17話 始まりの朝
朝日が眩しくて目が覚めた。
目を開けると、目前にニィの顔があった。
「!? !」
ニィは目をつむってすぅすぅと寝息を立てていた。
故意じゃないのか。
だとしても近いよっ。
僕はドキドキを落ち着かせる。
それから……至近距離にあるニィの寝顔に見入った。
長い睫。
整った眉。
すっと通った鼻筋。
柔らかそうな唇。
白くてきめ細かい肌。
無防備な表情。
可愛らしくも美しい少女の顔。
ああ、なんて安心しきった表情なんだろう。
……その期待に、答えないとね。
ニィの頬に髪が降りかかっている。
僕はそれを、指ですくって整えてあげる。
ニィの赤い髪は、朝日を受けて輪郭が黄金に輝いている。
あまりに綺麗だったから、僕は手を伸ばして指ですいてみた。
波打つようなクセのある髪は、途中でもつれているけど、優しく力を入れてあげるとするするとほどける。
といていて心地いい。
そのまましばらく、僕はニィの髪をとかしていた。
ふと、視線を感じて体の下を見やる。
僕とニィの間で、フマが頬杖をついて釈然としない顔でこちらを見ていた。
僕は慌ててニィの髪から手をどける。
「お、起きてたんだ?」
「そんなに愛おしそうにしているのに、どうして返事をしないのさ?」
返事と言われて、何のことかすぐに分かった。
告白の返事だ。
「……よく分からないんだよね。僕はニィが可愛いと思うし、ニィのことを守ってあげたいとも思う。でも、それはニィが好きだからそう思うのか、それとも単に、ニィが可愛いからそう思うのか、分からないんだ。……そんな気持ちで、ニィに軽々しく返事はできないよ」
「……そういうもんかね? オレにはその感覚も分からないさ」
フマはそう返して、ベッドから起き上がる。
僕も、ニィの寝顔をもう一度見つめてから、フマに続いた。
ニィが起きた後、僕らは朝食を取りに向かった。
今回はフマも一緒だ。ニィが一人で出歩いているように見えると、ナンパが多くなって面倒なので、これからはフマもついてくることになっている。
え、僕? 【存在希薄】のおかげで役立たずだよ。
昨夜の食堂は、やはり冒険者であふれていて、ところどころで二日酔いのうめき声が上がっている。
昨日の勝負でやけに盛り上がっていたから、そのせいでもあるだろう。自業自得だ。
席に着くと、勝負をした冒険者たちが寄ってきた。
「嬢ちゃん、“暗殺者”の坊主はどうした?」
「誰が暗殺者ですか」
僕は声を上げたけど、【存在希薄】のせいでスルーされる。
「ケーィはここにいるよ」
ニィは別段驚いた風もなく、僕に手を向ける。
僕の困惑を読み取ったのか、フマが説明をしてくれた。
「暗殺者ってのは、クラスの一つさ。姿を隠す能力者が、『隠密』というクラスで、その中でも高い戦闘力を持っていると、『暗殺者』って呼ばれるさ」
「なるほど、昨日の勝負のせいね」
初見だと僕の姿が見えず、冒険者たちを100人抜きする実力を見せたから。
「そうだぜ。俺は坊主だけは敵に回したくないな」
「そうそう。今だって、目の前にいるらしいが見えないからな。うっかり陰口もたたけねえや」
ガッハッハと笑う冒険者たち。僕は彼ら全員に触れるのも面倒だったので、手の届く数人にだけ触れておく。
「はぁ、おはようございます」
「ぅおっ? 現れたな。やっぱりすげえな、それ。何度でも驚ける自信があらぁ」
「なに? 現れたのか? 俺にも姿を見せてくれ!」
後ろのほうの冒険者が、俺も俺もと名乗りを上げる。
「面倒な手続きがあるんで、後ろの方たちは無理です。って伝えてください」
「おう。おめえら、おめえらの相手なんかしてられっかよ、だってさ」
「ちょっと!? 内容違いますよ!?」
「なんだと? おい坊主、姿を見せやがれ!」
「そうだそうだ! この臆病者!」
僕は仕方なく、彼らにも触れる。
「どわ!?」
「ぃ? 現れたな?」
「言っておきますけど、あんなこと僕は言ってませんから」
「そうなのか?」
「坊主、声ぐらい掛けろよ」
「……声を掛けても気付いてもらえないんですよ」
僕は自分の席に戻る。
「おう坊主。ギルドから呼び出しが掛かってたぜ」
「え? 僕にですか?」
