77話 メロウの報告
「どうしてそんなに良くしてくれるんですか?」
「……その問いは、なんとも心をくすぐりますね。さて、どう答えましょうか」
メロウさんは楽しそうに頬を綻ばす。
演技ではなさそうだった。
「なぜケイさんの味方をするのか。貴方を罠に掛けるためですよ、ケイさん」
「……えっ」
「なんて答えを期待していましたか? ふふ、助言をしましょう。警戒心は大切ですが、現状把握はそれ以上に重要です。警戒すべき相手を間違えてはいけません。私は貴方の味方ですよ」
「……」
「どうぞご自身で判断してください。私を頼るも頼らないも、貴方の自由ですから」
「……」
「いやぁ、すみません、あまりに楽しい質問をされるもので、ついつい遊んでしまいました」
にこにことメロウさん。
僕は情けない顔をしているに違いない。
心理戦を仕掛けても勝てるわけがなかった。
相手は神様。生きてきた年数が桁違いだった。
僕なんて赤子にも等しいだろうね……。
僕を圧倒したメロウさんは、僕の問いに答えた。
「楽しいことになりそうだからですよ」
「……え、どういう意味ですか?」
「ケイさんは、神の掟を人間のために変えようとしています。それがうまくいけば、楽しそうじゃないですか」
「……メロウさんは困らないんですか?」
「私ですか? どうしてです?」
「いやだって、『理由なく人間を攻撃してはいけない』なんて掟が成立したら、行動が制限されるじゃないですか」
「理由なく人間を攻撃したい神でなければ、困ることはないと思いますよ?」
「それは、そうかもしれませんけど……じゃあ、『僕の仲間に理由なく攻撃してはいけない』っていう掟を多数決で通してくれたのは、どうしてなんですか?」
「その理由は前にも言いませんでしたか?」
「コハロニとイータの報復を防ぐため、というのは本当の理由なんですか?」
「本当です。正確には、あなた方を守るためだったんですがね」
「どうして守ろうとしてくれるんですか?」
「さっきも言いましたよ? そのほうが、楽しいことになりそうだからです。ケイさんがいなければ、誰も神の掟を変えようとはしませんから。ケイさんを守るのは必然ですよ」
「別に僕じゃなくてもいいじゃないですか。メロウさんが掟を変えればよくないですか?」
「どうして私が人間のために変えなければならないんです?」
メロウさんが不思議そうに首を傾げる。
僕は何かを言おうとして、何を言えばいいのか分からなかった。
「……」
「ケイさん、貴方は、愉快な人間が傍にいたとして、その人間の行動を代わりにやろうと思いますか?」
「……」
「私は思いません。いいですか? 私が欲しいのは結果ではないのです。私が欲しいのは、私を楽しませてくれる何かですよ。それだけなのです」
カリオストロの町を旅立ち、草原を道なりに進んでいた。
町を出てすぐのことだった。
メロウさんから《交信》があったのだ。
新しい掟についての報告がしたいと。
メロウさんと約束をしていた、僕の仲間に手を出させないような掟だ。
僕のほうからも話があったため、メロウさんの神世界に招待してもらった。
応接室で話し合う。
僕の隣にはニィ、テーブルに上にはフマ、対面にメロウさん。
メロウさんの話によると、新しい掟は無事に成立したとのこと。
イータとコハロニは反対したそうだが、多数決で通したらしい。
それについて僕から言うことは何もない。
次に、僕のほうから『理由なく人間に攻撃しない』というような掟を検討してもらえないかと提案した。
メロウさんは二つ返事で了承した。
……あまりにも都合がよすぎた。
僕には胡散臭く感じられた。
担がれている?
だけど、蓋を開ければ『僕の行いで楽しいことになりそう』だときた。
僕には判断がつかない。
試しにここまでの流れを回顧してみたのだけど、分からないものは分からない。
こういうときは、素直に仲間を頼ろう。僕の仲間は、頼れる仲間なのだから。
「フマ、どう思う?」
あめ色のテーブルの上で、胡坐をかき腕を組む妖精に尋ねてみた。
フマはぶっきらぼうに答える。
「分かるわけないさ」
「ちょっ」
「神の考えが分かると思うのか? いいや、分からないさ。オレにはフユセリの考えが分からない。どうしてああも期待するところの反対方向に突っ走るのか。相談にいけば話を聞かない。注意をすれば逃げようとする。それでいて必要なことはしれっとこなす。神が何を考えているかなんて分かるわけないさ。この前も……」
それ、メロウさんとは関係ないよね?
