表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/101

7話 魔王城と囚われのヒロイン


 ……フマとキーグリッドの転移から、少し時間はさかのぼる。




 僕、佐々倉(ささくら)(けい)は、キーグリッドなる魔人の垂れ流す膨大な魔力により、膝をついてしまっていた。


「――《身体強化(フィーズ・フォルサ)――4(フォール)》」

「――《身体強化(フィーズ・フォルス)――4(フォール)》」


 フマとキーグリッドが呪文を唱える。

 呪文の文言を理解できない僕は、それがどのような魔法であるのか理解できない。

 何も起きていないように見えるから、補助系の魔法だろうとは思うのだけど。


 うう、……苦しい。

 息が詰まるようだ。

 キーグリッドの身を突き刺すような攻撃的な魔力。そしてそれに相反するような、フマの心地よくて森林浴でもしているような気分になる優しい魔力。

 どちらも量が量であり、魔力という名の海に沈んでいるかのように体が重く、酸素が薄い。

 体がもたない。

 このままでは気を失いそうだ。


「……っぁ」


 何か、身を守るものを。

 潜水服のような、宇宙服のような、この環境に適応できるものを。


 僕は無意識に、自分の魔力で体を覆った。


「……ぅぅ」


 しかし足りない。

 まだ足りない。


 僕は魔力障壁を作るように、体表の魔力を圧縮させていった。


「……はぁ」


 だんだんと体が楽になっていった。

 呼吸もゆっくりと落ち着いてきた。


 一度大きく息を吸って、吐いた。


「……よし」


 魔力障壁を張ることで、巨大な魔力に対抗できるらしい。

 発見だ。


 僕はおもむろに起き上がった。


 状況がどうなっているだろうかと、二人のほうに視線をやる。


「《暴風よ。場所を問わず我に力を振るわせよ。纏嵐(てんらん)》」


 フマは上空にいて、視覚じゃ見つけにくい。キーグリッドも何か魔法を発動させ、上空へと浮かび上がっていく。


「……いいなぁ、あの魔法」


 空を飛べる魔法なんて羨ましい。

 僕の場合、空に転移して落っこちるしかないからね。


 いいなぁ、僕も空に浮かびたいなぁ。


 空間魔法でどうにかならないものかな。


 と、二人が遠くへ飛んでいく。

 場所を変えるのだろう。


 僕は空を飛ぶための空間魔法の模索をやめて、二人の後をついていこうと考える。

 というのも、僕の知らない所でフマがキーグリッドに殺されそうになったら、困るからだ。

 せめて僕の目の届く範囲にいてほしい。

 じゃないと、僕が介入するタイミングがつかめない。


 フマには逃げろと言われているが、仲間がピンチなら、助け合うのが仲間じゃないだろうか。

 特に、その手段を持ちえている場合には。


 僕は、マーカーとなる魔力を上空に飛ばし、転移する。

 転移した先では、当たり前ながら落下するので、すぐにマーカー(魔力)を前方に飛ばし、再び転移。

 これをできるだけ上空で、滞空時間を長く、遠方に、移動距離を長く取り、二人の後を追っていく。


 フマに見つかると「なんでついてきたさ!?」とか言って怒られそうなので、二人から離れて転移していたが、途中で僕は自分のギフト【存在希薄:Ex】の能力と、それが相手の意識から一度外れると適用されることを思い出し、二人のすぐ傍を一緒についていくことにした。


 二人が停止すると、僕は森の中へと転移して、様子を窺う。

 

 二人がすぐにでもおっぱじめそうだったので、僕は避難用に、数百メートル離れた上空にマーカー(魔力)を置き、いつでも転移で逃げられるようにした後、二人を下から見守る。


