05.どんでん返しがお好きだね
籠城に徹していたインフェルシア軍は、一気に攻勢へ転じた。フロイデンの騎士隊とモース、キーファーの歩兵隊が突撃隊となり、レオンハルトの弓箭隊とエルドレッドの投石隊が援護にあたる。肉薄戦は兵個人の能力によって生死が左右される。戦慣れしているインフェルシアの軍人でも、長いこと剣を交わしていなかったアジール軍との戦いには苦戦を強いられる。
シャルと、シャルの率いる五百騎は激戦地から外れた場所を進んでいた。戦場を大きく迂回する形だ。シャルの隣を進むリヒターがシャルに尋ねる。
「このまま迂回して、敵部隊の側面を突くおつもりですか」
「そうだ。思わぬ方向から思わぬ敵の登場。これが部隊の混乱を促すからな」
シャルはフロイデンの指揮下にはいない。よってシャルの判断に応じた動きを取ることを許可されている。許可されているも何もいつだってそうしてきたのだが、一応『指揮権を賜った』という形式は必要なのである。
「が、気をつけなきゃならんのは、今回俺たちは五百騎だ。今までの半分しか兵力がねえ」
千騎で動いていたシャルにすれば、五百騎というのはどこか心許ない。統率がとりやすいという長所はあっても、それだけ突撃した際の勢いにも欠けるし、一人一人の危険も増すのだ。
先頭を進むのはカイン。これはいつだって変わらない。なんとも頼りがいのある背中だ、と考えつつ、シャルはちらりと横にいるリヒターを見やる。リヒターの表情は若干強張っていた。
「大丈夫かリヒター。怖いか?」
「こっ、怖いわけじゃありません。初陣じゃないんですから……緊張しているだけです」
アシュリーが陸軍中佐待遇で軍にいたとき、リヒターは彼女旗下の百騎のひとりだった。王太子の直属ということもあり、生え抜きの精鋭ばかりを集めた部隊であった。そこに名を連ねていたリヒターは、かなりの実力の持ち主だ。
しかし今リヒターは、自分が憧れた【ローデルの英雄】が率いる部隊に加わり、シャルが昔から行っていた遊撃を目の当たりにしようとしている。シャルの部下であったイルフェやフォルケなども、リヒターにしてみれば憧れの対象だ。そんな人間たちと共に戦えることに、歓喜と緊張を覚えているのである。
「無理もないが、あまり気を張るな。できることもできなくなるぞ」
「は、はい」
「まあ安心しろ、あのでっかいオジサンが盾になってくれるさ」
そう言ってシャルが指差したのはカインである。『でっかいオジサン』と呼ばれたカインは、その巨躯を揺らして笑った。
「おう、オジサンに任せろ」
カインはシャルの部下の中では最年長、シャルの約二倍は生きてきた。騎士歴もそれだけ長い。頼りにならないはずがなかった。
アジール軍の側面。遠方では丁度両軍が激突している。ここから一気に、駆ける。
イルフェとフォルケがシャルの両脇を固める。後方にはヴィッツとアンリ。そして先頭にはカイン。広い範囲は攻撃しない。針のように、鋭く一点を突く。
「行くぞ……」
シャルの合図で、カインが馬を駆った。カインは大剣を抜き放ち、そのままの勢いで敵へ突進していく。彼の目には、恐怖と驚愕で目を見開いた敵兵の顔がじっくり見えたことだろう。
激突。
目の前の敵との戦いに集中していたアジール軍の歩兵たちは、横手から体当たりの勢いで突進してきた存在に全く対応できなかった。一気に隊列が崩れ、正面と側面という二方向からの攻撃で一気に押される。しかも相手は騎士。歩兵では相手をするのが不利だ。
対していたインフェルシア側は剣歩兵隊であった。モースの姿もある。一瞬シャルと視線が交錯し、モースは口元に笑みを浮かべた。この状況で笑えるなど大したものだ、とシャルは思いつつ剣を振るう。
一閃で敵の剣を絡め取り、返す一撃で別の敵の後頭部を剣の腹で叩く。斬るより余程技術の必要なことであるが、シャルはごく自然にそれらをやってのけていた。
その時、地を揺るがすほどの音が響いた。シャルが眉をしかめると、後方からヴィッツが叫ぶ。
「准将! あれ!」
彼が示した方向は東、シャルから見れば真正面。ラーディナ城塞の城壁にある砲撃台が火を噴いていた。エルドレッドが砲撃したのだろう。ということは、海軍が攻めてきたということだろう。
「多分、ティグリア海軍だ! ってことは、そろそろハルブルグ大将も到着する!」