フマは過去の苦悩を思い出しているようだ。
ぶつぶつと続けているけど、放置。
「フマはおいといて。ニィ、どう思う?」
僕の隣で腰を密着させてさりげなく太ももに手を乗せている甘えたがりのお姫様に尋ねてみた。
見上げるニィの柳眉は、困惑に歪んでいた。
「私も、フーマと同じ考えよ」
「え?」
「神の考えが読めるとは思えないわ。というか、普通は読もうとすら思わないと思う。そもそも、神に助けられることがあれば、人はそれを奇跡と呼んで、受け入れこそすれ疑うことはないわ。だって、神ってそういうものだから」
あれ……?
もしかして、また常識外れのことをやっちゃった?
「でも、私はそれじゃ駄目だと思った。神だから、で済ませたらいけないと思う。だって、それって対等じゃないから。ケーィも、神だから。私はケーィと対等にありたいもの」
「……ニィ」
「でもごめんなさい。私には判断できない。まだ、そのレベルに至ってないの。メロウを信頼できるか、確たることが言えない。だから、ケーィが判断して」
僕の力になれないことを悲しむように、ニィは赤い瞳を揺らした。
じわっと潤むと、目の端にたまる涙。
また泣かせてしまうのか、僕は。
ニィの頬が濡れるところを見たくなくて、あふれる前に、僕は両手の親指でそっとそれを掬い取り、そのままニィの小さな顔を両手で包み込む。
「ニィができないなら、僕がやる。僕ができないなら、ニィがやる。2人でできないなら、協力する。できないことを悲しまなくていいんだよ、ニィ」
「……でも……私は」
魔王だから。
唇がそう動くのを確かに見た。
僕は唖然とする。
ニィの背負っているもの。
それを忘れていた自分。
そして、僕は首を左右に振った。
「違う、違うよ。僕の前では、『ただのニィ』だ」
「……ケーィ」
「だから、だから、そんな顔をしないで」
「……ごめんなさい。でも、ケーィもきっと同じ顔してる」
「……えっと、それは、ニィが悪い。ニィがそんな顔をするから」
「……違うもん、悪いのはケーィだもん」
「いいや、ニィだね」
「ううん、ケーィよ」
「メロォーーーーーウ!!」
「うわ!?」「きゃ!?」
突如として上がるフマの叫び声。
僕とニィは驚いてそちらを向く。
「いいかげん止めろさ!? オマエが用意した紅茶、砂糖の味しかしないさ!? というか美味しそうに紅茶を飲むなさ!? それともオレの味覚が問題なのか!?」
「いえ、フマさんの味覚は正常だと思いますよ。私も紅茶が甘く感じられますから」
「答えてほしいところはそこじゃないさ!? 後半はどうでもよかったんさ!? どうしてそこを拾った!?」
「いえ、そうするほうが楽しそうだったもので」
「ハァ!?」
「おっと、失礼。こくこく」
「なんでっ、オレをっ、見ながらっ、紅茶を飲むさッ!」
「いえ、美味しいですよ?」
「もう意味が分からないさッ! オマエはフユセリと同類だなッ!」
「それは……光栄ですね」
「爆発しろーーーッ!」
本人が爆発しそうなほど真っ赤になって暴れる。
いや、そうではなく。
僕はばつが悪くなって苦笑する。
ニィの赤い瞳に吸い込まれて周りが見えなくなっていたらしい。
恐ろしい。
そしてめげずに僕の腰に抱きついてくるニィ。
本当に恐ろしい。
ニィの耳が赤くなっている。僕の顔も赤いよ。
見れば、メロウさんだけが涼しい顔でにこにこと微笑んでいた。
場が落ち着くのを待って、話を再開する。
ニィは元通りになったけど、フマは不機嫌そうに誰とも視線を合わせようとしていない。
目を細めるメロウさん。
それを察知して、フマのツン度がさらに上昇した。
メロウさんに口を開く気配がないので、僕は切り出す。
「えっと、掟の件、よろしくお願いします」
「いいんですか? 私を頼って」
「はい」
他に手がないとか、こっちにデメリットが見当たらないとか、理由はあるけどそれをこちらから教えるつもりはない。
まあ、問われたら答えるけどね。隠す意味はないとも思うし。
これは警戒を解いていないという意思表示でしかない。
「そうですか。では、結果が出たらまた連絡しますね」
「お願いします」
「他に用件はありますか?」
掟の話は終わった。
最後に一つだけ、聞くことがある。
