刻の浜辺で
席した各国の代表者は。事の深刻さに難しい顔になると、額をつき合わせて相談を始めた。
無茶苦茶弱気になった高位の大神官達が、ぼそぼそと昏い表情で囁きを交わす中、会議室の扉が開いた。
現れたのは、青と黒で縁取られたローブを着た魔女だった。
彼女こそたった一都市のみの国家でありながら、列強最強の魔法兵団を持つ《魔法都市》パストル評議会が誇る人類最強の魔法使い。《不滅の魔女》トーコ・アークライト・ブルーである。
さっき“人類”最強とか言ったな。あれは嘘だ。
トーコは藍色の長髪をうざったそうにかき上げると、凍り付くような冷たい蒼い眼で円卓を一瞥し、吐き捨てるように告げた。
「皆さんも知っての通り、魔神が降臨しました」
信託や予言の類は勿論、封鎖された影の領域への入り口から、何か巨大なものが飛び立ったという話を知らないものはこの場に居ない。それでも円卓を驚愕と畏怖が満たしてしまうのは、それらが示す事柄を認めたくないからだ。
「聴いて絶望してください。降臨したのは、神話に名高き夜の支配者。魔神序列第三位。《影の魔神》DIS、極魔の一柱です」
「…………それは、本当なのかね?」
発言したのは、《新しき神々》の教えを国教とする神権政治の国の高位神官であったが、その言葉には嘘であってくれと言う祈りに似た悲壮さすら滲んでいた。
「残念ながら本当です。しかも何の遠慮もなく本体で御降臨あそばせられている。何らかの封印や制限が存在する様子が微塵も見られません」
魔神は新月の夜に出没する他に、騙り名など一部の禁則事項に抵触すると光速でやってくるために、魂の破滅を考えないのならば会えなくもない。
嫌な意味で身近な存在だが、物質界に顕現する場合限定的な場合が殆どだ。ましてや本体が出現するなど、かつて《悪鬼都市》が産まれた原因。人類最大の愚行と現在まで語り継がれる“魔神召喚”一回のみである。
“魔神召喚”は最終的にカパラが退いた事により事態は終結を見たが、その余波で北方全域を魔神の疫病が覆い、空恐ろしい程の犠牲者を出した事件だ。
《疫病神》カパラの序列は七十位。魔神の総数は七十二とされているので、下から三番目という事になる。
今回降臨した魔神の序列は三位。上から三番目だ。控えめに考えても、世界の危機というレベルを飛び越えている。
神話において、新しき神々の調子こいてた一派を単独で根こそぎぶっ潰し入滅させた、神すら滅ぼす影の魔神である。
事象線の彼方で、無限の乗数を上乗せされた超重力で墜滅していく過程を無間にカウントダウンしていくことになるという、神ですらもう思考すら放棄せざるを得ない末路であった。
最上位魔神が“激おこ”になった時の奔放苛烈さは、人類の想像力の限界を容易く飛び越えて銀河系遥か彼方を目指すのだ。
「《影の魔神》は万能の魔神です。当然弱点などありませんし、挙句の果てに“秘密を読み取る”能力を持ちます。要するに感知された時点で隠し事は一切通じないという事ですね。あとは有名ですが、夜間は彼女が世界の主となる権能を得ます」
「魔神の知覚を欺くことは、神ですら不可能……でしたな」
「では、どうすると?」
トーコは最終的に、身もふたもない意見を口にした。
「触らぬ魔神に祟りなし、でしょう。打つ手もないし、打つべきでもない。下手に刺激して怒らせればそれこそ終わりですよ……いや、終わりであれば幸いですね。終わりが無いのが終わり。と言われる場合もあるわけですからね」
「これ程の危険に対して無策でいくと?列強諸国が集まっての会議内容とは思えませんな」
「何らかのアクションを起こして逆鱗に触れたらどうしようもないですよ。それとも、貴方が責任もって倒してくれるんですか?」
人類国家に所属する中で、最強の魔法使いである《不滅の魔女》の嘲る様な言葉には、同時に自嘲の色も濃い。影の魔神降臨は人類史上最も恐るべき災厄であり、既に事態は人の手の及ぶところではないのだ。
それが事実以外何物でもない事を理解できないものは、もはやこの円卓には存在していなかった。
ディスは何処までも透明な果ての海の畔に立っている事に気が付いた。
静かで幻想的な風景だった。静謐を湛える海面に××が浮かんで見え、満天の星を溶かしたかのような煌めきがこの領域を満たしていた。
天と海面の境目を繋ぐように、巨大な観覧車がその巨躯を傾けながらも回っているのが見える。
此処はセカイの果て
終焉の流転が流れ着いた場所。そんな情報が頭の中に浮かんでくるが、それ以上に目の前の光景に言い知れない寂寥感が募る。
寂しい
そう思った時、果ての海に映る自分の姿。その背に闇の翼が無い事に気が付いく。
その瞬間、魔神の身体を持つはずの顔から血の気が引くのを感じた。思考が疑問符で埋め尽くされる。
闇の翼が無いからと言って、今の自分は無力ではない。この身体だって、星を砕く程度の攻撃なんか通用しないし、魔神の魔法や魔術も別に使用できない訳ではないだろう。実際の所、生来の特殊能力の一部が使用できない位のはずだ。
なのに、どうしてこんなにも不安になるのだろう?
