アンノウンと戦争の始まり
そして舞台は急速に移り変わる。
アンノウンは家に帰りつくとすぐさま本来の経文ワンピースに着替え直し、ミカエル経由で手に入れた例の転移カードを使用。
わけもわからず立ちすくむ俺を出現したゲートに叩き込んで自分も即座に飛び込んだ。
それはなんとも奇妙な感覚であった。
暗い穴の景色へ、たとえるなら崖から飛び降りたような落下感を1~2秒ほど味わったはずなのに、出口と思しきリングをくぐった瞬間、頭から地面にスライディングする羽目になった。
足からリングに入ったはずなのに、これは何故?
「痛つつ、ぅおぁー」
「転移、完了しました」
あっちはちゃんと着地を極めている。
あのチビ、もしかして俺を蹴り入れたのか?
とりあえず文句は後回しにして周辺を探る。
見渡す限り森、森、森。
今居るこの場所はちょっとした広場になっている。
背後には宙に浮かぶ四角い枠。これがゲートなのだろう。
天使の領域だけあって森は明るい雰囲気を醸し出しており、属性はやはり神聖なのだろう。
あの常に無表情なアンノウンが目に見えて気分悪そうだ。
「おい大丈夫なのか、お前」
「ちょっと気分悪いですね。
この際です。例の新技でいっそ周囲一帯汚染しておきましょう」
「んな!?」
「setcall『コモン・センス・ブレイカー』さあ、喰らいなさい」
その手に召還した赤い本が、周囲一帯に喰らい付くように紙片を撒き散らし、貼り付ける。
数瞬後には、まるでお札によって部屋ごと封印されたかのような光景に風景が侵食されていた。
前回見た紙片の撒き散らし方とは明らかに違う、意図された散布。
しかもどうやらいろいろと永続効果らしい。
散布は十分に完了したはずなのだが、彼女の頭上に帯遊し、これからアンノウンが進もうとしている方向へと、同じく紙片を撒き散らしている。
コモン・センス・ブレイカー。訳はおそらく『常識を破壊するもの』だ。
これで『常識を破壊するもの』だろう。
しかし内容は説明されたくないな、絶対。
ここはクトゥルー神話の世界じゃないが、実にSAN値、すなわち正気度が下がりそうだ。こういうのは出来る限り訊かないのが吉。
「さ、進みましょう」
その向かう先には峻険な山脈。
覇奪の大罪は洞窟にでも封印されているのだろうか?
装備なしでの山登り。普通なら自殺行為だ。
そもそも覇奪の大罪の情報の真偽のほども不確かだ。
アンノウンが言うには各種大罪悪魔は人の欲望を司る性質上、嘘を見抜く力に一家言あるらしく、天使側もそれを熟知しているため無意味に嘘を吐かないらしいのだが、それでもなにかが引っかかる。
何事もなく、ってのは、まず無理なんだろうな。
「はあ、一体なんだってこんなことに…」
先を行くアンノウンを追いかけて森の奥へ。
ルシファーの時と同様、長い一日になりそうな予感がした。
そして思惑は絡まり合う。
アンノウンが覇奪の大罪の封印されたフィールドに足を踏み入れてから、およそ一時間後。
ゲートは大量の人影を吐き出していた。
百…二百…三百…四百…五百…、
六百…七百…八百…九百…その数およそ千の軍勢。
広場は人影に埋め尽くされ、その先頭に立つ白の甲冑に身を包んだ青少年、大天使ミカエルが、苦々しげに汚染されたフィールドを見遣った。
「やってくれるな、智欲の大罪。だが、小細工もここまでだ」
図書館の時の対応でもわかるが、智欲の大罪はよほど用心深い性格をしているらしい。
こちらの準備が完了し、足並みが整う前に先手を打ってきたようだ。
だが、アドバンテージもそこまでだ。彼女には重い足枷がある。
そう、彼女のマスターという足枷が。
たとえマスターもまとめて飛べたとしても、この人数差は埋められない。
彼女はマスターを庇わざるを得なくなる。
こちらの構成員はすべて天使で固めた。
人間は一人たりとてこの任務に触れさせてはいない。
これはだれに知られることなく抹消されるべき、語られることなき戦いだ。
この勝負に負けはない。そして負けることもまた許されない。
やすやすと遅れをとるつもりはないぞ、智欲の大罪。
「みな、聞こえるな。
当面の問題は、この汚染されたフィールドへの対処だ。
最悪一網打尽の罠である可能性が高い。
迂闊に手を出すな。索敵班、前へ」
戦況は静かに動き始める。
それは覇奪の大罪を廻る一対千の戦争。
知らぬは彼女のマスターただ一人。
アンノウンは初手から切り札を以って打って出た。
彼女は「追跡者」に気付いていた。
可能ならば、その追跡者を処理してでもマスターを隠したかった。
だが、その追跡者の場所の特定までには至らなかった。
マスターを置いてくる選択は端から捨てた。
たとえ不利に陥ろうとも人質に取られるわけにはいかない。
マスターを固有空間に隠すプランも切って捨てた。
追跡者のスキルが読めない。
少なく見積もっても大天使か大罪悪魔クラスだろう。
智欲の大罪を以ってしても把握に至らなかったのだから。
彼女に思うほどの余裕はない。
智欲の大罪の死力を尽くすべき戦いが今、始まろうとしていた。




