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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
5章 決戦の時
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04.負けない、明日のために

 視界を遮るほどではないが、うっすらと靄ができている。このインフェルシアは世界でも割と北部に位置し、夏も終わりかけの現在、昼は相も変わらず暑くても朝晩は冷え込むようになっていた。それに、王都には水路が大量に張り巡らされているため、尚更靄等が発生しやすいのだ。


 旧市街へ入る。いつも一緒にいてくれた人は、誰もいない。忠実に付き従ってくれたヴェルメでさえ、レオンハルトに預けてきた。本当に今のシャルはひとり。負けたら、それすなわち死に繋がる。


 ――それでも、なぜかシャルの心は落ち着いていた。試合いなどではない、死合いであるはずなのに、なぜか死への恐怖はない。『負けるはずがない』、とまではさすがに言えないけれども、何かそれに準じる確たる自信があるような気がした。その気持ちは、かつて兄が存命だったころのようで。


 クライスという大きな存在が後ろにいてくれたから、シャルは不遜でいられた。それは依存でもあったかもしれない。だが彼が命を落とし、シャルの不遜さは鳴りを潜めた。軍から身を引いたのだから、不遜さを発揮する場所もなかったわけだ。軍に戻って来てから再びシャルは昔の不遜さを出してはいたが、それは味方を鼓舞するためのものでしかない。しかしいま『負けない』と思っているのは紛れもなく不遜なことで、そう言う意味でシャルは、やっとクライスから自立できたのかもしれない。彼がいなくても、軍人として生きていけるようになったのだ。



 ヴァンドールがいる。先日と同じく、広場に佇んでいた。その姿だけ見ると、何やら人待ちをしているようにしか見えない。いや実際シャルを待っているのだけれど、これから戦うという雰囲気は伝わりにくい姿だ。


 太陽が差してきた。もう日の出は、夏真っ盛りに比べると遅くなっていた。靄が晴れる。気温が上がってくるだろう。空には雲がひとつもなく、まるで底なしの蒼。でも少し、風は冷たい。


 ヴァンドールは何も言わず、広場へ入ってくるシャルを見つめていた。シャルはヴァンドールの間合いの外に立ち、黙って剣を抜いた。クライスが長年使ってきた剣だ。それはシャルと同じく片刃、フロイデンは『刀』と呼んでいた。


 シャルに合わせ、ヴァンドールも長剣を抜き放つ。朝日に光る銀色がどこか赤く見えたのは、今までに吸ってきた血の色か。


 言葉は必要なかった。今更語ることは何もない。シャルとて雄弁なほうではないのだ。



 激突。



 激しく火花が散った。打ちかわされた刃は早朝の澄みきった空に甲高く響く。


 横薙ぎに振るわれたヴァンドールの剣を、いつもならシャルは身を沈めて避けただろう。だがこのときシャルは真っ向から剣を受け止め、振り払った。そこに彼の強気が見え隠れしており、これにはヴァンドールも多少目を見張った。


 ヴァンドールが間合いを取る。シャルは初めてこの男を退かせたのだ。ヴァンドールがふっと笑い、一言。


「……変わったな」


 シャルはクライスの剣を構えながら、応じて笑みを浮かべる。


「そうかい?」


 シャルが叩きつけた斬撃を、ヴァンドールが受け止めた。と、ヴァンドールは左足を跳ね上げた。身をよじってその足蹴りを避けたが、続く左手による第二撃が豪速で接近する。シャルの護身術程度ではない、本物の鍛えられた徒手空拳だった。こんなものまでヴァンドールは習得していたらしい。


 前回戦ったときは使わなかった武術。それを用いたということは、それだけヴァンドールも本気ということか。



★☆



「勝利は見えてきた……大丈夫、いける」


 イルフェは口の中でそう呟く。隣でフォルケが頷いた。


「五年間、准将なしでそれぞれ私たちは戦ってきた。信じろ、自分たちを」

「はい」


 しっかりと返事をして、イルフェは背後を振り返る。シャルが王都へ戻ってから、この部隊の指揮はイルフェが執ってきた。フォルケとリヒターの補佐を受けながら、五百騎をまとめてきたのだ。一番傍で、一番昔からシャルを見てきたイルフェだから、その役目を任された。


