災厄の化身達
不意にマストに停まっていたディスが、甲板の上に降りてきた。
幾人かの水夫が見てはいけないものを見た表情になったが、シャラはもはやこの程度の超常現象で驚かない。
「どうしたの?お腹でも空いたとかだったら、そこの悪魔のおやつで我慢して」
「猫の額程度の島が見えたわ。多分だけど、砦があると思う」
超常現象には驚かないが、下調べした航路上にそんなものは無かった筈だと船長と、他の冒険者達に相談を開始する。
情報を持ち寄って推測すると、この近海で暴れている海賊の一派ではないかという結論が出た。最近この海域では、魔物である巨人族で構成された《肝喰いズズド》海賊団が勢力を増しており、それにあやかった人類ではない木端海賊たちも集まりつつあるらしい。
巨人族は種族にもよるが、概ね冒険者や軍人の中でもベテランチームであれば対処可能な強さである。それが集まって海賊になっているというのは国軍でも中々手が出せない脅威度だ。ともあれ影の魔神が告げた情報にあった旗の文様は《肝喰いズズド》のものではなかった。集まってきた木端の方の手合いだろうと判断できる。
何にせよ通過地点が砦に近く、迂回するにも巨大な水竜である大海蛇の巣がある海域では危険すぎる。話し合いの結果、火の粉が降りかかるなら払おう。と何とも呑気な結論となった。
結論は呑気だが、要するに《魔女》の主従や、影の魔神が同乗している以上海賊は不幸な結末を迎えるだろう。と殆どの者が考えていたからの結論であった。
順調に船が進んでいくと、前方に粗雑に木で組まれた砦がひとつ存在し、桟橋から出航してきた船がこちらの進路を遮っているのが見えた。砦の頂点にはへたくそな角兜が描かれた旗が立っていた。
水夫達が敵襲に身構えると、海賊船の中から角兜を被った豚面の魔物、オークらしき者が船に向かって叫ぶ。
「この近海は俺たちのモンだ、もしここを通りたいのであれば相応の通行税を払ってもらおうか。金貨千枚払えればよし、さもなくば……」
その声を適当に聞き流しつつ、甲板の上で戦闘準備を終えた者たちの中で交わされる会話があった。この船の上で唯一の霊銀のタグを持つシャラと、船の責任者である船長である。
「影の魔神との契約内容的に、出るのは僕らかな」
「では金貨千枚で引き受けてくれるか?」
「おお太っ腹。まー、五百でいいよ五百で。どうせアウラちゃんだけで終わる相手だし」
「《魔女》が相手とはあのオークに同情したくなるな」
「実際アウラちゃんは僕の三倍くらいは強いからね」
天気の話をするように依頼をまとめる二人が雑談に突入し始める。
我関せずといった態度だった魔女は、聞き逃せない会話に眉をひそめた。
「そんな事は有りません。シャラは悪魔だって斬っています」
「あれはソロでやった訳じゃないでしょ……」
「えっ?人間なのに、悪魔を倒したの?」
影の魔神まで参入して繰り広げられる脱線雑談。危機感のない会話を続けている事を察知し、激昂するオーク。お互いの船は雑談中も距離が詰まり、和やかに甲板で会話している集団に何処か異様な空気を感じ取りつつも、人間如きに舐められるのは我慢ならないのだろう。
この世界において、人間は亜人種と比べても魔物種と比べても、劣等種であるのは間違いない。
「ちょ、お前ら……この俺を馬鹿にしているのか?俺がどれほどの力を持っているか、貴様らに見せてやるっ」
オークが角笛を吹くと、水面が大きく盛り上がり七本の巨大な腕が伸びてくる。それぞれの手には巨大な武器が握られており、それが沈むと今度は四つの顔が水面を割って浮上してくる。
「あれ、なんか微妙に数が合わないような……」
「海面に立つ魔法を使用する以上、ただの巨人ではありませんね。恐らく四本腕の双頭巨人エルドリンオウガ、三本腕の双頭巨人ワグリッパではないでしょうか?」
「正解ッッッ!!!さぁもう降参しても遅いぞ!恐怖に身をよじれ!貴様ら全員ブチ殺してやんよォォォ!」
水面から顔を出したのは三本腕の双頭巨人と四本腕の双頭巨人の二体。手にはそれぞれ巨大な棍棒や槌を持ち、やる気満々面で大仰な構えをとっている。
