M17 縁側、黒猫
子猫を膝に乗せ、縁側に腰掛ける。
「猫……名前はどうするんですか」
隣に座った志信は、まともに信吾の顔を見ることが出来ず、子猫に視線を向ける。
「名前かぁ……。どうしようか」
「黒猫だから、クロってのは安直ですよね」
「やっぱり安直か……」
「第一候補、クロだったんですか……」
それには答えず、その代わりににこりと笑った。おそらく図星なのだろう。
「名前をつけるのって難しいよね」
「……祥太朗さんの名前は、信吾さんがつけたんですか?」
「うん。産まれる前から佳菜子と決めていたんだ」
「どういう意味が込められているんですか?」
「僕がね、『祥』という字が好きでね。とてもおめでたいって意味なんだって。僕は祥太朗が出来て、本当に本当に嬉しくて、それで、この字を選んだんだ」
信吾は子猫を優しく撫でながら遠くを見つめている。
「そして、『太』く『朗』らかに生きてほしいという願いを込めてつけたんだよ」
親って、名前にいろんなものを込めるんだな。
「君の名前は?」
「俺は……、『志』を『信』じる、です。あんまり意識したことなかったけど、案外、いい名前ですね」
「それを聞いて、より一層いい名前だと思ったよ」
志か……。何かいまの俺ってふにゃふにゃだよな。
「さて、いい名前をつけなくちゃね。雌だし、可愛らしいのがいいかな」
信吾が顔を覗き込んでくる。
「実は、もう1つ候補があってね。この子は白木蓮の木の上で出会ったんだ。だから、『白木蓮』というのはどうだろうか」
「『白木蓮ちゃん』ですか……。ちょっと堅苦しいような……。でも、黒猫なのに『ハクちゃん』っていうのも……」
「そうか……。じゃあ、木蓮の学名の『マグノリア』にしようかな。綺麗な名前だし、長いと思ったら『マギー』と呼べばいいし。どうかな、志信君」
マグノリア、という響きにどきりとする。これは偶然か?
俺、祥太朗さんに小町の名前とか言ってないよな?いや、もし仮に言ってたとしても、祥太朗さんがばらすわけはないだろうし……。
良いとも悪いとも返答がないことに、信吾は不思議そうな顔をした。
「どうしたの?やっぱり今日は何かおかしいよ。マグノリア、ちょっとだけ2人きりにしてくれるかな」
どうやら、信吾の中ではマグノリアで決定してしまったらしい。
マグノリア、という新しい名をもらった黒猫は、まるで信吾の言葉を理解しているかのようにぴょんと膝から飛び降り、すたすたと歩いて行ってしまった。
「さぁ、これで大丈夫だよ。僕しかいないから話してごらん」
猫がいる状態でも十分大丈夫な気がしたが、信吾の中では『2人きり』とはカウントされてなかったらしい。
ここまでお膳立てされると、話さないわけにはいかない気がする。
「実は……、昨日の話の続きっていうか……」
「昨日の……?」
そう言うと、信吾の頬が急に赤くなった。
「あれ?どうしたんですか信吾さん」
「いや……ごめんね。僕の方がおかしいのかもしれないな。昨日のことを思い出すと、こうなるんだ」
「昨日のことっていうと……ああ……」
おそらく、佳菜子が信吾の声を素敵だと言っていたという件だろう。
この人、すごいな。結婚してるのに、初恋してる中学生みたいだ。
「信吾さん、そんな状態だと、佳菜子さんを目の前にしたらどうなっちゃうんですか」
「……昨日から何だか、佳菜子の顔もまともに見られないんだ」
……夫婦なのに?
「信吾さん……。佳菜子さん不審に思ってませんかね、それ」
「祥太朗が説明してくれたから、たぶん大丈夫だと思うけど……。こういう状態を『恋をしている』と言うらしいね。志信君も経験したこと、あるかい?」
「ぶっふぅっ!」
この人何言ってんだ?恋も知らずに結婚したのか?そんで、いま妻に恋してんのか?むちゃくちゃだろ、いろいろと!
「どうしたんだい?大丈夫?」
「いえ……ちょっとカルチャーショックで……」
志信が狼狽しているのを見て、信吾の方が落ち着いてきたようだ。
「カルチャーショック?」
「いえ……その……。信吾さんって、俺の周りにいないタイプだから」
「そうなんだ。僕ってやっぱり変なのかな」
そう言うと、信吾は寂しそうな顔をして俯いた。
変わってるって自覚はあるのかな……。
「変っていうか……純粋っていうか……。大人の人にこんなこと言うのは失礼かもしれないですけど」
志信が取り繕うように言うと、信吾はゆっくり顔を上げた。
「いや、僕のことより、君のことだったね。ごめんね、取り乱しちゃって……。僕に気にせず、話して」
あまりのショックに気が抜けてしまい、固くなっていた身体がほぐれる。
志信はぽつりぽつりと、どうやら一目惚れしてしまったらしい女の子の話をした。




