95話 ヴェロニカとの対話
お待たせしました。完結させます。
もう最後まで書き終えています。中途半端に投稿するとまた更新できなくなりそうだったので。
焦らさずに一気に投稿しちゃいますね。
ヴェロニカさんは僕を神世界に誘うと、スタスタとこちらに近づいてくる。
警戒を緩めずに僕も足を進める。
お互いの表情がよく見える距離まで来て、同時に立ち止まった。
まだ敵対しているはずなのに、なぜかヴェロニカさんは機嫌がよさそうだ。口元が少し綻んでいるのが見て取れる。
僕はガーネットの瞳の奥の真意を探るように注視する。
「楽しみなことがあるんですか?」
「ん? おや? そうかい、そう見えるのかい?」
ヴェロニカさんはきょとんと口元に手をやると、苦笑を浮かべる。
「楽しいってわけじゃないんだけどねぇ、アタシはアンタに期待しているのさ」
「期待? え、何の話ですか?」
ヴェロニカさんはにやりと笑う。
「アンタ、アタシを止めてくれるんだろ?」
「……そのつもりですけど……ヴェロニカさんは僕に止めて欲しかったんですか? それを期待していた?」
「ん? 違う違う、そうじゃない、期待していたのはそっちじゃないよ。アタシはね、アンタがヒュピのことをどうにかしてくれるんじゃないかって、期待してたのさ」
俄かには信じがたかった。
ヴェロニカさんは僕に大人しくしていてくれと言っていたではないか。
まるで、部外者は引っ込んでいろと、言外に。
それなのに、僕に期待していた? それならば。
「初めから頼めばよかったじゃないですか。ヒュピちゃんのことで力を貸してくれって。なぜそうしなかったんですか?」
「アンタに期待はしていたけど、アンタを待つつもりはなかったからさ。……もう、待ちたくなかったのさ」
哀しげに目を伏せるヴェロニカさん。
しかしそれだけで僕が察するには、言葉が足りない。
「……どういうことですか? 僕を待てばヒュピちゃんのことが解決するかもしれなかったんですよね? それなのに、待てなかったんですか?」
ヴェロニカさんは顔を上げない。
「それなのに、待てなかったのさ」
「……ヒュピちゃんのためであっても?」
「……想いにも鮮度があるんだよ、佐々倉啓。アタシの場合はあまりにも時間がたちすぎた。あの子への想いだけで生きるのはもう辛いのさ」
今度こそ顔を上げて僕と視線を合わせるヴェロニカさん。そこには悲哀だけがあった。
それが……無性に腹立たしい。
その悲しみは、彼女の中で諦めがついていることの証だ。彼女は、ヒュピちゃんを救いたいと願いながら、その願いが届かないと諦めてしまっているのだ。
無理のないことだとは思う。おそらくは数千年、彼女はヒュピちゃんのためだけに生きてきたのだろう。それだけの間、誰かのために自己犠牲を続けられるものだろうか。少なくとも人には無理だ。物理的にも、精神的にも。彼女の苦悩が想像を絶することだけは容易に分かる。
だけど、それももう終わりを迎える。二人が一緒に暮らせる日が来る。望むものが目の前にあるのだ。
あとは手を伸ばすだけ。だというのに。
ここで手に入らないと諦めていいわけがない。ヒュピちゃんを救えるのは、ヴェロニカさんしかいないのだから。
「自覚してください。ヒュピちゃんを救えるのはあなたしかいないんです。あなたが諦めたら、ヒュピちゃんは絶対に救われないんです」
「あの子のために怒ってくれるのかい、佐々倉啓。アンタのその愚かしいまでの優しさに、今だけは感謝するよ」
僕は奥歯をかみ締める。彼女の一歩引いた姿勢。熱かったマグマが冷えて固まったようなそれ。
もう一度熱を持って欲しかった。これは僕の我儘だ。こんな彼女を、ヒュピちゃんのもとに送り出したくない。
だからだろう、今までの僕にしては珍しく挑発的な言葉が口を出た。
「結局、ヒュピちゃんのために世界を壊すなんて嘘なんです。ヒュピちゃんを諦めた自分が許せなくて、そんな自分を認めたくなくて、世界を壊そうとしただけなんです。違いますか?」
「……否定はしないよ」
彼女は冷静に、ふっと自嘲の笑みを浮かべた。
それじゃ駄目なんだ。
衝動的に言葉を重ねようとして、ヴェロニカさんの雰囲気が変わったのに気付いた。
「でもね、否定はしないけど、それだけが真実だとは思って欲しくない。あの子を諦めてしまった心は確かにある。けれど、あの子を諦めていない心も確かにある。アタシはまだ死んじゃいない。世界が壊れるその日まで、アタシはあの子を諦めない。諦められるわけがないんだ」
いつの間にかヴェロニカさんの瞳には強い光が灯っていた。
気おされそうなほどに強く、強かな光だった。
心配した僕が愚かだったと、恥じたくなるほどの豹変ぶり。それなら初めからそうしていてくれればと、拗ねるようにそう思った。
「……分かりました、ヴェロニカさんの心が死んでなくて良かったです」
「ふふふ、アタシがただの腑抜けだったらとっくにルエに滅ぼされていただろうね。まあアレこそが死にたがりだったんだけど」
「そうなんですか?」
ルエのことはさっぱり分からない。
「さて、そろそろ本題に入ろうじゃないか。さすがにここまでくれば察しもつく。アンタはヒュピのことでアタシに話があるんだろ? おそらくだが、解決の目処も立っている。そうでなければここまで長老会がお膳立てするはずもないからねぇ」
さすがだと言うべきだろうか。彼女は現状を正しく理解していた。
