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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
4章 戦争勃発
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07.恐怖と絶望

 エルファーデン公爵がアシュリーに謝罪したいと申し出た。あれだけのことをしておきながら何をいまさら、と大体の人間は思っていたが、アシュリーが素直に公爵と会うと言うのでその面談が実現したのだ。


 室内にはアシュリー、そして用心のためにシュテーゲルも控えている。机を挟んだ向かい側には手首を拘束されたままのエルファーデン公爵と、その監視である官吏。数日ぶりに目にしたエルファーデン公爵はすっかり憔悴していて、今までの大貴族としての面影はどこにもなかった。それを見ると少々憐みの気持ちが湧きあがるが、アシュリーもさすがにその気持ちは振り払った。


 一体何を言われるのだろうかと緊張しつつ椅子に座ると、エルファーデン公爵が口を開いた。


「貴重な時間を割いていただき、感謝します」

「……いえ」


 丁寧な謝辞に奇妙な思いを抱きつつ、アシュリーは頷く。


「覚えておいでですか。幼かったころ、今は亡きアレックス殿下と離宮の庭園で、毎日のように遊んでおられましたな。私も何度か足を運びましたが、そのたびにかけっこなどの遊びに混ぜていただいたことをよく覚えております」

「! そ、それは」


 唐突に始まった思い出話に、アシュリーは赤面した。


 存在を隠され、離宮で暮らしていたアシュリーだったが、当時彼女は自分が『軟禁』されていることなど露ほども知らなかったし気にしなかった。それは、隔てなく愛してくれる両親と優しい侍女たちがいたから、そして最たるは毎日のように離宮へ遊びに来てくれる双子の兄のおかげだった。


 兄のアレックスと遊び、はとこのレオンハルトもいて、あの頃はトレーネとも仲が良くて。そして庭園の様子を国王に、アークリッジ公爵、エルファーデン公爵ら父親勢が見守っていた。血族しかいない気楽さ。今思うととんでもないことだが、父親たちを巻き込んで遊んだこともあったのだ。


 年を経るにつれて打算や欲望をむき出しにしてきたエルファーデン公爵ではあるが、昔はただただ親しい親戚のひとりで――。


 エルファーデン公爵の昔話は続く。アシュリー本人が忘れてしまっていた思い出も、公爵は覚えていたことに驚くばかりだ。なぜこんな話を急に始めたのかは分からないが、ただただ懐かしいものだ。



 結局この日の面会は、面会時間十五分すべてが幼少のころのアシュリーの思い出話だった。エルファーデン公爵が部屋を去ってから、シュテーゲルが疲れたように首を傾ける。


「なんだったんでしょうな、エルファーデン公爵の思惑がさっぱり見えません」

「そうですね……でも、あんな昔のことを覚えていてくれたんだなあ……」


 ぽつりと呟いたアシュリーの声は寂しそうだ。彼女が昔話をできる相手は限られている。妹のシルヴィアや、アークリッジ家の者、エルファーデン家の者くらいだ。だからつい、懐かしんでしまった。


「殿下、懐かしく思うのは当然ですが、あまり情をかけないようにしてください。そうして殿下の警戒を解く腹つもりかもしれません」

「ええ、分かっています……」


 シュテーゲルは生まれたころからアシュリーを知っているけれど、やはり家族とは違う。その点では少々不甲斐なくもあるのだが、何をしようとエルファーデン公爵は罪人なのだ。


 しかし、あのやりとりで完全にアシュリーが毒気を抜かれてしまったのは明らかだった。



 その次の日も、エルファーデン公爵はアシュリーとの面会を望んだ。アシュリーがそれに応えてするのは、やはり思い出話だった。許された十五分間、ただずっと昔の話をする。何の企みもなさそうな声と表情でその話をするエルファーデン公爵は、昔の彼を彷彿とさせた。


