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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
1章 英雄の帰還
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06.貸しは作らない主義でね

 ファルサアイル湿原は南へ五日ほどの距離にある。シャルがアレックスと出会ってから三日目であるから、もしアレックスらが戦場を離脱してすぐに軍が撤退したとしたら、軍もまだ到着していないはずである。にもかかわらず街道にそれらしき人影はない。普通は行軍の速さについて行けず、脱落する兵も多いのだが、それすらないのである。


「よほど見事に撤退したのでしょうね」


 アレックスはそう言ったが、少し異論のあるシャルは補足する。


「見事かつ秩序を保ったまま、『逃げ出した』のさ」

「う」

「しかしまあ、テオドーラ兵の姿もねえな。これだけ肉薄した状態で追いかけっこするんじゃ、撤退する意味がねえだろうに」


 フォロッドを出て既に三時間近く経っている。鷹のヴェルメは上空を偵察中で、何か異常があればシャルの元へ戻ってくるはずだ。なかなか賢い鷹なのである。


 しかし、とシャルには思うところがある。インフェルシア軍は何をもって「敗北」したのだろうか。レオンハルトから手紙が届いたのだから、彼は死んでいない。おそらく老将軍ことフェルナンド・シュテーゲルも無事だろう。アレックスは、レオンハルトとの別れ際に「殿下のお戻りを待ちます」と言われたそうだ。ということは、あの時点でレオンハルトは負けるという予想をしていなかったことになる。何か不測の事態が起きて、撤退を余儀なくされた――。


 可能性があるとすれば、国王の身に何かあったか。


「……シャル? 何を考えているのですか?」


 急に黙ったシャルに、アレックスが声をかける。シャルは顔を上げ、少し笑みを浮かべる。


「ちょっと面白いこと」

「面白いこと?」

「いまテオドーラは、インフェルシア内陸部まで入り込んできている。ちょいと進路を北に変えてテオドーラの都に行くのは、ぶっちゃけインフェルシア軍に合流するより簡単そうなんだよな」

「都に行って、どうするのです?」

「テオドーラの王さまを討って、奴らの帰る場所を奪っちまうとか」

「ええっ!?」


 ふと思いついたことではあったが、シャルの思考はさらに膨らんでいく。一方、そんなことなど思いもしなかったアレックスは茫然とするばかりである。


「それが無理でも、俺だったら海軍を動かしてテオドーラ本国を襲うね。大体、この国の一番の戦力は海軍だ。なのにあんな真っ平らなエレアドールを戦場にしたりするから、それが活かせないんだよ」

「な、成程……実行できるかはともかく、有効な策ですね」

「そう、実行できるかどうかが問題なんだよな」


 シャルは生真面目に頷いた。有効そうな策をいくつも考え出しても、実行できるものは限られるのだ。それにシャルは、策というものがあまり好きではなかった。確かにただがむしゃらに戦うだけよりは、策を練ったほうが犠牲が少なくて済むかもしれない。だが逆だってあり得る。勝つための策を練るというのは、それだけ頭の中で人を殺していることになる。


 そんな考えを振り払ったシャルは、アレックスを振り返る。


「まあとにかく、この辺の村はテオドーラに占領されている可能性が高い。軍と合流するまで、街には入らないからな」

「はい。野営は慣れているので、大丈夫です」

「そりゃ頼もしいこったな」



 ひたすら街道を南へ、南へ。


 この街道はインフェルシアを南北に横断するもので、平時であれば商人や旅人や傭兵などが往来する、人通りの多い道である。だがこんな情勢下だからか、シャルとアレックスの他に歩いている者はいない。馬車と馬車がすれ違う際ぶつからないよう細心の注意を払っていたのが日常茶飯事の光景であるが、人がいないとこの街道も割と広いんだな、とシャルは感じる。


 適当なところで街道を外れ、大きく迂回する必要がある。何も考えずまっすぐ進んだら、到着するのはテオドーラ軍の背中である。これで千騎でも連れていれば背後を襲うことができるが、さすがにシャルとアレックスだけでは無謀だ。大人しく地道にレオンハルトを探すしかなかった。


