31話 転生者佐々倉啓 vs 法則の神リーガル
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ニィナリアは倒れる。
その体はリーガルの濃密な魔力に包まれており、たとえ魔王といえども、神の前では人間にも等しい。
もともと有機体にとって有害な存在である魔力に対し、ニィナリアの体は急速に衰弱していき、あと数秒もあれば、心配停止に陥る。
その様をリーガルは気難しい表情のまま無感動に眺め、彼の言葉通り、ニィナリアが苦しみを感じる間もなく絶命させるつもりだった。
ここで、予想外のことが起きる。
まず、ニィナリアを包んでいたリーガルの魔力が、唐突に弾けて消えた。
「は?」
そして次の瞬間、リーガルの本体に、それよりも高密度の魔力が叩きつけられ、魔力障壁をあっさりと突き破ってリーガルの魔力体を強打した。
リーガルは完全に虚をつかれた上に、被弾面積は体の片面全てであり、なおかつ、相手のほうが密度が高い。
リーガルの魔力体はその形を保つことができず、その一瞬の攻撃だけで、7割残っていた全ての魔力を霧散させてしまったのだった。
……静寂。
そこにあるのは、衰弱しきってはいるもののかろうじて息のあるニィナリアの体と、元はリーガルの魔力体であった濃密な魔力の残滓。
ふいに、ニィナリアの体が仰向けにされる。
「ニィ……。生きててくれて、本当に良かった……」
その震える声は、誰にも聞き届けられることはない。
そして、ニィナリアの体がごくごく少量の魔力に包み込まれ……。
《転送》が発動される前に、リーガルの神空間に新たな魔力反応が生まれた。
それは魔力体。
その姿は、人型。
彼は神世界にかけられていた魔法無効化を解くと、苦渋に満ちた表情で唱える。
「《神の視点》」
途端、彼の前に、スクリーンに映し出されたような映像が浮かび上がる。
その映像には、この場の状況が映し出されている。
彼は忙しなく視線を動かしながら、それを探す。
――白い空間と、映像を凝視するリーガル。
仰向けに寝かされたニィナリア。
そして……見つけた。
ニィナリアの脇に立っている佐々倉啓。
直後、ニィナリアの体はその場から消えた。
リーガルは目を見開き、佐々倉啓に問う。
「お前がどうしてここにいる……? いや、それよりも……今のはなんだ?」
リーガルは、理解不能とばかりに眉をひそめている。
「お前は今、呪文を詠唱したか? ……わたしの考えが正しければ、今のは、『実体化』ではないのか?」
実体化。
その言葉からは、単に物質を作り出すだけのものに聞こえるが、そうではなく、現象を生み出すこともできる。
例えば……魔法を使わずに、魔力から《転送》を発現するように。
しかしその場合、実体化を解けば、《転送》をなかったことにして魔力に戻せるかというと、そうではなく、実体化でありながら、不可逆的なものである。
ゆえに本来であれば、魔法なしには実現することなどできない。
神ですら、魔力の現象化ともいうべきそれを、扱える者は少ない。
よほど魔力がその現象に特化していない限りは、魔力を現象に実体化させることはできないだろう。
――そう、例えば、【不器用:Ex】により空間魔法以外の魔法を使用できない魔力を持つ、佐々倉啓のように。
佐々倉啓は、殺意を込めた黒い瞳でリーガルを見据えていたが、リーガルの「今の《転送》は実体化か?」という質問に対し、口角を笑みの形に吊り上げた。
「ええ、そうですよ……ニィを……ニィを取り戻すためだけに、習得してきたんです。あなたを殺せるようにね」
「……やはりお前は、スイシアの手駒だったのだな」
「さあ……? それはどうでしょうね? まあ、そんなことはどうでもいいんですよ。
僕は、僕の仲間たちを悲しませないで済むなら、それ以上は望みません。
たとえあなたがニィを殺そうとしたとしても、その一歩手前まで追い込んだのだとしても、あなたがこれから先、絶対に僕たちを狙わないと誓えるのなら、僕はあなたを殺すつもりはありません」
「一度わたしを殺しておいて、よく言う。わたしが何を誓おうが、見逃す気はないのだろう?」
「いえ? 僕はこれでも平和主義者なんですよ。しなくてもいい殺生は、しようとは思いません。
ですからあなたが、絶対に僕たちを狙わないという保障があれば、僕はあなたを殺そうとは思いませんよ。
例えば、誓いを破ろうとすれば……そう、例えば、激痛にのた打ち回って、立ち上がることすらままならなくて、誰にも助けてもらえなくて、発狂したほうがマシなくらいに苦しみ続けて、それを1年ぐらい続けたうえで、最後に後悔しながら死ねるような約束があれば、僕はあなたを殺そうとは思いません。
