3話 VS巨大狼
2014/11/24 誤字修正しました。
空間魔法《空間転移》を習得しました。
と思ったら、この世界に来て初の魔物に遭遇しました。
早くも死にそうです……。
木々の間から姿を現したのは、僕の身長よりさらに大きな漆黒の狼。
口を開けば、僕を丸呑みにできるんじゃないだろうか。
ハッキリ言って、無理です。現在《空間転移》は2メートルしか使えてないのよ、僕。
狼は泰然と歩みを進めてくる。その落ち着きぶりはまさに、獣の王者。雑魚に警戒するなど馬鹿らしいと言わんばかり。
僕を敵とは認めていない。
もしかしたら獲物とすら見ていないのかもしれない。それこそ食材だ。逃げることがないと知っているに違いない。
事実、僕は身動き一つ取れなかった。
圧倒的な死の予感を前に、恐怖にがんじがらめになっていた。
漆黒の狼が、僕の目の前にやってくる。
ああ、僕はここで死ぬのかな……。
嫌だなぁ。死にたくないなぁ。せっかく転生できたのに、そんなの嫌だなぁ……。
狼はもう目の前だ。
荒い息遣いが間近に聞こえる。
狼はいまだ、遠くを見ている。僕を見ていないのは多分、漁夫の利を警戒してのことなのだろう。
そうだ、今のうちに転移を。
僕は全身に力を込める。恐怖に打ち勝つように、自由を取り戻すために。
もう時間はないだろう。1秒先には狼に頭から食われているかもしれない。
しかしそんなのは関係ない。僕が生き残れるとしたら、それは転移しかないのだから。
恐怖に震える体に鞭打ち、僕は魔力を勢いよく遠方へ飛ばす。
失敗は許されない。おそらくチャンスは一度きりだろう。
望みの綱である魔力の塊は、一直線に飛んでいき……木にぶつかって霧散した。
「はい?」
え? そんな、まさか。物体をすり抜けるんじゃないの!?
混乱で眩暈がするなか、一つだけ確かなことがあった。
時間切れだ。歩くだけで、1秒後には狼が僕に辿り着く。
魔力を飛ばすチャンスは永遠に失われた。
そもそも、どうして魔力を飛ばさなければならないかって、自分の魔力のある地点にしか空間転移ができないからだ。
すなわち、転移という逃げる手段がなくなったということ。
あとはもう食われるだけだろう。
狼が僕のところまで辿り着き――
――狼は最後まで僕と目を合わせることなく傍を素通りしていった。
「……なんじゃそりゃ」
僕は狼のほうへと振り返る。後ろから安心したところを不意打ちでガバっと、なんてこともなく、巨大狼はそのまま歩き去っていく。
「……いや、いやいやいや、待ちなさいよ、ちょっと」
僕は憮然としたものを感じながら、狼の後をこっそりとついていく。
ん? なぜついていくのかって? 襲われる危険があるのに?
それは確信したからだ。あれは正真正銘、僕に気づいていない。
ならばなぜ僕に気づかなかったのかって?
狼の目が節穴だったから? 違う違う。
答えは一つしか考えられない。
才能の代償だ。
僕はシア様に提案した。才能の代償として、僕の存在感を薄くするのはどうかと。
シア様は答えた。それでオーケーだと。
つまりはそういうことだ。
今の僕は、インビジブル。
狼にちょっかいかけ放題だ。
「……なんて考えるほど命知らずじゃないですよっと」
接触した瞬間、こっちに気づかれる可能性は否定できない。
というかむしろ、否定してほしい。
触っても気づかれないとしたら、僕はどうやって人間社会を生きていけばいいの? 死ぬの? 死ぬよ? 僕が。
というわけで、狼に触れるのはNGだ。
さて、実は試したいことがある。
転移だ。といってもさっきのとは違う。自分を転移させるんじゃなく、相手を転移させるのだ。
早い話、相手を地上50メートルに転移させれば転落死するんでない?
