そう言って、テーブルの上に準備されたコーヒーを手に取る。

「お前、いつからブラック飲めるようになった?俺、16」

「俺……も……そんくらいですね。やっぱ、高校生になったらブラックかなって」

「やっぱ、そうだよなぁ……」

 祥太朗は海雪の髪を撫でながらしみじみと言った。

 膝の上の海雪は、大人同士(と言っても志信(しのぶ)はまだ子供だが)の会話には入らないようにと躾けられているようで、父親に髪を撫でられながら、自分の番をいまかいまかと待っているようだ。

「……そう言えば、さっきは何の話をしてたんだったか……」

 そんな娘の気持ちを知ってか知らずか、祥太朗はまだ『大人同士の会話』を続ける気らしい。

「さっきは……、その……、祥太朗さんの結婚の決め手の話っす」

 娘の前でこんな話って恥ずかしくないのだろうか、と思いつつ、答える。

 まぁ、でも、振ったのは祥太朗さんだからな。大丈夫なんだろう。

「ぶはぁっ!やべぇ!そうだった!……よし、海雪、ちょっとじいちゃんとこ行け!」

 志信の予想を大幅に裏切り、盛大に噴き出した祥太朗は海雪を膝からおろし、背中を軽く押した。

 コーヒー飲んでる時に言わなくて本当に良かった――……。

 自分の番が訪れる前に放流されてしまった海雪は、志信に一度ぎゅっと抱き付き、おじいちゃーんと叫びながらリビングを出て行った。

 しばしリビングは沈黙に包まれ、キッチンで千鶴が料理をする音が聞こえてきた。

 祥太朗は下を向き、右手で口元を抑えたまま動かない。

「……祥太朗さん、顔、赤いっす」

 その沈黙を破ったのは志信だった。

「……マジか」

「……耳まで赤いっす」

「……マジか」

「……聞いちゃダメなやつでしたね」

「……うん……。あ、いや……大丈夫!」

「……大丈夫な赤さじゃないですけど、無理しなくていいっすよ」

「バカヤロウ!可愛い弟分が頼って来てんだ。何でも話してやらぁ!」

 などと威勢よく言ったが、声のヴォリュームは普段と比べ物にならないほど小さい。おそらく、妻の千鶴に聞こえないように、だろう。

 この人ってたまにすげぇ可愛いよな。こういうのにやられたんだろうな、千鶴さん……。

 両手で頬をバチバチと叩き、気合を入れる。頬の痛みでいつもの自分を取り戻そうとしている。

「えーっと、あのな、志信。決め手っつっても、そんな御大層なもんじゃねぇんだ。話が合うとか、一緒にいて落ち着くとか、そんなのの積み重ねなんだよ、俺は」

「じゃあ、何かきっかけになるような出来事とかっていうのは特に無いもんなんですね」

 意外だなぁ。そんなに早く結婚するっていうと、だいたい、子供が先に出来たから、というのが理由としてあげられるから、そういう理由もなしに決めるなんて、ものすごいドラマがあったのかと思ったのに。

「特に……ないな。ウチは親も早かったし、そういうもんだと思ってたのもあるな。あとは……、ウチの親が千鶴のことめちゃくちゃ気に入ってたからな。家に連れてく度、嫁に来い来い言ってたよ」

「すごいっすね……。気に入られる千鶴さんもですけど、そこまで押せ押せなのも」

「まぁ、ウチの親、ああ見えて人を見る目があるからな。特に父さんに言われると説得力が半端ないんだよな。洗脳レベルだよ、ありゃ」

 たしかに、ウチも父親の発言ってでかいな。いつも家にいないからか、余計に一言に重みがあるっつーか。でも、信吾さんってそんな風にはみえないんだけどなぁ。

「ちょっと意外ですけどね。俺から見た信吾さんって、もっと、こうふわっとした優しい感じっていうか」

「ああ、まぁ威圧感がどうとかじゃないんだよなぁ。こればっかりは体験してみないとわからんだろうな」

 祥太朗はテーブルの上のコーヒーカップに視線を落とす。祥太朗のものにしてはやや子供っぽく見える、少年のイラストが描かれたデザインのカップだ。それをゆっくりと持ち上げ、一口啜る。

「まぁ、でも、俺はさ、なんだかんだ言っても千鶴としか付き合ったことないしさ。恋愛のアドバイスとかは無理だぞ。小中学生のころ、好きな子くらいはいたけどさ」

「そうっすよね……」

「つうかさ、もうアドバイスを欲するところまで来てんのか?一目惚れってやつか?」

「えっ?ああ、あー、えーっと……、まぁ、ちょっと可愛いなって思ってるだけで。そんな……はは……」

 一目惚れ……。そうかもしれない。いや、きっとこれは確実に……。だって、すげぇ可愛いし。それに、ちょっと控えめなあの感じ。ウチのクラスにはいないタイプだ。

「俺、ちらっとしか見てないけど、それでもなんかすげぇ可愛かったもんな。そうかそうか、志信、惚れちゃったんだな」

 祥太朗は腕を組み、大げさに頷いた。

「それならウチの父さんが得意分野だ」

「へ?信吾さんが?」

「僕がどうかしたかい?」

 そう言いながら、海雪を抱きかかえた信吾が音もなくリビングへ入ってきた。


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