表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
1章 英雄の帰還
8/51

07.あんた、嘘下手だな

 日の出とともに起き出したシャルは、天幕から出る。目の前には火が消された焚き火の跡があったが、アレックスの姿はない。おや、と思いつつ視線を巡らせると、すぐにアレックスが現れた。どうやら川に水を汲みに行っていたようだ。


「あ、シャル……おはようございます」


 アレックスが微笑んで挨拶をしてくる。「おはよう」と返したシャルだったが、水の入った容器を持っているアレックスの顔色が優れないことに気が付いた。昨日までは元気そうだったのだが、どうしたことか。


「なんだか顔色が悪いぞ?」

「そ、そうですか? 体調が悪い気は、しないんですけど……」


 地面に水の容器を置いたアレックスだったが、身体を起こした瞬間にふらりと態勢を崩した。シャルが手を伸ばし、アレックスの肩を支えてやる。


「おいおい、大丈夫か」


 そう声をかけると、さっとアレックスが青褪めた。そして身体を硬直させる。


「はっ……離して、くださいっ」

「え、あ、ああ。悪かった」


 まさかこれほど強烈な拒絶の言葉が返ってくるとは思わず、いささか虚を突かれたシャルは、アレックスを支えていた手を離す。すると我に返ったのか、アレックスは慌ててシャルに頭を下げた。


「ご、ごめんなさい。支えてくれたのに……」

「いや。俺みたいな下々の人間が、王太子さまに触れていいはずもなかったな。許してくれ」

「そうではありません……!」

「分かってるって、冗談だよ。それで、本当にどうしたんだ? 昨夜何かあったか?」


 真正面から向き合って尋ねたが、アレックスは口ごもって答えようとしない。シャルは腰に片手を当て、小さく嘆息する。


「いま俺はあんたとふたりで旅をしている。これで同行者のあんたに倒れられでもしたら、俺は二人分の命を抱えてこの広い大地を彷徨わなきゃいけなくなるんだ。それだけは勘弁だぜ」

「……そうですよね、すみません」


 アレックスは降参したように、白状した。


「実は、持病の貧血が」

「は? 貧血?」

「時々……そう、本当に時々、貧血でふらふらすることがあるのです」

「……へえ。時々、ねえ」


 すっと眉をひそめたシャルは、じっとアレックスの様子を見つめる。顔色は相変わらず悪いし、表情も険しい。


 そういえばこのアレックスには、小屋で会った時から違和感があった。小柄であることはおかしくないが、十八歳という年齢にしては高い声、美しい顔立ち。所作も滑らかなことこのうえなく、単に育ちがいいという以上の何かがある――。


 ――何かが脳裏で閃いた。


(もしかして、この王子様……)


 思いはしたが、口には出さなかった。きっとアレックスにとっては知られてはいけない秘密だ。それをあっさり看破するのも無粋である。ならばせめてその苦痛を和らげてやろうとシャルは考え、荷物の中から粉末の薬を取り出す。


「これ、飲んでおけ。鉄分豊富だから貧血に効く」

「良いのですか?」

「困っている奴に手を差し伸べるのが薬師の本懐、ってな」

「ふふ、頼りになります。有難う……」


 アレックスは辛そうながらも薬を受け取り、水と一緒にそれを飲みこんだ。せっせと朝食の支度をしながらシャルは言う。


「昨日から体調は良くなかったんだろう。ったく、どうして早く言わないかな。今日と明日、少なくともこの二日間だけは、お前は火の番をするな。身体を冷やすのが一番良くない。大人しく夜は寝ろ」

「……はい、そうします」


 これ以上迷惑はかけられない、と考えたアレックスは素直に頷いた。シャルはしばし無言になり、厄介なことになりそうだという予感に襲われていた。


 アレックスに渡したのは貧血に効く薬などではなく、鎮痛薬であった。




★☆




 旅を再開すると、最初のうちは馬に揺られることが非常に辛そうだったアレックスだったが、次第に症状は緩和されてきたのか、表情は穏やかになった。薬が効いたのだろう。効いてしまうことに問題があるような気がするが、シャルは口をつぐむことにした。