「ヴェルメにレオンを連れて来てもらうっていうのはどうでしょうか?」


 アレックスがそう提案した。シャルは視線を上空に上げ、悠々と空中散歩を楽しんでいるヴェルメを見やる。シャルはむっとした。


「……そうするとレオンに負けたみたいで、嫌だな」

「ま、負けるって……」

「あいつに見つけてもらうなんて屈辱だ。なんかこう、貸しときたいんだよなあ」

「しゃ、シャルは負けず嫌いなのですね」


 困ったようにアレックスが笑みを浮かべる。シャルは頭を掻いた。


「負けず嫌い……か。レオンに対してだけは、そうなのかもな」

「好敵手ってことでしょうか」

「あいつは、俺が必死になってやっとたどり着いたところに、息ひとつ乱さず先回りして待ち構えているような奴だ。そういう時の笑顔を見たら、本当にむかつくんだよ」


 何か少し違うような気もしたが、「仲が良いのですね」とアレックスは思って納得することにした。同時に羨ましくも思う。そんな風に言いたいことを言いあって、切磋琢磨しあえる友人など、アレックスには存在しないからだ。なんだかんだ言って、シャルもレオンハルトも互いのことをよく分かっている。


「アレックス、暇だから色々聞いていいか?」


 急にそう言ってきたので、アレックスは驚いて顔を上げた。そしてシャルの言葉の意味を理解して、苦く笑う。


「暇つぶしで根掘り葉掘り聞かれるのはちょっと……」

「まあそう言うな。なんかお前に対して喋りすぎたような気もするし、おあいこだ」


 そう言えば、さっきからシャルのことばかり聞いてしまっていた。「嘘はつかない、過去の自分を否定しない」という信条のシャルだから、こうしてべらべらと喋ってくれたわけである。


「と言っても、俺たちの共通の話題なんてレオンのことくらいしかねえな。そういや、レオンと仲良いのか?」

「はい。親戚ですし、昔から兄のように思ってきました」

「本当にそれだけ?」

「え、それだけって……それだけですけど」


 なぜそこで疑われるのだろう。


「あいつのことを『レオン』って呼ぶのは、俺とじいさんと、俺の兄さんくらいだったからな。俺ら以外の人間が呼んでいるっていうのが、ちょっと新鮮だったのさ」


 確かに、レオンハルトをレオンと愛称で呼ぶ人間は少ない。彼は温和で優しいが、人付き合いでは完璧に壁を設けているからだ。それに弾かれた人物は「アークリッジ中将」か「レオンハルト様」と呼ぶしかない。だが壁を突破した人間には本当に親しくしてくれる。シャルがそうだし、アレックスがそうだ。


 しかしひとつ気になる単語が出てきた。アレックスはつい尋ねてしまう。


「シャルの、兄上……?」

「クライス・ハールディン少将。気になるなら、軍に合流したらレオンかじいさんにでも聞いてみてくれ」


 シャルはあっさりと話を流した。アレックスは曖昧に頷く。元騎士はまったく動揺した様子がなく、話の軌道を修正してしまう。


「王太子のはとこってことは、レオンの奴が国王になる可能性もあるのか」

「はい。私には兄弟や従兄弟が大勢いますけど、どういうわけかみんな女で……親等数でいったら、叔父たちに次いでレオンは継承権第四位です」

「へえ、一歩間違ったらあいつが国王だったのか……しかし、国王は男ってのが絶対のインフェルシアで、王族が殆ど女なんて不運が本当に起こり得るもんなんだな」


 インフェルシアでは昔から男児優先の社会が築かれていた。今では男女平等を掲げられているが、王位継承に関しては昔から変わらないのである。シャルは正直馬鹿馬鹿しいと思っているが、血筋を重んじる貴族はどこにでもいる。血筋じゃなくて能力で決めろよと言いたいが、そうなったら国王なんて必要なくなる。共和制の国になってしまうからだ。