どうですか、平和的でしょう?」
リーガルは、佐々倉啓の恨みが、言葉とは裏腹に根深いことに苦笑した。
「ああ、そうだな。……平和的だ。ただ、そんな約束を守らせるような魔法は存在しないがな」
「そうですか。それは残念です」
佐々倉啓は、特に残念そうな素振りも見せずに、言葉を続ける。
「それじゃあ僕は、あなたを殺さないといけませんね。……ところで、さっきは殺せたと思ったんですけど、どうして生きてるんです? 確実にあなたの魔力は全部消滅させたと思ったんですけどね」
「ああ、あれか。確かに、わたしの体は一度消滅した。しかし、わたしは魔脈で生まれた存在だ。その魔脈がある限り、わたしは何度でも復活できる」
「ぇぇ……、なんですかそれ、そんなの反則でしょ……」
佐々倉啓はうんざりしたように顔を歪める。
それに対し、リーガルはそうでもないと否定する。
「回数を重ねるごとに、修復までの時間が掛かるようになる。今はすぐに復活できたが、これが2回、3回と続くと、数時間から数日、回数が増えていけば、数ヶ月、果てには数年というのもありえる。
魔脈にわたしのスペアとなる魔力体があるのだが、わたしの思念をそこに移すまでに時間が掛かるのだ。できればそう何度も殺してほしくはないのだがな、ササクラ・ケイ」
「いやいやいや、それでも十分チートでしょうよ。……でも、そういうことなら、あなたが復活するたびに、僕があなたを殺していけば、そのうち数年単位で平和な時間が訪れるんですね。よく分かりました」
「……お前、それほどに残忍であったか?」
「僕らを平気で殺そうとした人には言われたくないですね、それ」
2人は互いに笑っていない目で視線を交える。
「……しかし、だ。お前がわたしを殺せるかどうかは、また別問題だ。先ほどは不意を食らったが……もう、わたしはお前を認識している。お前の能力は使えないぞ、ササクラ・ケイ」
これは佐々倉啓にとっても嬉しい誤算ではあったが、彼の【存在希薄】は神にも効いていたのだ。
そのため先ほどの奇襲では、リーガルは佐々倉啓の攻撃を認識することができなかった。
それゆえに、あれほどに呆気なく、佐々倉啓はリーガルを殺しきることができたのである。
「えっと、《神の視点》でしたっけ? あれで、僕の存在を認識できるんですね。まあ、別にいいんですけどね。初めから、それに頼る気はありませんでしたし」
「なに……?」
佐々倉啓の発言は、正々堂々とやりあっても勝算があると言っているようなもの。
本気でそう思っているらしいことに、リーガルは訝しむ。
「お前は、分かっているのか? どうやら『実体化』を使えるようにはなったらしいが、それでも、わたしとお前との間には、どうあがいても埋めきれない魔力量の差があるのだぞ?」
「これは持論なんですけどね。魔力量の差は、魔力を効率的に運用すればどうとでもなるんですよ」
「……その理屈は、【魔力操作】のレベルが自分よりも低い相手に通用するものだぞ、ササクラ・ケイ。お前のレベルはいくつだ?」
「ん? 僕はExですけど?」
「やはりな。そうだろうとは思った。
一つ忠告しておいてやろう、ササクラ・ケイ。
神はみな、【魔力操作:Ex】だ」
リーガルはにこりともせずに、淡々と事実を告げる。
佐々倉啓は、それに驚愕する……ではなく、表情を動かさない。
「僕も、そうだろうとは思っていましたよ。峡谷で見たあなたの魔力、目で追えないくらいの速さで操作されていましたから。
まあ、たとえ魔力操作レベルが互角でも、僕は負けるつもりはありませんけどね」
「ふむ……、あくまでもお前は、そう思って疑わないのだな。……ならば。
――その自信の拠りどころ、確かめさせてもらおうか」
瞬間、2人は殺気を交し合いながら、戦闘へと突入する。
リーガルは圧縮した魔力障壁を張るのと同時、自身の超越した魔力量を惜しみなく使い、物量任せの魔力ドームを展開する。
その大きさたるや、半径3キロメートル。その中心に囚われた佐々倉啓は、転移して逃げ出そうにも隙を作らざるをえない絶望的な距離である。
そしてリーガルは、佐々倉啓の頭上一面に、氷塊を実体化させた。
その高さは20メートル。落下して、人を肉塊に変えられるのに十分な高さ。
その範囲は、半径100メートルの円状。およそ野球ドームほどの面積であり、人の足では、落下するまでには絶対に逃げられない。ましてや、リーガルは氷塊を実体化させると同時、魔法無効化を発動させている。仮に佐々倉啓が身体強化の魔法を習得したとしても、封じられるという算段だ。
