8話 いざ救出
僕は今、裸の美少女に抱きつかれている。
……やばい、自分で何言っているのか分からない。
言葉は理解できるけど、心が現状に追いついてこない。
僕は心を落ち着けるため、周りの景色を見渡すことにする。
温泉からもくもくと立ち上がる湯気によって、前方の視界が遮られている。
首を後ろに回してみると、石組みの壁が迫っており、壁伝いに上を見上げれば、5メートルほど続いて途切れ、青空が開ける。この壁が建物の壁面なのか、それとも仕切りの壁なのかは不明だ。
床も石が敷き詰められている。僕はスニーカーのまま立っており、露天風呂で土足であることに、軽い罪悪感を覚える。
前方、少女がさっきまで座っていた場所には、固定されて浮かんだままの僕の上着が取り残されている。ちょっとシュールだ。
上着が取り残されているので、僕の上半身は裸のまま。そこへ少女が密着しており、少女の頬がおなかに当たっている。
少女の体が温かい。外気が肌寒いのに対して、温泉につかっていたからか少女はポカポカしている。
その人肌の温かさに、僕は落ち着く。
……って、落ち着いてる場合じゃない。
というかなんで少女は抱きついてきた?
そんなに助けを待ち焦がれていたのか?
……助けて正解だね。
と、いくらか思考に余裕を取り戻した僕は、少女の湿った艶やかな赤髪を見下ろしながら、いまだ抱きついて離れない少女に声をかける。
「あのー、そろそろ離れてもらってもいいですか?」
「うん?」
少女は顔を上げる。その拍子に僕と少女の体の間に隙間ができ、緩やかな二つの丘が視界に入る。
「あっ、いやッ、やっぱりくっついてて!」
僕は慌てて顔を上げながら、少女にまくしたてる。
少女が不思議そうに首を傾げる気配を感じる。ちょっとちょっと、どうしてこんなに無防備なのこの子。
「えっと、これは確認なんだけど、君を助け出すのに問題はないよね? 君が望んでここにいるとかは?」
「……私は外に出たいの。だから連れ出して! お願い!」
少女が再びぎゅっとしがみついてくる。
こんな幼い少女が、閉じ込めらて平気なわけがない。
不安で不安でしょうがなかったのだろう。
僕は優しい気持ちになりながら、見えないだろうけど微笑みかける。
「安心していいよ。君を連れ出してあげるから。それと、君の他にも仲間はいる?」
「仲間? ……ううん、私一人だけ。あなたは?」
「僕? 僕は、仲間が1人かな」
「そう、なんだぁ……」
僕に仲間がいると知ると、少女はなぜか寂しげに漏らした。
もしかして、見知らぬ仲間に対して怖がってるとか?
「妖精だよ。僕の仲間は、妖精。全然怖くないよ?」
「えっ、妖精!? あっ、もしかしてさっきの!」
「うん、多分そうだと思う。僕はその妖精を探してるんだけど、どの方向に行ったか分かる?」
僕が少女に尋ねると、少女は体を離して背後を指差す。
僕は方角を確かめた後、半ば無意識に少女の横顔に視線がいく。
そこで僕は、少女の顔が耳まで赤くなっていることに気付いた。
「あれ? 顔が赤いけどのぼせたの?」
「っ!? な、なんでもない!」
少女はそう言って、何度目か分からない抱きつきをしてくる。
これは、恥ずかしがっている?
何に対して?
一糸纏わぬ姿に対してなら、少しは隠そうとするだろう。
それ以外に恥ずかしがる要因が見つからない。
……分からないなぁ。
「えっと、向こうだね。後で探してみるよ。ありがとう。……で、君を先に外に送ろうかと思うんだけど、服をこっそり取ってこれたりする?」
「……それは無理だよぉ。誰かに見つかっちゃう。……だからね、あなたの上着を借りたいんだけど……いい?」
少女は真っ赤に茹で上がった顔で見上げてくると、上目遣いに、潤んだ赤い双眸を僕へと向けてきた。
うっは!
そんな顔向けないでッ!
