混沌の魔神達
ブレイズ&ブレイドは酒場だけでなく、娼館と宿屋、演芸場、賭博場を兼ねた娯楽の殿堂だった。
店内中央にある舞台では、吟遊詩人(というよりは楽士)の奏でる音色に合わせて踊り子達が妖艶な踊りを舞い、店の壁には娼婦が連なり上客がいないか物色している。
そんな空間で、異様な空気を放射している一角があった。
そのテーブルの上、空の料理の皿や飲み干した酒瓶の間のスペースに、山と金貨を積み上げ、退屈そうに金勘定を行っているのはまだ十六かそこらの人間の少女だ。
新緑の髪を肩下あたりまで伸ばしたセミロング、戦士としてはかなり小柄の部類に入る。腰に一目で業物とわかる長剣に、黒鉄のへヴィシールド、背中に片刃のグレートソードを背負い擦り切れた砂色の外套を纏っている。
全体的にほっそりとしていて華奢な印象を受けるが、その背中に背負ったグレートソードとガラス玉のように感情の読めない眼がそれを台無しにしている。
稀に光る金貨の輝きに興味をそそられた客がチラリ視線を送るが、少女の無感情な一瞥を受け、慌てて目をそらす。
魔法都市パストルにおいて、黄金タグでありながら《狂戦士》の二つ名を持つ程の高位冒険者である彼女は、賊に無慈悲な殺戮者としても有名なのだ。
この都市には冒険者ギルドは存在しないため、これ程の高位になった冒険者が存在することが稀ではあるのだが。
「前回の報酬ですが、賞金首達の首を換金した分を合わせると、端数が出ますね」
普通に働く人間ならば、一生お目にかかれないであろう金貨の山を、まだ成人したばかりであろう年齢の少女が淡々と分けながら呟く様はどこか現実離れしている。
その言葉に反応したのは白銀のプレートメイルを纏った聖騎士の少女だ。
「端数ですか……アゼルさん、端数の分配が面倒くさいなら、パーッと使ってしまいますか?悪い奴らをやっつけて、おめでたい事ですし」
まるで刹那に生きる賭博師の様な言葉を紡いだ聖騎士。フルフェイスの兜は外されており、柔らかな金髪がショートの位置で切り揃えられている。
一見人間族に見えるが、小さくとがった耳が彼女は精霊人という亜種族であることがわかる。豪奢な装飾の施されたウォーハンマーが立て掛けてあるところを見るに、彼女は精霊人特有の力強さと美しさを受け継いでいる事が見て取れる。
人を安心させるかのような温かみのある美少女ではあるが、何処か空気の読めない雰囲気を纏っているように思える。要するにアホの子だ。
「そんな金があるのなら孤児院の方にに寄付してやれテスタ。シスターも子供達に新しい上着を買ってやりたいって言ってたぞ」
そう答えたのは巌の様なドワーフだ。重く、小さく、火花と創造を愛する亜種族である彼らの象徴である髭が一切ない彼は、典型的なドワーフとはいいがたい。
ドワーフらしからぬつるりとした顔。髭も髪も全て綺麗にそり落とし、岩の様な厳めしい男。グレートアックスとチェインメイルで武装しているが、首にぶら下がった聖なる印が彼はヒーラーである事を示している。
「いやー、それはすばらしい提案ですねっ!正義の使者として私も賛成ですっ!!流石リーダーですね、サンクタスさん」
テスタと呼ばれた聖騎士は、ルビーのちりばめられた金杯に上等のぶどう酒を注ぎながら感心した様に呟く。
実に近づきがたいオーラを大放射している一角。
そんなお近づきになりたくないテーブルに平気な顔で近づいていく人間がいる。
三人がチンピラなら、その人間は本部の金バッヂ。霊銀タグの冒険者であるシャラである。
影の魔神すらちょっと躊躇う様な領域を、ちょっと通りますよ。とばかりに分け入っていく。
魔女もディスの手を握ったまま主人の後を追う様に歩き出す。影の魔神も恐るおそる酒場に侵入。喧騒が変わらないことに、小さく安堵の吐息を漏らす。
船上で練習した魔神としての気配を抑える方法が上手くいっている事を密かに喜びつつ、逆らわずに引かれるままについていく。
一行に気が付いた三人組にシャラが片手を上げると、アゼルと呼ばれた戦士が鮫の様に笑う。
「おや、生きて帰ってきましたか」
「まるで生きて帰ってきちゃいけないみたいな言い方だね」
「《最果ての吸血姫》を本当に打ち破ってしまうのは人間失格だと思いますが?人間ならそこは死んでおきましょう」
「隕鉄のグレートソードを振り回せる、アゼルの方が人間離れしてると思うけどね。女性らしさを全てパワーに変換するのはいい加減にしよう」
「いい加減に死んで下さい」
「よくわからないけど、さすがは《遺跡都市》の鬼畜剣士ですねっ!」
「テスタ、後で屋上」
繰り広げられる毒のない舌戦をとりなすように、サンクタスが会話に割って入る