氷塊の大きさ、1メートル。大きすぎると、降らせたときに氷塊の間に隙間ができるため、それを考慮した凶悪な大きさ。
そして、その数、100万。
……氷塊の雨といっても過言ではなく、どの地点にいても、必ず氷塊が降ってくる計算である。
無論、1メートル大の氷塊の雨など、腕に当たれば骨折、頭に当たれば即死、背中に当たっても即死、足に当たれば骨折というレベルだ。そのうえ、逃げ場がなく、魔法が封じられ、体を魔力体に変えられないとなれば、どうあがいても死ぬしかない。
リーガルは、佐々倉啓の動きを観察する。
その佐々倉啓はというと、まず、高圧縮した魔力障壁を展開し、リーガルの尋常じゃない高密度魔力ドームの中で平然と立っていた。
この時点で、リーガルは内心驚きを隠せない。
あのニィナリアですら、リーガルの魔力ドームの中では魔力を保ってはいられず、逃げるほかなかったのだ。
それなのに佐々倉啓は、それに対抗する魔力障壁を張っている。
その密度は、リーガルの張った魔力障壁と同等以上のもの。
なるほど、【魔力操作:Ex】は伊達ではないと、リーガルは一つ納得した。
しかし、続いて降ってきた氷塊の雨。
これにはどう対処するのかとリーガルが注視するなか、佐々倉啓は、頭上を見上げる。
そして、高圧縮した薄い魔力の膜を頭上に張ると、それを異空間に《接続》した。
直後、佐々倉啓の頭上に黒いゲートがぽっかりと口を開く。
そこへ襲来する氷塊の雨。
しかし、佐々倉啓へと落ちてきた氷塊たちは、ゲートに飲み込まれ、姿を消していく。
ドドドドドドドドドドド……。
一続きの重低音を響かせながら、氷塊の雨が全て着地する。
そこには、床を氷塊に埋め尽くされながらも、不干渉地帯とでもいうような広場と、その中心に佇む佐々倉啓がいた。
リーガルはその様から、佐々倉啓の実体化の用途が空間魔法であることに改めて気付き、単純な広範囲攻撃では仕留められないと判断する。
攻撃手段を考えながら、用済みとなった氷塊の実体化を解き、魔力へと戻していった。
「そうか。お前の場合、空間魔法を無詠唱で発動できるようなものか。しかしお前の魔法は面妖だな。ちなみに氷塊はどこへとやったのだ?」
「僕の異空間に収納しましたよ。量は少ないですが、収納した氷塊分の魔力は使えないでしょう?」
佐々倉啓はそう答えながら、あることを閃く。
それは彼にとって名案であり、どうしてもっと早くに気付かなかったのかと自分を責めたくなるほどのものであった。
なぜならそれは、リーガルを封殺しうる方法だったのだから。
「そういえば、ここって異空間ですよね? 僕がここに来れたことに驚いていましたけど、普通は他人の異空間には来れないものなんですか?」
「当たり前だ。お前は空間魔法を得意とするからそれができたのかもしれないが、普通は、異空間を移動することすらできない」
「え? でも、ニィとあなたはここに……?」
「それはわたしがこの空間を作ったからだ。そうではなく、他人の世界には入れないということだ。そもそも、それがどこにあるかすら分からないのだから、入れるはずがないのだ」
異空間は、どこにでもあり、どこにもないような存在である。
以前、佐々倉啓が《異空間作成》を使用したとき、自分の作り出した異空間を認識できなかった。
そのときは結局、己の魔力を異空間に入れてその所在を認識していたが、逆に言えば、目印がなければ認識できないものなのだ。
ゆえに、神同士で、自分以外の神空間の場所を特定することはできない。
場所が分からなければ、《神の視点》で覗くことはできないし、そこへ移動することもできはしない。
まあ、スイシアとロニーのように、一方が他方を招待すればその限りではないが、今回のケースでは佐々倉啓が自力でリーガルの神世界を見つけ出したことになる。
これは神にしてみても異常なことと言えた。
「へぇ、そうだったんですか……」
佐々倉啓はほくそ笑む。
これはもしかすればもしかすると。
「お前の表情から察するに、わたしを殺す算段でも立てているのだろうが……それにしても、実体化といい、魔力密度といい、わたしに匹敵するレベルとは思わなかったぞ。
ただ、やはり魔力量の差は埋められないと思うのだが……全方位からの攻撃を、お前は防ぎきることができるのか? たとえ防げたとして、波状攻撃を防ぐことはできるのか? 持久戦となったとき、魔力切れを起こさずにいられるか?」