僕はしゅばっと空を仰ぎ、目をつぶる。
僕は自分の心臓がどっくんどっくん打ち鳴らすのを聞きつつ、回復を図るため深呼吸。
すぅー、はぁー、すぅー、はぁー、すぅー。
吸った後、息を止め、無感情に徹して少女に向き合う。
「いいよ」
僕は魔力を飛ばし、上着を包むと、固定を解いて手元に転送させ、少女に渡す。
「わぁ、ありがとう!」
少女は整った顔を真っ赤に染めたまま、花開くように笑った。
うっは!
もう死んでしまうッ!
僕は再び天を仰ぐ。
少女がいそいそと袖を通す気配がすると、僕はあることに思い至り赤面したまま慌てて声をかける。
「あっ、それまだ濡れてるから! 貸して。絞るから」
濡れた上着を渡すなんて僕はうっかりしていた。少女の可憐スマイルにやられてどうかしていたのだろう。
そう思い提案したのだけど。
「? 大丈夫。ほら」
少女が差し出す袖に、僕は触れてみる。
さらさら。
あれ? 乾いてる?
「ふふっ、魔法を使っただけなのに、そんなに不思議だったぁ?」
少女は悪戯が成功したような目でからかうように言ってくる。
そんな仕草にも僕は魂が搾り取られそうな感覚がする。
「あっ、か、勘違い、かな?」
僕は慌てて反応する。
そ、そうだよね。この世界では魔法が普通だったね。
服を乾かすのも造作もないってね。
「んー? 何か隠してな~い?」
「か、隠してるっていうか、えーと、後で教えるよ。ひとまずここを出てからね」
僕の常識が欠けていることは、魔王城から脱出した後で伝えればいいだろう。
「こほん、それじゃあ君を先に送るけど、いいかな?」
「うん!」
少女はうずうずして、照れたようにはにかむ。
ああもう……僕の頭が馬鹿になりそうだ。
僕は仮面の裏で盛り上がろうとする少年の心にボコボコとパンチを連打しながら、深呼吸。
魔力を薄く延ばしながら少女を包み込むと、魔法を発動させる際のイメージで頭を満たして煩悩を追い出し、マーカーを一つ残しておいて、唱える。
「《転送》」
一瞬で景色が切り替わり、湯けむり一辺倒だった露天風呂から木々が青々と生い茂る樹海の中に戻ってくる。
うっは!
ちょッ!
その格好アウトォッ!
僕は顔を上に向けて目を閉じたが、まぶたの裏にそれが残存する。
……裸シャツ。
さっきまでは風呂場だったため違和感が薄れていた。
しかし今は森の中。
どうしたって服を纏わねばならない野外だ。
それなのに、裸シャツ。
土を直接踏みしめる裸足。
白さの中にうっすらと赤みが差す、すらりと伸びた下半身。
きわどい所を隠す裾。
ぶかぶかなTシャツ。
襟首からのぞく小さな鎖骨。
上着の肩にかかる濡れたままの赤髪。
そして彼女が着ているのは、僕の上着だ。
僕の上着が……少女の裸体を包んでいる
自分でもよく分からない支配欲がむくむくと顔を出す。
成敗! 成敗!
煩悩滅却!
僕は色香漂う少女の裸シャツにあまり気を配らないようにして、次の動作に移行する。
「じゃあ、仲間を救出して戻ってくるから、決してこの場を動かないでね? あと、野生の魔物が出てきても大丈夫なように、結界を張っておくね」
そう告げて僕は、少女の周りを自分の魔力で覆い隠した後、《固定》魔法を発動させた。
これで擬似結界が完成する。
結界の内外で、物質の行き来ができなくなった。
ただし空気だけは別で、窒息しないように、あるいは声が聞こえるように、小さな穴がいくつか空いている。
「わぁ、すごぉい」
少女は感心したようにぺたぺたと固定魔法の結界を触って確かめている。
状況的には監禁と大差ないのだけど、その心配はちっともしていないようだ。
もちろん、僕にもそのつもりはないのだけど。
少女は結界を堪能した後、ふいに細い眉を悲しみに歪め、訴えるように僕を見つめる。
「魔王城に戻るんだったら、くれぐれも気をつけて。あなたが死んでしまったらっ、私……ッ、あなたなしじゃ生きられないから!」
少女は結界の内壁にへばりつきながら、まなじりに涙を溜めて、僕を求めてくる。
なかなかに刺激的な言葉ではあるけど、状況に流されないで、ここは一つ、冷静に考えてみよう。
少女の持ち物は防御力のないTシャツ1枚だけ。
知らない森の中に取り残され、出歩くのを阻むように結界に閉じ込められている。
そんな状況で僕が死んでしまったら……残された彼女がどうなるか。
悲惨の一言に尽きる。
僕なしでは生きられないと言っても過言ではない。
こりゃいかん、早めにフマ救出の任務を遂行し、少女を安心させてあげなければ。
「大丈夫、僕は死なないから。君一人を残して死んだりはしないよ。すぐに戻ってくるから、ちょっとの間だけ我慢してて」
少女は両手を《固定》の壁に沿えて、綺麗な顔立ちを切なそうに歪める。
放っておけば、泣き出しそうなほどにつらそうだ。
うう……未練が。
できればずっと傍にいてあげたい。
僕は後ろ髪引かれる心に活を入れる。
駄目だ! 駄目だ! 駄目なんだ!