城壁から砲撃を喰らえば、海軍は反撃を余儀なくされる。城塞は危険になるが、平野で戦っている騎士や歩兵たちに砲弾が襲いかかることはない。
「城塞は大丈夫でしょうか!?」
ヴィッツがひとりの敵を斬り伏せつつ、そう尋ねる。シャルは苦笑した。
「ぼろっちくても、長いこと国境を守ってきた城塞だ。そう簡単に壊されてたまるかよ」
「でっ、ですよねえ」
慌てたようにヴィッツも笑う。とはいえ、実際はそこまで楽観視できる問題ではない。早いところハルブルグが追いついてくれないと、ラーディナ城塞が危険だ。
「よし、押すぞ!」
シャルの言葉で、カインが大きく頷いた。陣形崩しで有名なシャルの部隊、その要たるカイン。彼を先頭に、ぐいぐいと騎士たちは敵を圧倒する。モースらも勢いに乗じて攻めにかかった。
★☆
東の海上に到達したティグリア海軍の旗艦には、ティグリアの軍事を一挙に受け持つウォルディス公爵が乗船していた。ここまで万事、彼のもくろみ通りに事が運んでいる。インフェルシアを掌握するため、エルファーデン公爵に騙される振りをして彼に協力した。そしてインフェルシア国内が王位の正統性に揺れ動いている間に水面下でアジールの軍部総帥と手を結び、堅実で良識的な部下のメディオらを邪魔者として始末した。そうして『自分の部下がインフェルシア軍の攻撃を受けた』という偽りの報告を国王にし、こうして開戦にこぎつけたのだ。
だと言うのに、インフェルシアの敗北を見届けようとはるばる船で戦場まで来てみれば、いきなり城塞から砲撃されるわ、友軍のアジールは押されかかっているわで、散々である。とりわけ、インフェルシアからの砲撃には反撃する暇がなかった。
「少しは反撃せんか!」
苛立ちが募って部下にそう怒鳴ったが、一応ウォルディス公爵も軍上がりの人間だ。この状況での反撃が難しいということは分かっている。
「公爵閣下! 後方からインフェルシア海軍が!」
部下がそう報告してくる。公爵は額に脂汗を滲ませて呻く。
「くっ、早いな……! もう追いついて来たか!」
南海でティグリア海軍の囮部隊を正面突破したハルブルグは、精鋭を率いて猛然と海を北上していた。艦隊運用の達人と呼ばれるハルブルグだからこそ、ここまで差を詰めることができたのだ。
後ろから砲撃を受けると、二方向からの同時攻撃に対応しなければならなくなる。ただでさえ劣勢だというのに、これには無理がある。焦るウォルディス公爵の目には、既に後方から近づいてくるインフェルシア艦隊の姿が小さく見えていた。公爵の額から汗が流れ落ちた。
「アジール海軍が来たぞ――ッ!」
だから、味方のうちからその声が上がったとき、公爵は心から僥倖を喜んだ。協力者のアジールが、良いタイミングで到着した。これならば、協力してインフェルシア海軍を壊滅させ、反撃することができるのだから――。
「砲撃射程圏内に敵艦隊が入りました!」
インフェルシア艦隊側でも、アジール軍の到着は見えていた。これはいける、と思った矢先のことであったから、落胆の思いはある。だが、敵の数が増えただけでやることは変わらない。砲撃をし、近接戦闘に持ち込めばこちらのもの――。
「!? 待て、撃つのをやめろ!」
ハルブルグが急に怒鳴り声をあげた。砲手たちが驚いてハルブルグを振り返る。
「アジールの様子がおかしいぞ! 砲口をティグリア側に向けて……!?」
そう。アジール海軍は、味方であるはずのティグリア海軍に向けて攻撃をしたのだ。
完全なる不意打ちを食らったティグリア海軍の旗艦は、至近距離からの砲撃を浴びて吹き飛んだ。ウォルディス公爵を含めた者たちが、船と共に海へ沈んでいく。ほぼ数秒でティグリア海軍は半壊し、難を逃れた船も戦場を離脱してしまった。
「仲間割れ……?」
部下の呟きに、ハルブルグは首を振った。
「仲間割れ以前の問題で、そもそもアジールはティグリアに協力する気なんかなかったのかもな。エルファーデン公爵がティグリアに嵌められたように」
アジール海軍は、そのままこちらに向かってくる。
「だが、敵の敵は味方ってわけじゃあなさそうだ」
ハルブルグは眉をしかめつつ、標的をアジール海軍に定めるように指示を出す。アジール海軍はティグリアを破ったが、真っ向からやりあってインフェルシアに易々と勝てるわけがない。おまけに、城壁からの援護砲撃もあるのだ。裏切り、謀略と言った薄気味悪さを感じながらも、ただハルブルグは自国の勝利に貢献するために戦う指示を出すだけだった。
