魔王ルシファー
「わるいわね。少しの間借りるわよ、サタナエル!」
サタンの名を呼びながら具現した鎖のすべてを右腕一本に巻き付け、その先に繋がる「なにか」を自分の方へと引き寄せるルシファー。
そのルールが成立した瞬間、アザゼルの屋敷に深い亀裂が走り、床にポタポタと赤い雫が滴り落ちた。
背の翼からの圧力が膨れ上がり、一枚、また一枚と新たな黒翼が生まれ出てくる。
元の六枚羽から倍の十二翼へと。
しかしルシファー自身のシルエットには翼ほどの変化は見受けられない。
とはいえまったく変化がないわけでもなく、目を凝らせばその顔に赤く浮かび上がる、二条の流線。
「……血の、涙…」
鎖の影はすでになく、ゆっくりと瞼を開くルシファーの姿には、やはりどれほどの変化も存在しない。
ただ、血の涙。
角もなければ肌の色が変わったわけでもない。
身体が硬質化したわけでもなければ手が魔獣化したわけでもない。
左腕の爆裂傷すらも癒えずに焼け焦げたままだ。
ただ血の涙を零し、その力と存在感を増した、ただそれだけの姿。
そしてそれが、『憤怒』を称する魔王、サタンとの決定的な違い。
魔王としての、在りようの違い。
神が救わず刃を振るうと言うのなら、神を踏み越えてでもこの手で救う。
神よ。この魂に『光をもたらす者』と名付けた己の浅はかさを呪うがいい。
地に墜ちようと、泥に塗れようと、果てに希望を見続ける限り光は消えない。
己の求めを成すためなら、敵がたとえ神であろうと剣を取る。
正義を語る気はなく、悪と罵られようともかまわず。
その道の果てに、たとえどれほどの救いがなかったとしても。
立ち塞がるのなら人でも竜でも運命でも、それこそ神であっても斬り捨てる。
ただひたすらに己の理想を追い求める。そう、いつの日か辿り着く時まで。
それが『傲慢』を司る魔王、ルシファー。
彼女にとって、この姿を晒すのはこれで二度目。
一度目は不測の事態に備え、かつて七大罪が全員そろった状態にて行った。
結果としてルシファーは、この魔王化を封印することに決めた。
理由はいくつかあるが、そのひとつはルールとしてのもの。
世に『魔王』の名は数あるが、それでも真正、聖書に於ける『神の反逆者としての魔王』の席は、ただ一名分しか用意されてはいなかった。
当然、本来――本当の意味での『本来』であればこの席に座るのはルシファーの役割…だったのだが、サタナエルがルシファーの影を担ったがために、この条理に狂いが生じた。
いや、もしかしたら、そのように狂いが生じるよう、ナニモノかの意図を持って仕向けられたのかもしれない。
議題とすべきは『ルシファー・サタンの同一人物説』だ。
これにより、席はひとつしかないが、ルシファーもしくはサタナエルがどちらでも座れるというイレギュラーな事態が発生してしまった。
当然、すでに魔王の座を辞していたルシファーは、この魔王化の権利をサタナエルに献上していた…のだが、回答から逆算するようにあえて問おう。
Q.ルシファーとサタンを同一人物だと語ることによって、『得をしたのはだれだ?』
重ねて問おう。
Q.この制約を破棄し、「ルシファーと同格」とみなされた堕天使や悪魔が軒並み「魔王化」した場合、天界・魔界のパワーバランスはどうなる?
どうにもこの制約、考えれば考えるほどに、智欲の大罪に施した制約の鎖と同種のバランス調整の匂いがぷんぷん漂ってくるのだ。
そもそも「無能」か「策士」のどちらかでもなければ、「同一人物の謎」なんてものは普通に考えて残したりなどまずしないはずなのだから。
言うなれば、神の『約定』はイコール悪魔の『呪い』そのもの。
迂闊に手を出すことがかなわぬ中、それでもルシファーが魔王化を試したのは、レヴィアタンがこう進言したからだ。
『もともと一介の天使だったサタナエルと、最上級の天使長だったルシフェルとでは地力が違うはず。試してみる価値はある』
と。
そしてその行いは、ある意味正しかった。
魔王化し、血の涙を流すルシファーの姿を目にすることで、その場に居合わせたサタナエルが慟哭したからだ。
彼の精神性は、もともとただ一介の騎士に過ぎなかった。
姫を護る、ただの騎士。
護るべき姫が血を流して戦場に倒れ、騎士たる彼は斬った神とミカエルに憤怒し、憎悪した。
そして、ルシファーが魔王化し、その現象が己の心の内面を映す鏡なのだと悟った瞬間、彼は己の不甲斐なさ、血の涙をルシファーに流させてしまった己の弱さを、神への怒り以上に憎悪した。
許せなかったのだ。
己が主たる姫君に血の涙を流させた『己の無力さ』を、他のなにを差し置いても絶対に許すことができなかったのだ。
結果として、魔王サタンは自分自身を深く憎悪することによってさらなる進化を享受し、『憤怒』の魔王足りえた。
その際、当のルシファーがなにを思ったのかは彼女だけが知るところだが、ただ一言二言、その姿のままサタナエルに笑いかけてこう言ったらしい。
『やっぱコレ、アタシにゃ合いそーにないわ。
ねえサタナエル。アンタ、アタシの代わりにコレ、預かっといてよ』
血の涙を流しながらも優しく微笑み、決して譲れぬ大切な思いを託してくれた彼女の姿を、彼は滅び逝く最期の一瞬まで忘れはしないだろう。
「…………侮辱だ」
「あん? あによ? なんか文句でもあんの?」
覇奪を引き抜き、肩掛けに構えるルシファーへと向けて、元堕天使が静かにつぶやいた。
「文句? ああ、あるな。あるに決まっているだろう?
