異常と修羅と切り札と
天高く蹴り上げられる、アザゼルの遺体を包み込んだ黄金のサッカーボール。
ルシファーの脚力によって蹴り上げられたそれは、遥か遠く星空の波間へと消えて一筋の星となり、キラリと輝いてのち、消息を絶った。
どれほどアレがしぶとくとも、これで帰ってくるには少なく見積もっても二、三年はかかることだろう。
月に放流されたルシファーの場合はまだ運が良かっただけ。
以外に不運ではあっても悪運だけはあるのだ。筆頭悪魔だけに。
「もーいーわよ、ベル。お疲れー」
一仕事終えたルシファーは、いまだアンノウンを抑え続ける携帯電話ことベルフェゴールに一声かけて労い、覇奪の大罪を元の長剣、エクスカリバーの状態へと戻して息をついた。
『ふぃー。つっかれたぁー』
すっかり気の抜けた声を上げるベルフェゴール。
同時に携帯電話からの音波攻撃が鳴り止み、脱力攻撃から開放されて膝立ちに起き上がるアンノウン。
しかし彼女はアザゼルの遺体が天高く蹴り上げられる様を目にしてなお、『アイアス』も『雪月花』も解除はせず、目を紅く輝かせて情報の収集を開始した。
「……いえ、残念ながらまだ終わりとはいかないようです」
「あん? 冗談でしょ、おチビ?
覇奪の乗っ取りは潰したし、遺体はてきとーに飛ばしたわよ?
これだけやってまだ終わってないっての?」
「…そう。まだ終わってはいないのだよ、ルシファー君」
戦慄するルシファー。無表情の上にも苦々しい気配を漂わせるアンノウン。
それはまさしくあのゾンビの声。
『………マジ?』
「ええ。マジのようですね」
その出現場所を認識したベルフェゴールとアンノウンが、そのあまりのしぶとさに顔をしかめる。
……かのゾンビ神は、覇奪の大罪に圧縮された際に吐き出した、『血液』の中から再生を始めていた。
「………どこのクローン戦士よ、アンタ?」
ここまでやられればもはやあきれ返るしかないルシファー嬢。
斬ってダメ、焼いてダメ、潰してもダメ。
時間をかければ呪いにやられ、封印しても脱獄特性。
こんなの一体どうやって倒せと言うのか?
思いつくのはミカエル軍団に差し出して、気力が死ぬまで神聖に属する攻撃で一気呵成のタコ殴りにするぐらいだが、…そのミカエル軍団はすでにアンノウンの手によって、ぺんぺん草も生えないほどに容赦なく殲滅されている。
「とりあえず、完全に再生する前に服ぐらいは出しておいてあげましょう。
見苦しいのはお互い望むところではありませんからね。――call」
アザゼルが着ていたものとよく似た衣装を、再生を続ける肉塊の上へと召還するアンノウン。
「これはどうも。ありがたく受け取っておこう」
応じる肉塊は、その服の中に潜り込んで改めて人型を形成し始める。
「どーする、おチビ?」
「あのレベルの再生能力とあれば、心臓や脳を破壊しても意味はないですね。
肉片ひとつ、血の一滴も残さずに完全消滅させる以外に方法はないでしょう」
『んな無茶な』
相手は神話級大罪悪魔。元最上級天使にして堕天使の長の一人。
クトゥルー神話に移住して邪神にまで登り詰めた不死身のゾンビ神だ。
糸口の見えぬ攻略に漂う重苦しい空気。
その中でただ一名、智欲の大罪たるアンノウンは覚悟を決めようとしていた。
「……確認します。
ルシファー、あなた、どの程度までなら消滅を免れますか?」
ひとつ。場合によってはルシファーを捨て駒にする覚悟を。
「アンタ、まさかアタシごと…」
「答えてください」
アンノウンは本気だ。本気でアザゼルを消滅させる気で訊いている。
「……チッ。基本的に不死よ。何度消滅してもそのうち生き返るわ」
「ベルフェゴール、あなたは?」
『右に同じー。でも死ぬのはできればかんべんー』
「少なくともその携帯の命までは保証できません。御臨終を覚悟しておいてください。
さらに言えば、その先にいるあなたが消滅するかどうかも私にはわかりません」
「…おチビ、アンタなにさらす気よ?」
しかしアンノウンは取り合わず、追加でベルフェゴールに問い質す。
「ベルフェゴール、もうひとつだけ訊きます。
『ある人物』に『著作権の完全放棄』を依頼できますか?」
「――ちょ、アンタマジでなにする気なのよ!?」
『いくらなんでもそりゃないっしょ!』
アンノウンの発言に驚愕を禁じえないルシファーとベルフェゴール。
そこまでしなければならないほどの「なに」をするつもりなのか?
「もはや使えるものならなんだって使います。
…できますか? ベルフェゴール」
アンノウンは至って大真面目。
なにをするつもりかは知らないが、この状況をどうにかして打開しようという心積もりらしい。
だがしかし、著作権を放棄したところで他者の著作物を好き勝手に出来る、などという論法はそもそも成立しない。仮にそれを行ったところで智欲の大罪の戦闘能力が大幅に向上するなどありえないはずだ。
つまりハイリスク・ローリターン。
基本的に損をするばかりでそうするだけの意味はないに等しいもののはず。
クトゥルー神話に関しては例外中の例外。
それこそ、この場でそれをする意味がまったく理解できないほどに戦闘に関しては役に立たないはず。
(………? 『基本的には』?