「そうです、ヒュピちゃんのことです。あとはヴェロニカさんの意思一つで、ことは解決します」
「ハ、ハハッ、まさか、まさか本当にそうなってくれるとはねぇ。いや、さっきは期待していたなんて言ったけどさ、期待通りになるなんてこれっぽっちも考えちゃいなかったんだ。アンタがうまくやってくれるなんてのはアタシにとっては希望的観測に過ぎなかった」
ヴェロニカさんは肩の荷が下りたような安らかな顔で続けて言った。
「さぁ聞かせておくれよ、アンタの話をさ。……ヒュピはどうして目覚めたがらないんだい? そしてその解決策は?」
ヴェロニカさんはやはり誤認しているようだった。ヒュピちゃんが目覚めたくなくて目覚めないのだと。
それもそうだろう、ヴェロニカさんの今日までの破壊行為はことごとく、それが前提となっていたのだから。ヒュピちゃんに目覚めたくないと思わせる何かがあると信じて、壊し続けてきたのだから。
だから僕はかぶりを振る。
「いえ、そうじゃないんです。ヒュピちゃんは目覚められなかったんです」
一呼吸置き、ヴェロニカさんの反応を窺う。
この答えは想定外と見えて、ヴェロニカさんは固まっていた。
こうなることを予期していた僕は、言葉を噛み砕くようにゆっくりと、繰り返して告げる。
「ヒュピちゃんは眠りから覚めなかったんじゃなくて、覚められなかったんですよ。目覚めることができなかったんです」
この事実はヴェロニカさんにとって衝撃的だろう。衝撃的でないはずがないのだ。
「……佐々倉啓、それは本当かい?」
ぽつりと、ヴェロニカさんは無表情で呟く。
「本当です。ヒュピちゃん本人から聞いたんですから」
「そう……」
ヴェロニカさんは視線をさまよわせる。
茫然自失。まるで魂の抜けたよう。
ここまでとは思わなくて、心が逸る。
「あの、大丈夫ですか?」
「……大丈夫かだって?」
ゆらりと、僕に向き直るヴェロニカさん。
ふっと冷笑を浮かべる。
「知ってるかい、佐々倉啓。神は狂えないのさ。老いず、狂えず、自殺ができず。狂うことを許されていない神に、大丈夫かだって? あぁ、大丈夫とも。アタシはこの通り平気さ。いや、アタシのことよりもだ、問題はあの子だろう」
とても大丈夫そうには思えないのだけど、でも外見的には落ち込んでいるようには見えず、ヴェロニカさんは気持ちを切り替えたかのように振舞う。
「あの子は優しい子だ。あの子はきっとアタシとロニーの行動に責任を感じるだろう。眠りから覚められないから、アタシたちがあの子のために道を踏み外したのだと考えるだろう。あの子に非がないのだとしてもだ。
そしてあの子は自分を責め、罪の意識に囚われる。それをずっと、あれから今日まで続けてきたのだとしたら……あぁ、佐々倉啓、あの子は壊れていなかったかい? あの子は狂ってはいなかったかい?」
その言葉を聞いて、僕の中でピースが噛み合った。
ヒュピちゃんは耐えてきたんじゃない、耐えることしか許されなかったんだ。それ以外の選択肢がなかったんだ
拷問のようだと思った。椅子に縛り付けられ、延々と苦痛を与えられながら、死なないように介添えされる様を幻視した。
ヒュピちゃんの状況に気付けなかった自分の迂闊さと、新たに判明したヒュピちゃんの不幸に、僕は苦々しい思いで答える。
「ヒュピちゃんは、自分を責めてはいましたけど、それ以外は特に異常はないようでした。……壊れても狂ってもいませんでしたよ」
「そうなのかい」
ヴェロニカさんは能面だ。平坦な声で続ける。
「分かっていたんだ……世界が理不尽で、どうしようもないってのはとっくの昔に分かっていたんだ。平穏な日常は簡単に悪意に壊されるし、世界の理ってのは生き物に優しくできていない。……でもね、さすがにここまでとは思わなかった。
考えたことはあったよ、あの子が眠りから覚められないこと。だけどありえないって即座に切り捨てた。だってそうだろう? 眠りの神が眠りに支配されるなんて皮肉もいいところだ。そんな馬鹿げた話があるかい?
でも、そうか、ありえてしまったのか。……こんな馬鹿げた世界、やっぱり壊してしまったほうがいいとは思わないかい、佐々倉啓」
ぞくりと背筋が震える。その声はどこか軽く、どこまでも本気だった。
酷い緊迫感に襲われる。僕の返答一つに世界の命運がかかっていると思われた。
喉の渇きを覚え、ごくりと喉を鳴らす。
「ヒュピちゃんはどうするんですか? これから助かるのに……壊すんですか?」
僕の精一杯の返しに、ヴェロニカさんは冗談のように軽く言う。
「こんな世界で目覚めたとして、あの子は幸せになれるのかい?」
「それは……」
「ふぅ、冗談さ。そう構えなくていいよ」ヴェロニカさんは声のトーンを落として続ける。「まあ、八つ当たりしたい気分ではあるけどね。でも、アンタに甘えるわけにはいかないし、この世界を壊すわけにもいかない。そんなことをしたらあの子が傷つく。これ以上、あの子を傷つけるわけにはいかない。それに……こんなところで足踏みしている場合じゃない。あの子は今も待っている。そうだろう?」
すがりつくようなガーネットの瞳に、僕は強く頷きを返す。
「はい、ヒュピちゃんは待っています。あとは、ヴェロニカさんが会いに行くだけです。……行きましょう。悲しいすれ違いを終わらせるために」
僕の呼びかけに、ヴェロニカさんは真剣な表情で、緊張気味に首肯した。




