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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
4章 戦争勃発
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09.あいつのためなら、斬れる

 ――雨が、酷い。 


 ヴェルメが先行して、ヴァンドールの行方をシャルに知らせてくれる。先程負った怪我もこの雨のカーテンもなんのそのといった様子には、シャルも頼もしい思いだ。やや前方の上空を飛翔するヴェルメの姿を目で追いながら、シャルは器用に馬を疾駆させる。勿論、シャルもずぶ濡れだ。


 ヴァンドールは西へ西へと進んでいる。西部は住宅も商店もない、取水源たるダルメルティ大河の支流地域である。かつては市街があったのだが、今では廃れてしまっている。そのために民たちは『旧市街』と呼ぶ。人々の生活の名残が僅かに残るだけで、旧市街は不毛の土地と化していた。


 シャルはそんな寂れた旧市街の中央にある広場の跡に入った。そこに、ヴァンドールが待ち構えている。アシュリーは馬に乗せたまま、自分は地に足をついている。シャルも少し離れた場所で馬を下り、ゆっくりと近づいていく。ヴェルメは、枯れかかっている巨木の枝に留まった。


 既に抜剣の構えを取っているシャルは、ヴァンドールを睨み付けながら尋ねた。


「……俺の兄とあんたに、何の関係がある? どうして俺を狙う? どうしてアシュリーまで巻き込む……!」


 ヴァンドールは穏やかに微笑む。狂気の嗤いにしか見えなかった。しっとりと濡れた長髪も相まって、不気味さが増している。


「かつて私は、戦場でクライス・ハールディンとまみえた。戦いは一瞬のことで、お前の兄は私のことなど覚えていなかっただろうがな。それほどまでに、私はハールディンに惨敗した」


 いつの話だろう。シャルはめまぐるしく記憶を探った。兄が軍人となったのが二十歳前後のころ。いまから十四年近く前だ。確か当時の戦いの相手はテオドーラだ。アジールとは束の間の休戦状態であった。どこで、クライスはアジール騎士のヴァンドールと剣を交えたというのだ……?


 そこまで考えて、シャルの脳裏に電撃に似た直感が奔った。


「お前、まさか元はテオドーラの……!?」

「気付いたか。私は元々テオドーラの生まれでな、当時はテオドーラ軍に所属していた。テオドーラとインフェルシアの戦争の最中、エレアドールの野で相まみえたのだ」


 ヴァンドールの表情には、どこか恍惚とした色があった。


「ほぼ同年代の人間に負けたということに悔しさを覚えたが、それ以上に狂喜したのだ。インフェルシアに、これだけの強者がいるのだと。自分が全力を出しても勝てなかった相手、それを殺してこそ私はさらに強くなれると。……だから私は国を捨て、アジールへと渡ったのだ」

「……アジールは力がすべての国。腕を上げるにも都合が良かったろうし、頭角を現せば軍や国を自由に操れるってわけだな」


 テオドーラには身分制度があり、身分の低い平民などはいくら力があっても出世に限界があるそうだ。ヴァンドールが国を捨てたということは、おそらく彼は平民なのだろう。それならば、昔のヴァンドールが無名であったことにも説明がつく。対してアジールは、強ければどんな身分の人間だろうと要職に就ける国だ。


 そう――たとえ他国からの亡命者であったとしても。


「……だというのに、クライス・ハールディンは死んだ。奴を殺すために必死で腕を磨いていたというのに、私以外の人間の手で! しかもそれがアジール軍であったなど、皮肉以外の何物でもないだろう」


 ヴァンドールが剣を抜いた。シャルも合わせて抜剣し、ゆっくりと間合いを詰めていく。


「しかしひとつだけ望みがあった。奴には弟がいたという。その者は【ローデルの英雄】と呼ばれ、若くして多くの武勲をあげていた。兄には劣るかもしれないが、私が剣を交えるには相応しい敵手――お前のことだ、シャル・ハールディン!」