 二人はなにやら話しているようだったけど、距離があったので聞き取れなかった。


 しばらくすると、始まった。


 フマの魔法を見た瞬間、僕はすぐに自分の現在地と二人の傍にマーカーを設置した後、急いで避難先の上空へと転移した。


「……まじですか」


 あれは、やばいと思う。

 特大の大玉と真空刃のオンパレードだ。

 あれの流れ弾が飛んでくれば、軽く木々をなぎ払って僕は巻き添えを食うに違いない。

 というか、あの二人の戦闘を近くで観戦しようとした僕が馬鹿だった。


 そう考えながら、森の中へと転移する。

 すると、木の枝葉が邪魔で二人の様子が見えなくなる。


「まずいね」


 上空から観戦するには転移を繰り返さないといけない。

 しかしそれだと魔力切れを起こす。


 これじゃあついてきた意味がなくなる。

 フマがピンチになっても助けに入れない。


 僕は至急、上空に浮かぶような、あるいは居座れるような空間魔法を考えた。


 幸運にも、アイディアは割と早く浮かんできた。


「うん、これならいけるでしょ。《その空間は凍結する。空間固定》」


 僕は目前にマーカーを置き、そこに新しい空間魔法を発動させた。

 一瞬の魔力の高まりの後、その魔力が消失する。

 発動したらしい。

 見た目には何も変化がないが。


 僕はそこに手を伸ばしていく。

 成功していたら……。


「お、(さわ)れる」


 そう、()れることができた。まるで丸い透明なガラスが浮かんでいるような、つるつるとした感触。しかし見えず、動かず、力を入れても砕けない。


「成功したら、次は呪文短縮だね。……《固定》」


 僕は固定化のイメージと、短縮した呪文を、何度も頭の中に流して関連付ける。

 そして確信を持って呪文を唱えると、短縮に成功した。


「よしよし。それじゃあ観戦しに行きますかね」


 僕は上空に転移し、足元に板状の魔力を注いで固定して、降り立つ。

 二人を探そうとして、視界に100メートルほどの竜巻が映る。


「うわー。あれ、どっちの魔法かな。どちらにしてもえげつないね。森が削り取られてるよ」


 僕は魔力感知で二人の位置を把握する。

 二人は300メートル前方にいた。

 

 直後、とてつもない魔力がキーグリッドの眼前に集まっていく。

 僕は危険を感じ、遥か上空から森の中まで、あちこちにマーカーをばらまき、避難経路を確立する。


 そしてキーグリッドの魔法が発動する直前、今度は周囲一帯、少なくとも1キロメートル四方の魔力全てが、わずかに高まっていくのを感じた。

 二人とも魔法を発動させようとしている。

 消費しようとする魔力量のでかさに、背筋がぞくりとした。


 先にキーグリッドの魔法が発動し、キーグリッドの目前にドラゴンが出現する。


 うわ、ドラゴンだよ!

 ファンタジーだよ!


 と、僕は思わず興奮してしまったが、そのドラゴンがフマ目掛けて、翼から何かを発射するのを見ると、仲間のピンチに頭の芯が冷えていく。

 フマの動向に注意していると、周囲一帯にあった魔力が少量ながらも唐突に消えるのを感じた。

 途端、そよ風が吹く。


「……あれ?」


 なぜか足場にしていた空間が元に戻った。


 僕はそのまま自然落下を始め、もう一度足元に固定の魔法をかけるが、発動はするもののすぐにかき消されてしまう。

 今度は僕の体自身に、固定の魔法をかけてみる。

 ようやく停止した。


「うげ」


 急停止してしまったため、落下のエネルギーが全て自分に返ってきてしまった。

 骨がみしりと軋み、内臓が叩きつけられ、筋肉が悲鳴を上げ、全身が痛む。

 とはいえ、どうやら打ち身程度で済んだらしい。

 

 移動中の全身固定は要注意だ。

 気をつけよう。


 二人のほうを見ると、フマの風壁と誰かの竜巻が消えていた。

 そこから推測するに、さっきのそよ風は大気中の魔法をキャンセルするとかそんな感じだろうか。

 あとでフマに聞いてみよう。


 と、僕がのんきに考えていると、今まで魔法戦をやっていたはずの二人が、いきなり追いかけっこを始めてしまった。

 僕は疑問に思い、二人に近づくため、二人の近くにマーカーを飛ばそうとする。


「ん?」


 魔力が動かない。

 体内の魔力の動きが鈍い。

 もしかして、全身固定によって魔力も固定された?


