十人目の大罪
『アザゼル』(Azazel)
ヘブライ語に於いて「神の如き強者」という意味に由来し、時にサタンやベルゼブブと同様にルシファーと同一視されるほどの実力を持つ堕天使の一柱。
本来の聖書歴に於いてはルシファーと同様に堕天し、後に堕天使の長としての立ち位置を確立して物語を終える。
しかしこの物語におけるアザゼルはそこからさらに大罪化し、閉じゆく世界に見切りをつけて独立。
大航海時代にクリストファー・コロンブスらとともにアメリカ大陸へ渡り、キリスト聖書の知識がありながらも無神論者だった作家、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト氏(後のクトゥルー神話創設者)に己の配下にあった魔獣たちの知識や生態を、酒の席での暗示術によって刷り込む。
やがて氏は著作権が放棄され、多数の作家がその世界観を活用できるという、当時まったく異例のシェアードワールドを確立。
最終的にこの堕天使は、偶然か必然か、己と似た名前を与えられた混沌を司る邪神、『アザトース』の存在を抹消。
その立ち位置を強奪し、同時に己の主を軽蔑していた這い寄る混沌・ニャルラトホテプの信頼をその異常性によって勝ち得た。
さらに言うならば、もともとクトゥルー神話に於けるアザトースの名は「慈悲深く覆い隠されている」(つまるところ仮名)という設定らしく、本来の名は誰も知らないとされている。
そしてこの一件、なにより問題視されたのがその手口の曖昧さ。
これらの事象はどこまでが必然で、どこからが偶然なのかは判然としておらず、現実へと干渉した際にアザゼルが利用したとされる寄り代の行方も出自もまったくの不明。
極めて曖昧なまま現代へと至っている。
つまり、断罪に足る証拠がそろわなかったのだ。
一介の天使から堕天し、その長となる。
やがて大罪を背負い、最終的に世界を跳び越えて魔王級の邪神へと至った。
これが、この物語に於ける、かの堕天使の経歴。
それを可能とするほどの異常な大罪を、彼は背負った。
しかしその大罪に、智欲や覇奪のように「これだ」と確信できるほどの名はない。
その大罪が司る欲望は「恐怖欲求」。
下はどこにでもいるスピード狂や肝試しから、上は死の試行、正真正銘の殺人狂までの頂点に立つ、最凶のスリルシーカー。
適応される業はジェットコースターやお化け屋敷、バンジージャンプ、事件、事故、都市伝説、伝承、果てはゲームセンターの対戦まで。
当然戦争における生死を問わぬ業も累計されることとなり、現在の住処であるクトゥルー神話、コズミック・ホラーは格好のパワースポットとして力を蓄えている。
以上の条件を以って、わずかでも「恐怖」が感知されればカウントされる、世界規模に広く深く浸透した欲望のひとつを司る大罪。
すなわち、これもまた「危険すぎる大罪」である。
名は「十人目の大罪」、「十字碑の大罪」、どストレートに「恐怖の大罪」。
そのどれもが否定され、最終的に落ち着いた名は、『狂希の大罪』。
狂気ではなく、狂いを希う大罪、それがこの一柱。
全大罪中、もっとも出会わないほうがいい大罪。
全大罪中、もっとも存在するべきではない大罪。
アメリカ生まれでキリスト教の流れを汲んだクトゥルー神話へと移住を果たし、半ば容認という形で聖書から追放された、抹消された悪魔の一柱である。
智欲の大罪がマスターの手により、あわやツッコミ殺されて消滅の危機に瀕したニャルラトホテプ。
かの邪神の窮地を救ったのは、一見まるで無関係に見える、『どこか狂気に歪んだ気配を漂わせる混沌とした漆黒の翼』を背負った、六枚羽の堕天使だった。
VIP席から唐突に飛び出したそれは、上空から黒い触手を一筋垂らしてニャルラトホテプを一本釣り。
気付いたアンノウンは即座にマスターの眼前に降り立って身を守り、同じくして気付いたレヴィアタンは、死んだ目をしていたルシファーを容赦なくそれに向けてブン投げた。
もっとも、投げつけられたルシファーはさらに生え出たその堕天使の触手に打ち据えられ、頭から岩肌に墜落したのだが、そこは皆そろって黙殺する。
理由はただひとつ。あの悪魔は極めて頑丈だ。
それこそ宇宙空間でも生きていられるだろうと確信できるぐらいには鉄壁のバカ。
『………アザゼル』
「久方ぶり、と、言うべきかな? レヴィアタン」
