69話 スイシアの決意
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佐々倉啓の異常性を一番よく理解できていたのは、スイシアだっただろう。
自主性が薄いこと、執着が少ないこと、
前世の記憶を消された人間が陥る、欲求の希薄状態。
なにせ、前例はあったのだ。
スイシアが送り出した転生者は、佐々倉啓で2人目だったのだから。
だからこそ、ロニーの神世界から佐々倉啓たちを見送ったスイシアは、ホッとしていた。
佐々倉啓が、何かを決意したように見えたから。
1人目もそうだった。
何かを決意してから、希薄性がなくなったように思う。
スイシアはそう振り返る。
――彼女は手が掛からなかったかな。それに比べて、佐々倉啓は大変だったよ。
「どうしたの? シアちゃん」
疲れた表情でもしていたのだろうか、心配そうに顔を覗き込むロニーに、スイシアはなんでもないと伝える。
――そう、なんでもなくなったんだ。
佐々倉啓は無事に神格化を果たし、安全を手に入れた。
彼は仲間にも恵まれている。
特に、あの魔王。
彼女なら、佐々倉啓をずっと支え続けてくれるだろう。
佐々倉啓について、ボクがやることはもうなくなったんだ。
暇なロニーが頬ずりをしてきたが、スイシアは苦笑するだけで思案を続ける。
いや、続けようとした。
「んむ!?」
「……ぷは。ふっふー、シアちゃん隙だらけー」
「……くどいようだけど、ボクにその気はないよ?」
「ロニーだってないもんっ。ちゅーするのはシアちゃんが可愛すぎるからだもんっ」
……はぁ、全く、わざわざこの体の性別をロニーと同性に変えたというのに、可愛いからキスしてくるなんてね。
もう少しボクの性別にこだわってほしいよ。
……というか、ロニーだけじゃないんだ。みんな、ボクの性別なんてどうでもいいんだ。
性別が変わっても、誰も気付かないし。
判別すらついていないし。
もういいよ、性別不詳でさ。
「あ、シアちゃんいじけてる。ちゅーしてあげる」
「いらないよ!?」
「ロニーが欲しいの」
「ちょっと! それは――『随分と我儘になったねぇ、ロニー』」
ふいにスイシアの口から発せられた、ぞんざいな口調。
豹変する雰囲気。
ロニーは、硬直する。
「え……おねえ、さま……?」
「うん? どうしたのロニー、呆けた顔して」
白昼夢だったのだろうか。
何事もなかったかのように、スイシアはいつもどおりに振舞う。
それを見たロニーは、今の出来事を頭から振り払うように首を振った。
「なんでもないっ」
「……? あ、ちゅーは駄目だからね? 頬にならいいけど、唇同士は禁止」
「うん……分かった」
「え? 分かったの? いや、分かってくれたならいいんだけど……」
スイシアは首を傾げる。
どうしたのかな? いつもなら大人しく言うことを聞いてくれないんだけど。
――『ふふふ、昔はこんなに無邪気じゃなかったけどねぇ?』
唐突に響く、はすっぱそうな女の声。
脳内で喋ったそれに、スイシアは動揺するも、ロニーに感付かれないよう平静を装い、脳内で返答する。
『ヴェロニカ、もしかしてキミ、表に出た?』
『さぁ? なんのことやら』
『……出たんだね。いったいどうやって』
『ヒュピを、あの子を攻撃した輩がいる』
ヴェロニカ。
それは、スイシアの前身。
ロニーの姉であり、同時にヒュピの姉でもある。
ヴェロニカの言う「攻撃」が、眠ったヒュピを起こそうとしたニィナリアの行動だと気付いたスイシアは、ニィナリアを弁護する。
『違うんだ、あれは攻撃じゃない。ヒュピを起こそうとしただけなんだ』
説得が容易にいかないことを覚悟していたスイシアだったが、ヴェロニカの返答に肩透かしを食らう。
『ああ、分かってるよ。別に仕返しをしようとか考えちゃいないさ』