 ――国の重臣に数えられる血縁のレオンハルトが、このことを知らないわけがない。再会したら聞いてやろう、と心に決めた。


 街道を進んだ先に、ひとつ街がある。ロゼリアという名の街である。シャルとアレックスが進む南北街道の中継地点として栄え、旅人の宿場となっている場所だ。本来ならばここで身体を休めるのだが、シャルは迂回するという選択をした。街道を外れて街を西回りに回避しようとしたところで、アレックスが声を低めてシャルに呼び掛けた。


「シャル。街の中にテオドーラ兵の姿があります」


 シャルは視線をそちらへ向ける。遠目ながらも、テオドーラ軍の黒い制服が見えた。住民の姿は見えない。


「フォロッドと同じで、糧食や物資の調達だろう。ロゼリアは豊かだからな」

「助けられないでしょうか……?」

「敵の人数が桁違いすぎる。今は耐えろ。いずれ十倍返しにしてやる」


 冷酷にすら聞こえる声音でシャルは言い聞かせ、馬を進めた。シャルだって、助けに行きたい。アレックスがいなかったら、もしかしたら無謀に突っ込んでいたかもしれない。しかし今のシャルの務めは、アレックスをインフェルシア軍に合流させることだ。それを最優先に考えなければいけない。


 この国は要害が少なすぎる。北東のアジールとはシェーレイン大河で隔てられており、アジールが侵攻しようと渡河してきたところを攻撃できる。しかしテオドーラとの国境はエレアドールの野で、山もなければ川もなく、城塞もない。そのためテオドーラからの侵略を受けやすく、一度インフェルシアが負けてしまえば、テオドーラ軍の王都侵攻を阻む要害は何一つないのだ。平地が続くこの国土は、防戦を主とするインフェルシアには圧倒的不利であった。


 シャルが軍に所属していたころから、エレアドールの野に城塞を建設するという案が出ていたことには出ていた。だが城塞を建てるというのは一朝一夕ではできないのだ。建設現場の測量から始まり、膨大な費用も工面し、腕のいい職人たちを大量に集めなければならない。それら諸々の準備を整え、いざ建設に入ろうとしたところで、今回のテオドーラ襲撃である。城塞建設を阻止するための侵攻でもあるとシャルは思っている。


「それはともかくとして、街道にも関所か監視台か、何でもいいからそういうのは必要なんだよな。だからファルサアイル湿原まで撤退するような羽目になるんだ」

「インフェルシア軍は、籠城経験が乏しいですからね……平野戦に持ち込むしか手段がありません」

「平野戦で地上最強を誇るようなら、それでもいいぜ。けどこの国はそうじゃねえだろ。やっぱりエレアドールには城塞を建てて、そこに軍を常駐させておくべきなんだ。今みたいに、相手が侵攻してきたから出陣するんじゃ遅い」


 国の在り方を批判するシャルの表情が生き生きしているのは、アレックスの気のせいではないだろう。


「……ま、城塞を建てるためには、四,五年は再起不能になるくらいにテオドーラを叩きのめす必要があるけどな」


 シャルが皮肉っぽく付け加えたとき、後方から馬蹄の音が響いた。シャルがさっと振り向くと、ロゼリアにいたテオドーラ騎士が十名ほど、馬を駆って接近してきていた。このご時世に二人旅をしている姿は、さぞ奇妙に映ったのだろう。


「見晴らしが良すぎるってのも、ほんと場合によりけりだな。アレックス、駆けろ!」

「はい!」


 アレックスは馬腹を蹴り、馬を疾走させた。シャルもそのあとを追う。


 シャルのすぐ脇を、矢がかすめていく。シャルは舌打ちして剣を抜き、矢を切り払った。


「くそっ、俺の手元にも弓があればな」


 無いものねだりの愚痴が口からこぼれたが、どうしようもない。シャルは軍人の基礎武芸として、槍も扱えれば弓も扱える。しかも、苦手ではなかった。いまシャルたちは風上へ向かって走っている。シャルが矢を放てば、その矢は追い風に乗って遠くまで飛ぶ。そうなれば面白いように敵を射ることができるのだが。