 それがその翌日も続き、四日目――。


 今日もまた同じ話をするのだろうと少々気が緩み気味の官吏が、エルファーデン公爵を連れて部屋に入ってくる。公爵は席に着くと、すっかり穏やかな顔で口を開く。


「さて、今日は何の話をしましょうか」

「……公爵。どうして、昔話をするんです?」


 アシュリーがそれを聞くと、エルファーデン公爵は目を閉じた。


「私は殿下を欺き王位を簒奪せんとした重罪人。今は戦時中であることと殿下のご厚意で軟禁に留められておりますが、事が落ち着けば私は処刑台へ向かうでしょう」

「っ!」


 どきりとしたのは、言うまでもない。シュテーゲルが軽くアシュリーの肩に触れる。流されるな、との警告だ。ここで「そんなことしない」と言ってしまえば、示しがつかないのだから。


「娘のトレーネと会うことも叶わぬいま、誰かと思い出の共有をしたかったのですよ」

「……」


 アシュリーが沈黙する。何も、かける言葉が見つからなかったのだ。


 その時、にわかに窓の外が騒がしくなった。この部屋は地上四階に位置しており、窓の外は中庭である。シュテーゲルが振り返って窓から外を見た。


 そして、そこにあった光景を見て絶句する。


「な、あれは……!?」


 その声にアシュリーも表情を鋭くし、椅子から立ち上がって同じく外を見る。彼女も同じように言葉をなくした。



 中庭が赤い。

 芝で覆われ緑が青々としていたはずの庭なのに、赤い。

 噴水の水も、赤い――。


 赤とも黒とも表現できない『何か』が、赤い湖の中に点在している。

 その中でひとり、銀色の刀を手に佇む者。


 長い髪を高く結い上げたその男は、真っ直ぐに窓からその様子を見るアシュリーらを見上げた。そして、不気味なまでに美しく優しい笑みを浮かべるのだ。



「なに……?」


 アシュリーの声が震える。背筋に冷たいものが奔った。


 こちらを見上げていた男が、懐から何かを取り出す。それは短剣だ。それを投じる構えを取ったのを見て、シュテーゲルが咄嗟にアシュリーを床に引きずり伏せた。


 一瞬の後、窓硝子が激しい音と共に飛散した。アシュリーを庇うシュテーゲルの背中に細かい硝子の破片が降りかかる。


「大丈夫ですか、殿下!」

「は、はい……」


 アシュリーは茫然と頷く。シュテーゲルはさっともう一度、割れた窓から中庭を見下ろす。そこに立っている男は相変わらず笑んだまま、口が動く。



 ――『すぐ、いく』。



 官吏がエルファーデン公爵を抑えつけている。混乱に乗じて逃げ出さないためだ。立ち上がったアシュリーは無意識のうちに剣の鞘を掴む。


「誰、なんです……? 何が起こって……」

「あの男、アジール軍の軍服を着ておりました」

「アジール……? まさか、我が軍は敗れて……っ!?」

「いえ、いくらなんでも速すぎます。おそらくはインフェルシアに侵入した別働隊でしょう。あの男の他にも、伏兵が――」


 シュテーゲルの言葉を、エルファーデン公爵が遮った。


「彼はひとりだ」

「……なんだと?」

「彼はひとりでここまで来たのだ。王太子アシュリーの身柄を手に入れるためにな」


 エルファーデン公爵を取り押さえていた官吏が、後ろへのけ反って倒れた。彼の腹には短剣が突き刺さっており、いつの間にか公爵の手首にあった手錠は外されている。どうやってかは知らないが、外してしまったようだ。


 シュテーゲルとて油断していたわけではない。だが思っていた以上にエルファーデン公爵の動きが機敏であったということは間違いない。エルファーデン公爵はシュテーゲルが反応するより速く手を伸ばし、アシュリーの腕を掴んで引き寄せたのだ。振り払う間もなく、アシュリーはエルファーデン公爵に短剣の刃を首に突きつけられてしまう。シュテーゲルがぴたりと動きを止める。