まさか、裏にジョーカーでもあるっていうの、おチビ?)
『………わかった。どうにかして連絡取ってみる。ちょっと時間もらうよ』
「ルシファーはアザゼルの足止めを頼みます。
同時にレヴィアタンと合流を。私はマスターを確保します」
どうにも相当にヤバイ橋を渡るつもりらしい。
ベルフェゴールを受け取ったルシファーは神妙な顔で頷き、離脱していくアンノウンとは別に、蘇生中のアザゼルに向かって巨大スコップ化させた覇奪で土砂の底に埋めて視界を奪う。
後で土中から飛び出されて攻撃仕掛けられるのも厄介だが、こと逃げの一手を打つには申し分ない。最悪、上空からまるごと破壊すれば済む話。
そして即座に離脱。やるだけやって逃げた。
「チッ。あんのバカ、どこまで吐きに行ったのよ」
確か居眠りする横っ面を殴り起して、結果吐き気をもよおしたレヴィアタンこと巨大ウミヘビはトイレへとひた疾走った。
問題は、アレが現在巨大化を解いて人間態に戻っているらしいことだ。
普通ならそりゃそうだ。あの規模でゲーゲーやられたらたまったもんじゃない。
「ベル。アンタレヴィにメール出せないの!?」
『一応やってるけどたぶん無理。
今送られてたデータ観てるんだけど、ぶっちゃけ「なにこの技」ってカンジ。
レヴィちゃんのアレ、マジひっど。
どんだけ送っても絶対迷惑メール扱い受けてるって。間違いない』
…「メールだヨ」、の、悪影響か。
アザゼル相手に攻撃を仕掛けるだけ仕掛けはしたものの、特に当てもなく――正確には当てとなるはずの場所をミカエルに取り上げられて飛び回るルシファー。
その最中にハンズフリー状態の携帯、ベルフェゴールに怒鳴りつける。
「なら電話!」
『さすがに携帯、五個も六個も持ってないってば』
「あーもう! こーゆーときバティンがいればすぐだってのに!!」
ルシファー直属の瞬間移動を得意とする眷属悪魔にして兼業運転手のバティン執事どの。
本日は半ばお暇をもらったとのことで、闘技場付随のVIP用駐車場にて愛車をピカピカに磨き上げております。
『確かそこ、闘技場だったよね? 放送できないの?』
「んなもん、ミカエルのバカが観客ごとまとめて持ってったわよ!!
アイツ後でマジ殺すわ!」
まったくなんという最悪さか。
まるで引いたすべてのおみくじが「凶」と記されていたかのような状況だった。
『しかたないなー。ちょっと待って。今三者間通話機能オンにするから』
「んなことできんならさっさとやんなさいよ!」
相変わらず「めんどくさい」と言い捨てるベルフェゴールの声とは別に、おそらくレヴィアタンへのものだろうコール音が鳴る。
――ブッ
『………もしもし…?』
……気のせいか、死に掛けた声にどこか殺意が見え隠れしているような気がしないでもない。
はてさて、第一声どうするべきか?
「もしもしレヴィ? アタシアタシ」
『オレオレ詐欺かよ』
特にそのような意図はなかったのだが、なんとなくか傍聴していたベルフェゴールが突っ込んだ。
「単刀直入に言うわ。
明日ミカエルのバカ八つ裂きにするつもりなんだけど、アンタも来る?」
『――ッ!』
手短に、かつ今の彼女にとって一番ムカつくところに、とりあえずネタバラシの直球ど真ん中を投げ込んでみた。
『……そう。…そういうこと。
…ふ。ふふ、フフフhuhuhuhu……』
『――コワッ!』
突如笑い始めたレヴィアタン。
そして、誰がかけたのか、もう一人呼び出すようになり始めたコール音。
――ブッ
『…ワシだ。なんの用だ、嫉妬の?』
『マンモン? なんで??』
呼び出されたのは強欲の大罪、ヤクザの頭領マンモン親父殿だった。
『…明日をミカエルの命日にする。わるいんだけどマンモン。
今日中に可能な限りの「包丁」をかき集めてほしい。
種類は問わない。「包丁」と名がつけばなんでもいい。
むしろ「人斬り包丁」なんて代物があったら最高。
あ。そうだ。後でちびちゃんに「約束された暴食」を借りよう』
『…ミカエルが倒れるのならかまわんが…一体なにがあったのだ?』
「…訊かないであげて」
そこら辺は乙女の尊厳に関わる問題だ。
相手が嫉妬の大罪だけに、深入りするとうっかり刺されかねない。
「とりあえずレヴィ、大至急合流よ。どこに居んのか知んないけど、アタシかおチビんとこに今すぐ顔出しなさい。いいわね!?」
『ん。了解。…マンモン。明日の朝までによろしく』
『う、うむ。了解した』
マンモン、及びレヴィアタンが、そろって了解を示した後、通話を切断する。
これである程度の用は済ませたと判断したルシファー及びベルフェゴール。
アンノウンとの明確な合流地点は改めて確認したわけではない。が。
長年の勘が「こういう時は大抵中央ど真ん中」だとささやいたため、再び徹底的に破壊された旧中央武舞台跡へと遠回りしての空路をひた走った。




