夢幻の刃
「殲滅完了ですシャラ。敵の残存戦力は在りません。撤収しましょう」
「そうだね。ところで、ウォートロール討伐成功^^v ぶぃ……とか言ったらアウラちゃん、ムカつく?」
「ぶち犯してやりたくなりますね(^Д^)vブィ」
一行が勝利の余韻に浸っていると、やがてズズドの海賊船が大きく傾きだす。
船の推進力である漕ぎ手を失った事と、船を掌握できるものがいなくなったのだろう。
ガレー船は魔女が放った劫火に身を焦がし、巨体から軋むような断末魔を上げている。
一行の船に戻り、沈んでゆく海賊船を眺める一行。嵐の海に呑まれてゆく船のマストに、小さな生き物が見えた。ディスは昏い海を照らす、燃え盛るズズドの船を覗き込みながら呟いた。
「ん?あれはドーラ・ドーラって言ったかな?」
燃え上がる甲板の上、劫火に照らされ浮かび上がるマストは、帆が畳まれているため、まるで火刑台の様だ。
「ズズド船長!船が燃えているであります!船が燃えているであります!もうドーラ・ドーラは舵を取ることができませんっ!!」
眼下の煉獄に沈んでいるズズドの死体に、指示を請うように呼びかけるドーラ・ドーラだが、いかに強靭なウォートロールと言えど魔女の劫火を受けては蘇る事は出来ない。一片の肉片からすら蘇るトロールの中のトロールの体も、焼かれてしまえば完全なる死が訪れるのだから。
「ちょっと可愛いかも」
「あれは悪手ですね。火刑は《慈悲の一撃》が認められるほど苦しい死に方ですから」
対岸の火事といった目で眺める、野次馬と化した魔神と魔女。
「…………ねぇ、ディス」
黙って炎を眺めていたシャラの声が、吹き荒れる風雨を割いて響いた。
「なあに?」
「助けられる?」
一瞬、確かに風雨が閉じた。世界が音を止めた。時間がその刹那を止める事を許した。
影の魔神が驚愕のあまり絶句し、思考が硬直したが故に立ち直るまで、その力が刻を止めたのだ。
動き始めた世界で、暴風が魔女のフードを捲り、ボブカットの髪を揺らす。
「……自業自得でしょう」
珍しくその声には明確な焦りが滲んでいた。当たり前だ。魔神への願い事の代償がいかなるものか、お伽噺として嫌という程伝わっている。
そもそも魔女にとっては、ドーラ・ドーラを助ける意味が分からない。他の亜人の生存者はあの船にまだ存在する。なのに何故一番罪深い者だけを助けようとするのか。
ドーラ・ドーラの罪状は、彼女が生きた事そのものだ。生き残るために、ズズド海賊団のたりない頭を補った。それ故にズズド達は一大勢力に登り詰めた。彼女が生き延びようとしたからこそ、物事を殴って解決することしかできない、人食い巨人達が海の覇者となった。その膨大な犠牲者達は、いうなれば彼女こそが作ったのだ。
「代償は?」
試す様に影の魔神は言った。
「何でも持っていけば」
即断であった。確かにドーラ・ドーラを助けるならば迷っている時間は無い。
ディスはその黄金の眼に、僅かな敬意すら浮かべた。
影の魔神には分かる。何故シャラが火刑台に立つ少女を見捨てられないか。
そして、魔神がその事を知っているということに気が付きながら、何一つ魔神に問おうとせず、覚悟を決めた事を。
「…………助けられないわ。諦めて欲しい」
「ッ!?」
魔女が信じられないモノを見る目で魔神を見た。
ディスは眼を伏せて、言い訳するように取引をしたくないと、消極的な意思表示をしたのだ。
それが目の前の人間を慮っての事なのは、疑いようもなかった。何せ絶句した程度で世界を止める超越存在である。亜人の少女一人助けるなど難しいわけがない。影の魔神にとって今の行為は、棚から牡丹餅を投げ捨てたに等しい。
「そっか」
出来ない訳がない。ディス自身ですら苦しいと思っている、嘘にすら届かない言い分をシャラは呑み込んだ。
「不肖ドーラ・ドーラ、船と運命を共にするであります!さようならっ!さようならっ!」
自らの運命を確信した叫びが響いた瞬間、シャラはサーベルを右手で、一刀だけ抜き放った。
いつか燃える彼女の世界は、未だ燃え続けているのだと。なら火の様に剣は走り、刃が其処に裂けばいい。
「ちょっと、本気出す」
斬った。
嵐に飲まれ、揺れる波の向こう側。確かにドーラ・ドーラの首が落ちたのを影の魔神は見た。
黄金の眼は確かに亜人の少女が抱えた、幾百の罪業と幾千の苦悩をも断ち切った、夢幻の刃を見た。
半歩だけ、世界の理を超えて見せた《幻鬼》は、刃を失ったサーベルを投げ捨てると、ぐらりと崩れ落ちた。魔女がとっさに支えなければ、嵐の海に投げ出されていたことは間違いない。落ちたとしても、ディスは拾ってくるつもりではいたのだが。
「《これ》は、私の暴君です」
魔女は勁を使いすぎ、意識を失った自らの主を抱え、誇るように言った。
「少しだけ、貴方達が羨ましい」
二人の姿を眺め、満足そうに影の魔神は呟くと、嵐の向こう側に視線を走らせた。
魔神の眼には《遺跡都市》アズラエルの姿が映っていた。
影の魔神の小さな旅が終わろうとしているのだった。