 みな疲れている。騎士たちは勿論、アンリやヴィッツ、カイン、リヒター、フォルケ、イルフェだって。それでも粘ってきた。この先にある勝利を見据えて。


「終わったら、みんなで祝宴でも開かないか。ぱーっとやろうぜ」

「おお、それは名案。では友人に頼んで劇場を貸し切らせて頂くとしよう」

「だ、だったら、俺の妻を連れて行っていいですか。きちんと紹介したことなかったですよね」

「あのー、宴会は良いですけど准将はお酒が……」


 カインたちはそんな話で花を咲かせている。いいことだ、とイルフェは思っている。絶望ではなく、その先の明るい未来を話すのは士気向上につながる。


「イルフェくん、準備はいいかな?」


 フロイデンが馬を寄せてくる。イルフェは姿勢を正し、頷いた。


「はい、万事滞りなく!」

「よし。……では行こう。城壁からは弓箭隊と投石隊の援護、海からは海軍の援護がある! 我らを阻むものは何もない!」


 滅多に聞けない騎士隊隊長の大喝。イルフェも手綱を握り、剣を持つ手に力を込める。



「これで決着をつける! 全軍、――突撃ッ!」



 フロイデンの号令のもと、騎士が歓声と土煙をあげながら突撃を開始する。右手ではキーファー率いる槍歩兵隊、左手ではモース率いる剣歩兵隊の突撃も行われた。


 飛び交う剣戟。降り注ぐ矢。轟音と共に爆発する砲弾。


 何人もの仲間を失ってきた。それも――これで決着。


「シャル先輩も必死で戦っている。僕らがそれに応えなければ」


 イルフェは剣を手に、敵陣へ躍りこんでいった。



★☆



 何度目の斬撃であろうか。


 斬撃は受け止められるか避けられる。両者ともに傷一つないまま、そんな応酬を続けている。刃先はお互い紙一重のところを掠めていく。シャルもあわや脇腹を斬られそうになったし、ヴァンドールもシャルが手応えを確信していた突きを避けて頭髪を数本犠牲にした。


 紙一重。お互いかなり追い詰められている。


 実力が拮抗ならば、ここからは体力勝負か。シャルも体力には自信がある方だが、ヴァンドールにそういう常識は通用しないと思われる。どうやって、決定的な一撃を叩きこめばいいのか。


 剣身の長いヴァンドールの懐に入り込むのは至難の業だ。だが逆に、入り込んでしまえばシャルに決定打がある。だからなんとか間合いを詰めようとしていたのだが、接近してもヴァンドールの蹴りや殴打が迎え撃つ。なかなかシャルの思う通りにはいかない。


 体力の消耗もある。先に疲れたほうが負け。となれば、分が悪い――。


(一か八か……!)


 シャルは意を決し、地面を蹴った。真っ向からヴァンドールに駆け出し、斬撃を浴びせたのだ。


 すれ違いざまの一撃。頬に鋭い痛みが奔った。ばっと振り返ると、ヴァンドールの足元に血が滴っていた。出血元は、ヴァンドールの左腕。


 対するシャルは、ヴァンドールの剣が頬を掠めたことによって多少血が滲んでいるだけだ。この賭けは成功したともいえる。ヴァンドールに先に傷を負わせたのだ。


 だが二度と同じ手は使えない。それに、これ以上の成果も望めないだろう。


 即死させる勢いで、首を落とすか――心臓を突く。


 前回とは違って、これは完璧な殺し合いだ。ヴァンドールもシャルと同じことを考えている。けれど、己の急所を庇っていてはいつまでたってもヴァンドールとの決着はつかない――。



 日が高くなってきた。そろそろ市民たちは起きだす時間か。いかに旧市街といえども人が来ないとは限らない。なるべく早く終わらせたかったが、どうやら見込みが甘かったようだ。気温も上がれば、更に体力消費は激しくなる。


 ――これは、明日ぶっ倒れるのは覚悟かもしれないな。


 シャルはふとそんなことを思う。今を切り抜けねば明日は来ないけれど、それでも明日を考える余裕のある自分がいる。


 そのためには――ヴァンドールの『明日』を壊す必要がある。いつだってそうだった。自分が明日を生きるために、誰かの明日を消してきたのだ。弱肉強食、そんなものは真理ではない。だからこそ、その元凶である戦争は早く切り捨てるべきなのだ。


 今は同じように考えてくれる人が大勢いる。これが、大きな一歩となるはずだから――その一歩に、自分も参加したいから。だから、明日を生きたい。


 死にたくないと思ったことは何度もあった。けれど、生きたいと思ったのはなかった気がする。



 ヴァンドールが攻め手に回る。その長剣から繰り出される斬撃はどれもシャルより一回り重い。素早さでシャルは勝っているので何とかなっていたが、疲れは足を鈍らせ、回避を困難にする。となると剣で受け止めるしかないが、膂力ではどうしても押し切られる。


 シャルの手からクライスの剣がするりと抜ける。ヴァンドールの力によって弾かれたのだ。にやりと笑ったヴァンドールが剣を一閃させたが、シャルはバク転の要領で後方へ飛びのいた。両手が空いたほうが身軽、というのもまた事実である。


 剣はシャルの手から抜けてヴァンドールの後方へ滑っていた。取りに行くには、前方に立ちはだかるヴァンドールの横を通り過ぎねばならない。だがただ走っていくだけでは斬撃が確実に入る。


 それが分かっているからヴァンドールはその場を動かない。普通相手が移動すれば呼応して動くものだが、仁王立ちだ。


 さてどうするか。シャルはちらりと目線を上へ動かす。


 広場は円形、周りは樹木で覆われている。枯れかけではあるが、シャルの真上には太い木の枝が長く伸びていた。高さは地面から三メートルあるかないか――。


 軽くその場で身体を跳ねさせる。ぴょんぴょんと垂直に、肩の力は抜いて両手はだらりと下げている。何かの準備体操のような動作であったが、次の瞬間、シャルの足の強靭なバネが働いた。


