M25 魔法使いとコーヒー
この人は何を言っているんだろう。
嘘とか、騙すとか、冗談とか、ジョークとか、そういうものとまるっきり無縁の信吾の口から飛び出した『魔法使い』という言葉。
この信吾さんが言うなら、もしかして、という気持ちもある。
でも、そんなことあるわけがないという気持ちの方が大きい。
「えー……っと、冗……談ですよね……?」
引き攣った笑みで信吾に言う。
「本当だよ。無理に信じなくてもいいけど」
信吾はいつもと変わらない笑みで返す。
「少しだけ、何か見せようか」
そう言うと、右手で自分のコーヒーカップを持つ。中身はもう半分くらいになっていた。
左の手のひらを上に向け受け皿を作ると、カップを傾けてその中にすっかり冷めたコーヒーを注ぐ。
「えっ?」
こぼれるのではないかと、腰を浮かせた志信を「大丈夫」と制する。
カップの中身をすべて左手に注いでしまっても、コーヒーは一滴もこぼれなかった。
指の隙間からも漏れていない。
さらに、コーヒーがなみなみと満ちているその手のひらをゆっくりと下に向ける。
さすがにこぼれる!そう思ったが、次の瞬間には、左手のコーヒーはどこにもなかった。
「あれ……?コーヒーは?」
思わず信吾の左手をつかみ、手のひらを撫でる。信吾の手は濡れてすらいなかった。
いや、それよりも……。
「信吾さんの手……。何か感触が……」
強く握ったわけではないものの、つかんだときに一瞬しゅわっとした感触があった。
まるで、水の中で乾いたスポンジを握った時のような。
志信はゆっくりと信吾の手を離した。
信吾はそれに答えず、左手を一度強く握ると、その握りこぶしの下にカップを置く。
少しだけ力を緩めると、小指の隙間から、コーヒーが湯気を立てて流れてきた。
「え?え?」
志信が呆気にとられていると、カップの中には、淹れたてのようにほかほかと湯気を立てるコーヒーが半分ほど入っていた。
そして、その温まったコーヒーを平然と一口飲んだ。
「どうかな」
「どうかなって……。どうなってるんですか?手品……じゃないんですよね……?」
信吾はにっこりとほほ笑む。
「僕の手、変な感じがしただろう?これはね、魔法使いの手なんだ。この中にいろいろなものを溜めることが出来るんだよ。さっきはね、コーヒーをこの中に溜めて、あらかじめ溜めていたコレで……」
再度左手を差し出し、人差し指をぴんと立てると、その先端から小さな火の玉が上がった。
「うわっ」
「温めたんだよ」
突然現れた火の玉に驚き、志信は情けない声を上げた。
「手品……じゃないですね……。それじゃ、本当に……」
「魔法使いだよ。出来れば、あまり他の人には言わないでくれるかな。ここに住みづらくなるからって、佳菜子に言われてるんだ」
「はい……。もちろん……。って、じゃ、佳菜子さんや祥太朗さんも……?」
「いや、佳菜子は普通の人間だよ。祥太朗はハーフだから魔法が使えるけど、海雪は……さすがにまだ使えないね」
小町のことといい、櫻井家のことといい、志信はなんだか頭がパンクしそうだった。
どうして俺の周りでこんなに不思議なことばかり起こってるんだ!
口を半開きにした状態で固まっている志信を、首を傾げて不思議そうに見つめる。
「志信君、どうしたの?もしかして、僕が怖くなったかい?」
そう言う信吾の顔は少し寂しげだ。
「そ、そんなことないです!ただ……いろんなことがありすぎて、容量オーバーっていうか……」
志信は頭をくしゃくしゃと掻き、冷めたコーヒーを飲んだ。
「いろんなこと知ってるのも……魔法使いだからですか?魔法使いって、何でも知ってるんですか?」
「いや、そういうわけではないよ。僕は、君達よりもずっと長く生きているからね。単純に見たことがあるってだけ」
信吾は湯気の上がっているカップに口をつけ、志信のカップをちらりと見ると「それも温めようか?」と聞いた。
カップを持ったままどうしようかと迷っていると「大丈夫、さすがに君のは手の中に入れたりしないから」と言い、左手でカップの口を軽く覆った。
程なくして、信吾の指の隙間から湯気が立った。
信吾が左手を放すと、冷めていたコーヒーからは淹れたてのような湯気が上がっている。
「何か……便利ですね」
「よく佳菜子にも言われるよ」
そのコーヒーを飲むと、胃の中からじわりと温まって、固くなっていた身体もほぐれていくような気がした。