「うーん、不便だね」


 全身固定は、自分に使うべきじゃないね。

 敵専用にしよう。


 僕は転移用に飛ばしていた外部のマーカーを操り、フマの近くへと転移して固定を行う。


 転移した直後、フマがキーグリッドの手に捕まったのが見えた。


「ぐっ……離せ! 離せよ!」

「カッハハハハハハ! 羽虫の割にはなかなか楽しめたゼぇ。ァアン? そう暴れんなよぉ。取って食うわけじゃねぇんだからなァ。ちぃとばかし魔王城へとご招待願うだけだ」


 フマはキーグリッドの手中で暴れ、キーグリッドは高笑いしている。 

 状況からして、フマは負けてしまったらしい。

 話を聞けば、フマは殺されるわけではないようだ。

 ただ、魔王城に拉致されるのも困る。

 というか魔王城って、魔王がいるの!? さすが異世界! ゆくゆくは魔王を討伐なんてね!

 まあ、冗談だけど。

 さすがに命かけて魔王を倒そうとするほどの勇者にはなれない。

 僕はもう死にたくない。転生したこの世界では、長生きしたいのだ。


 それはさておき、フマを拉致されたら困るんだよね。


 キーグリッドは、ドラゴンを操って移動を始める。


「悪いけど、介入するよ」


 僕は圧縮したマーカーをキーグリッドの体内に滑り込ませると、それを適当な場所に転送した。


「ガハッ!?」


 キーグリッドは吐血する。

 一撃で殺せなかった。


 今度は四つのマーカーを使って転送を行う。


「ッ!? ゴボボッ!?」


 うまくいかない。フェンリルヴォルフのときはよほど恵まれていたのだろう。


 僕に苦しめて殺す趣味はない。むしろ、苦しんでいる姿を見ると心が痛む。

 早く楽にしてあげないと。


「ッ……《治癒(ヒール)――4(――)

「おっと」


 キーグリッドが呪文を唱え始めたので、僕はすぐさま転送を行う。

 キーグリッドの喉に穴が開き、そこから空気が漏れて発音が遮られた。

 魔法を使われるのは困る。回復魔法かもしれないし。


 僕は止めを刺そうと、キーグリッドに向けてマーカーを飛ばす。

 しかしキーグリッドが宝石を取り出すのを視認すると、嫌な予感がして、先にフマをこちらに転送しようとフマ目掛けて追加でマーカーを飛ばす。


 が、間に合わなかった。


 二人が忽然と消え失せてしまった。


「え?」


 僕は慌てて周囲を探す。

 しかし、二人の姿も、魔力すらも、感じ取れない。


 そしてドラゴンまでもが消え去ってしまう。


「……まさか、転移した?」


 空間魔法は固有魔法だ。

 そう簡単にはできないはず。

 ……いや、あの宝石か。

 あの宝石に魔法を込められると仮定すれば納得できる。

 僕以外の空間魔法の使い手がいないとも限らないのだから。


「……ミスったなぁ。いや、追えるか?」


 先に飛ばしていたマーカーが、フマの体に到達していたのを確認している。

 それを使ってフマのもとに転移すれば、追いかけることはできるだろう。


 でも、危険がともなう。

 それも目に見えない危険だ。

 向こうがどういう状況か分からない。

 転移した瞬間、攻撃魔法に巻き込まれたり、あるいは誰かにぶつかって切りかかられたりするかもしれない。


「でも、行くしかないよね」


 仲間を見捨てるという選択肢はない。

 そこまで落ちぶれちゃいない。


 僕は覚悟を決めて、すぐに戻れるよう森の中にマーカーを置いた後、すぐさま唱えた。


「《転移》」







 次の瞬間、僕は浮遊感を感じ、何がなんだか分からないまま盛大な水飛沫を上げてお湯に包まれた。

 

「ごぼぼ!?」


 背中に地面のようなものが当たる。浅いようだ。 


 僕はもがいて勢い良く水面から顔を出す。


「ぷはっ」


 僕は髪を掻き上げ、顔を拭う。

 衣服が水を吸い上げ、肌に張り付いて気持ち悪いけれど、お湯の温度は心地よい。

 ここはどこだろう? 辺りを観察する。

 ここは……温泉?