巨人の中でも、双頭巨人は魔法を使いこなせる事が多いため、一段上の脅威を持っているとみなされる。二刀のサーベルを抜き放ったシャラが魔女に指示を出す。
「目標ワグリッパ、アホ共は固まってる。焼き払え」
「分かりました」
アウラが歯車が詰まった奇怪な杖を軽く持ち上げ、杖先をワグリッパに向ける。杖先に亜人種を含め、人類には不可能なほどの超高速で真紅の魔法陣が構築される。
反応した巨人達が魔法による遠隔攻撃に対処すべく動くが、巨人達の想定をはるかに上回る速度で魔法が完成。
出現した真紅の魔法陣から、車輪程度の大きさの火球が産まれ射出。ワグリッパの脇に吸い込まれる様に命中した火球は、膨れ上がるかのように炸裂すると盛大に爆炎を撒き散らす。爆発の衝撃は大きなものではないが、距離があるにもかかわらずそ火炎から放射される熱風が魔女のローブを揺らす。当の魔女は涼しげな表情のままだ。
撒き散らされた炎の奔流が海上を舐める間に、更にもう一度火球が射出。これ程の高位魔法を連射できる事が、魔女が巨人族よりさらに高い脅威度をつけられている理由でもある。魔物としての格が違うのだ。
真っ黒な炭になったワグリッパが崩れ落ちると、余波で焼かれたエルドリンオウガの双頭が恐怖と苦痛で歪んでいるのがよく分かった。
驚愕の表情で凍りつくオークの海賊に、霊銀の冒険者は告げる。
「相手が悪かったみたいだね、子豚君。僕らは、君が食い物にしてきた奴らとは強さの桁が違うのさ」
流石にこの距離では魔女の独壇場だ。遠隔攻撃を持っている様子もなく、出番は無いか。と戦果を確認していたシャラの耳が、こちらに踏み出す足音を聞きつけた。
振り返ると、暇そうな影の魔神が当然のような表情で疑問を口にした。
「私は、どれを壊せばいいの?」
「え?じゃあ、あっちで」
反射的に応えたシャラが、剣先を瀕死のエルドリンオウガに向けたのを確認すると、闇の翼が羽ばたく様に小さく動く。
瞬間、波の揺れを含めた世界全ての動きが停止し、同時に海面に落ちるエルドリンオウガの影から無数の極大サイズの闇の刃が出現。破砕機に放り込んだかのように四本腕の双頭巨人をバラバラに刻むと、その影を追いかける様に刃の剣列が移動。オークの船に辿り着き、オークを船ごと破砕。
オークと船、エルドリンオウガと黒焦げになったワグリッパの刻まれた死体が天高く舞い上がり、粗末な砦に上空から降り注ぐと、あっという間に砦が倒壊した。
くるりと影の魔神がワンピースを翻しシャラに向き直ると、首を傾げた。
「これでいい?」
その言葉と共に、波の揺れが再開され、停止していたあらゆるものが動き出す。
正直な所、当事者であるシャラ達だけでなく、居合わせた者全員が何が起こったのか正確には理解できなかったが、脅威が完全に去ったのは確かなようであった。
驚異的な殲滅力を見せた影の魔神に対して、引きつった恐怖の表情を向けなかったのは、ある程度彼女の力をわかっていた者だけだ。
しかしその中の二人である魔女と主人であっても、奇妙な停止時間については想像するだけである。まるで攻撃の最中、時間を都合よく止めていたかのような停止状態は人知を超えている。
切り刻まれた死体や、倒壊していく砦などは動いているが、波は凍ったかのように停止時の形を維持していたし、帆も同じ状態だった。そもそも停止した時間を知覚することは可能なのだろうか。
考えても理解できないと判断し、全てを棚の上に放り上げたシャラは、隣で何やらブツブツつぶやいている魔女を放置し、投げやりにディスに言葉を返した。
「うん……なんていうか、その、満点でいいかな」
影の魔神は右腕を上げると、二本の指を立て、何処か誇らしげに宣言。
「ぶい」
シャラは微妙に悔しそうな表情をした魔女を見なかったことにし、船長と依頼達成の合意を取り付けることにして、混沌とした場から逃げ出す事にした。
何はともあれ脅威は去ったのだ。木端微塵になったともいうのかもしれないが。