平凡男と名を奪われたアクマ
整理しよう。
今からざっと三十分ほど前、さえない大学生であるところの俺は近所の図書館で不思議な本に出会った。
うん、覚えている。
本を開くと力が抜けて、その時に確か、今目の前にいる緑髪黒目、角翼有り尖り耳、推定三歳児の幼女を見ているはず。
うん、合ってる。
その後、俺は確か、この子からヤバイものを感じたので即座に走って逃げた。
うん、間違いない。
なら、ナンデコノコハココニイル?
「さて、なにからお話したものでしょう。
私、自己紹介なんて生まれて初めてなのです」
「と、とりあえず、名前訊いていいか?」
自己紹介が始めてなどとのたまうが、さもありなん。
この無表情幼女は約三十分ほど前に生まれた疑いがあった。
名前があるかどうかも疑わしいな、などと考えていると、幼女はやはりというかなんというか、困惑した無表情(器用だな)を浮かべていた。
「申し訳ありません。私に私を識別できるような固有名は現在のこの世界には存在していません」
「予想よりもはるかにめんどくさい言い回しが帰って来て、むしろそこにビックリだ」
幼女は居住まいを正して続ける。
「私は本来、人間の持つ知識欲の罪。
すなわち『智欲の大罪』を司る悪魔の一柱。
そして同時に人の原罪、エデンの知恵の木の実を起源とする悪魔。
『大罪にして原罪の悪魔』として、聖書に記されるはずの存在でした。
しかし大罪は最終的に、傲慢、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰、強欲の七つのみ。
必要なのは食欲、性欲、睡眠欲、狩猟欲、物欲、自己顕示欲、破滅欲の七つとされ、原罪においても私は不要。
存在してはならない悪魔と認定を受け、名と存在の抹消処分が決定されました。
故に私の名は現在のこの世には存在していないというわけです。
蛇足ですが、私のこの角はりんごの木で、この翼はパピルスの古文書で構成されています」
「ごめん、さっぱりわからない」
「バカなのですね?」
正直に言うと、幼女は侮蔑の無表情を浮かべてくれた。
いや、言っていることが理解不能ということでは断じてない。
ただ、その話のどこに、名や存在まで抹消されなければならなかった理由があったのかが理解できないだけで。
「要するに、です。『神を相手に核弾頭を叩き込むような悪魔はいなくてけっこう』と教会の皆様にハブられたのです」
「大変わかりやすい説明をどうもありがとう」
思わず苦笑した。
確かにそんな悪魔が存在したら、神様も泣くだろう。
というか、この子が「そんな悪魔」か。
なんでまた俺なんかのところに??
「ところでお父様」
「だれがお父様か。
こちとら自慢じゃないが恋人の一人もいやしない、さえない大学生の身の上だ。
娘の存在など十年早いわい」
言ってて涙がでそうだ。いや、本気で。
「ですがお父様」
「だからお父様言うな! 泣くぞ。泣いちゃうぞ?
わかってるのか? 大の男が泣いても普通にイタイだけなんだぞ!
格好のいい男泣きなんて一生に一度できるかどうかの夢物語なんだ!」
ヤバイ。本気で泣けてきた。
この子は危険だ。男のプライドがガリガリ削られていく。
たった二言しか言われてないのに。チクショウ!
「いいからもう出てってくれよ!」
「…申し訳ありませんがそうもいきません。
お父さ――わかりました、宿主様と書いてマスターで妥協いたします」
どうもこちらの顔色を伺ってくれたらしい。
こっちももう布団かぶって不貞寝したい心境だ。
できれば朝起きたらすべて夢であってほしいと切に願う。
「…マスターの精神的余裕がイエローゾーンに突入したと判断いたしました。
18時を回ったこともありますし、お話の続きは夕食の後としましょう」
「…そうしてもらえると、助かる」
なんだろう? 心の傷に手を突っ込まれて、思いっきり引き裂かれたような気分だ。
さっきまであった、わずかばかりの余裕がかけらも残っていない。
「あ、オーダーはハンバーグとプリンで」
お子様だな、おい! 気遣いは最低限か!
いろいろと言いたいことはあるが、とりあえず財布を確かめて戸口へと向かう。
ハンバーグとプリンはともかく、今時のコンビニなら、癒しも売っているのだろうか?




