死霊姫
忌まわしき主を排除し、更に下層に進む一人と一柱。
通路は曲がりくねって延々と続き、アングラ地下墓地に満ちる、闇の威圧感だけが静かに増していく。
いくつもの分岐点や部屋を迷いなく《幻鬼》は進む。時折刻む石筆でのマークは、影の魔神の見立てによると、自分の帰りの目印ではなく、分岐先の罠や危険を指している。
つまり、後から踏み入れたものの為のマーキングである事が伺い知れたが、ディスはこの冒険者の酷く歪んだ正義を好ましく思う様になってきたので、あえて指摘せずに黙っていた。
案外真面目にダンジョンハックを始める《幻鬼》を飽きもせず眺めていると、やがて通路の向こうから、奇妙な声が聞こえてきた。地底深くから吹き上げる風に乗って聞こえるその声は、まるで咽び泣く女の声のようである。影の魔神はその美貌を歪め、物凄く嫌そうな顔になった。
亡霊など魔神が恐れる存在ではない。影の魔神程の存在ともなれば、物質界での実体のあるなし程度問題としない。身体を動かすこと自体が強力な魔術を発生させる為、単純な肉体攻撃だけでも様々な耐性や無効化、反射を貫通するのだ。
という訳で、亡霊など恐れる存在ではない。恐れる存在ではないが、ディスは右手をしっかりとシャラの砂色の外套を引っ掴み
「これで、大丈夫」
と満足げに頷いた。
当然シャラは、掴まれていると咄嗟に動く時に邪魔になるから嫌だな、という顔になったが完全に無視された。
やがて魔神の聴覚だけが拾っていたその音が、人間にしては鋭敏なシャラの耳が捉えると、物凄く嫌そうな顔になった。
時間差で仲良く物凄く嫌そうな顔になりながら、《幻鬼》は片手でサーベルを一刀のみ抜刀し、戦闘態勢をとったまま忍び足で先進を開始。ランタンの遮光窓を閉め、暗視の魔法がかかったゴーグルを取り出し装着。完全暗視モードで前進する。
視界が狭まる事と暗視機能が微妙な割に、梟の眼の如く灯りがあると視界ゼロとなる魔法のアイテムではあるが、偵察時には便利ではある。
一流の盗賊並の足運びと、一流の暗殺者並みの気配の殺し方は、都市内部での狩人として優秀な証拠である。完全に裏社会の技能ともいうかも知れない。
影の魔神は、これまでの旅で生来の能力で存在を消す方法を学んだため、先程の忌まわしき主との戦闘中ガン無視された様に、こういう時に余計な負担を書けない優秀さがあった。気配を消し過ぎて流れ糸が直撃したりといった事も有ったが、今考えればあれはあれで良かったかな、などと思っている辺り魔神も割と毒されてきているのかもしれない。
厳戒態勢の砦にも、侵入可能かも知れない程の隠密行動を保ちつつ直進すると、左右に無数の脇道が並ぶ太い通路に出た。その通路のど真ん中で、襤褸をまとった一人の少女が両手に顔を埋め、身も世もなく嘆いていた。
「……」
「……」
どちらともなしに顔を見合わせ、げんなりとした表情になりつつ囁きを交わす。
「あのさぁ……まだ遺跡の外ならまだしも、地下墓地の未踏査領域で、泣いてる女に近づく奴なんている?」
「居るかも知れないけれど、私は絶対にお断りしますです」
「ですよねー。でもディス、君はもう正体まで見破ってるでしょ。なにすっ呆けてるのさ」
スーパー不信の眼と共に、変な言葉遣いになった魔神を半眼で睨む《幻鬼》。
魔神の知覚を誤魔化せるものは存在しない以上、目の前の魔神は正体まで見破っているはずである。
「私は魔物の名前なんて知らないもの。それに多分シャラなら不意打ちを受けても平気かなって……あと、あの女の横の通路にいっぱいいるからそっちが本命だと思う」