寒さを感じ、両手で身体を抱くようにして座り込んでしまう。
もう、私は何も怖くないはずなのに。私は一体何がこんなにも不安なのだろう。
何度も落ち着こうと意識を集中し、その度にこの世界の果ての儚さを感じて失敗する。
魔神の感じるはずのないココロが、何かを私に思い出させようとしているかのように。
ぐちゃぐちゃに乱れる思考の中で、いつか見た幾百の罪業と幾千の苦悩をも断ち切った、夢幻の刃の輝きを思い出す。
もういっそ、研ぎ澄まされたその夢幻の刃で、無限に生まれるこの感情を
抉り取ってよ今すぐに
「え、ここ何処……?」
あ、やらかした。
ディスがそう思ったときには遅かった。
視線を上げると、悪党絶対殺す血盟の寝室エリアで別れたシャラがいた。
安全な場所だと確信しないと着替えない、妙にファンシーなパジャマでナイトキャップまで着けている。完全に熟睡する体勢だし、寝ぼけ眼で眼をこすっている。右手に握りしめられている低反発枕がディスの罪悪感を煽った。魔神の自分がなんだかよくわからない事になっている場所に、生身の人間を呼んでしまったのだ。
しかも完全リラックス仕様。常に武装を解かない《幻鬼》が、ダガーすら持ってない位に安心できる空間で熟睡していた所を引き寄せたのである。
それでも、まだ自分の状態がまともなら冗談のレベルで済んだかも知れない。いつもの自分なら、何が起ころうと絶対に護り切れる自信が有る。
しかし、今の自分は闇の翼云々の前に、感情が全く統率できていない。こんな状態では護るとかいう前に、自分の挙動のせいで消滅させてしまう可能性もかなり高いのだ。
全うな方の冒険者ギルドや、酒場で高ぶった時とは危険度が違う。私が困っている事態に巻き込むなんて、悪意どころか殺意すら疑われてもおかしくない事だ。
ヤバイ。早く何か言わなくては。というか、元の場所に戻してあげなくては。
焦る思考と裏腹に、私の手はいつの間にか伸びて、そのパジャマの裾を握ってしまっていた。
シャラの眠そうな視線が、ディスの震える手に到達した瞬間
茫洋としていた気配は消え失せ、霊銀冒険者《幻鬼》へと表情が変わる。
枕を投げ捨て鋭い視線を周囲に走らせた。
「落ち着いて。大丈夫、僕がいる」
シャラは「何の役に立つかはわからないけど」という個人的な意見を飲み込み、分析を脳裏に走らせる。
状況は分からないが、影の魔神が手古摺っている事態に巻き込まれたのは既に理解している。
その状況で自分の戦闘力が役に立つとは思えないため、自分の格好はこの際どうでもいい。
状況をどうにか出来るとすれば、それはディスの力という事になる。
落ち付けば、影の魔神の力で対処できない事は存在しないはずだという確信が有った。
自分の力ではないが、それでも胸を張れるのが自分だけならやるしかないではないか。
「あの、シャラ。ごめん……私にも状況はよくわからないの」
「分かった」
「え?」
「要するに、今から探索すればいいんでしょ。敵が居ればぶっ飛ばすーっていつもの事じゃんコレ」
黄金の眼が驚いたようにパジャマ姿の《幻鬼》を見上げる。
この異常な状況に無理矢理連れ出されたはずの《幻鬼》は、まるでいつもの冒険の様に笑っていた。
僅かに好奇心さえ覗かせて自然体で周囲を確認する《幻鬼》を見ていると、いつの間にか不安が消えている事に気が付いた。それどころか、遺跡都市に来て一緒に冒険していた時の、高揚感と好奇心が湧いてくるのだった。
(翼が無いなんて、何故そんなことで不安になって居たのだろう?)