「おうよ。お前、何かしでかしたか?」
「……昨日の勝負ですかね?」
「がっはっは! あり得るな!」
え、あり得るの? 言ってみただけなのに。
「そういえば聞いたぜ? そこの妖精が村の脅威を追い払ったんだってな? ちぃと話を聞かせてくれや」
「そうだそうだ。俺にも聞かせてくれ」
「俺も俺も」
あっという間に、フマを中心に人だかりができる。
「あー、分かったさ。ケイ、ニィのこと頼んださ」
「……了解」
フマが意味ありげに目を細めたので、僕は感付いて返事をする。
キーグリッドに関する話は、多分に嘘を含んでいる。詳細を聞かれてしまうと、フマとニィで矛盾が生じるかもしれないので、ニィには喋らせないようにしてくれと、そういうことだろう。
フマは冒険者連中をひきつれて、席を移動する。
残された僕らは、「パンが噛み応えがある」「スープが素朴な味がする」などの食事に対するニィの感想をBGMに、何事もなく朝食を終えた。
僕ら3人は、村長宅の客室に戻ってきていた。
本来なら冒険者ギルドへ行くべきかもしれない。
僕は呼び出しが掛かっているらしいし、フマとニィは、昨日のキーグリッドの件でもう一度来るようにと言われていた。
でもその前に、フマが話がしたいという。
だから僕らは、一旦戻ってきていたのだ。
「本当なら昨日のうちに聞きたかったさ! でもケイたちの夕食に予想外に時間が掛かったから、聞くのは我慢してたさ! 今日こそは聞かせてもらうさ!」
「分かった分かったって。昨日は悪かった。で、何を聞きたいの?」
フマはテーブルに座り、僕はベッドに腰掛け、ニィはうずうずと僕の隣に肩が触れ合う距離で留まっている。
ニィは多分、僕に抱きつきたいんだろうけど、2人とも座っているから、体勢の問題で厳しいんだろう。抱きついたら倒れてしまうから。
ニィが膝枕という発想に至っていないようで、僕はちょっと安心だ。
「まずニィ!」
「うん? 私?」
「ケイのことを魔人たちに説明するとき、神の使いだとかなんとか説明してたが、そう考えた根拠を聞きたいさ!」
ああ、あれか。エンデベルドおじいさんたちに対するニィの説明。
神代魔法の発動時に神の使いが来ていて、その神の使いが僕だと。
僕も気になるな、どうしてそう考えたのか。
僕はニィにそういう話は何もしていない。
つまりニィは何かを根拠にして、そう推察したということ。
それが何なのか?
ニィの辿り着いた仮説に辿り着けなかったフマとしても、とても気になるだろうね。
「根拠? 特にないわ」
「え?」
「え?」
あけらかんと告げるニィ。僕とフマは間抜けな声を出す。
「あれは願望よ。そうあったらいいなって。あと、条件かな。私が城から出るための」
「……あれを、ゼロから考えたっていうのか?」
「情報はあったわ。神代魔法が観測されたこと、キーグリッドが調査に出ていたこと、城から転移した先が調査地と似ていたこと、ケーィが調査隊を追い払える能力を持っていたこと。あとはそれをどうやったら私の外出許可が出るかって」
……なんという想像力。
いや、城から出るために必死に考えたのかもしれないけど。
「真面目に推理していたオレが馬鹿みたいさ……」
フマががっくりと肩を落とす。
フマ、同情するよ。
「まだ聞きたいことはあるさ! ケイ!」
消沈したと思えば、次の瞬間フマは息を吹き返し、僕を指差した。
思ったより元気だね。
今度はなんだろう?
「神代魔法について知っていることを話すさ!」
あ、そういえばそこらへんの話、するの忘れてた。
「そうだったね、もちろん話すよ。……今から話すことは、一応、他言しないでね?」
「分かってるさ」
「うん!」
フマは当たり前だと頷き、ニィは嬉しそうに頷く。
それから僕は、僕がもともと違う世界で生きていたこと、そこで死んだこと、シア様に転生させてもらったこと、転生のときに神代魔法と同等の魔力が使用されたことを話した。
その間、フマはときどき質問を挟み、ニィは黙って神妙に聞いていた。
「……で、結局なんでケイは神に選ばれたのさ?」
僕の話が終わった後、フマは僕にそう聞いた。
そういえば、どうして僕は転生させてもらったのだろう?
