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悪鬼の正義

 真っ赤に染まった柱が視界に入り、いつもの夢だと気が付いた。


「キミはひとかけらほどの、パンがたべたかっただけ」


 ノイズ交じりのざらついた視界は、劫火に照らされて紅蓮に染まった空を見上げている。口から洩れた言葉は、随分たどたどしい。そうだ、僕はこの頃、言葉を覚えたばかりだった。 


「それさえも、ゆるされなかった」


 真紅に染まった視界の中、処刑人の死体が転がる壇上で、《彼女》の世界を見下ろすと、あるものは恐怖に顔を引き攣らせ、あるものは何が起こったか把握できず驚き、あるものは怒号を上げて武器を抜いた。

 僕の背後では《彼女》の名残が燃えていた。


 この燃え盛る劫火で、キミを殺す事を楽しむのが「正しい」というのなら。

 この小さな世界の、誰もがキミの死を望むというのなら。

 もう、キミがパンを食べて、美味しいと笑えない世界だというのなら。


「こいよ」


 僕は処刑人の血で汚れた刃を握り、駆け寄ってくる兵士に狙いを定めた。

 刃が「斬る」と思う間もなく走り「殺す」と思う間もなく断ち、痩躯が踊った。

 驚くほど容易く、金属鎧に包まれた兵士の死体で彼女の世界が溢れた。


「おまえらぜんいん、みじんぎりにしてやるよ」


 重さを感じ、投げ捨てた革袋から黄金の光が零れた。

 もう少しだけ時間が彼女に優しかったなら、彼女がお腹いっぱいご飯を食べて、微笑む事が出来る未来を創れたのかも知れない。

 未練はもう無かった。ただ、体の奥底から湧いてくる烈火の熱を吐き出したかった。此処に至って、もはや誰が死のうと、誰を殺そうと関係はなかった。殺している最中に僕も死ぬのなら、それでよかった。


 死が全てを等しく繋ぐ殺戮の舞台の上で、僕は正しく悪鬼なのだと決めつけた。


 少しだけ心が自由になれた気がした。

 ただ、敵じゃない誰かが居たことは確かだった。

 そして、もういないことも本当の事だった。


 僕に《敵》と、血まみれの刃だけが残った。

 悪鬼の僕にとって、敵は獲物と等しかった。

 そうだ。僕は今、とても幸せなんだ。幸福であるべきだ。


 そうでないならばキミは中に、外に。もう生きた証は無いのだと。

 キミが生きていた意味がなかったなんて。

 それは、とても。悲しいじゃないか。


 余りにも勝手な理屈だった。僕が手にかけた奴らだって同じなはずだ。

 彼女が死んだ理由もまた、僕が手にかけた命と同じなのだった。要するに、弱かったから死んだ。違いといえば、僕に殺されたか、かつての同族に処刑されたかの違い位だろう。


 気がが付けば、屍の舞台を包む薄暮はくぼの影の中に、影の魔神がいた。

 もう腕が上がらない。そもそも、万全の状態でも僕が夜空に等しい魔神に何かできるはずもなかった。

 

 そこまで考えて、獲物でも敵でもないなら、この目の前の魔神はどう分類すればいいのだろうか。そう胸の中に沈めた感情に問いかければ、とにかく、僕はこの魔神を殺す気は無い事は確からしい。


 僕は、最後の熱を吐き出した。


 僕が悪だ、僕が呪いだ、僕が災厄だ。

 彼らが此処で死ぬのも。彼女がパンを食べられなかったのも。

 彼女がもう何も食べられない事も。彼女が魔女だった事も。

 全てが僕のせいだ。そうであるべきだ。


「その理屈じゃ、苦しいでしょう?」


 なら、浅薄は人の知と嗤えばいい。そう僕が言うと、魔神は黄金の眼でまっすぐに僕を貫いて囁いた。


「それは、とても。悲しいじゃないか」






 翌日、ブレイズ&ブレイドは賑わっていた。

 ジョッキが重なる音に、酔漢の調子はずれな歌、モダンスタイルのテーブルに溢れる客の間を、ぬう様にして女給がくるくるとテーブルを回っている。

 食卓の上には店主の《名うての》タロスご自慢の料理がずらりと並び、開け放たれた天窓から差し込む光の中で盛大に湯気を上げていた。


 この時期、《魔法都市》パストルの港には収穫の季節を終えた穀倉地帯から食料が流れ込み、再び隊商の手によって各地に散っていく。

 雪が降り始める前に買い込めるだけ物資を買い込もうとする商人やその護衛、北方に向かう前に最後の気晴らしを求める人々で貧民街の人口は膨れ上がり、この酒場も連日大盛況を見せている。