「サーチ&デストローイ!」
「わーい、デストローイ!」
仲良く一撃必殺ポーズをとる一人と一柱。どう見てもアホの子だが
割と真剣に殲滅壊滅撃滅する気満々。
マジモンのツインズ再結成である。
「それはそれとして、なんとなくわかってきたんだけど……ここってディスの夢じゃないかな。それもかなり根源に近い夢だ」
「根源に近い夢?」
「ココロの原風景って事さ。他人が立ち入ってはいけない位に大切な領域」
「それなら、私は構わない。だって私が先にシャラの……」
「はいストップ。今は“ディス”の事を優先に考えよう。僕の事を理由にして譲歩する必要はない」
「なんで、今日は優しいの?」
「うっせ。君とは友達でしょ。水臭いんだよ馬鹿魔神。あ、友達っていうのはアレだから。僕が勝手にそう思ってるだけだから」
そう言いながら、天と海面の境界に沈む巨大な観覧車を指差した。
「あれを目標にしよう。今の所、この海なのか湖なのか曖昧な場所に立ってる訳だけど、何と無くここでぼーっとしてない方がいい気がする」
熟睡中に呼ばれたシャラは当然素足である。口には出さないが、普通に冷たい。
ブーツを履いているディスと違い、この海面にしては潮の香りがしない面に直に接しており、その接触面の感触から“何かが起こる予感”を感じていた。危機かと言われると曖昧ではあるが、それでも此処にとどまっていてもいい予感はしない。
そして探索するのなら観覧車以外は距離があり過ぎた。
天に浮かぶ月に似た青い球体は論外としても、辺り一面には星を溶かしたかのような海面が広がっているのだ。その水平線の果てに何があるとしても、パジャマ姿の自分が足を海面に浸しながら辿り着ける場所には無いだろう、という考えだ。
特に異論が無い影の魔神も頷き、掴んだままだったパジャマの裾と離し、そっと《幻鬼》の左手を握った。コミュ障のディスとしてはかなり勇気を振り絞った行為であったが、《幻鬼》は何も言わずに少し力を入れて握り返す。
魔神は、その掌から伝わる温度にほんの少し頬を緩めると、はにかみながら呟く。
「……ともだち」
“秘密を読み取る”能力を持つ影の魔神と知りながら、万能の力を持つディスだと理解していながら、この人間は本気なのだと分かったから。そしてこの人間にとっての友達とはどういうものか、既にディスは良く知っているのだった。
先程手を握り返した《幻鬼》が口に出さずに“隠した”想いを思い返す。
(人間風情の、身の程知らずな思い上がりだと君は嗤うだろうか。
でも、僕は友達に頼られたら力になってあげたいと思うんだ。
それが破滅の選択でも。それで君を救えるかも知れないなら
試し に死んでみてもいいじゃないか。
人間が魔神を友達だって思うんだ。
力になりたいっていうのなら、それくらい覚悟するのは当然じゃないか。
それくらい出来なくて、友達だなんて言えるか)
出会って私が影の魔神と名乗った時から、完全オープンリーチなせいで秘密を読み取らせないという、斬新な対策を実施していたこの人間は、いつも隠す事はこんな事ばかりなのだった。これでは、正しくシャラという冒険者を理解できる人類は居ないのではないだろうか。
割と邪悪であるのは間違いないのだが、悪人でありながら誠実という奇妙な魂。
「文句があるなら聞くけど?」
軽口を叩きながらも周囲への警戒は怠らないし
挑戦的な台詞でありながらも、繋いだ手を握ってくれているのだ
「ちゃんと、力になってるよ」
「…………なら、いいんだよ。僕は」
噛み合わないようで噛み合っている会話を続けながら、影の魔神は密かに誓った。
世界が終わってしまっても、この“友達”は護って見せる。
あと、世話役の魔女も出来たら護る。
最後にぶれた理由になった辺り、やはり魔女はオチ担当なのかも知れなかった。