リーガルの言葉に、佐々倉啓は表情を引き締める。
「さあ、どうでしょう? やってみなければ分かりませんね」
「ふむ、そうか。では、やってみるか?」
その言葉とともに、リーガルの攻撃が再開される。
リーガルは、半径3キロメートルの魔力ドームを……全部水に変換した。
「うそ!?」
これには佐々倉啓も度肝を抜かれる。
だが、その行動は早かった。
魔力障壁の表面を、異空間に《接続》したのだ。
佐々倉啓の周囲を黒いゲートが覆い尽くす。
そこへと殺到する大量の水。
まさしく全方位から襲ってきたそれは、異空間へと収納されていくも、すぐに異空間を満水にする。
水の流入はストップし、異空間にヒビが入ることもなく、こうして拮抗状態へと落ち着いた。
ゲートに包まれた佐々倉啓は、無傷である。
「それは……ありなのか?」
佐々倉啓を包み込んだゲートと、それによっていかなる攻撃も無効化する様を見て、リーガルは呆然と呟いた。
「まあ、ありですね」
佐々倉啓はそう答えつつ、自分の体が収まっている空間に対し、《加速空間》という魔法を実体化により発動させる。
《加速空間》。
これは、佐々倉啓がリーガルの神世界に乗り込む直前に開発した魔法である。
峡谷でリーガルの攻撃に反応できなかったことを受けて、佐々倉啓は自分の反応速度や身体能力を上げる魔法が必要だと実感した。
そうして考え出したアイデアが、己の時間の加速である。
この魔法は、《固定》のように空間を指定し、そこにおける時間を加速させる。
現在10倍にまで加速可能で、これは身体強化と似て非なるものだ。
反応速度、思考速度、速力などは、通常の10倍に値するが、膂力自体は変化しない。
そのため戦士よりは、魔法使いに有利な魔法である。
この魔法は《固定》のときみたく、空間を指定するものなので、佐々倉啓が動いても加速空間そのものは動かない。
よって、佐々倉啓が移動すると加速空間から抜け出てしまい、このままでは使い物にならない。
そこで、佐々倉啓は《連結》を発動させ、己の体と加速空間とを繋ぎ合わせた。
以降、佐々倉啓がどのように動こうとも、加速空間が随伴するため、彼の時間はずっと加速されたままとなる。
佐々倉啓は10倍の加速時間の中で、高圧縮した魔力をリーガルに向けて発射する。
その魔力の移動速度、音速を超える。
しかしそれはリーガルにしても同じであり、本来であれば、佐々倉啓が魔力を音速を超えて飛ばしたところで、リーガルも同様の速度で逃げられるため、リーガルを捕捉することはできない。
だが、現在の佐々倉啓の時間、通常の10倍。
佐々倉啓が魔力をマッハ1で飛ばすなら、それは現実空間においてマッハ10へと成り変わるのだ。
この超音速に、身体強化の魔法すらかかっていないリーガルが対応できるはずもなく、佐々倉啓の魔力が自分へと伸びてきたと思ったときには既に、リーガルは魔力障壁の上から佐々倉啓の高圧縮魔力を被せられ、拘束されていた。
「なに!?」
リーガルの茶色い目が、驚愕に見開かれる。
その間にも佐々倉啓は、次の行動へと移っていた。
新しい異空間を作り、自分と連結させる。
その異空間に、マーカーを設置する。
そして……リーガルを転送する。
「さようなら」
「!?」
リーガルを覆っていた佐々倉啓の魔力が高まるや、リーガルの姿が忽然と消え失せ、佐々倉啓の異空間へと飛ばされた。
……静寂。
こうして佐々倉啓は、現実時間の0.01秒でリーガルを魔力で包み、0.2秒でリーガルを閉じ込める異空間を作成し、0.01秒でリーガルを転送し、都合0.22秒で全ての操作を行い、決着をつけたのだった。
「ふぅ……。殺しても復活するんだから、封印するのが一番だよね」
そう呟きながら、佐々倉啓はその場にへたり込む。
その顔は安堵に緩み、緊張の意図を解いたせいか、顔中に汗をかいていた。
「それにしても……この水、どうしようか?」
佐々倉啓の周囲には、相変わらず大量の水が漂っている。
水の厚さがキロメートル単位なので、本来であれば光は届かず真っ暗のはずなのだが、神世界では床からも発光しているらしく、なんとか視界はたもたれていた。
「……まあ、放置でいいか。それよりも、ニィは大丈夫かな……」
佐々倉啓は再度表情を引き締めると、転移してその場から離脱する。
他者の神世界を、《神の視点》で覗き見ることはできない。
佐々倉啓とリーガルの勝負の決着を知るものは、本人たち以外には存在しなかった。
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