 ヴァンドールが突進してくる。心構えができていなかった前回と違い、このときのシャルは比較的落ち着いてヴァンドールの一撃を受け止めた。それを受け流して後方に飛びのく。


「お前のことは色々と調べた。……二十五年前に、王都レーヴェンで薬師の家系に生まれ」


 飛びのいたシャルに、間髪入れずにヴァンドールが追撃する。


「テオドーラとの戦争の折に組まれた民間救護団に参加」


 突きこまれた剣を、身をよじってシャルは回避する。そして続く第二撃を、剣で弾く。


「戦場漁りに襲われ、両親を失い」


 シャルの反撃の一撃は易々と受け止められ、逆に押し返されてしまう。


「兄と共に、当時中将の位にあったシュテーゲルに救われた」


 跳躍してヴァンドールの剣戟を避け、地に片手をついてもう一度後方へと飛び退る。


「その後は、軍人になった兄を追うようにお前も軍に入った」


 突進してきたヴァンドールを躱し、すり抜けざまに一撃を叩きこむ。確かな手ごたえがあったが、ヴァンドールが身につけている軽鎧に阻まれて刃は滑ってしまった。


「【ローデルの英雄】と呼ばれるようになったのは、十四の時」


 振り下ろされた剣を受け止め、鍔迫り合いになる。


「国王を守った功績を讃えられ、最年少で佐官となったお前は、その後も戦場に出るたびに功績をあげた」


 あまりの膂力に、シャルの表情が歪む。だがそれでもなんとか押し切り、ヴァンドールは地面を滑って押しやられる。シャルがこれを好機として一瞬で間合いを詰めた。


「そしてそれから三年して、王太子の護衛任務に抜擢される」


 ヴァンドールは肉薄してくるシャルを余裕を持って迎撃した。長剣を下から上へ振り上げる。その際に剣の刃先が地面をえぐり、大量の礫と泥がシャルに襲いかかった。それらすべてを剣の一振りで振り払ったシャルだったが、すでにそこにヴァンドールはいない。


「その任務で、クライス・ハールディンは命を落とした」


 背後から声がする。はっとして振り返ったとき、背に強烈な一撃が叩き込まれた。地面に叩きつけられたシャルだったが、一転してすぐさまに跳ね起き、間合いを取る。ヴァンドールは息ひとつ乱さず、悠々と佇んでいた。


「お前は千騎隊長となり、それから三年間続くアジールとの戦争で多くの敵を斬った。そして戦争の終結とともに、お前は田舎街のフォロッドに隠棲。五年を過ごして、今回、テオドーラとの戦いに駆り出された――か。まったく、波乱な人生だな」


 シャルは口元を左手の甲で拭った。地面に叩きつけられた衝撃で、口の端が切れて血の味が広がっている。血も泥も、降り注ぐ雨がすべて洗い流している。服が水を吸って、酷く重い。