 石造りの露天風呂のようで、かなり広い。反対側のふちが、立ち込める湯気で見えないくらいだ。


「わぁ~。妖精の悪戯だあ!」


 僕はぎくりとした。

 少女の可愛らしい声が背後から聞こえてきたために。


「待ってよー! あぁ、行っちゃった……。野生の妖精なんて初めてみたのにぃ。もう! 裸じゃなかったら追いかけたのになぁ」


 僕はまるでロボットになったかのように、ぎこちない動作で温泉の中を前進し、声の主から離れていく。


「はぁ。いいなぁ~、自由で。私もこの鳥かごから抜け出して大空を羽ばたきたいよ」


 僕はぴたりと止まり、少女の言葉を反芻する。


 鳥かご。鳥かご。鳥かご。

 ここが魔王城だとすれば、もしかして少女は捕まっている?


 いやいや何を悠長に考えているんだ! こんなところで立ち止まるな! 僕は覗き魔になりたいのか!?

 確かに【存在希薄:Ex】ならそれが可能だけども! 絶対に見つからない完全犯罪が可能だけども!

 僕の良心が言っている。お前にそれは不可能だと。要するにヘタレだと。

 ……うぅ、地味に自分の言葉がグサッときたよ。

 

 僕はよろよろとおぼつかない足取りで温泉のふちまで辿り着く。

 ふちに腰掛け、足湯をしつつ、状況を整理するために頭を働かす。


「落ち着け。落ち着くんだ僕。順番に考えようじゃないか」


 まずはフマだ。

 キーグリッドに捕まっていたはずの妖精だ。

 