 常人にはあるまじき跳躍力だった。シャルは上空の枝――単純な差で一メートル上方――にジャンプして掴まり、身体全身を振り子のように大きく振って跳んだ。その際半ばから木の枝は折れたが、想定通りである。


「!」


 これにはヴァンドールも目を見張った。シャルは垂直に飛んで枝に掴まり、軽々とヴァンドールの頭上を越えてしまったのだ。


 だがヴァンドールも黙って見ていたわけではない。シャルの着地点が剣が落ちている場所だということを悟り、そこを目がけて短剣を投じたのだ。そのタイミング、完璧である。


 着地したシャルは剣を引っ掴み、振り向きざまに剣を振るった。短剣は弾かれて地に落ちる。だがその瞬間にはヴァンドールが長剣を構えて突きに入っていた。


 シャルは目を閉じた。そして――。



★☆



 アシュリーは祈っていた。シャルの後姿が消えた橋の上で、指を組んで目を閉じて、ただひたすら。


 レオンハルトは橋の欄干に半分腰かけるような態勢で腕を組んでいる。背が高いからこそできることだ。


 シャルが出発してから数時間。ふたりはこの場で待ち続けていた。



 シルヴィアが城から出てきて、橋の上に佇む姉を見つける。歩み寄ると、先にレオンハルトがシルヴィアに気付いた。立ち上がったレオンハルトは少し微笑み、その場から少し離れる。話しやすいようにと席を外してくれたのだ。


 アシュリーの肩を、シルヴィアがそっと支える。目を開けたアシュリーは肩越しにシルヴィアを振り返った。


「シルヴィア……」

「お姉さま、ハールディン准将のお帰りをずっと待つおつもりですか? 少しは室内に入って、休憩を――」

「ごめんなさい、シルヴィア……私、待ちたいの」

「ですが」

「お願い」


 アシュリーは頑なだった。シルヴィアも最初からその結果は分かっていた。なので、それ以上の説得は諦めて苦笑を浮かべる。


「……無理だけは、しないでくださいませね」


 アシュリーは頷き、シルヴィアに身体ごと振り返った。


「シルヴィア」

「はい」

「シャルに言ったよ。私の気持ち」

「……准将はなんて?」

「『俺もだ』って」


 もごもごと呟くアシュリーの頬は紅潮している。シルヴィアは姉の頬を両手でそっと包み込む。


「ならきっと大丈夫です。准将は帰っていらっしゃいます」

「うん……」


 アシュリーは目を伏せ、そっとシルヴィアの手に自分の手を重ねる。


「……私の最後の願い、聞いてくれる?」


 シルヴィアは優しく微笑んだまま、頷いた。



「……なんなりと、お姉さま」




★☆



「く、はっ……!?」



 吐血する。大量の血が地面に吐き出された。


 地面に倒れる。胸に突き刺さった短剣が、心臓の鼓動と共に激痛を発する。


 命が尽きる。掌から零れていく。



「勝負、あり……」



 息切れしながらも、その言葉が絞り出される。


 倒れたヴァンドールが視線を上げた先に、剣をだらりと提げたままのシャルが佇んでいた。



 ヴァンドールがシャルを貫こうと突進してきた際に、逆にシャルは自らヴァンドールへと踏み込んだ。突きの態勢だったので、懐に潜り込むことができたのだ。そしてそのまま、シャルはクライスの剣ではなく、忍ばせていた短剣でヴァンドールの胸を一突きにした。


 シャルが剣一本であると、ヴァンドールは思い込んでいたのである。だから急に取り出された短剣に、ヴァンドールは対処できなかった。


 最後の最後で勝利を確信した、ヴァンドールの負けであった。



「ふ……強い、な……これは……また、鍛え直す必要がありそうだ……」


 ヴァンドールはまだ、そんなことを言う。自分の致命傷が分かっていないのか。


「二年、いや一年半、待っていろ……そうしたら、今度はもっと……」

「――てめえは本当に戦闘狂だな。もう終わりだ。俺とあんたの戦いも、あんたの人生も」


 シャルは身をかがめ、ヴァンドールの胸に刺さっている短剣を引き抜いた。それにより、鮮血が傷から吹き出した。


「ぐぅっ……!」

「とどめを刺して、楽にしてやるつもりはねぇ……あんたが殺してきた人たちの痛みを味わいながら、逝けばいい」


 今このときだけ、薬師としての自分を捨てる。


 ヴァンドールを殺すと決めたときに、同時に決めたことだ。


 騎士としてのシャルの強さを望んだヴァンドールに対して、騎士として臨んだ。ただひとつだけ払った、ヴァンドールへの敬意だ。



 ヴァンドールは、動かなくなった。あれだけの強さを誇った男でも、死に際は人間だった。

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