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メドゥーサの彼女  作者: 吉國 冬雪
29/41

M29 頼れる隣人、谷山志信

 いつもは志信(しのぶ)よりも先に来ていた小町の姿がない。

 珍しいこともあるもんだ、とのんびり構えていると、ぺたん、ぺたん、という音を鳴らして小町が歩いてきた。椅子を引き、机に座る。

 妙な足音の正体はすぐにわかった、小町は来客用のスリッパを履いているのだ。

「おはよ。どした?靴」

 朝の挨拶のついでに何気なく聞いてみる。顔だけを志信の方に向けた小町は、今日も眼帯をしている。

「あー……、昨日、洗おうと思って持って帰ったら、忘れちゃって」

 そう言うと小町は笑ったが、表情はいまいち冴えない。嫌な予感がよぎる。

 今日、平日だぞ?持って帰って洗うって、そんなにすぐ乾くか?普通は土日とかなんじゃねぇの?

 小町がそう言うのなら、深追いするのも、という気持ちはある。でも……。


 俺『が』半分引き受けてやるから。


 そう言ったんじゃないのか?俺は。

 机の下で右手をぎゅっと握る。

「なぁ……。何か困ったことあったら、言えよ」

「えっ……」

「……前に言ったろ?半分引き受けるってさ」

「うん……。でも、それって『面倒な事』じゃなかったっけ?」

「そうだっけ?よく覚えてんな……」

「言われた方は覚えてるんだよ。特に、嬉しかったことは……。あの、実はね……」

「谷山くーん、おっはよー!」

 小町の言葉を遮るように睦が二人の間に割って入ってくる。この登場の仕方は睦の定番だ。

「睦ちゃん、おはよう……」

 この雰囲気に圧倒されてか、小町の声はか細い。どうやら睦には届いていないようだ。

「ねぇ、谷山君、あたしもとうとう買っちゃったー。ORANGEのアルバム~」

 睦は鞄の中から新品のCDを取り出す。以前貸したものとは違うCDアルバムだ。

「お、買ったのか。言えば貸すのに」

「うーん、それも良いんだけど、なんかあたしもハマっちゃってぇ。そしたらやっぱり欲しくなるじゃん?」

「まぁ、そうだな。しかし、何作もある中でそれをチョイスするとはな……」

「えっ、なに?やばかった?」

「もー。マジやばいよ、そのアルバム。俺、割れるほど聞いたし」

「割れるほどって!ウケるんだけど!ねぇ、谷山君の一押しの曲はどれ?」

 睦はジャケットをひっくり返し、曲目を志信に見やすいように向きを変えた。

 志信は何度も眺めたその曲目をちらりと見て、5曲目を指差した。

「そうだな……。これ、激しい感じで好きなんだけど。ちょっと……歌詞が……」

「歌詞が?」

「……あんまり女子にはお勧めできないっていうか……」

 このヴォーカルの書く歌詞にはそこかしこに刺激的なワードがちりばめられている。

 おそらくもう少し大人になれば、ハイハイ、と聞き流せるのだろうが、多感なお年頃の志信にはどストライクだった。

 言葉を濁した志信を見て、睦も察したらしい。ニヤリと笑って「了解」と言った。

「でも何か意外かも。谷山君って、もっとそういうの平気かと思った」

「そういうわけじゃないけど……。女子にそんなん言ったらセクハラになるだろ」

 取り繕うように言ってみたが、たぶん、ばれてはいるだろう。

「あたしは大丈夫だよ~。じゃ、今日は谷山君のこと考えながら、この曲聞いちゃおーっと」

 睦は笑顔でアルバムを軽く振ると、颯爽と自分の席に向かった。志信は睦の一言で顔が上気しているのを感じる。

 何なんだよ、アイツ……。

 志信は経験したことのない異性とのやり取りに胸が高鳴っている。

 もしかして、これって『ときめき』ってやつだったり?いやいや、そんなの俺簡単すぎだろ!

「志信君、ときめいちゃった?睦ちゃんに……」

 急に聞こえてきた小町の声にどきりとする。

 おそるおそる隣を見ると、小町は眼帯をしたままこちらを見ている。

「小町……、眼帯してても……か……?」

 熱くなっていた顔がすーっと冷めていくのを感じる。

「何でかな……。読めちゃった……」

 そう言う小町の顔は寂しげだ。

 マジかよ……。眼帯してても読めちゃうのか……。って、こうやって考えてることも読まれちゃうんだろ?無心!無心で!

 ……って無理だよ!何も考えないなんてさ!

「無理しなくていいよ……。谷山君のこと読まないようにするから。ごめんね」

 それだけ言うと、小町は鞄の中から文庫本を取り出し、読み始めた。

 何て返したらよいかわからず、志信も目を逸らす。目をこするような動作をしているのが視界の隅に入る。ゴミでも入ったか、かゆいのか、あるいは……泣いているのか。

 俺のせいだよな。小町が泣いてるんだとしたら、俺のせいだ。

 でも、どうしたらよかった?だって、何も考えないで接するのなんて無理だ。

 ふてくされるように机に突っ伏した。

 ずしり。

 何か固いものが頭に当たる感触があったかと思ったら、それは徐々に重さを増していく。

 これは……、この挨拶の仕方は……。

「賢太だろ……?」

 頭をずらし、重さから脱出する。読み通り、賢太の鞄だ。

「さわやかな1日の始まりに寝てんじゃねぇよ。おはようさん。小町もおはよっ。今日は文学少女か」

 鞄を持ちあげると、そのままの勢いで自分の机の上にどさっと置いた。

「おはよう、最上君」

「あらら、やっぱり今日も眼帯なのか。まだ調子悪いの?」

「あと3日くらいは駄目だって、お医者さんから……」

「そっかぁ。でも片目だと不便だよなぁ。ノートも取りづらいだろ?でも大丈夫!」

 そこまで言うと、賢太は右手で志信の右肩をぐい、とつかんで引き寄せる。

「そういう時は、頼れる隣人『谷山志信』に甘えちゃいなさーい!」

「お前じゃないのかよ!流れ的に『俺に任せろ』だったろ!完全に!」

「え~?俺に任せたら、小町も俺も共倒れだよ。第一、俺も志信のノートが頼りなんだからさ。てことは最初から志信を頼った方が合理的じゃね?」

「ノートはいま佐々木とか橋田に見せてもらってるんだから、心配ないだろ」

 志信はしっかりとつかまれた賢太の手を、面倒くさそうに剥がした。

「そうなの?最初は志信のノートだったじゃん」

「女子の方が見やすいだろ」

「……でも、成績は志信の方がいいんだぞ~」

 声を少し落として、小町に告げ口する。

「おっま……。そういうこと言うなよ」

「だって、事実だもの~。ま、あの2人のノートで心配な時は頼りなよ」

 賢太は口角を上げて笑い、志信に剥がされた右手でピースサインを作った。小町はそれを見て笑いながらピースサインで返す。


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