 シャルは手綱を引いて馬を嘶かせると、くるりと馬首を反転した。そして敵に向けて突進する。アレックスが慌てて速度を落とす。


「シャル!」


 叫んだが、シャルに止まる気はない。何度も言うが、この国は平坦で見晴らしが良いのだ。身を隠す場所など近くには見当たらず、彼らを撒くことは難しい。それに、生きてロゼリアに戻られると追手がかかって更に厄介になるのだ。


 シャルは真っ先に、弓を射ていた騎士を馬上から斬って落とした。返す一撃で、横合いの敵の首と胴体を切断する。


 残りのテオドーラ騎士たちもシャルに殺到したが、そのうちの一人が悲鳴を上げて勝手に落馬した。上空から急降下してきた一羽の鷹に、眼球をしたたかにえぐられたのである。このヴェルメが有能なのは索敵能力だけでなく、戦闘能力も含まれているのであった。友人の危機に上空から駆けつけたのだ。


 空からの奇襲に人の身で対処できるものではない。ひとりを打ち倒したヴェルメは一度空へ舞い戻り、同じ手法で別の騎士を落馬させた。シャルの剣も死の楽章を奏でている。


 アレックスが馬を近づけたとき、戦闘は終了していた。シャルは息を吐き出し、血濡れた剣をだらりと下ろす。彼の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。


「シャル……大丈夫ですか?」

「ん……ああ、怪我はねえよ」


 シャルはそう言って剣を収めた。そして無言で馬を進める。そのあとを追いながら、アレックスが呟く。


「ごめんなさい」

「なんで謝るんだ?」

「辛そう……だから。私がもっと強ければ、貴方の負担を減らせるのに……」


 シャルは薄く微笑む。


「あんたが気にすることはない。軍人は戦うのが仕事だ。その役目に立ち戻ることを決めたのは俺だよ。むしろ、そう決意したのにまだ吹っ切れない俺がいけないんだ」


 殺人を嫌う自分の心を、シャルは隠そうとしなかった。辛いものは辛い。殺人が好きな人間など、まともな感性の持ち主ならいないはずだ。


 シャルとて情けなく思っている。目の前で兄を失ったことのトラウマが今も残っているのだが、その前にも、それ以後にも、シャルは敵を斬り続け、自分と同じ境遇の人間を大量に創り出した。自分だけ不幸だなんて思ってはいけない。だから今更逃げるのは許せないのである。


 痛みは受け入れ、乗り越えるもの。――いつだったか、クライスがそう言っていた。兄の言葉はすべてシャルの胸に刻み込まれ、彼の価値観や生き方に大きな影響を与えているのだ。


「さ、早いとこ移動するぞ」


 シャルが馬を速めたので、アレックスもそれに続いた。




★☆




 それから二日。幸いなことにテオドーラ騎士に見つかることもなく、見かけたとしても迂回することに成功し、シャルとアレックスはファルサアイル湿原に足を踏み入れた。


「あー……じめじめしてるなあ。おまけに背の高い草木がひとつも見当たらないと来た。どうしてこの国にはこういうところしかねえんだろうな」


 シャルは愚痴をこぼしている。からっとした晴天のような性格のシャルにしてみれば、これほどうじうじした場所は極めて不愉快であった。湿原は過湿かつ貧養の土地だから、湿気が多いのも背の高い植物がないのも仕方ないことである。


 彼らは今、湿原を大きく西回りに移動している。遠回りではあるが、真っ直ぐ突っ込めばテオドーラ軍の背中にぶち当たってしまう。しかも湿原を横断するのに丸一日はかかる規模なので、敵軍も味方軍も姿は見えないし、戦争の気配さえ感じられない。