「待ち伏せ系か。アンデッドで待ち伏せ可能って、案外きつい奴な予感がするんだけど」
「ごめん。このシチュエーションで、シャラが何かノリ突込み芸でもしてくれないかな。みたいな期待感があった。反省してる……支援はちゃんとする」
「え?あ、うん……」
シャラにとっては、パーティメンバーが自分を嵌め様とする事は日常茶飯事である為、ただのジャブだったのだが、割と真面目に反省されて困惑しつつ位置を確認。
少女は通路のど真ん中に陣取っており、避けて通るのは難しい。更には近くの通路には配下か、或は仲のいい腐りモノが潜んでいるとなると、進むなら戦闘は避けれないと判断。魔神と戦闘時の打ち合わせを終えると、微妙アイテムのゴーグルを外しランタンの遮光窓を開く。広い通路がランタンの灯りで照らし出される。
そして、少女の嘆きが一瞬止まり、こちらの様子をチラ見した。
なんともいえない空気があたりに漂う。
通常の暗視を持たない種族の人類が見たならば、闇の中に突如灯りがともり、砂色の外套を翻して剣士と、少女の魔神の姿が現れるという幻想的な光景に映ったはずである。ディスにしてみれば、こういうところはかっこいいな……と考えていたらこの展開である。色々台無し。
こちらの視線に気がついた少女は再び泣き出した。その嘆き声は、聴くだけで善良な人々は哀しみに駆られるであろう、エクセレント慟哭であったが、この状況下では既にギャグの領域であった。
《幻鬼》空いている左手でダガーホルダーからダガーを抜き、わざとらしい投球モーションに入ると、全身のバネを使用した全力の外道探知投擲を行った。
完全に間違った方法で射出されたダガーは、飛燕の速度を持って少女の額に命中。
衝撃で揺れた少女の嘆きが一瞬止まり、額にダガーが深く刺さったまま慟哭を再開する少女。一体何と戦っているのか。
「フツーのダガーだからあんまり効いてないのは分かるけど……いい加減にしよう」
思わず共通語で突っ込む《幻鬼》の声が響くと、女はぴたりと泣くのを止めた。
憎々しげに真っ赤な眼で一行を睨みつけると立ち上がり、襤褸を脱ぎ捨てた。
「この《死霊姫》たる妾の演技を見破るとはな……!」
襤褸を脱ぎ捨てると、色鮮やかな布を何重にも重ねて織られた、極東の衣服である着物がランタンの照明の中にひらめいた。血の気の失せた病的な程白い肌と、切り揃えられた長い黒髪。見た目だけならば非常に可愛らしいとさえ形容できる少女であったが
脳天に突き刺さったダガーが、いろんな意味で全てを台無しにしていた。
「あと、いきなり妾の様ないたいけな幼女の頭に、こんなものを無理矢理ぶっさしおって……どう責任を取ってくれる気なのじゃっ!」
「汚物は消毒して責任を取るよ。あと、後ろのお友達も一緒にね」
抜刀しているサーベルを突き付け、ホームラン予告をする《幻鬼》を見て、魔神は今日は世紀末スポーツスタジアムを開催する気なのかな、とワクワクしていた。
偶にシャラ達が口にする《残骸世界》の文化に残っている言い回しは、残骸世界の文化に詳しい=それだけの冒険を潜り抜けてきた優秀さを証明するとして、割と熱心に学ばれている分野らしい。
ディスが知っているものとは全く違う解釈をされている場合もあるが、その冒険者独特な解釈は妙な癖があり、その相違も密かな楽しみになりつつあるのだった。
「むむ、鋭い知覚を持っておる様じゃな。じゃが、この愛くるしい妾を汚物呼ばわりとはいい度胸なのじゃっ!」
少女がそう叫びながら、ダガーを引っこ抜くと同時に、左右の通路から白衣を纏った死霊兵が次々と飛び出してくると、手に持っていたショートボウの弦を引き絞り、毒で塗れた矢の雨が降り注いだ。