 順番に考えよう。


 僕はフマのもとに転移した。

 そしたら温泉に落下した。

 いつの間にか覗き魔の現行犯になっている。


 ……うん、そこから離れようか。


 手がかりはある。

 まだ見ぬ少女の発言だ。


 僕が温泉に落下してきたとき、彼女はこう言った。

「わぁ~。妖精の悪戯だあ!」


 彼女の視点に立てば、僕の姿は見えていない。

 温泉の水飛沫が上がっただけのはず。

 それを指して、妖精の悪戯だと判断したのだ。


 つまり、近くに妖精がいたということ。

 キーグリッドに捕まっていたことを考慮すれば、逃げ出してきた可能性が高い。

 そうでなければ、温泉の上を飛べるはずがないのだから。


 これは推測だけど、僕はキーグリッドに深手を与えたため、キーグリッドは転移直後、フマの拘束を緩めてしまったのだろう。

 フマは魔力化によって体を非実体に変えることができる。一度逃げ出せればそうそう捕まることもない。

 キーグリッドは重傷だから、フマを追うこともできないだろうし。


 とりあえずフマはまだ安全だと思う。

 戦闘にもなっていない。

 もし臨戦態勢に入ったら、圧倒的な魔力が感じられるはずだ。

 それがない現状、うまい具合に逃げ回っているのだろう。

 というか戦闘になってくれればその魔力のもとに転移して向かえるんだけどね。


 なにはともあれ、フマのほうは大丈夫だろう。


「となると、問題は少女だね」


 もしも魔王城に囚われている人間だとしたら、フマ救出のついでに助けることはできる。

 一緒に転送すればいいだけなのだから。

 その後は村にでも預ければいい。

 なんなら故郷に送り届けてもいい。

 僕はまだ根無し草だし、その道中に世界を見て回るのもいいだろう。

 ふむ、考えてみれば悪くないね。


「よし、そうと決まれば助けるか」


 まずはお話をしよう。

 そうしよう。


 さて、最初で最大の難関が目の前にある。

 どうやって接触するかだ。


 パターン①。

 温泉内で接触する。


 その瞬間、僕は有罪が確定する。

 仮に少女を助けるためだとしても、そのために女湯に入り込んだという理由は認められないかもしれない。

 これをクリアするには、よほどの話術か幸運が必要となるだろう。


 パターン②

 脱衣所で接触する。


 これもパターン①と同様の試練を乗り越えねばならない。

 さらに加えて、見張りが待機している可能性もなきにしもあらず。

 まあ、見張りの可能性は少ないだろうけど。

 さすがに露天風呂から脱走できるほど、魔王城とやらは簡単な作りになっていないだろうからね。


 パターン③

 廊下で接触する。


 ここではパターン①とパターン②で発生する問題が解決できる。

 しかしながら、魔王城の衛兵が徘徊している可能性が高まるため、少女と話をすることができないと思われる。

 また、監視役が控えている可能性もあり、そうなるといよいよ静かに脱出することが難しくなるだろう。


「な、悩ましい……」


 パターン①もパターン②もパターン③も、それぞれ問題を抱えている。 

 ただし、数字が小さいほうが僕の社会的な問題に直面するのに対して、数字が大きいほうは少女救出の問題にあたる。

 天秤にかけるとしたら、どちらを取るべきかは判然としている。

 ……願わくば、訴えられませんように。


「……ごほんっ、さて、綱渡りの交渉と洒落込みましょうか」


 僕は温泉から石床に上がり、ひたひたと歩きながら上着を脱ぐ。

 お湯を吸って重くなったTシャツを抱え、僕は少女を探す。

 

 ちなみに上着は少女の裸体を隠すのに使う。

 そうしないと少女の警戒心マックスだし、僕の目のやり場もないしね。


 魔力感知を使って、少女の居場所を特定する。

 反対側のふちで、足湯をしているようだ。

 長湯だね。


 と、のんきに考えはしたものの、一方で少し疑問があった。

 少女から漏れている魔力が、僕の100倍ほどある。

 ……多分、あれだね、魔力操作が苦手なんだね。

 そう判断して、僕は少女に近づいていく。


 ぱしゃ、ぱしゃ。


 湯気の向こうから、足をのんびりと上下させている姿が見えてきた。

 2メートルまで近づき、はっきりと見えるようになって、僕は知らずに足を止める。


 少女の足が、すらりと伸びている。

 そこから続く少女の体は美しい曲線美を描いており、腰のライン、背中の肩甲骨や肩、反対側のおなか周りや小ぶりな胸などが、無駄のない機能美を感じさせる。

 余計なものがないのは肌の色もであり、汚れを知らないかのように、少女の裸体は真っ白だ。

 そして華奢な肩には、燃えるような鮮やかな赤が、しっとりと濡れて艶やかに波打ちながら降りかかっている。

 どこか扇情的な赤髪の向こうには、目の覚めるほどに端正で小さな横顔。

 長い睫に縁取られたルビーのような瞳は、優しげに、しかし物憂げに、やんわりと細められている。


 まるで魂の抜けるような、美しい少女だった。


 ぱさ。


 僕は抱えていた上着を取り落としてしまう。


「あ」


 僕はその音によってようやく、自分が少女に見惚れていたことを知った。


「……いけないいけない」


 まさか見惚れてしまうほどに美しいとは。

 この世とは思えない美貌とは、彼女のことを指すのだろう。

 しかも発展途上というのがまたすごい。

 将来どれほどになるのか想像もつかない。もちろん美人は確定だ。

 そして今でさえ、少女らしい幼さが垣間見えて眩しさすら感じる。

 幼いのに美しく、綺麗なのに可愛い。

 矛盾してしまいそうな二つが同居している様は、反則的。


 これは予定外だ。


 こんな美しくて可愛い少女を相手に、しかも裸である相手に、僕はきちんとお話ができるのだろうか。


 僕はそんなことを考えながら、落とした上着を拾い上げる。


 さて、とりあえず後ろから上着をかけてからだね。お話はそれから。


「え?」


 僕は少女に背後から歩み寄ろうとして、少女がこちらに振り向いているのに気付く。

 少女の作り物のように端正な顔と正面から向き合い、僕はたじろいでしまう。

 が、すぐに少女の赤い双眸が、驚きに見開かれているのに注意がいった。


「ん?」


 あれ? 何を驚いているんだろう?


 僕は背後を振り返る。城壁かは知らないけど、石を積み上げて作られた壁が見える。

 驚く要素はどこにもない。


 僕は少女に向き直る。


「う、浮いてる?」


 少女は心ここにあらずといった(てい)で呟いた。


 え? 浮いてる? 何が?