「……女として、生きたかったな」


 急にアレックスがそんなことを呟いたので、シャルは驚いた。


「そいつはまた、どうして?」

「いずれ王位を継ぐ……という覚悟が、どうしても固まらなくて。自由気ままに生きている妹が、羨ましいなって……」


 アレックスはにっこりと微笑んだ。


「……って、こんな弱音はいけませんね。すみません、忘れてください」

「――いいんじゃねえか、弱音吐いても。ここにゃ、俺しかいねえんだから」

「え……?」


 前方のみを見つめているシャルは、そのまま告げる。


「俺に弱音ぶちまけて、みんながいる前で堂々としていられるなら。俺があんたの弱音の捌け口になってやるよ」


 アレックスの性格上、他人に弱さを見せることは苦手なはずだ。きっと親しいレオンにだって、いやレオンにこそ弱気なところは見られたくないと考える。しかし、シャルには話せる。シャルには堅い口の紐を緩ませてしまう妙な雰囲気があったし、アレックスと対等に話をする稀な存在だ。ぽろっと本音をこぼしてしまっても、口の堅いシャルは信用できる。


「有難う、シャル……」


 アレックスは小さく微笑んだ。


 日が暮れはじめたころ、シャルとアレックスは馬を止めた。街道を外れた場所に小川があり、その傍で休むことにしたのである。


 シャルは手早く荷物を広げ、小さい天幕を建てた。そんなかさばるものをどこに持っていたのかとアレックスは驚くばかりだ。天幕を建てるシャルの手際は実に見事であった。


「野営するとしても、硬い地面に雑魚寝っつーのは許せないんだよな」

「本当に、きちんとしているんですね」


 アレックスは微笑みつつ、火を焚いた。自分でもできることは進んでやるようにしている。でないと、自分はシャルのお荷物になってしまう。料理はシャルに任せ、後片付けもアレックスが行った。その頃にはすっかり夜になっていた。シャルは焚き火の中に木切れを放り込み、アレックスに言った。


「アレックス、早めに休んでおけよ」

「シャルはどうなさるのですか?」

「俺は火の番」

「……では、日付が変わるころに交代します。いいですよね?」

「あんたが起きられたら、そういうことにしよう」

「起きますよ。これでも軍人です」


 アレックスは肩をすくめてそう言い、「おやすみなさい」と言って天幕の中に引っ込んだ。シャルはそんなアレックスをひらひらと手を振って見送り、地面に置いていた剣を引き寄せた。


 警戒すべきなのは、何もテオドーラ騎士だけではない。この辺りには野生の獣も生息しているのだ。昼間は索敵を買って出てくれるヴェルメだが、鳥の宿命には逆らえない。夜はヴェルメも大人しく、傍にある木の枝にとまっている。


 シャルは暇つぶしに、薬の調合を始めた。家から道具は一通り持ってきたのである。数種類の薬草をすりつぶして粉末状にしつつ、フォロッドのことを思う。


 俺がいない間、大丈夫だろうか。ふとそんなことを考える。いざという時のために、家には大量の薬を置いてきた。それらの名称や用途なども書き置きを残し、リヒターに預けてある。一通りの病の症状には対処できるはずだが、それでも限界はある。


 シャルの処方する薬だけでは間に合わないとき、その病人はシャルが背負って隣町まで運び、医者に診せていた。しかし山道を封鎖し、かつその隣町も安全でないとしたら、彼らは完璧に孤立したことになる。


「……早いとこ、なんとかしないとな」


 シャルはそう呟く。すべての理由は、フォロッドに住む住民たちのため――。


 命を懸けるには、シャルにとっては十分すぎる理由だった。


 人間、なかなか無心にはなれないものである。だがシャルの場合、薬の調合をしているときはたいてい無心だ。調合を両親から教わったのはもう十五年近く前だが、その当時の柔らかい子供の脳は完全にそれらを習得してしまっていた。何も考えずとも機械的に身体は動いてしまう。


 やっぱり薬師というのが俺の天職なのかもしれない。そう改めて思ったとき、背後の天幕からアレックスが出てきた。シャルは驚いて振り返る。


「なんだ、もう起きたのか」

「もうって、四時間は経ちましたよ」

「げっ、そんなに?」


 シャルは夜空を見上げた。月の位置がだいぶ変わっている。熱中して気付かなかったようだ。


 宣言通り日付が変わったころに起きてきたアレックスと火の番を交代し、シャルは天幕の中に入った。床に敷いてある毛布に横たわると、先程までこれを使っていたアレックスの温もりが若干感じられる。徹夜は得意なシャルでも、ここ五年間の生活リズム的に、普段ならば熟睡している時間だ。眠気は抑えられず、ひとつ欠伸をして目を閉じた。


 二人旅は不便だ。シャルはつくづくそう思った。

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