仲間を助けるんだろ?
うだうだしてる暇があったら体を動かせ!
僕はおそらく情けない顔をしているそれを少女に向けて告げる。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「…………いってらっしゃい」
少女の悲痛な声が聞こえてきたけど、これ以上この場に留まっているわけにもいかない。
僕は少女の顔を見ないようにして、風呂場に転移した。
「ふぅ、まいったね」
僕は助けた少女のことを思い起こす。
まさかあれほどの美少女とは。
行動の一つ一つに目が奪われてしまう。
その上あの場に残ってと懇願されようものなら、僕の心は救出に向かいたい感情との板ばさみになって引き裂かれていたかもしれない。
げに恐ろしきは美少女なり。
……なんて考えている場合でもないや。
「さて、と。安全第一に行きますかね」
何と言ってもここは魔王城。
見回りの衛兵もさることながら、キーグリッドのような家系の当主、さらには魔王すら存在しているだろうから。
実を言うと、魔王に興味がないわけではない。
ただ、僕は安全を取る。好奇心に殺されるのはごめんだね。
まあ、【存在希薄】と《転移》があれば、たとえ遭遇しても隠密裏に離脱することは容易だろうけれど。
よほどのうっかりミスがなければ、僕の存在に気付ける人は皆無なのだ。それはそれで寂しいものがあるけど、潜入捜査なんかには持ってこいの能力だよね。
本当を言えば、こそこそするより派手な無双に憧れるけど、代償の制約があって才能全般に全振りできなかったんだからしょうがない。
それに今でも、キーグリッドレベルなら簡単に暗殺できるんだし、文句を言ったら罰が当たるというものだ。
……罰を与えるのがシア様だと思えば、罰もあまり怖くないんだけどね。
などと考えつつ、僕はフマが飛んで行ったらしい方向にマーカーを飛ばし、転移と固定のコンボで中空に降り立つ。
眼下に広がる光景を、僕は見渡す。
視界の下半分には、石壁でできた城の建物が映る。
自分が居る場所は城の中でも天辺に近いらしく、そこから数十メートル下には城を取り囲む城壁がある。
数十メートルというと、十階建てほどの高さだろうけど、フマとキーグリッドの戦闘を覗いていたときの高度とそんなに変わらず、あまり高いという感じがしない。
城壁の外側には、家屋が立ち並び、城下町といった様相を呈している。
人口が少ないのか、家屋の数はあまり多くない印象。
ただその中に四軒、明らかに周りとは一線を画す屋敷というか豪邸があり、そこに多くの人間が住んでいることが窺える。
住宅区の外側は、畑や牧場が広がっていて、住宅区の五倍以上の面積がある。
点々と工場のような平屋も見える。
その向こうには、内側をぐるりと大きく取り囲む砦。
ここから砦までは1キロ以上あるが、この距離でも砦の規模の大きさが窺える。
そして砦の外側は、樹海だ。
見渡す限りに緑の絨毯が続いていて、この魔王城が僻地にあるのだと認識させられる。
それから僕は、背後を振り返る。
山脈が左右に展開しており、ここが山麓にあるのだと分かる。
……なんか、普通だね。
それが魔王城とそれを取り囲む環境を見ての、僕の感想だった。
見た目に、禍々しさの欠片もない。
言ってみれば普通の城下町だ。
「でも、訳アリなんだろうね」
そう、外見上はいたって普通。
しかし魔力感知を行えば、ここが特殊な土地だと認めないではいられない。
魔王城の地下。
どれほど深くかは定かではない。
だが、得体の知れない魔力を感じる。
まるで夜の海と自分を比べて身震いするような、飲み込まれること必至の魔力が、地の底から湧きあがっているような――。
……こんなのは、人間がどうこうできるレベルじゃない。
僕は眉をひそめつつ、推測する。
この魔王城はそれを封印するための場所なのかもしれないと。
まあ、考えたって仕方がない。
それより今はフマの捜索だ。
僕は魔王城の中の人間の魔力を探る。
その中の全員が、僕の魔力量の5倍以上を有している。
フマの場合、自分の魔力を抑え込んだ状態で、5倍だった。
おそらく、抑えるのが下手な者は、それ以上の魔力を垂れ流しているに違いない。
下手な者ばかりだといいけど、ここが魔王城であることを鑑みれば、フマと同等の存在がごろごろいる可能性を否定できない。
人探しには、魔力感知は当てにならないみたいだ。
さて、どうやってフマを探そう?