「よく御存じで。そこまで知っているとストーカーかと思うくらい気味が悪いぜ」

「ふっ……努力は惜しまぬ主義でな」

「そいつはよく分かるが、他のところへその情熱を向けてくれないかね」


 シャルは剣を持ちなおす。まだ彼の目から戦う意思は消えていない。


「残念ながら、私にはこれ以上情熱を注ぐものがないのだ」

「嫌な趣味してるぜ」

「前回戦った時より、格段に手ごたえがある。さすが、と言ったところか」


 ヴァンドールの素直な感嘆に、シャルは眉をひそめる。


「そうやって兄さんと比較されるのは慣れているが、兄さんはもっと強かったぜ。今の俺より、ずっと」

「ならばやはり惜しいな。是非とも私の手で殺したかった」

「……ッ! 兄さんは、てめぇに殺されるために生きてたんじゃねえ……!」


 シャルが地面を蹴る。ヴァンドールは避けなかった。


 あれほど忌避していた刃は、易々とヴァンドールの脇腹を切り裂いた。一瞬はっとしてシャルだったが、剣をヴァンドールに抱え込まれて身動きが取れなくなる。


「……斬れるではないか。てっきり、その剣は殴打用なのかと思っていたぞ」

「くっ……」


 剣を引き抜こうとも、ヴァンドールの力は強くてびくとも動かない。


「私を倒さなければ、あの王太子は返さないと言っただろう。どうやって私に勝つつもりだ?」

「……斬るさ。あいつを守るためなら、なんだろうが斬る!」


 右足を跳ね上げたシャルは、思い切りヴァンドールの腹を蹴り飛ばした。ヴァンドールは後方へ吹き飛ばされたが、すぐに態勢を立て直す。


「元から、そのつもりだ……」


 さすがに堪えたのか、ヴァンドールは腹を抑えつつ身体を起こす。と、その視線がゆっくりと移動する。馬に乗せたままのアシュリーの背中にヴェルメが降り立ち、彼女の身体を叩いていたのだ。それを見て、初めてヴァンドールが眉をしかめる。


「……最初から、時間稼ぎだったか」


 シャルが間髪入れずに叫んだ。


「ヴェルメ! 離れろ!」


 この男が投剣に秀でているというのは、先程のレオンハルトの件で把握していた。シャルはその場に剣を捨て、アシュリーに向かって俊足を飛ばした。


 ヴァンドールが短剣を投じる。シャルは馬上からアシュリーを引きずりおろし、地面に伏せた。ヴェルメも上空へ舞い上がる。ヴァンドールの短剣は、不幸なことに馬の腹に突き刺さった。暴れた馬の肢から逃れるように、シャルは移動する。そして腕の中のアシュリーを見下し、その頬を軽く叩く。


「アシュリー。……アシュリー、目を覚ませ」


 アシュリーは軽く身じろぎしたが、意識は戻らない。戻りかけているのかもしれないが、覚醒には至らないのだ。背後に近寄ってくるヴァンドールの気配を感じ、シャルはアシュリーの身体を引き寄せる。


「そのまま、動かないつもりか」


 ヴァンドールの低い声が、シャルの背に投げかけられる。シャルは振り返ることもなく堂々と言い放つ。


「俺がどいたら、てめぇはアシュリーを斬るだろう。だからどかない」

「……お前たち兄弟は、そろって他人のために死ぬ気か」

「まあ……どうせ死ぬなら、誰かのために死にたいとは思うね」


 シャルの背中に、焼けるような激痛が奔った。知っている痛みだ。刃物で切り裂かれた痛み。シャルはそれを知っているし、知らない誰かにもこの痛みを味あわせてきた。


 ぐっと歯を食いしばる。声はあげない。


「……私との戦いよりも、その娘のほうが命を賭けるに値するというのか」

「っ……俺はなぁ、元々こいつを助けに来たんだよ。てめえとの戦いは、一切関係ない……自意識過剰も、程々にしやがれ……っ!」


 振り向きざまに放ったシャルの足蹴りは、ひょいとヴァンドールに回避される。さすがのヴァンドールも剣を持たず、大怪我を負った身であるシャルと戦う気はなくなったらしい。


 はなから、「強い騎士」としてのシャルと戦うことを望んでいたヴァンドールだ。この状態のシャルにはなんの興味もなかろう。弱者に存在する価値もないと決めつけるなら、きっとここでヴァンドールはシャルにとどめを刺す。


「く……はッ……」


 シャルは地面に膝をついた。背中の深い傷から血が流れ落ちて、みるみるうちに赤い水たまりを形成していく。



★☆



 意識がふっと暗闇から浮上する。


 目を開けて最初に見えたのは、土。酷く煙っぽい場所だった。


 そして感じる雨と大地の匂い――それには、多量に鮮血の匂いが混じっていた。



 身体を起こす。すぐ傍で、まるで土下座のように蹲っている人影が見えた。茶色の髪は、若干赤く染まっている。そして大きく切り裂かれた背中。その傷からは、とめどなく血が流れている。