応じる堕天使(推定)の顔には真っ黒なサングラス。
長い黒髪を後ろで一括りに一般的なダークスーツを着込んでいるが…頭にはなぜかテンガロンハット。
『ルシファーをよくも…』
「投げたのはお前だろう」
お約束のボケをかますレヴィアタンに、呆れてツッコミを返すその堕天使。
投げつけられたルシファーは突っ伏したまま魂が抜け出て、『あれ? ここどこだっけ?』などと言いつつ現世を彷徨っているらしい。
「…なんだアイツ、ニャルラトホテプの関係者か? …にしては扱いがひどいな」
自分を釣り上げた触手に首を括られて、ジタバタもがいている自称ねんどろいどニャルラトホテプ。
しかし、これもやはりだれもが無視。
そのうちぐったり動かなくなって、軽く光になり始めた。
地味に消滅の危機だが、しかしだれもがそれどころじゃないらしい。
「…検索終了しました。キリスト聖書の堕天使『アザゼル』です。
偽名にクトゥルー神話の混沌邪神『アザトース』の名を確認。
………恐怖欲求を司る、私と同種の大罪悪魔です」
またしてもな大罪悪魔騒動に、アンノウンのやつが視線で謝ってくる。
気にするな。いいさ。
天使もそうだがお前ら大罪一家にロクなのがいないことはもうわかってる。
まさか職業「テロリスト」とか言わんだろうな、とは思うが、もう諦めたよ。
アイツがナニモノであれ、もはや好きにしてくれ。
「どういうつもり?」
ここでようやくこちらに降りてきたレヴィアタンが、墜落したルシファーのとなりに陣取りながら改めて件の堕天使に問い質す。
「なに、せっかくの祭りだ。見物だけというのも味気ない話だろう?」
「メフィストフェレスは?」
「あの道化悪魔になにを期待していたわけでもなかろう?」
メフィストフェレス? ――ああ。控え室で聞いた覚えがあるな。
ルシファーが応対してるとかなんとか。
いや、俺的には別にその辺どうでもいい。
とりあえずシリアスな話をするなら俺の視界から死亡者二名をフェードアウトさせてからにしろよ。カッコついてねぇぞ、お前ら。
「わるいけど、飛び入り参加は遠慮してもらってる。
どうしてもと言うなら、ちょっと扱い荒くなる」
レヴィアタンの手提げ鞄から、ズラズラズラと数珠繋ぎされたかのように飛び出てくる出刃包丁の群れ、群れ、群れ。
「そのおもちゃで、か?」
てかそもそもアイツ、戦えんのか?
基本的に情報収集役なんだろう?
「マスター、あまりレヴィアタンを見くびらないほうがいいですよ。
レヴィアタンの表記はL、E、V、I、A、T、H、A、NでLeviathan。
リヴァイアサンと読まれることもある強大な魔獣です。
当然、かなり強いですよ。神が天地創造の五日目に創ったとされる、不死身の最強生物という設定を受けた幻想存在ですから」
ふ、不死身の最強ストーカー生物レヴィアタン??
なんだその絶対に出会っちゃいけない系の肩書きは?
「あ、リヴァイアサンと言や、ミカエルとやりあったときに見たな。アレか」
「…? マスター、なんの話ですか?」
「ん? お前あの時、例の怪獣大召還でリヴァイアサン出してたろ?」
「…そんな紙片、入れた覚えないですよ、私」
「………」
ちょっと待て、オイ。
まさかあん時のアレ、マジモンのレヴィアタンが大胆かつこっそりとミカエルを殺りに行ってたとか言わんだろうな? 気付けよアンノウン。
しかもアイツ、裁判のときアンノウンの撃墜スコアを千いくつだって言ってたよな?
自分の罪、さらりとアンノウンに押し付けやがったのか。
とどめにその面でミカエルたちと会談。どんだけ面の皮厚いんだよ。
てか、アイツの本性ウミヘビの同類か。
そいつはまた魚類だか哺乳類だか――うぉっ!?
包丁が一本飛んできやがった。
「…ごめん。なんかムカついて手が滑った」
「だから普通に死ねるつってんだろ、俺!
刺さったらどうしてくれるんだ、コラ!」
「とりあえず、今忙しいから全部後にして」
フィールドには魂抜けかけのルシファーに、消滅寸前のニャルラトホテプ。
戦闘モードに入ったレヴィアタンに、十人目の大罪悪魔だというアザゼル。
最終段階にまで至った愚者狩りを手にはしているものの、迂闊に動くことはできない俺と、そのガードに立つアンノウン。
この上さらに闘技場の観客衆に、その辺で倒れているだろうウリエルと九尾。
すでに場は収拾がつけられるのかどうかもわからないほど、混迷を極め始めていた。