「再会が嬉しいのはわかるが落ち着け。ところでシャラ、魔女のお嬢ちゃんはともかく、そっちの娘は見ない顔だな」
三人組の視線を受けアウラが無言で会釈をすると、舌戦を楽しそうに見ていた影の魔神は急に注目された事に対して、黄金の眼をシャラに向け、フォローを要請。
シャラは、奈落への道連れを作ろうとする様な性質の悪い笑みを浮かべ、口を開く。
「いいの?《そっち》とか言っちゃって。サンクタスは勇者だね、僕には真似できないな。伝説の影の魔神サマに向かってそんな事とても言えないよ」
変わらぬブレイズ&ブレイドの店内。その喧騒の中、奥まったテーブル席の上に深い沈黙が落ちた。
冗談だと笑う場面であるのかもしれないが、シャラの眼が全く笑っていないし、そもそもこの少年はこういった事で嘘は付かないのも、この三人組はよく知っているのだった。
あまりにも深い沈黙だったので、沈黙の原因となったディスの方が居たたまれなくなった位であった。
「それ嘘ですよね?」
「……嘘だったら、いいですね」
引きつった笑顔で恐るおそる尋ねる聖騎士に応えたのは、居たたまれなくなってる魔神ではなく、その手を引いている魔女だった。
三人組は、犠牲者が増えることを喜ぶ魔女の、昏い薄ら笑いから颯爽と眼を逸らす。アゼルは新緑の眼を細め影の魔神の背から広がる影の翼に視線を走らせると、サンクタスに目くばせした。
即座に聖印を引っ掴んだサンクタスが、聖職者らしく神よ。と呟き、祈りを捧げる。
ディスが小さな違和感を感じ、その暗中を照らすような、あるいは影の中を探るような視線を感じて首を傾げていると
「驚きましたね。いえ、流石は伝説の影の魔神というべきですか。なんという強大さ……」
「神は言っている。そのパワーをリスペクトしろと」
「いや、魔神だから」
「ええと、その、シャラさん。私達、お友達ですよね……?」
遂にプレッシャーに耐えきれなくなった聖騎士の少女が、そこにある世界滅亡レベルの危機への不安から言ってはならない言葉を紡いでしまう。
「そうだねお友達だね。で、頼みたいことがあるんだけど、オトモダチのお願い聞いてくれるよね?」
一瞬の隙をついて繰り出される、堂々たる巻き込み宣言。
爽やかな笑顔と主に言い放たれた言葉を引き金に、一斉に上がる怨嗟と憤怒の声。
世界滅亡の危機が其処にいますよ。と言われたら、保身に走ってしまう心理を利用した罠である。
「う、嵌められてしまいました……」
「俺は言っている。シャラ呪われろと」
「まぁ、面子的に元より知恵比べで勝てる見込みもありませんでしたが。それで、何をご所望で?」
半ば悟りの境地に至っているかのような表情で、金貨の山の間からアゼルが視線を投げつけた。
投げつけた先に居た魔神は、さりげなく魔女が盾になる位置に移動。
視界の端でその移動を捉えたシャラが、苦笑いを浮かべる。
「雑貨の都合とかだけど、何で話の渦中の魔神サマが隠れるのさ」
「え、なんとなく……その、軍とかは怖くないけど、ヤの付く自由業はちょっと怖いみたいな……」
魔女のローブの裾をつかんでぼそぼそ呟く姿から、普段の超然とした影の魔神の威厳は見つけることができない。
サンクタスの神聖魔法の影響下にある、このテーブルのメンバー以外であれば微笑ましい光景であるかもしれない。
「《真実の目》の影響下だとそのリアクションは、人類の理解力を超えていくから止めて」
「《真実の眼》?魔神の魔法を人間が使えるの?」
「眼じゃなくて目。ちょっと視点をお借りしますよ的な。物質界を見ている神の視点を借り受ける神聖魔法。サンクタスは祈るより殴る方が好きだけど、それでも高位神官だし」
この一角に存在する人間の眼には「子犬を怖がる遊星」ともいうべき奇怪な光景に映っているのだ。
なので、これだけの人数が顔を突き合わせているというのに、誰もがしっかりと視線を合わせないという不思議空間が発生している。
つまり
「ヤの付く自由業ではなく、自警団ですから」
「貧乏人を締め上げて、出すものを出すのが仕事ですって初対面で言ってたような気がするけど」
「神の名のもとに、締め上げるのは魔物が主だ。問題ない」
「あのですね、悪い人を成敗するとお金が貰えるんですよ。いやー、正義って素晴らしいですよねっ」
「私、アウラみたいなローブが欲しいかも。こう、顔を隠せば怖くないと思う」
もはやどこに向かって放たれたジャブなのかすら分からない。悪意と暴力が横行する混沌の時間がやってきたのだった。
自らの主人のみを視界に収めて全てを無視することで、混沌の外で踏みとどまった魔女が、魔神に裾を引っ張られつつ小さな欠伸を噛み殺した。