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魔神と人と

 影の魔神が夜風を受ける帆、マストの上に停まって視線を上げると、雲一つない、どこまでも澄んだ星空があった。ゆるやかな潮風が、ディスの頬をそっと撫でる。 影の魔神は新しき神々が作った世界で、感動のあまり頬が緩むのを感じた。


 創世記戦争が終わってから、ずっと不毛で不景気な無限奈落の空と、影の城の中にいたのだ。新しき神々が自分へと贈る手はずになっていた夜の世界。それを実際に自分の眼で見る事はディスの大きな楽しみでもあった。

 それこそ、完成するまで引き籠る決意をした程に。


 夜空に見とれていたディスが後ろを振り返ると、水平線の彼方。人では見ることがかなわないほど遠くなった奈落への道が開いた島が見える。男に頼まれた指輪が、傍らの影の中に沈んでいる事を確認しながら。ディスは郷愁にも似た感慨を抱いた。 


 世界はディスが思うよりも早くに完成していたようだ。ならば、もはや影の城に帰る必要もないのかも知れない。そう考えると、無限奈落での生活も悪いものではなかった気がするから不思議なものだ。暇すぎて実体を解き微睡んでいた事を思い出し、影の魔神は微笑むと、奈落の門に背を向ける。


 視線を下すと、眼下の甲板の人影に魔神の眼が留まる。


 夜の海は死霊に招かれるという迷信があり、水夫も船室に引っこんでいる。

 確かに、そこは冷たい夜風とどこまでも広がる水平線の中に漂う霧と相まってどこか切り取られたような、隔絶した夢幻の領域に見えた。


 周囲から隔絶されたようなその場所で一人、少年は舞っていた。

 その手が握る二本のサーベルが、時折月光を反射して煌めく度に、さらに世界は幻の様にかすんでいくようですらあった。


 剣の型の確認であろうが、もはやそれは舞と呼ぶに相応しい。外海の波に揺れる甲板の上でありながら、全く姿勢が泳がず、足音さえさざ波の音を乱さない。

 無音の剣舞は、その全てが変化を秘めた軌跡を描いている。即ち、二刀のサーベルは回避を軸にした反撃の型。 


 湖面を舞う鳥の様に優雅な剣筋は、左手のサーベルが納められた瞬間に迅速な変化を見せる。舞うような動きから、迅雷の様な鋭角の軌跡を描き始める。物体を切るために、一切の無駄な動きを排したその動作には完成された美すら感じさせた。

 少年の肢体がリズムを刻み、跳ね舞う剣が捉えずらくなっていく。意図的に斬撃の緩急をつけ、剣先が視覚を幻惑するかの様に大気を切り裂いていく。


 一刀に持ち替えた瞬間、型は雷の如き攻撃の型に変化し、それに耐えうる相手から視覚を奪う狡猾な刃の乱舞へとその姿を変えたのだ。


 一連の型を終えたシャラが刃を納め、呼吸を整えるように大きく息を吐いた。

 小さな肩を竦め、帆の上に当たり前の様に座っている魔神を呆れたように見上げた。


「面白いものでも見えた?」


 返答を期待してのものではない。魔神に対して特に期待はしていないのだ。

 ただ、皆が寝静まった後、わざわざ誰も来ないような場所での修練を見られたことを誤魔化すための言葉である。剣舞の最中、すなわち戦闘態勢でありながら今の今まで全く気配を感じれなかったという事も、言葉を紡ぐことを後押しした。


「ええ、貴方の舞はとても興味深い」


 上から降ってきた言葉は意外過ぎて、話しかけた方のシャラが戸惑ってしまった。

 自然とサーベルの柄に移動している手に気が付き、心中で毒づくと、こちらを覗き込む黄金の眼から視線を伏せる。腹腔に力を入れ、天を仰ぐように魔神を見上げた。


「君達にとって、物質界の生き物なんて塵に等しいんじゃないの?」


 笑みを浮かべながらも、挑むような気配すら感じさせる人間。内容は自嘲染みているが、刺しこんでいる剣先は魔神の言に向かっている。


 影の魔神は、この小さき人間が魔神と人類の差を完全に理解して、かつ自分の機嫌を損ねただけで死神になると完璧に解析して。その上で此方が会話をする気だと、そう読んだ途端に喧嘩を売ってくる屈折した賢しい生命に好感を持った。


 細く微笑むと、ディスは言葉を選ぶようにして、半歩世界の外に踏み出しつつある人間に囁く。 


「綺麗なものはきれい。可愛いものはかわいい。面白いものはおもしろい。相対的じゃなくて、私と貴方がどう感じるか。それが私の真実」


「世界のクロを、秘密を、影を。自在に変えられる影の魔神サマが真実を語るとはね」


「それでも、今は小さい貴方が全て。貴方は私の願いを叶える。対価に私は貴方の願いを叶えてもいい」


 ゆらりと夜空が剥がれる様に、虚空より襤褸布の様な翼が姿を見せる。

 序列第三位。全能ではないが、万能の影の魔神が叶えられない願いなど、この世界の上には存在しないかもしれない。


 その漆黒の領域の中に、月光を吸い込み星の様にひそやかに輝く指輪があった。

 影の城で死に絶えた英雄の遺品に、少年は複雑な表情を向けた。


「材質は真銀、刻印は《屠龍剣》。籠められた力は未来の時間を“借りてくる”魔法パラダイムシフト……ヴァローが死んだ何て、まだ信じられないけど」


 僅かに揺れる息を吐き切るように、言葉を結ぶ。


「信じるしかないか。ああ、叶えるよ。叶えるとも。《屠龍剣》とは縁もある事だしさ。でも、それで対価をもらおうとは僕は思わない」


「何故?」 


「それはヴァローの願いでしょ?僕は友達の頼みに応えたい。君の要求の“ついで”に達成するというのは気に入らない。僕は勝手にくたばったアホの為だけに君を案内する」


 独白の様に吐き捨てた言葉は、もしかしたらシャラという人間の誓いだったのかも知れない。


 どこまでも身の程知らず。いや、影の魔神は思う。この人間は限界を知りながら、その境界に挑むことを自分の感じる“もの”のためだけに課しているのだろうと。

 先程の自分の言葉を思い返し、我知らず唇の端が微笑に歪む。この人間はとても面白い。


 お互いにそれきり口を閉ざし。人と魔の会話は凪いだ海面と、夜のしじまに溶けて消えた。 

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