これぞ攻撃魔法。逃げの転移ならぬ、攻めの転移に相違ない。
では、どうやって行うか?
僕の考えでは、魔力を一つ飛ばすのではなく、二つ飛ばせば成せるのではないかと思う。
一つであれば、そこに自分が転移する。
二つであれば、その二点間で転送を行えるんじゃないか。
名づけて、《空間転送》。
荷物運びに便利な魔法だよね。
それでは早速、巨大狼の後をついていきつつ、その体へ向けて魔力をひとかたまり発射する。
こぶし大の魔力はそのまま狼に飛んでいき……弾けた。
「…………」
なるほど、なるほどね、うん、分かってましたよ? 先ほど木にぶつかって霧散したのと同じ現象ですよね?
これで理屈が判明した。魔力が物体を通り抜けられないんじゃない。
僕の魔力は、狼の体表の魔力に弾かれたのだ。
おそらく魔力というものは、どんな生き物にも宿っているのだろう。
それは動物はもちろん、植物だって同じこと。
そして異質の魔力同士では、簡単には混ざり合わない。
そういうことだよね? ふむ、なるほどなるほど。
「ああ、いいですとも、いいですとも。やってやろうじゃないですか」
僕は不敵な笑みを浮かべる。
そして再び魔力を飛ばさんと、右手に魔力を集中させていく。
ただし先ほどと比べて、より濃く、より密に。
ぎゅっと絞り込むように圧縮させていく。
こぶし大ほどの魔力が小さくなり、指の爪ほどのサイズとなり、それからさらにじゃり石程度となる。
……あれ? まだ余力があるんだけど。
僕の想像では、こういう精密操作は難易度がかなり高いはずだった。
特に今のように何百分の一にするということは、高圧縮を実現させるということであり、正直ここまでのサイズで成功できるとは思っていなかった。
それがどうだろう、まだ余力があるという。
……いや、とりあえずこれで試してみよう。
僕はその小粒サイズの高圧縮弾を、狼に向けて発射する。
それは一直線に巨大狼に飛来し、体表を覆う魔力の膜に着弾。
そのまま何の抵抗もなく、するりと狼の体内に潜り込んでいった。
「グルルルル」
地を這うような唸り声。
漆黒の狼は急に立ち止まると、威嚇しながら辺りを窺いだした。
まさか、気づかれた?
僕はびくびくと怯えながらも、急いで別の魔力を空へと発射する。
念のために百メートル上空まで飛ばした後、そこで滞空。
これで準備は整った。
僕は狼を注意深く観察する。
どうやら、何かされたことは認識したものの、僕のことには気づいていないらしい。
思えば、危ない橋を渡ってしまった。
狼に僕の魔力が届いた瞬間、僕の存在が暴かれる可能性だってあったのだから。
しかし、今は考えている場合ではない。
さっさと転送を行ってしまおう。
――僕は想像する。
「……《結ばれる二つの空間。》」
それはまるで、紙を折り曲げて二点をくっつけるように。
二次元ではなく、三次元で。
「……《次元を超えて、直結する。》」
「グルルルルル!」
二つの魔力が共鳴し、同時に狼が警戒を最大へと吊り上げる。
だが、もう遅い!
僕は確信する。
「――《空間転送》」
瞬間、魔力の消失を確認。
僕の魔力が魔法に変換された。
「キャウッ!」
しかし、巨大狼は依然としてそこにいた。
どうしてか蹴られた子犬のような鳴き声を上げたものの、その姿はいまだ健在。
はて、転送は失敗したのだろうか?