「……シャルッ!」



 アシュリーの朧気だった意識は、その姿を見た瞬間に鮮明となった。シャルの傍に這って近づき、シャルの肩を支える。シャルは荒い呼気を吐き出しながら、胡乱気にアシュリーを見やる。そして力なく笑った。


「気付いたか……」

「シャルっ」

「早く逃げろ……あいつの狙いは俺だから……」

「い、嫌です! どこにも行きたくない!」

「アシュリー……!」


 シャルをぎゅっと抱きしめたアシュリーを諭すようにシャルが名を呼ぶ。一瞬だけ嬉しそうな顔をしたシャルだったが、すぐにその表情は苦悶のものへと変わる。


 ずるっとシャルの身体から力が抜けた。アシュリーの腕の中にシャルが倒れこんでくる。涙目になりかけているアシュリーはヴァンドールを睨み付けた。


「――貴様ぁッ」


 驚くほど美しい表情、とはいまの彼女の表情のことを言うのかもしれない。けれども、今の彼女には剣を抜くことも、シャルを抱えて逃げることもできない。ただ、シャルを庇うようにすることしかできなかった。


 その時、ヴァンドールの背後から矢が飛来した。それを察知したヴァンドールが、剣を一閃させて矢を叩き落とす。矢は連続で何本も襲い掛かり、落とし損ねた数本がヴァンドールの服を切り裂いていく。


 現れたのはレオンハルトだ。肩の傷には一応の包帯が巻いてあるが、応急処置でしかない。そんな状態で彼は立て続けに矢を放ったのだ。


「間に合ったね……」


 少し安堵の声を漏らしたレオンハルトは、その場に弓を捨てた。悠々とヴァンドールのもとへ歩きつつ、地面に落ちていたシャルの剣を拾い上げる。


「……先程の弓兵か。何者だ?」

「レオンハルト・E・アークリッジ。ただのシャルの友人だよ」


 レオンハルトは朗らかに名乗って見せる。


「シャルの強さには満足したかい? その様子だと、少なからず貴方も消耗しているようだけど……退屈なら、僕が相手をしよう」


 シャルの剣を提げたまま、レオンハルトは立ち止まる。それはヴァンドールの間合いのぎりぎり外側だった。


「勝つつもりか、私に」

「刺し違えてでも」


 レオンハルトの瞳は真剣だった。相討ちになる覚悟が、レオンハルトにはあるのだ。だがヴァンドールは剣を鞘に収めてしまった。警戒は解かぬまま、レオンハルトはヴァンドールを観察する。


「……どうやら、その娘を人質にとったのは間違いだったようだ。ハールディンは、私と戦うことよりも娘の命を優先にしていた。これでは戦いを愉しめない」

「……」

「ハールディンに伝えろ。傷が癒えたら私のところに来いと。そこで、完全な決着をつけよう」


 ヴァンドールはそのまま、広場を立ち去ってしまった。彼が不審な動きをしようものなら斬りかかる心づもりのレオンハルトであったが、ヴァンドールはあっさりと姿を消した。


 ヴァンドールは、完璧な状態のシャルと戦いたいのだ。だから、怪我が癒えるまで待つという。本当に、戦いに関しての辛抱強さには呆れるものがある。シャルにとどめを刺さなかったのは――『シャルはこの程度ではない』と確信しているからか。


「……迷惑な話だ」


 レオンハルトは吐き捨てた。と、アシュリーが悲鳴に近い声をあげた。


「レオン! シャルが……シャルがッ」


 シャルは血の気のない顔で、ぐったりとしていた。レオンハルトは頷き、懐から包帯を取り出した。先程街の者に手当てしてもらったときにもらってきたのだ。


「まずは場所を変えましょう。この雨の中では、シャルも体力を消費します。どこか、屋根のある場所へ」

「は、はいっ……」


 アシュリーは滲んだ涙を拭い、レオンハルトとともにシャルを起こして立ち上がった。



 雨は、豪雨に変わりつつあった――。

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