「貴様……やはり貴様の差し金か!」

「差し金などではない。これは公正な取引の結果であって、利害が一致しただけだ」


 公爵に拘束されながら、アシュリーが生唾を飲み込む。少しでも動けば、喉に短剣の刃が突き刺さるだろう。


「あの男はインフェルシアにも、この戦争の行方にも何の興味もない。ただ求めているのは、シャル・ハールディンの身柄だ」

「シャル、だと!?」

「そしてあの小僧の弱点はアシュリー。だから、奴はアシュリーを狙ってここに来たのだ」


 愉悦の笑みが、エルファーデン公爵の顔に張り付いている。


「私としては、ハールディンもアシュリーも消えてくれれば万々歳だ。そのために取引をしたのだ、私がアシュリーを引き渡す手伝いをする代わりに、ハールディンを消して私のための王座を用意しろと」

「……」

「お前たちは、私がティグリアに嵌められた愚か者だと思っているだろう。だがな、真に嵌められたのはティグリアだ。何せ私は、あの男と取り引きを成立させてから今回のことを画策したのだからな。あの男もうまいこと軍部を操り、ティグリアに偽の共同戦線の協定を取りつけた。今頃ティグリアは手痛い裏切りを喰らっているだろう」

「アジールがティグリアを裏切った……か」


 シュテーゲルが腰を落とす。その手が剣の柄に伸びたところで、公爵が一喝した。


「動くな! 奴も私もアシュリーを害するつもりはまったくない。だが、身体が必要なだけで生死は関係ないのだからな」


 ぴたりとシュテーゲルが動きを止めた。


 つまりすべてはエルファーデン公爵の筋書き通りで、捕縛された時の態度も演技だったのか。すべてはここに至るまでの――。


「……最後まで、我が国に仇を成すか」


 シュテーゲルの敵意が、殺気を帯びる。それを感じ取ったエルファーデン公爵だったが、彼はまだ余裕な表情を崩さない。


「私を斬るか? 人が人を裁くのはご法度ではないのかね」

「いつまで法と権力に守られているつもりだ、この国には現行犯という言葉もあってだな。王太子殿下の身柄を人質に取るなど言語道断」


 シュテーゲルはにやりと笑った。


「それに一回りも年下の輩とはいえ、斬ることを躊躇うほど甘い人生送って来てはおらんでな」

「……ふん。だが老将軍よ、お前が剣を抜けばアシュリーの命はないぞ?」


 それが目下最大の問題点だ。確かにシュテーゲルが剣を抜けば、その瞬間にアシュリーの首に当てられた短剣が動くだろう。


 この状況を打破する方法は、実はひとつしかない。


「……殿下」


 シュテーゲルが呼びかける。アシュリーはちらりと公爵の顔を見やる。


「はっ、それこそ無理な話だ。このお嬢さんはすっかり情に流されているからな。身内の私を斬れるはずもない。……なあ、アシュリー?」


 呼びかけられたアシュリーは無言のままだ。それを都合よく解釈したのか、エルファーデン公爵はアシュリーを拘束したまま一歩後退し、部屋の出口へと向かう。


「老将軍、そこを動くなよ……?」


 その言葉通り、シュテーゲルは動かない。だが、扉の敷居を跨いだところで、アシュリーが口を開いた。



「……たとえ身内でも、斬るべきものは斬ります」

「……!?」

「舐めるな」



 アシュリーはその言葉と同時に、首元に突きつけられている短剣を握る公爵の右手を勢いよくはたいた。衝撃で公爵が短剣を取り落す。


 一瞬で公爵の手から逃れたアシュリーは、抜剣の勢いのまま、公爵を下から上へ斬りあげた。


 公爵はその一撃で絶命し、床に横転した。赤い染みがみるみる広がっていく。剣を下ろしたアシュリーは、ふうっと溜息をつく。その傍に歩み寄ったシュテーゲルが、深々とアシュリーに頭を下げた。


「本来ならば臣下である私の役目、殿下御自らにさせてしまい申し訳ありません」

「……いえ」


 アシュリーは少し微笑む。辛くないはずがない。人を、しかも血縁を斬ったのだ。だがアシュリーはその気持ちを隠し、剣を鞘に収めた。


「シルヴィアが心配です。探しに行きます」

「ごもっともですが、狙われているのはアシュリー殿下です。今は身の安全を第一に。……と言いたいところですが、そうできないのが貴女ですね」


 シュテーゲルが困ったように肩をすくめ、『行きましょう』と声をかけて部屋を駆け出していく。アシュリーも頷いてそのあとを追った。


 いつもは人の往来が多い廊下だというのに、このときは誰もいない。城内に混乱の声はないから、あの男はまだ近くにはいない。たったひとりで多くのインフェルシア兵を殺したのだ、かなりの強さであるということは言われなくともわかる。みな逃げたのだろう。


