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89話 眠りの神ヒュピ

遅くなってしまい申し訳ありません。

日付を越えてしまうとは……。


2015/5/2 ヒュピに対する佐々倉啓のモノローグを一部修正。(後半部分)



 いつか見た野花の草原。

 見渡す限り、色とりどりの小さな花々が満天の星空のように広がっている。

 頬を撫ぜる風。瞬くように揺れる草花。

 甘いような、苦いような、懐かしい臭いがする。

 空は澄み切って青く、秋のように寂しげだ。

 

 僕は振り返る。

 そこには、9歳くらいの小さな女の子。

 桃色のふわふわ髪。

 俯き加減の上目遣いに、きゅっと組まれた両手。

 ヒュピちゃんだ。


 これで二度目になる。

 来れてよかった。うまくいく保証はどこにもなかったからね。


 あとはタイミングを見計らって、ヒュピちゃんの目覚めない理由を聞く。

 その理由に対処できるかはそのときになって考える。


 そう確認して、僕は気さくに話しかけた。

 

「ヒュピちゃん、また会ったね。僕のこと覚えてる?」

「……あ、あのっ、ケイっ」

「っ」


 息を呑んだ。

 ヒュピちゃんの表情がただごとではなく切羽詰っていた。

 僕は気を引き締め、ヒュピちゃんの言葉を待つ。


 ヒュピちゃんは叫ぶように言った。


「お願い……ッ、わたしをここから出してッ!」

「……え?」

 

 言葉の意味を飲み込むと同時。

 天地がひっくり返ったような衝撃を受けた。


「ケイッ! ケイならッ! できる、はずだからっ……」


 ヒュピちゃんが膝から崩れ落ちる。

 僕は慌てて手を伸ばし、《加速空間》を発動させ、抱きとめ、時間を戻す。

 背が合わないので、僕は膝立ちになり、ヒュピちゃんを正面から支える。


「わ、わたっ、わたしのせいなの……わたしのせいで、お姉ちゃんたちは……」

 

 間近にあるヒュピちゃんの瞳が、下を向いている。

 ぷっくらとした唇が震え、不安定な声で、つっかえつっかえ話す。

 涙ではなく怯えからくるそれは、懺悔のようだ。


「わ、わたしが……『眠った』っ、せいで……」


 ヒュピちゃんは、喉につっかえるものを無理やり吐き出すように、痛々しく話した。

 僕は励ますように、ヒュピちゃんを支える手に力を込めながら、ヒュピちゃんが話すのを最後まで聞き届けた。


「ヒュピちゃん……よく、耐えたね」


 僕は優しく抱擁する。ヒュピちゃんは震えていた。話していた間も、そして今も。

 安心させるように背中をさする。震えはまだ、止まらない。







 ヒュピちゃんは孤独だった。


 ヒュピちゃんが『眠る』原因となったできごとは、聞いていない。

 ヴェロニカさんの口ぶりから察するに、他の神様との間で何かあったようだけど、問題はそこじゃなかった。

 

 ヒュピちゃんは眠った後、自分で眠りから覚めることができなくなったのだ。


 眠りの神が眠りから覚められないなんて、なんという皮肉だろう。

 それとも、それが正しいあり方だとでもいうのだろうか。


 いや、是非を問うのなら、それは間違いなく非だった。

 誰も幸せになれなかったのだから。


 ヒュピちゃんが眠りから覚められないことを、ヒュピちゃんの周囲は知ることができなかった。

 誰もヒュピちゃんの神世界には来れなかったし、ヒュピちゃんもそれを外に伝える術がなかったという。

 

 その結果、ヴェロニカさんは、誤解に従い、ヒュピちゃんの脅威となりうるものを排除することに身を投じ続けた。

 「ヒュピちゃんが起きない原因」たりうるものを、片っ端から壊していった。


 思うに、ヴェロニカさんが「破壊の神」となったのはヒュピちゃんのためだったのだろう。

 もしかするとロニーちゃんも。「息災の神」となったのは、ヒュピちゃんのためだったんじゃないだろうか。

 