『……それは、良いことだけど……つまりどういうこと?』
『一瞬のことさ。アタシが憤ったのはね。ただ、その一瞬で、アンタの支配権が揺らいでしまった。ただそれだけのことさ』
『……切っ掛けとしては十分だったってこと?』
『そうなるかね』
いよいよ、ヴェロニカを抑えられなくなっている。
スイシアは焦りを覚え、ヴェロニカの意志を削ごうと試みる。
『もう、キミの時代は終わったんだよ。キミは表に出るべきじゃない』
『……たった一つ。そう、たった一つだけ、やり残したことがあるんだ』
ヴェロニカのやり残したこと。
それにスイシアは心当たりがあった。
『ヒュピのことでしょ?』スイシアは心苦しさを感じながらも、説得のために言葉を続ける。『もう、誰もヒュピは変えられないよ。ヒュピはキミにだって心を閉ざしたままだったんだ。ヒュピは、今のままだ。変えられなかったんだよ。ヒュピのことは、もう諦めて』
『……アタシは、自分の世界に閉じこもり、目を覚まさなくなったヒュピのために、その原因と思われるものを全て壊してきた。でも、そんな私でも、一つだけ壊し残したものがあるんだ』
『……!?』
壊し残したもの。
ヴェロニカの目的に気付いたスイシアは、脳内で声を張り上げる。
『駄目だよッ! そんなのは絶対に駄目だ! それはやり残したままでいるべきなんだ!』
『神々の横暴が、ヒュピを閉じこもらせた。じゃあ、横暴を働いた神々を壊したらヒュピは目を覚ましたのか? いいや、目を覚まさなかったね。違ったんだ。ヒュピが忌避したのは、横暴な神々じゃなかった。横暴な神々が存在する、この』
黙ったままのスイシアを、ロニーが不思議そうに覗き込み、悪戯とばかりにキスを迫る。
ヴェロニカに意識を集中させていたスイシアは、それに気付かず――。
――人差し指一つでロニーの唇をぴたりと止めた。
「『悪い子だねぇ。ただ、スイシアが羨ましくもあるよ。アタシには、ここまでしてくれなかったからねぇ』」
「あ、あぁぁ……お、おねえ、さま……」
「『ふぅ、感動の再会とはいかないようだね。まぁ、アンタも嫌だってんなら、別に無理してアタシに』」哀愁を帯びたスイシアの黒目が、唐突にいつもの色に戻る。「あれ……、ロニー、まさか……、そうか、もう、ボクはそこまで」
焦燥と困惑の入り混じったロニーの顔を見て、スイシアはヴェロニカの人格がまたしても表に出たことを悟る。
そして、それを止められなかったことも。
スイシアは思いつめるように黒目を伏せ、次の瞬間には決然とロニーを見据えた。
「ロニー。ボクは、自分の世界にこもろうと思う。ヴェロニカを抑えることに専念する。だからキミは……ヒュピを目覚めさせてほしい。ヴェロニカが、表に出る理由を消してほしい。お願いできるかな?」
「……うんっ、やってみる」
ヒュピを目覚めさせる。
果たしてそのようなことが可能なのか?
お互いに無理は承知の上だったのだろう。
スイシアの凛とした視線を受け、ロニーは一瞬迷いを見せるも、覚悟を決めた目で頷きを返した。
スイシアは感謝を伝えると、決意を固める。
――ボクは、ボクの仕事をしよう。
ヴェロニカ、キミだけは絶対に自由にはさせないよ。
キミは、タイミングを間違えたんだ。
佐々倉啓の安全が確保された今、ボクは全ての意識をキミに回せる。
本当は、もう少し佐々倉啓の旅を見ていたかったけれど……あの町で、彼女に出会うところも見ていたかったけれど。
この世界を、キミに壊させるわけにはいかないからね。
ボクの全ての力でもって、絶対にキミを抑えてみせるよ。
これから長老会の会議が開かれ、佐々倉啓の仲間に手出しすることを禁じる掟について話し合われるのだが。
それを見届けることなく、スイシアはロニーの神世界を後にした。
第3章はこれにて終わりです。
第4章は、しばらく町でのんびりしたいものですね。