「俺の予想だと、インフェルシア軍の左翼方面に出られるはずなんだけどな」

「左翼は騎士隊ですね。でも、エレアドールでかなりの損害を負って、槍歩兵隊が配置されたと聞きますが……」

「……そいつはちと厄介かな」


 シャルは思案する。左翼軍や右翼軍、遊撃隊というのは機動力が命だ。それなのに歩兵を配置するとは。そうしなければ左翼の攻撃が薄いとみなされ総攻撃を受けかねないのだが、やはり歩兵では荷が重い。いつまで敵攻撃を受けて耐えられるか。


「――シャル! テオドーラ騎士の一隊が」


 アレックスが警告の声を発する。シャルは馬を止め、アレックスが指差す方向を示す。そこには三十人ばかりのテオドーラ騎士がいた。距離はだいぶあるが、向かっている方向はシャルたちと同じだ。


「回り込もうと考えるのは、俺だけじゃないってか」


 シャルはそう呟いたが、アレックスがシャルを見上げる。


「人数が少なくありませんか? あれでは、さすがに左翼軍を討ち破れません」

「奴ら、もっと大きく迂回するつもりだぜ。軍の最後尾には何がある?」

「王の本陣……ですか?」

「いや、もっと後ろ」

「……糧食を積んだ輸送隊」

「そういうこと」


 シャルは頷き、そっと馬の歩みを再開した。テオドーラ騎士を尾行する形だ。


「インフェルシアの荷を燃やすなり奪うなりするつもりだろう。いきなり後方でそんな騒ぎが起これば、前線は混乱する」

「尾行しているってことは、阻止するつもりがあるのですね?」


 鋭く切りこまれ、シャルは沈黙する。いつものように厄介ごとを避けるなら、シャルはすぐさま進路を変えたはずだからだ。アレックスには、シャルがこんなことを見過ごせるわけがないという確信があった。


「……正面からぶつかって負けるなら実力だと諦められるが、後方に回り込まれて糧食を燃やされた挙句の飢え死にってのは、情けないじゃないか」


 シャルはそう呟き、腰の剣に手を置く。


「気付かれていないとはいえ、やり合うには人数が多いな」

「シャルはローデルで、五十人のテオドーラ工作員を殲滅したと聞きました」


 アレックスは、あえてここまで一度も口に出さなかった『ローデル』という言葉をシャルに向けて言った。シャルは渋い顔をする。


「五十人と言っても、三分の一は俺と同じように護衛に就いていた奴らが倒した。俺は、国王を連れて逃げただけさ」

「でも、三分の二を倒したのはシャルでしょう?」


 確かにそうではある。だがシャルは【ローデルの英雄】と呼ばれるのが心底嫌いだった。あの時国王の護衛にはシャルを含め二十人ほどがついていたが、敵の襲撃を受けて、シャルは国王を連れて逃げるように上官に指示されたのだ。シャルの武勇が信頼されていたということもあるが、結局は最年少だったシャルをなんとか逃がしたい一心だったのである。あの頃のシャルにとってしてみれば『逃げろ』と命じられたのは屈辱だった。シャルは国王を連れて生き延び、追っ手を殲滅したが、逃げろと指示してくれた先輩や上官をすべて失った。


 いつだってシャルは、何かと引き換えに何かを守ってばかり――。


「……ヴェルメ! レオンを連れてきてくれ」


 空を飛ぶヴェルメにシャルがそう声をかけると、ヴェルメは翼をはためかせて進路を変え、飛び去った。もうレオンに負けて悔しいなどとは言っていられない。絶対に生き残るために、人数が必要だ。


「アレックス、身体の具合は?」

「はい、今日は平気です。シャルの薬がよく効きました」

「そういうことじゃなくて、時期が終わっただけだろうが……いや、まあいい。突っ込むぞ、自分の身は自分で守れ」

「はい!」


 シャルは剣を引き抜き、馬腹を蹴った。アレックスもそれに続く。ふたりはあっという間にテオドーラ騎士の一隊の後背に追いつき、奇襲を仕掛けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