 と、廊下の曲がり角で急に何者かが現れた。シュテーゲルが飛びのいて身構えると、明るい声が聞こえた。


「殿下! それに元帥閣下も」

「む、メディオ殿か」


 シュテーゲルがほっとしたように肩の力を抜く。アシュリーも目を見張っている。ティグリアからの使者、メディオであった。今はシュテーゲルの屋敷にて客人扱いされていたのだが、どうしてこんなところでばったり出くわすのか。


「おふたりとも、ご無事で良かった」

「どうしてここにおるのだ?」

「出立の際にシャルに言われました。もし何かあれば王城に向かい、殿下のお力になってほしい、と」

「……シャルめ、だからあっさり戦場へ行ったのか」


 もしものときの備え、それがメディオの存在だ。シャルが自分の留守を頼むほどにメディオのことを信頼しているということに、さすがのシュテーゲルも驚きを隠せない。


「シャルの信頼を裏切るわけにはいきません。私もお供させて頂きます」



 ――成程、これならシャルも信用するかもしれんな。



 そんなことを直感的に思ったシュテーゲルが許可するように頷いた瞬間、女性のつんざくような悲鳴が響いた。シルヴィアではない。だが、その悲鳴の原因がすぐ傍まで来ているのは容易に想像できた。


「この下です!」


 シュテーゲルが叫ぶと同時に、アシュリーが駆けだす。シュテーゲルとメディオもそのあとを追った。



★☆



 王城三階、大ホール。煌びやかなシャンデリアや絵画などが置かれた、謁見の間へと続く訪問者の玄関口。その部屋もいま、鮮血によって真っ赤に染め上げられていた。


 襲撃者に気付き、脱出を試みたところでシルヴィアと彼女を守っていた侍女十名ほどが、この男――アジール軍のヴァンドールに遭遇してしまった。シルヴィアは侍女たちに逃がされてこのホールまで逃げてきたが、無造作なまでに斬り殺される侍女たちを見て、いかなシルヴィアと言っても精神的な限界が近い。


 残っているのはテューラのみ。テューラはシルヴィアを背に庇いつつじりじりと後ろに下がっていたが、意を決したのか懐から短剣を抜き放った。それを見てシルヴィアが目を見張る。


「テューラ! やめて、お願いだから!」

「い、いいえっ。私は、シルヴィアさまをお守りするんです!」

「テューラッ!」


 震える両手で短剣を掴んで構えながら、テューラはじりじりと後退する。シルヴィアは泣きそうだ。


 ヴァンドールが血濡れた剣を提げたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。いっそ穏やかなくらいだ。その顔のまま、ヴァンドールはシルヴィアの大切な侍女たちを幾人も殺した。


「お姫様の言うとおりだ。そこをどいたほうが身のためだぞ。この城は複雑な造りをしているからな、無闇に歩き回るより手っ取り早く、王太子の居場所を知りたいだけだ。危害は加えない」

「誰が……っ!」

「だが邪魔をするなら容赦はしない」


 ヴァンドールの剣が唸る。テューラが固く目を閉じた。が、その刃は金属音と共に弾かれた。驚いて目を開けたテューラの前に、メディオが割り込んでいた。メディオはヴァンドールの一撃を自らの剣で受け止めていたが、耐え切れずに吹き飛ばされてしまう。


