後編
全ての景色が無色だった。
誰の声も雑音だった。
何を食べても味がしなかった。
どの匂いも無臭だった。
起きてご飯を食べて、学校に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、風呂に入って、寝る。
また起きてご飯を食べて、学校に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、風呂に入って、寝る。
また起きてご飯を食べて、学校に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、風呂に入って、寝る。
そのうち、学校に行く気が起きなくなった。
朝起きて制服に着替えて家を出て、町中をぶらついた。
二週間行かなかったら、家に電話がかかってきた。
親父にぶん殴られた。
お袋に泣かれた。
でも何を言ってるのか全くわからなかった。
殴られても何も感じなかった。
痛いとさえ、思わなかった。
久々に学校に行った。
俺を見て、女子がひそひそ話をしている。
俺を見て、男子が絡んでくる。
何を言われても、上の空で生返事しか言わなかった。
そのうち男子も構って来なくなった。
教師に呼ばれた。
俺に憐れみの視線を向けて、進路のことを言っていた。
どうでもよかった。
俺の行き先なんて。
俺はまた、学校に行かなくなった。
学校に行かなくなってから、毎日展望台に行くようになった。と言っても一週間くらいだが。
遅くなるまで空を見上げていた。
毎日毎日展望台に行く。
お袋にもう夏休みじゃないのかと聞かれた。
どうやら学校はもう休みに入ってるらしい。
補講だとてきとうに言って、展望台に行った。
展望台には珍しく、先客がいた。
おばさん、天音のお母さんだった。
「ここに来るんじゃないかなと思ってたの」
おばさんはにっこりとしながら俺に言った。
「何をしに来たんですか?」
俺は少し強めに言う。
おばさんは悲しそうな顔をした。
「ごめんなさい。こんなことになるなら、もっと早く空くんに伝えておくべきだったと後悔してるわ。でもね、空くん。いつまでもくじけてちゃいけないのよ。前を見て生きなきゃ」
「そんなことを言うためにここに来たんですか?」
俺がそう言うと、おばさんはふっと笑った。
「ううん。こんなことに意味はないものね。ごめんなさい」
「別に」
「うん?」
「別におばさんは悪くないですよ。誰も悪くないです。仕方なかったんですから。謝らなくていいですよ。おばさんは俺に気を遣ってくれたんですから。むしろおばさんは俺に感謝される立場です」
「そう……」
おばさんは黙ってしまった。
黙って、ポケットから手紙を出した。
「ごめんなさい。本当は今日、これを届けに来たの。空くんとはいつも会えなかったから。もしかしたらと思ってきたのよ」
「それは……?」
「それは……、言えないわ。自分で読んでみてちょうだい。それじゃあね」
おばさんはそう言い残すと、展望台を去って行ってしまった。
多分、この手紙は天音の書いたものだろう。
でも、読む気にはなれなかった。
破って捨てようとさえ思って、手をかけた。
「くそ!」
俺は破ることをできずに、その場に崩れた。
展望台は山のてっぺんにある。
山のてっぺんから少し木の板でできた道が延びていて、その先には、木の柵と屋根、それから四人がけのテーブルと椅子が置いてあった。
だが、展望台を知っている人は少なく、ほとんど誰も来ない。
何時間、柵にもたれ掛かってただろうか。
空はすっかり暗くなっていた。
ふと、手紙を読んでみる気になり、ケータイの灯りをつけた。
『空へ
これを読んでるとき、私はこの世にいないでしょう。
こう書くと少しロマンチックだけど、実際私の荷物の中にしまったままになるだろうから、本当にいなくなったあとに読むことになると思う。だって恥ずかしいもん。
空。
もしかして悲しんでくれたかな。
空は人よりずっと優しいから、物凄く悲しんでると思う。
だけど必要以上に悲しまないで。
悲しんで、そしてどうでもいいってならないで。
私はまだやり残したこと、やりたいことがたくさんあった。もう時間がないけどね。
でもさ。
空はまだたくさん時間があるじゃん。
だから、後悔しないように生きてほしい。
そして夢ができたら、それを一生懸命叶えてよ。
今の私は、空が夢を叶えるところを想像するのが一番の楽しみ。
こんなこと書くのは無責任だってわかってる。
でも、本当にそうなって、そして幸せになって。
だからいつまでも私を気にしてないで、次に進んで。
夢を叶えてよ、空!』
手紙を読んでいたら、涙が溢れてきた。
「声は……届かないじゃん……。手を……掴めないじゃん……」
手で顔を覆う。
「もう夢は叶わねえよ……」
そこにいない人を想って。
俺は空を見上げる。
星が一つ、流れた。
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