 僕は自分の体を見下ろす。

 もしかして少女には何かが見ているのかもしれないと思った。


「……あ」


 僕の右手には上着が握られている。

 その上着は、先ほど取り落としてしまったものだ。

 基本的に、僕の身につけているものは、【存在希薄】の対象に含まれるけど、一度体を離れたものはそうではない。

 そして僕は、取り落としてしまった上着を拾い上げている。


「……」


 ちょぉおおおお!? 何やってんの僕ッ!?

 今絶対少女からは上着が独りでに浮かんでいるように見えてるってッ!

 魔法の気配もなく摩訶不思議に浮かんでいるように見えてるってッ!


 僕は1秒が10秒に感じられるほどの高速で頭を回転。

 一瞬で次の行動を決定し、息つく間もなく行動開始。


 マーカー(魔力)を二つ。僕の上着と、少女の胸元。

 魔力を二つ。少女の口元と胸元。

 配置が完了したと同時、僕は唱える。


「《転送》《固定》《固定》」


 まず、僕の手にあった上着が、少女の胸元に転送され、固定を施される。

 これにより見えてはいけないところが隠される。


 次に、少女の口元を固定し、猿轡のような役目を果たさせる。


 最後に少女の肩に触れて、僕は冷静に告げた。


「騒がないで。君を助けに来た。城の外に連れ出してあげる」

「むぐ!? ……むむ?」


 少女は突然身に降りかかった魔法と僕の出現に、驚愕の声を上げたが、続く僕の言葉にこてっと首を傾げた。


「問答無用で連れ出すのもあれだし、少しお話をしよう。口のものをどけるけど、大きな声をあげないでね? 衛兵とかに見つかったら大変だから」

「……むむ」


 僕がゆっくりと語り聞かせるように言うと、少女はこくんと頷いた。


 ……ふう、少女に覗き魔として侮蔑され拒絶されるという最悪の事態は免れたようだ。

 僕は胸中で安堵しつつ、少女の口の固定を解く。


「ぷは」


 少女は可愛く漏らす。

 それから、少女は口元に手をやるでもなく、宝石のような赤い瞳で熱心に僕を見つめ続けた。

 日焼けしていない白い頬が、上気してほんのりと朱に染まっている。

 僕は不安になる。少女のまるで熱に浮かされたような表情に。

 こんな反応をされる覚えはない。何かミスをしでかしたか、あるいは少女がのぼせていて思考がはっきりしていないのか。

 後者だと平和的なんだけど……。


 と、僕の心配をよそに、少女は喋った。


 しゃらりと音が鳴りそうなほどよく通る可愛い声で、このように。


「あなたは……旅人ですか?」


 少女は相変わらず熱のこもった目線を送ってくる。


 僕は何がなんだか分からず、少女の質問の意図も読めず、聞かれたことに素直に答える。


「そ、そうだけど」


 僕の今の身分は旅人が一番近いだろう。

 どこかに拠点を持っているわけでもないのだ。

 一応冒険者ではあるけど、旅人というのも間違いではない。

 この質問にノーと答える理由は見当たらない。


 と、そのような軽い考えで答えてしまった。

 別に、間違いだったとは思わない。

 ただ、思いもよらぬ事態になったというだけ。


 少女は僕の返答を聞くと、赤い瞳をきらきらと輝かせ出して、ぱあっと顔を綻ばせる。

 次の瞬間。


「ぃ!?」


 僕の腰へと抱きついた。

 もちろん少女は裸体で、僕の腰に回した腕には離してなるものかとぎゅっと力が入っている。

 

「やっと来てくれたぁ! ずっと待ってたんだからぁ!」


 少女は嬉しそうに、甘えるように、そう漏らす。


 裸の美少女に抱きつかれるという、ある意味極上のご褒美みたいな状況。

 しかし僕は、少女の頭を撫でるなど、ましてや腕を回して抱き返すなどできようはずもない。


 目を白黒させて、軽いパニック状態に陥っていた。



 ようやくヒロインを出せました。

 やっとかという感じですよね。すみません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