「シルヴィア!」


 アシュリーが駆けつける。シルヴィアとテューラはその姿を見て目を輝かせる。


「お姉さま!」


 アシュリーがシルヴィアとテューラの無事を確認している間も、シュテーゲルとメディオは彼女らを庇うようにヴァンドールの前に立ちはだかる。


「エルファーデンは失敗したか。だがわざわざそちらから出向いてくれるとは、手間が省けた」

「……シャルに用があると聞いたが、貴様何者だ?」


 シュテーゲルの問いに、ヴァンドールは笑みを浮かべる。


「ヴァンドール。ハールディンを殺すための、餌をとりにきた」


 その言葉に、シュテーゲルもにやりと笑った。


「……なら、生かしておくわけにはいかんな」


 シュテーゲルが剣を抜き放つ。陸軍総帥である元帥が剣を抜くなど、もう何年振りであろうか。それでも、叩き上げでここまで来た武人で、ほんの一昔前までは戦場に立っていた。まだ、鈍ってはいないはずだ。


 激しく両者の剣が激突する。その一撃で、ヴァンドールが若干目を見張った。シュテーゲルはその一瞬の隙を突き、ヴァンドールを押し切る。シャルですら不可能だったことを、シュテーゲルはやってのけたのだ。さすがの力量である。


 ヴァンドールも態勢を立て直し、シュテーゲルの斬撃を避けつつ言う。


「剣戟がハールディンに似ている。お前が剣を教えたのか」

「半分はな」

「そうか。道理で奴の剣技がまったく兄と同じではなかった訳か」


 シュテーゲルは眉をしかめた。


「貴様、クライスを知っているのか……!?」

「知っているも何も、すべては奴によって始まったことだ」


 ヴァンドールが剣を一閃させる。シュテーゲルの持つ剣が半ばから真っ二つに折れた。シュテーゲルがはっとして跳び退る。


「良い動きだ、さすが陸軍の総帥。だが……老いとは無情なものだな」


 死の剣が襲いかかった。



「元帥ッ!」


 アシュリーが叫ぶ。シュテーゲルの巨躯は、鮮血の中に沈んだ。ぴくりとも動かない。


 メディオが歯を食いしばり、ヴァンドールに斬りかかった。だがその一撃はあっさり受け止められ、逆に斬りかえされる。メディオも床に倒れ伏した。


 ヴァンドールがこちらに歩み寄ってくる。アシュリーが剣を構えてシルヴィアとテューラを庇う。ヴァンドールは口元に笑みを浮かべた。


「……少しは出来るか」


 その時、甲高い鳥の鳴き声が響いた。割れた窓から、ヴェルメが飛び込んできたのだ。


「ヴェルメ……ッ、駄目、逃げてっ!」


 アシュリーが制止の声を投げかけたが、勇敢な鷹は主人の主君であるアシュリーを守るため、果敢にヴァンドールに向けて鋭い鉤爪を振るった。


「よく躾けられている。勇敢で、それゆえに無謀な鷹だな。なまじ利口だと、それが顕著だ」


 鉤爪を振り払ったヴァンドールの剣は、そのままヴェルメの柔らかい腹を掠めた。ヴェルメは悲しげな声をあげ、ふらふらと地面に墜落する。


「っ!」


 アシュリーの背後で、シルヴィアが息を呑んだ。


 今度こそヴァンドールはアシュリーの目の前まで歩いてきて止まる。感情より先に身体が動くよう鍛錬を重ねていたはずのアシュリーだが、このときばかりは恐怖のあまり動けない。ヴァンドールは手を伸ばしてアシュリーの剣をもぎ取り、それを床に捨ててしまう。


「共に来てもらおう」


 その一言と同時に、一瞬でアシュリーは背後に回り込まれた。はっとする間もなく、首筋に手刀が叩き込まれる。


 意識を失ったアシュリーを、ヴァンドールは肩に担ぎ上げる。シルヴィアが飛び出そうとして、必死のテューラに引き止められる。


「お姉さまッ! しっかりなさってッ!」

「シルヴィアさま、駄目ですッ!」


 ヴァンドールはシルヴィアの言葉になど耳を貸さず、踵を返してホールから出て行く。



「お姉さまぁ……ッ」



 シルヴィアの悲鳴と嗚咽が混ざったような声が、ホールに響いた。



 ヴァンドールに担がれたままのアシュリーの耳元から、何か赤いものが床に落ちる。シャルがあの日贈ってくれた、赤い耳飾りであった。

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