なんとはなしに狼を観察してみれば、四肢をぶるぶると震わせている。これは怒らせてしまったに違いない。
冷や汗が流れるものの、大丈夫、落ち着くんだ僕。こっちの存在には気づかれてはいない。
失敗の要因を考察するんだ。
と、首を傾げているところに、それは降ってきた。
ペチャ。
頭に何かが当たる。
すわ鳥のフンかと、僕は慌ててそれを頭から叩き落とす。
地面に落ちて、僕の視界にそれが映る。
肉片だ。
綺麗なピンク色をした肉が、指でつまめるほどの大きさ。
頭上を仰いでも青空しかなく、理解できず首を傾げる。
ドスン。
前方からの音。そちらに顔を向けてみれば、巨大狼が倒れていた。
「……え?」
落ちてきた肉片。倒れた狼。そして直前の空間転送。
「……まさか」
その考えに至ったとき、ぞくりと肝が冷えるのを感じた。
それが正しければ……なんて、えげつないんだ。
僕の考えは間違ってはいないだろうか。それにしては状況が物語っているか。
おそらくだが、きっとこういうことだ。
空間転送で、狼の体内を抜き去った。
……僕は空を眺める。
「アー、なんていい天気なんだー。空が青くてまいっちゃうナー。スー、ハー、空気もおいしいナー。森林浴でもしようかナー」
それから僕は10分ほど現実逃避をした後、一応狼の死んでいることを確認してから、そそくさと空間転送の性能を調べ出したのだった。
なお、巨大狼の毛皮は予想以上にモフモフだった。
空間転送と、ついでに空間転移のおおよその性質を把握した僕は、人の住んでいるところを探して移動する。
まず、森の上空に転移して、落下している間に人のいそうな場所を探してから、地面に衝突する前に地上へと転移する。
落下のエネルギーは転移することで消失するらしかった。さすが魔法。便利だね。
それから狼の体全体を、僕の魔力で包み込んで、一緒に森の中を転移していく。正確には、転移と転送の合体技なのだけど、まとめて転移と呼んでおこう。
魔力切れをしないか心配だったけど、転移に使う魔力を密度を疎にして薄く伸ばすことで、少量で狼を覆うことに成功し、節約しながら転移できた。
かなり効率よく運用できるみたいだ。
木が邪魔で一気に転移できなかったものの、10メートル間隔の転移を連続で行うことで、休憩を挟みながら30分ほどで森の開けた場所に到着した。
そこには村があり、周囲を柵に守られ、出入り口には門番が立っている。
手の内を晒すのもよくないだろうから、僕は魔法を使わないで彼らの前に出ようと考える。
とはいえ、自分の身長より大きな巨大狼を持ってきている。
売ればお金になりそうだし、討伐によって感謝されるかもしれないからと思って持ってきたはいいものの、転移させる以外に運ぶ手段がない。
もちろん引きずっていくわけにもいかない。僕は力持ちではないのよ。腕力は村人より弱いのよ。
うんうんと思案した結果、僕は苦肉の策を思いつく。
10センチずつ転移させて、あたかも滑っているように見せかけるのだ。
小休止を挟んで魔力を回復させた後、森の出口から村へと向かって巨大狼をちょんちょんちょんと小刻みに転移させていく。
空間魔法、奥義! 身じろぎしない移動術! なんてね。はたから見てると結構気持ち悪い動きしてるよ、これ。気持ち悪すぎて若干ホラーですわ。
などと考えながら、森から1頭身ほど姿を現したところだったか、門番がこちらに気づいた。
「な……っ!?」
「こんにちはー」
言葉が通じるか分からなかったけど、僕はあいさつをしてみる。
門番は驚愕の表情を見せると、焦らなくてもいいのに大慌てで見張り台に上っていき、そしてけたたましく鐘を鳴らしながら叫んだ。
客の来訪を知らせるのだろうか。
「襲撃だぁああっ! フェンリルヴォルフだぁああっ!」
「えっ……あ、いや! 死んでますから! 死んでますからこれ!」
僕は急いで叫び返すも、門番に聞こえている様子はない。
……アハハ、やっちまったかもしれない。