なんだその姿は? なんだその力は?
それだけの力がありながら、なぜサタンなどに魔族の旗を振らせた?
今のお前のその姿を見れば――
「黙りなさい」
一言。
圧力を込めたルシファーの言葉がアザゼルの怒りを封殺する。
「アタシの姿を見れば、なに?
自分の命を粗末に考えるよーなバカはサタナエルだけで十分よ。
それともアンタ、このアタシに『私のために争わないで』とでも言ってほしかったっての?
――ハッ、ガラじゃないわ、ねっ!」
言葉の締めとともに振り抜いた覇奪の切っ先から斬撃が伸び、階段に縦一直線の打撃痕を入れ、すぐさま伸びたゴムのように舞い戻る。
「ちょっと覇奪? アンタもアンタで気ぃ抜いてんじゃないわよ。
あによ今の? 切れ味まるでないじゃない」
増大したルシファーの力に覇奪の大罪が対応しきれていないのか、その刃に鋭さはなく、純粋な打撃武器としてしか機能していなかった。
「そんなザマじゃエクスカリバーの名が泣くわよ。
ほら、餌をあげるわ。遠慮なく喰らいなさい。
アザゼルには前もって『吹っ飛ばす』って言っといたしね!」
改めて覇奪を逆手に持ち替えたルシファー。
最上位の魔力をもって魔剣としてのエクスカリバーの開放を指示し、餌と称した館の床へと覇奪の切っ先を突き立てる。
ルシファーの魔王化でひび割れた床に、壁に、柱に、窓に、天井にとひた走る黄金の奔流。
王水の出力もまた最大。あっと言う間に黄金色に侵食され、挿げ替えられていく風景の色合い。
結果として顕れたのは、屋敷という形になった覇奪の大罪。
「傲慢の大罪、ルシファーの名に於いて命じるわ。
覇奪の大罪、魔剣エクスカリバー。
アンタの全力を、今ここで、このアタシに見せてみなさい!」
『傲慢』の大罪特性、『他者への命令と強要』が、ミカエルの手によって封印状態にされている覇奪の大罪へと叩き込まれる。
命を受けた長剣は連結した屋敷ごとガタガタと震えだし、とりあえずといった風にゴクンゴクンと音を立てて周囲の風景を引きずっていく。
まるで蕎麦でもすするかのように覇奪に捕食されていくアザゼルの屋敷。
同時にルシファーの身体へと這い登っていく黄金。
固形化していくそれは、ルシファーの身にまとう篭手となり、肩当となり、胸当てとなって焦げた左腕へと伝わり、獅子の貌を模した手甲と牙の鉤爪と化してその腕を動かした。
「さあ、主役交代の時間よ」
「――ッ」
いまだ食事中の覇奪を餌の屋敷ごと引きずりながらルシファーが飛び込む。
屋敷と繋がったままの覇奪はルシファーの手によって振り回され、部屋の角度をめちゃくちゃにシェイク。
大上段に振り上げれば床が天井、天井が床へ。
切り下ろせばまた逆へと時間差で部屋自体が荒れ繰り回される。
振り回すべきモノの中に自分と敵が入り込んだ、常識破りの球塊付き連接剣。
敵見方を問わずひどい混乱状態に落とし込む、超・絶・力技のポルターガイストだ。
中から見ても大概だが、実は外から観るとまるでギャグマンガそのもの。
まさに我らがルシファー嬢という人物の体現的闘い。
覇奪の王水により隙間なく空間を融かす内壁をまるごと振り回す、ルシファー自身と壁による殴打、覇奪の斬撃、空間に溶けた被酸のダメージと、離脱不可の状況に置かれてゾンビ神アザゼルの存在自体が喰われていく。
「このまま削り切ってやるわ、アザゼル!」
「チィ、さすがの化け物が!」
黄金の鉤爪と化した左腕を、この状況下でも笑みを浮かべるアザゼルへと突き出し、彼をまるごと握り潰すイメージを覇奪へと命じるルシファー。
応じた覇奪は彼を狙えるあらゆる角度から融けた黄金の槍を繰り出し、防御や回避を試みる相手にそれを許さず、一本、また一本と槍を突き立てながら部屋ごと圧縮、圧殺を仕掛けに球体へと縮ませていく。
「悪魔式ぃ、ゾンビ潰しぃぃぃぃ!!」
「――ぐ、ぁ、がああぁぁ、ぁあぁっっ!!」
ルシファー及び覇奪によって握り潰される寸前の邪神が血を吐いて絶叫する。
すでに屋敷は跡形もなく、背景には倒れたままのアンノウンと、けっこう本気で頑張っているらしい携帯電話の様子が見えていた。
「アンタの負けよ、アザゼル!」
全身くまなく黄金に覆い尽くされようとしていく邪神に向け、高らかに勝利宣言を叫ぶルシファー。
「……は、ははは、くははハハはh――
グシャ…。
「………」
この期に及んで狂ったように笑い出す男を徹底的に包み込んで圧殺。
「覇奪。アンタ消化する前に包んで吐き出しときなさいよ、アレ。
あーゆー手合いは食べたら腹壊すどころじゃ済まないわよ、たぶん」
お言葉通りに黄金でラッピングして「ぺっ」と吐き出す覇奪。
ルシファーはそれを、異空間の宇宙へと向けて天高く蹴り上げた。
…なんともフラグクラッシャーな魔王ルシファーだった。
一日間にはさんで残り六話。
智欲・覇奪・狂希を筆頭にアポロ・サタン・核弾頭と無茶苦茶やってきましたが…、
最後の切り札が一番ヤバくなるようにがんばります。