《幻鬼》がバックステップを踏むと同時に、入れ替わる様に影の魔神が前進。
「よいしょっと」
言葉と共に闇の翼が巨大なカーテンの様に広がり、通路を遮断。降り注ぐ矢の雨を呑み込むと、再びディスが翼を折りたたむ様にして縮小。
唖然とする《死霊姫》に向かって、右手を突き出し、指を二本立てて宣言。
「ぶい」
やってやったと言わんばかりの自慢げな表情のまま振り返り、シャラとハイタッチを交わす挑発っぷりは、今世紀最大の舐めプとして伝説になりそうな程であった。
「いや、ちょっと待つのじゃ。毒矢の雨を魔法でも魔術でもなく一蹴するとか、それはおかしいじゃろっ!?」
「いや、おかしいのは君達の格好だと思う。何で死霊兵が料理人とか、女中の格好してるの?」
シャラの指摘の通り、たった今矢を放った者達は極東に置ける典型的な宿場で働いている者の格好をしているのだった。
死霊兵はアンデッドの王種である《死霊王》が、歩く死体であるゾンビを支配下に置く事で誕生する兵士種である。
ゾンビを《死霊王》の魔力を込めた泥などで補強する事で、より強靭にしつつ腐敗速度をほぼ停止させ、魔力回路を《死霊王》繋ぐことで複雑な命令も解するようになる。
という事は衣服の交換も可能ではあるのだが、より頑丈な防具を装備するなら分かるが、何をどう間違ってシミひとつないコックコートやら割烹着やら三角巾を装備しているのか理解不能状態。
囮を使った待ち伏せで、毒矢の雨という有効な戦術と、ぽんこつな《死霊姫》と意味不明な格好の死霊兵という、妙な取り合わせに困惑する一行。
何にせよ危険であることは間違いないので、真剣に戦うべきなのだろうと理解はしているのだが、余りにも残念な敵に出鼻をくじかれていた。
「ふっ……小さくてもアットホームな雰囲気の、素敵な飲食店が妾の夢だからじゃっ!」
クワっと眼を見開いて主張するぽんこつ幼女。
時空が捻じ曲がったかの様なカミングアウトに、魔神の黄金の眼が点になっていた。
シャラは急速に削がれる戦意を割と必死に維持しつつ、この妙な雰囲気を打破するために口を開く。
「もう、突っ込まないからな……来いよ。お前ら全員、微塵切りにしてやるよ」
「飲食店だけに?」
無理矢理戦闘続行を試みた《幻鬼》に、影の魔神は余計な事を付け足した。
「じゃあ、コース料理でよろしく。僕は前菜作るは……」
完全に据わった眼になった《幻鬼》。多分シャラが今、一番微塵切りにしたいのは影の魔神。
八つ当たり気味に殺気を叩きつけられた《死霊姫》は一瞬ふらついたが、すぐにファイテングポーズをとって
怒り出した。
「お主らこそフルボッコにして、妾が創ってみた手料理の試食担当にしてくれるわっ!」
最後まで戦意を削ぐ方向の発言をしながら指を鳴らすと、死霊兵達はショートボウを投げ捨て、近接武器を抜いた。
その武器を見て、影の魔神が首を傾げる。
「……なんで棍棒?」
刃の付いた近接武器を腰に佩いた死霊兵すら、抜いたのは木の棍棒。死霊兵の筋力ならば、人間程度叩き殺す程度の破壊力は出るのでそこまでおかしいわけではないのだが、それならば他の武器が存在することに疑問が出る。
魔神の疑問符に、《死霊姫》は無い胸を張りつつ得意げに答えた。
「うむ。さっき気が付いたのじゃが、殺したら試食で味の感想がきけぬ事に気が付いたのじゃ」
「《死霊姫》……恐ろしい子」
アンデッド特有の狂気とは違う何かに触れ戦慄する魔神を他所に、一斉に駆け出す死霊兵。
《幻鬼》の腰で揺れるランタンの光の中、アングラ地下墓地でアンデッド王種の軍勢との戦闘が開始されたのだった。