「僕からメロウさんに連絡できるようにしたいんですよ」
「《交信》は使えませんか?」
いやいやいや、無理無理無理。
「使えるわけないじゃないですか。魔法もそうですけど、対象を探し当てる魔力感知の範囲、対象まで魔力を伝える魔力操作の技術、どっちも無理ですって」
僕には《空間投影》がある。
これを使えば《交信》と同じことができる。
でも僕にだってできないことはある。
例えば、今回メロウさんは僕に《交信》を使った。
このとき、僕とメロウさんとの間には数百キロ、あるいは数千キロの隔たりがあった。
つまり、メロウさんは数百キロあるいは数千キロ先にいる僕の存在を感知し、そこまで魔力を繋ぎ、《交信》を発動させたということになる。
僕の魔力感知の範囲は数キロ、魔力だってそこまで伸ばすことはできない。
自分の能力が人外だって自覚してるけど、神様はやっぱり神様ってことだ。
「それでですね、代替案がないかお聞きしたいんですけど」
「ありません」
「早っ。ちょ、答えるの早くないですか?」
「私の知る手段にはありません。ですが、ケイさんは既に考えがあるのではないですか?」
……さすがに見抜かれるか。これでも顔には出さないようにしていたんだけどね。
「スマートなやり方ではありませんが。僕の魔力をメロウさんの神世界に置かせてもらえれば、転移できるようになるので」
「なるほど。それではこちらに」
メロウさんは手の平を上に向けると、そこに魔力をひと塊浮かべる。そして、石が出現した。
透明な石だ。見覚えがある。魔国の人に渡した魔石と同じだ。大きさもだいたいこのくらい、握り隠せるほど。
これに僕の魔力を流し込めば、魔力を溜めておくことができる。
それにしても、やっぱりすごいね、これ。
メロウさんが行ったのは、実体化。
魔力を魔石に変化させた。
メロウさんが実体化できるものは、魔石だけじゃない。
このテーブルも、ソファも、というか応接室そのものも、この城も、城下町も、何百人といる人間も、全てメロウさんの魔力から作られたものらしい。
普通、実体化できるものは限られている。
フマは、自分の体と風、僕は空間魔法。
その点、メロウさんには制限がない。
さすが神様。万物の創造主とはよく言ったものだね……。
僕はメロウさんから魔石を受け取ると、魔力を流し込む。
すると魔石が黒く染まる。
返却。
「適当な所に設置しておきましょう」
「ありがとうございます」
これで用事は済んだ。
僕は腰を上げた。
ニィもそれに続く。
フマはふてくされながらも飛び上がる。
僕はフマの頭を撫でようとして、フマに回し蹴りをもらった。
うん、元気そうだ。
「それでは……メロウさん?」
メロウさんは、座ったままだった。
「あと一つだけ、お伝えしなければならないことがあります。ああ、立ったままでも結構ですよ。すぐに終わりますから」
メロウさんは相変わらず笑みを絶やしていない。
なぜか、背筋が怖気立つ。
ニィが身構える。
《加速空間》はいつでも発動可能だ。
メロウさんは紅茶を一口飲む。美味しそうに。
「安心してください。私は何もしません」
「……用件をどうぞ」
「用件と言いますか、ただの報告です。先の長老会で、ロニーさんとヒュピさんが欠席されました」
……それがいったい?
「これは私の推測ですが。ロニーさんはスイシアさんを助けるために動いているものと思われます」
「……?」
「スイシアさんの前身、ヴェロニカさんが復活しようとしているのでしょう」
「……ヴェロ、ニカ……」
その名、どこかで……。
「ヴェロニカさん。異称、破壊の神。彼女が復活するとき、スイシアさんの人格は壊れてなくなるでしょうね」
「……え?」
「ケイさんはスイシアさんと浅からぬ仲ですよね。ヴェロニカさんの案件はケイさんには手出しできないと思いますが、報告だけしておきました」
「……ちょっと、ちょっと待ってください。まだ、整理が」
シア様が。
僕を転生させてくれて、この世界で生き抜く能力を与えてくれて、常に僕の味方だったあのシア様が。
壊れてなくなる?
どうして?
途端、足元が崩れるような錯覚。
ニィが支えてくれる。
視線の先には、目を細めるメロウさんの姿があった。