「うーん……そうだ」
魔王城の外にいる魔力を探そう。
フマは既に脱出していたから、城内を探す必要はない。
そうして僕は意識を集中させ……見つかった。
二人組みの魔力。
と認識した途端、両者の魔力がぶわっと噴き出した。
「確定だね」
二人は臨戦態勢に入っている。
魔王城での戦闘となれば、そこには脱走者であるフマがいる確率が高い。
僕はマーカーを飛ばし、戦いに巻き込まれないような位置に転移した。
「《風壁――」
「《氷晶よ。私は望む。」
「×8!》」
「反抗を許す――氷牢を》」
そこにいたのはやはりフマだった。
普通にしていれば可愛いおっとり顔を、戦闘とあって引き締めている。
もう一人は、プレートアーマーに身を包み帯剣した男だ。
衛兵と思われるが、その格好に似合わず魔法で応戦している。
フマの発する魔力は、全開にはほど遠く、手加減しているように見える。
悪目立ちしないようにしているのか、それとも相手に合わせているのかは不明だ。
フマが唱えた魔法は、キーグリッド戦で見せた風壁の劣化版とでもいうべきもので、一枚の厚みは薄いものの、それを何枚も重ねがけしている。
強力な攻撃魔法をぶつけなければ、風壁の層を全て突破することはできないだろう。
そしてこちらは敵の魔法だろうか、フマと周囲の風壁をさらに取り囲むようにして、透明な氷が張り巡らされていく。
それは瞬く間に形成を終え、フマを中心にした球形でフマをすっぽりと覆い尽くしてしまった。
おそらくフマを拘束するための布石なのだろう。
二人の戦闘が激化する前に、騒ぎを大きくしたくない僕は――早く少女のもとに戻ってあげたい僕は――フマを僕の魔力で包み込み、僕とフマを魔力で繋ぐ。
二人の戦闘など知ったことかと、僕はお構いなしに唱える。
「《転送》」
途端、景色が森の中へと切り替わる。
「……え?」
「わぁ、妖精だぁ!」
フマは何がなんだか分からないといった表情で硬直し、その隙に裸シャツ少女がフマに駆け寄ると、
「かわいい~」
人差し指でフマの数センチしかない頭を愛でるようによしよしと撫で回した。
「え? え? ちょっと、え、これは何なのさ!?」
僕の空間魔法を知らないフマに、突然転移させられた現状を理解できるはずもない。
しかも敵意のない、それどころか好意を見せる少女にいきなり頭を撫でられているのだ。
それも、裸シャツの美少女に。
この状況を作り出した張本人にしたって、意味が分からないと思う。
泣きそうな困惑顔を見せるフマに僕はなんとなく同情した。
まあ、全ての原因は僕にあるんだけどね。
「よし、よし、怖かったね」
小動物を可愛がるような視線を優しげなものへと変化させた少女は、フマの状態を勘違いしたのか、フマを落ち着かせるように言葉を続けた。
「もうあなたを襲う魔人はいなくなった。だから安心して? 私はあなたの仲間よ」
しかしながら、少女の言葉はフマを落ち着かせるどころか、「仲間」という言葉にフマの困惑はより深くなったようだった。
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