 

 もうすぐ、パストルに冬がやってくるのだ。


 そんな混み合った店の奥、自警団幹部メンバー席を改めて再占領した一行。

 《真実の目》の効果も切れており、大急ぎで団員をパシらせ用意した、裾が擦り切れてズタボロの黒外套を纏って影の魔神もお行儀よく着席し、落ち着いた紳士淑女の会話が繰り広げられていた。 


「何はともあれ、ささやかですが宴と参りましょう。今日は私持ちという事で」


「しかしアゼルよ。金がなくて流しをやってた貧乏バードが豪勢な事言う様になったものだな」


「まぁ、蛮族でしたからね。私は」 

   

「あ、私は海賊みたいな衣装に着替えてますね!港での宴ですからね!」


「うっわ、テスタがマジきンもい」


「アウラ、何であの聖騎士はアイラインを黒く塗っているの?バーバリアン的な呪術か何か?」


「……私は蒸しチーズパンになりたい」


 影の魔神に裾を引っ張られ、置物になり損ねた魔女が鬱々と呟く。

 のっけから混沌とした場であるが、先日と違い、じゃれ合いの途中からまともな話も展開されていく。切り出したのはサンクタス。


「貧民街と言いながら、そこらの都市より立派な上下水が完備されてるのは《魔法都市》位だろうな」

 

「千年都市でもありますからね。一都市でありながら独立を保てるだけの国力と、武力があるのはちょっとおかしいと思いますが」


「で、近々海の向こうの同盟国から使節団が来るんですよ。パストル評議会は列強ですからね。ご機嫌伺いの使者はよく来るんですが」


「ああ、同盟国は内乱中だっけ?自由何とか連合と、正統何とか王国で」


「その自由何とか連合の方は、パストル評議会と仲がいいんですよ。援助を取り付けに来るのが目的でしょうね」


「あははっ。自分で国を維持することも出来ない癖に、自由とか名乗っちゃうのは、ひょっとしてギャグで言ってるのかな?」


 他人事だと思って言いたい放題。

 しかし、力こそパワー。まさにパワー信奉者である一同は(魔神含む)それ程異存もないなあという顔。魔女だけが脳筋を見る目で冷たい視線を飛ばしていたが、罵倒の内容自体には賛成である以上、同類項である。


 ふいに荒々しい足音が聞こえ、入り口のドアが蹴り開けられる。

 完全武装した巨人の一団がぞろぞろと店内に入り込んでくると出入り口を封鎖した。緑色の肌に、はち切れんばかりの筋肉。ザラザラした緑色の皮膚は岩石を削りだしたかのようだ。獣めいた顔には鋭い牙の生えた下顎がある。

 

 酔漢の一人が怯えた声で叫ぶ。


「トロールの海賊団……き、《肝喰いズズド》だ……!」


 勢いよく扉を開け、店に入ってくる肝喰いズズド海賊団。トロールのみで構成された彼らに、店内すべての視線が集まる。

 店内を見渡し、一行を見つけると耳障りな濁声で叫び声を上げた。

   

「いやがった!賞金首だ!情報どおり賞金首の《螺炎の魔女》を見つけたぞっ!あそこだっ」


 影の魔神を握った手から、緊張が伝わってくる。魔女といえども、この海賊団は容易い相手ではないのだろう。

 しかし、ズズドの指差した相手は影の魔神であった。


「……私、魔女じゃないわよ?」


「なにィ?魔女違いだと!おい、ドーラ・ドーラ!ドーラ・ドーラ!」


 ズズド叫ぶと、トロール達の間をかき分けて、小柄な亜人種の犬耳人間である、コボルトの少女が現れた。

   

「お呼びでしょうかっ!偉大なる海の凄い漢、ズズド船長!」


「おい、ドーラ・ドーラ!あれが賞金首の《螺炎の魔女》かっ」


「違います!違います!ズズド船長!その娘の隣にいるのが《螺炎の魔女》であります!」


「そーぉかああ、よし、お前らそいつを俺によこせっ」


 そういいながら、魔女に手を伸ばす。 


「私の世話役に手を出さないでよ、トロール船長」

 

