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91話 一手直前



 メロウさんの神世界に転移し、応接室に戻ってきた。

 デスクの上に魔石がある。そこに予め僕の魔力を込めてあったため、それをマーカーとしたのだ。

 空になってしまったので、もう一度魔力を入れ直しておく。


「皆さん、お疲れ様です」


 メロウさんが出迎えてくれた。

 僕たちはソファに座り、早速報告を行う。

 メロウさんは聞き終えた後、思案顔をする。その間口元の笑みを絶やさないのはさすがだと思う。


「これは面白くなってきましたね。ケイさんは想像以上のことをやってくれます。正直なところ、ヒュピさんルートは攻略不可能だと思っていましたが……難関を落とすとは、恐れ入ります」

「あの、表現」

「表現がどうされました?」

「え? ……いや、なんでもないです」

「そうですか? ふむ、これでヴェロニカさんを止めるという計画が現実味を帯びてきましたね。意識体の問題も、私達の世界を使えば解決できますし、あともう一手で解決に届きそうです」


 意識体の問題。

 メロウさんと話し合った結果、ヒュピちゃんの神世界に行くには、安全を考慮して意識体が良かろうということになった。

 どうやって意識体になるかだけど、神世界に招待するときには意識体のみを選択できるらしく、メロウさんの神世界に僕の意識体を招待すれば解決するとのこと。

 奇妙なことに、一度メロウさんの神世界を出る必要はないようで、つまり僕の実体と意識体を同時に神世界に置くことができるという。ちなみに神世界であれば誰のものでもいい。


 これで問題はなくなったはず。


「あともう一手ですか。それって、ヴェロニカさんをヒュピちゃんの神世界に連れて行くことですよね」

「その通りです。が、それは無理でしょう」

「え?」

「ヒュピさんの世界に連れて行くということは、ヴェロニカさんがケイさんの転移に身を委ねるということ。果たして、敵対する相手の魔法に身を委ねてくれるでしょうか?」

「そこは、説得します。きっとうまくいきます」

「何か、根拠があるのですね?」

「……いえ、勘……というより、印象です」

「つまり?」

「つまり、ヴェロニカさんと実際に話してみて……自分で言うのもなんですが、僕を信用してくれそうな気がしたんです」


 建前を見透かそうとするかのように、メロウさんの鋭い視線が僕を貫く。

 だけど建前はない。紛れもない本心だ。

 ヴェロニカさんは、シア様の記憶を持っている。僕が騙まし討ちのできない人間であることも分かっているはずだ。


「ふむ。そうですね、長老会の面々より、ケイさんに任せてしまったほうが良いかもしれませんね。分かりました。説得はケイさんに一任しましょう。

 ところで、ヒュピさんの世界にはどういった手順で行くつもりですか?」

「えっと、意識体になってから転移するつもりですけど……?」

「誰の世界を使いますか?」


 メロウさんの神世界を使うのは厳しい。ヴェロニカさんの信用を得られない可能性があるからだ。

 そうなると、答えはおのずと絞られる。


「……ヴェロニカさんの」

「ケーィっ」


 膝をニィの手が掴む。見れば、ニィは真剣な顔つきで僕を見つめていた。

 ニィの言いたいことは分かる。でも、そんなことにはならない。


「大丈夫だよ、ニィ。ヴェロニカさんは理由なく誰かを傷つけるような人じゃない。それに、今回の計画はヴェロニカさんの望みを叶える唯一の機会なんだ。ヒュピちゃんを目覚めさせることはできないけど、ヒュピちゃんと対話できるなら、ヴェロニカさんは絶対に首を縦に振る。だから、悪いことにはならないよ」

「…………」


 ニィは表情をきゅっと険しくすると、そのまま僕の目を覗き込む。ニィが覗き込むということは、お互いの距離が縮まるということで、ニィの凛々しい瞳を僕は見返した。


 十秒ほど剣呑な空気で見詰め合った後、ニィは身を引いた。それから顔の強張りをほぐすようにふっと微笑む。


「私、待ってるから。ケイが帰ってこなくても、ずっと待ち続けるから」

「そんな……」


 大層なことじゃないよ。その言葉をすんでのところで飲み込んだ。


 言い返したいことはある。

 危ないことをしに行くわけではないし、戦いに行くわけでもない。そんな悲愴な覚悟を必要とすることじゃない。ニィはヴェロニカさんのことを知らないから、ヴェロニカさんの神世界に僕が行くことを危険視しているんだろうけど、ヴェロニカさんはそういう人じゃない。僕はそう確信してる。

 それに、仮に僕が帰ってこなかったとしても、ニィには待っていてもらわなくていい。帰って来れないということは、死を想定しているはずだ。そのときは、さっさと僕のことなんか忘れて、ニィにはニィの道を歩んでほしい。まあ、逆パターンなら絶対に忘れてあげないけど。

 

 と、そんなことを考えはしても、口に出せる空気じゃない。

 ニィが欲している言葉はそれじゃない。


「……ニィ、必ず帰って来るからね。帰ったら、いっぱいキスしようね」

「……うん」


 額同士を合わせ、しばらくニィの赤髪をすく。


「なぁー、メロぉー。オマエ魔法の神だろー? 魔法であの二人の甘い空間をどうにかできないのかー?」

「フマさん、空間に関して私はケイさんの足元にも及びませんよ?」

「誰がうまいこと返すように言ったー?」

「フマさん、あの空間はケイさんの仕業ですよ?」

「だから誰がうまいこと返せってー」

「それと、人の恋路を邪魔するとドラゴンに食われてしまいますよ?」

「それ絶対使い方間違ってるさー」


 緊張感のない声が聞こえてくる。メロウさんの声は楽しそうだけど、フマのほうは諦め声だ。

 いつもならここで我に返ってニィから離れるのだけど、今回はニィの不安を和らげるという大義名分がある。だからもう少し、このままでいよう。


 そうして数分が経過して。

 落ち着いたころを見計らい、僕は立ち上がった。


「メロウさん。長老会は一時間後ですよね。僕は先にヴェロニカさんの説得に行きますので、また移動をお願いしてもいいですか?」


 僕はメロウさんが立ち上がるのを待つ。


 しかし、メロウさんはにこにこしたままで、腰を上げることはしなかった。

 ゆっくりとかぶりを振ってから、そのままの姿勢で、口を開いた。


「ケイさん、それはできません」

「え? ……なんでですか?」

「ヴェロニカさんなのですが。ただいま、ルエさんと戦闘中です」

「……え?」

「こうなってしまった以上、あの二人に近づける者は誰もいません。戦闘はまだ続くでしょうから、今しばらく待つとしましょう」

「……はい」

 

 僕はすとんと腰を下ろした。

 出端をくじかれたせいか、力が入らない。


 出遅れたのではないか?


 そんな不安が胸中に渦巻いていた。



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