「え? いや、なんでだろうね?」
「ああ、別に理由があるとは思ってないさ」
ん? そうなの?
「神が願いを叶えるのは、必然であっても偶然さ。つまるところ気まぐれと同じなんさ」
「え、どういうこと? 必然と偶然は違くない?」
「誰かが困っていて、それを助けたのは必然さ。でも、そいつを選んだのは偶然さ」
「じゃあ偶然じゃない?」
「だから気まぐれさ」
んー? だから理由があるとは思ってないってことかね。
だとしたら、僕も深く考えなくていいのかもしれない。
もともと前世の記憶がないから、どうして選ばれたかなんて考えようもないんだけどね。
「ケーィ! もう死んじゃ駄目だからねっ?」
さきほどからニィが僕の腰にひっついていて、駄々っ子のように首を振っている。
座った状態で腰に抱きついているから、見ていて苦しそうな体勢だ。
もしかしたら体が柔らかいからそんなに苦でもないのかも。
……なんて考えている場合じゃないね。
僕はニィの頭をあやすように撫でてあげる。
「うん、僕も死にたくないから無茶はしないよ」
「単身魔王城に乗り込んだケイが言っても説得力はないさ」
フマが僕をじとっと睨む。
「いや、あれは勝算があったし、フマを見捨てることもできなかったから」
「フンっ、良いこと言って話を逸らそうとしても無駄さ!」
「うん? 良いこと?」
「自覚なしさ!?」
もしかして、見捨てることができないって部分? 仲間だったら当然だし、助けられるのに見捨てるのは外道以外の何物でもないと思うんだけど……まあいいや。
「それにしても、転生の神、スイシアというのは初めて聞いたさ。息災の神、ロニーは有名だけどさ。というか、なんでそんな有名な神とケイは会ってるのさ?」
「いや、別にロニーちゃんは僕とあまり関わりはなかったよ。加護ももらってないし、そもそもシア様に会いにきていたんだし」
「だとしても、普通は会えるもんでもないさ」
じゃあ、会えてラッキーだったのかな? ロニーちゃんの恨みを買った可能性は高いけど。
それからひと段落して、フマが話題を変えた。
「最後に、旅の目的を確認したいさ」
僕とニィはそれに同意する。
最初はフマが、自分の目的を語り始めた。
フマは妖精女王の娘であり、妖精女王の継承権持ちだ。
旅をして世界を回ることで異常がないかを調べ、報告を女王にもたらす。
また、自分が女王になったときのために、見識を広げる。
半分は偵察で、半分は修行みたいなものだということだった。
「だからずっと同じ場所には留まりたくないさ。ある程度滞在して、問題がないことを確かめたら、すぐに次の場所に移動したいさ」
フマの要望としてはそういうことらしい。
次に、ニィの目的を聞いた。
しかし一言。
「ケーィと一緒に旅をすること」
うん、まあ、今はそれでもいいんじゃないかな。
追々他の目的も見つかるかもしれないね。
最後に、僕の番だ。
「僕もこの世界を見て回りたい。ニィももともとはそういう巡る旅に憧れていたということだし、いろんなものを見せてあげたいかな。だからフマと同じく、同じ場所には留まらず、各地を回りたい」
「ケーィ……」
ニィが抱きついた腕にぎゅっと力を込める。
うん、なんだか恥ずかしい。
「それじゃあ、これからもよろしくお願いするさ」
「僕のほうこそ、よろしく」
「うんっ」
僕らは世界を旅して回る。
そこで何が待ち受けるのか。
……何気に、「妖精女王の娘」と「魔王」という肩書き持ちが同行しているから、穏やかな旅にはなりそうにないかな?
と、僕はそのように行く末を予感した。
話を終えた僕らは、これからの予定を確認しあう。
まず冒険者ギルドだ。
3人とも呼び出しがあるし、それとは別に、ニィを冒険者ギルドに登録させたい。
冒険者稼業もやっていくつもりだし、ギルドカードは何かと便利なのだ。
それが終わったら、ニィのギルドカードにステータスを記録するため、教会に向かう。
魔王のステータス……うん、気になるね。
その次は、町に行くための準備だ。
食糧やその他必要な物を買わなければならない。
それから昼食を取って、……必要なことが済んだら、あとは自由時間かな?
なんとか、昨日ほど忙しくはならなそうだ。
そこまで確認した後、僕ら3人は冒険者ギルドに向かった。
第二章の始まりです。
これからは町に行って、……そこで一波乱あるんじゃないでしょうか?