 ともかく、この誤解によって、事態は行き着くところまで行き着いてしまった。

 ヴェロニカさんは自分を破壊し、転生の神スイシアとして生まれ変わった。

 ロニーちゃんは元々クロニカという妙齢の女性だったらしいのだけど、ヴェロニカさんの自壊に合わせ、まるでこれまでの過去と決別するように幼い少女となった。


 そのことに、ヒュピちゃんは自責の念に囚われた。

 自分が眠ってしまったがために、姉たちの生き方を狂わせてしまったのだと。

 眠りから覚めることのできない自分が全て悪いのだと。


 自責の念と、何もできないことに対する無力感にさいなまれたヒュピちゃんは、死にたいと願った。心の底からそれを願った。

 幸か不幸か、その願いは達成できなかったようだけど、そんなことまでヒュピちゃんは明かしてくれた。

 あるいは、言葉にせざるをえなかっただけかもしれないけど。

 でも、ヒュピちゃんが楽になれるのなら、自分のことを話してくれるのなら、僕は嬉しいと思った。


 話を戻そう。

 ヴェロニカさんの自壊によって、事態は一度、停止した。

 

 もしそこで止まったままであったなら、ヒュピちゃんは僕を頼らなかったに違いない。

 幸福を望まず、自分を責め続け、過去を映したこの未来のない神世界の中で生き続けたに違いない。

 事実、初めて出会ったとき、ヒュピちゃんは怯えるような素振りを見せるだけで、外に出たいとは一言も発さなかったのだから。


 あの二人にしたって、悪い生活ではなかっただろう。

 シア様とロニーちゃん。

 ヒュピちゃんの姉たちは、ヒュピちゃんに関わる過去の悲愴感を少しも漂わすことなく、親友のように仲良く過ごしていただろうから。


 だけど、事態は動いてしまった。

 ヴェロニカさんの復活と、世界を壊す行動。

 止まったはずの過ちが、動き出してしまった。

 それも、最悪の結末に向かって。

 

 ヒュピちゃんが言うには、ヴェロニカさんだけでなく、ロニーちゃんも動き出したらしい。

 ロニーちゃんはヴェロニカさんの味方をするだろうと。

 このまま放っておけば、世界が壊れるか、ヒュピちゃんの姉たちが死ぬか、その二択に集約されてしまう。


 だから、ヒュピちゃんは僕に願った。

 外に出して欲しいと。

 今になって誤解を解くために。

 能力が「空間」に特化している僕に賭けざるをえなかった。 


「ヒュピちゃん……よく、耐えたね」


 こんな状況になるまで、眠りの檻の中で過ごし続けてきたヒュピちゃん。

 僕がここに来るまでは選択肢すら与えられず、ただ耐えるしかなかったヒュピちゃん。

 労いの言葉が自然と口からこぼれ出た。


 同時に思う。

 こんな幼い女の子の、身を切るような懺悔を聞かされて、今にも消え入りそうな怯えを見せ付けられて。

 そして最後の希望とばかりに頼られて。

 いくら相手が神とはいえ、年上とはいえ、それに応えずにいられる人はいるだろうかと。


 僕は励ますように告げた。


「あとは任せて。絶対にここから出してあげるから」


 抱擁したヒュピちゃんの小さな背中をさすりながら、断言した。

 

「……お願い……ケイ……」

 

 すがるように、ヒュピちゃんは呟いた。

 体の震えは止まっていたけど、声の震えは止まっていない。

 きっと、そう簡単に止まることはない。

 ずっとずっと、ヒュピちゃんは一人で、姉たちの誤解を解く術を持たず、姉たちの奮闘して磨り減る様を見続けて、文字通りどうにもならない現実を前に自分を責め続けたのだから。

 たかが部外者の僕が解決を誓ったところで、ヒュピちゃんは救われない。

 ヒュピちゃんを救うには、幸せだったという過去の生活を、もう一度作り上げる必要があるだろうから。


 そのために、ヴェロニカさんとモニター越しではなく面と向かって再会させること。

 そのために、ここから出すこと。


 では、どうやって?


 その方法を考えようとして、異変に気付いた。


 僕の体が光の粒子となって散り始めている。


「え? ちょっ、な、なにこれ!?」


 次の瞬間、視界がブラックアウトした。



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