 伸ばされたズズドの手を、魔神のほっそりとした手が掴み拘束する。

 巨人族のトロールが、年端もいかない少女に片手で抑えられている光景は、悪い夢のようだ。

 いかに怪力のトロールと言えども、魔神の力の前には無力である。

 よりによって、一番やばいものに絡まれているトロール。

   

「あっ?あっ?ああっ?」


 一体何が起こっているのか理解できないズズドに、ここぞとばかりに一行の嘲弄が浴びせられる。


「テーブルに寄って来ないでよトロール野郎。洗ってないオークより臭いんだよ」


「家畜小屋は三軒向こうですよ。豚より臭いトロールさん」


「神は言っている。芋虫デブとビア樽と凡愚なハゲデブを足して攪拌し、三十分待って二百度に予熱したオーブンでじっくり焼き上げたような、ぎらついた巨大デブモンスターは帰れと」


「ええと……バーカ!」


 死神の親戚に絡まれ、半分棺桶に入ってる相手だと思って、言いたい放題の宴である。此処で逆上すれば、降りかかる火の粉を払う要領で、魔神に屠殺されるのは確実。


 しかし、ズズドの反応は人類の予想を少し下回っているのだった。

 

「何ィ?俺が臭いだとぉ!おい、ドーラ・ドーラ!ドーラ・ドーラ!」


「何の御用でしょう!凄い漢、ズズド船長!」


「ドーラ・ドーラ、俺が臭いか確かめてみろドーラ・ドーラ!」


「え……はっ!た、確かめてみるでありますっ!」


 ズズドにむんずと掴まれ、鼻先に顔を寄せられるコボルトの少女。

 一瞬顔をしかめるが、小さな唇をかみしめ、震える声で答える。

   

「か、確認しました!凄い漢、ズズド船長!く、臭くないでありますっ!」


「よぉし、ご苦労ドーラ・ドーラっ!」


 応えに満足し、腕をおろすズズド。

 あまりにも頭の悪い茶番に、毒気を抜かれた魔神が手を放す。

 トロールの岩より硬い皮膚に、鬱血でどす黒く変色した痕が、掴んでいた手の形で刻印されていた。

 此処に至って流石に身の危険を感じたのか、腰にさげた斧に触れることなくコボルトの少女に問いかける。


「ド、ドーラ・ドーラ!こいつは何者だっ?」


「はっ!凄い漢、ズズド船長を片手で抑えた以上、人間種ではありません!人間種ではありません!」 


「……で、俺達とここでやるのか?やらないのか?ズズド海賊団」


 サンクタスが最後通牒を突きつけると、牙をむき出し、殺意をあらわにするズズド。怒りに震える手が腰のハンドアックスに伸びた。

 いつの間にか周囲を取り囲んでいた、自警団の平団員達が腰から剣を抜き、娼婦らは隠し持っていたクロスボウを抜き放つ。

 吟遊詩人達は何時の間にかショートボウを構えており、室内だというのに火炎瓶を取り出した大道芸人も見えた。


 遅れて武器を抜こうとしたズズド海賊団だが、それを他でもないズズドが止めた。


 ズズドの眼の前には、いつの間にか片刃の巨大なグレートソードが突きつけられていた。それがいつ抜き放たれたのか、知覚できたのは魔神と魔女の主従だけだ。

 片手一本で、恐るべき抜き打ちを見せた《狂戦士》が淡々と呟く。 


「万が一私達を倒せたとしましょう。そのあと治安回復に現れる、大陸最強のパストル魔導兵とやり合うおつもりで?」


「……よぉし、決着はパストルの外で付ける。覚えてろっ!」


 そう吐き捨てると、遂にズズドは最後まで武器を抜かずに、踵を返す。

 その後を慌てて追うドーラ・ドーラとトロール達。

 同時に戻ってくる喧騒の中で、ポツリと声が響いた


「あれ?もしかして、これって僕達だけが大変なんじゃない?」


「もしかしなくても、そうなんじゃない?」


 面白くなってきたね。と、影の魔神が無邪気に微笑んだ。

 

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