★☆
シャルのいる場所からは、海軍の様子がどのようであるかなど分かるはずもない。
それでも、敵の砲撃がこの戦場に届いていないということは、ハルブルグが到着して攻撃してくれているということだろう。シャルはそれを確信している。
「いける! いけるぞ、このまま押し込め!」
シャルが怒鳴ると、周りの部下たちは「おう!」と応える。
いける。騎士隊と剣歩兵隊の猛攻に、アジール軍はなすすべがなく後退を余儀なくされ、目に見えて士気が落ちている。このまま行けば、この一部隊の壊滅なり敗走なりに持ち込めそうだ。そうなれば、かなり戦局はこちらの有利になる。
勝利は、目前――。
その時、アジール軍の後方から地鳴りのような音が響いてきた。シャルははっと顔を上げ、目を見張った。
音の正体は、地鳴りではなく、それと聞き違えるほどの人間の歓声。そして戦場に突如として現れた黒々とした巨大な影は、無傷のアジール騎兵だった。
「なっ、なんですあれ!?」
イルフェが震える声で叫ぶ。シャルは一瞬にして状況を悟り、同時に舌打ちした。
「アジール軍の援軍だ。くそ、奴ら、まだあれだけの兵力を残していたのか!」
シャルは馬の手綱を掴んで引き、今までにない大喝をあげた。……勝利は目の前だった。けれどもこの援軍の登場で、それは呆気なくひっくり返る。今取れる手はひとつ。
「一度退くぞ! 百騎隊長は隊をまとめろ!」
それを聞いて、モースも退却を指示した。彼もまた、柔軟な思考の持ち主であった。この場で勝ちを急ぐことがどれだけ無謀で愚かか、きちんと弁えていたのだ。
騎士隊と歩兵隊が撤退する。アジールの援軍を率いてきた騎士の男が、それを見てふっと口元に笑みを浮かべる。歳は三十代半ば、赤みのある茶色で長髪の男であった。その長い髪は、高くひとつに結い上げられている。背も規格外に高く、手に提げた長剣もかなりの長さがある。
「勝利に固執せず、味方の不利を悟って退くか。なかなか有能な指揮官のようだな。……あれが、【ローデルの英雄】か」
騎士はそう呟くと、突然馬の腹を蹴って駆けだした。傍仕えの者が「閣下!」と呼びかけるが、その声も届かない。騎士は馬を駆り、一兵の供もつけずに、撤退するインフェルシア軍を追いかけた。
視界にとらえた、陸軍騎士隊。さらに速度をあげようとして、彼の前に立ちはだかった者がいる。部隊を率いるシャルその人だ。殿を守るのは自分の務めであると、シャルは己に誓っている。そのため、猛然と追いかけてくる騎兵の足止めをするために馬首を返したのである。
「ひとりで突っ込んできた度胸は買うが、命知らずにも程があるぜ。部隊の呼吸もありゃしない」
痛烈な言葉に、男はまったく反応しなかった。それどころか笑みを浮かべたまま、こう言った。
「お前がハールディンだな」
「! ……そうだけど、あんた誰だ?」
シャルは一気に表情を険しくした。手柄目当てで突っ込んできた騎士なのかとも思ったが、一見してそれは違うと見抜いた。あまりにも、この騎士は強い。
「アジール陸軍上級将軍、ヴァンドール」
上級将軍、とはインフェルシアにはない階級名である。シャルは剣を持ちあげつつ、じっとその騎士、ヴァンドールを観察する。――とんでもない殺気の持ち主であった。
「お前との戦いを楽しみにしていた。待っていたのだ、この時を」
ヴァンドールはその言葉とともに、束の間止めていた馬を走らせた。そしてシャルめがけて長剣を振り下ろす。その神速の一撃を、辛うじてシャルは受け止めた。
(なんだこいつ……強い!)
シャルはこの一撃で敗北を確信した。シャルも多少は、己の実力に自負があった。それを、このヴァンドールはあっさりと凌駕したのだ。勝てない。威力、速さ、技術、経験――何もかもがシャルより一枚上手だ。
「くっ」
シャルは防御と回避に専念せざるを得なかった。馬術においては、シャルもヴァンドールも互角。であるならば回避はできる。しかし、このままではいずれ負ける。
「ハールディン准将ッ」
ヴィッツの声が響いた。だがシャルは、ヴァンドールの攻撃を剣で受け止めつつ叫んだ。
「来るなッ、行けヴィッツ!」
「でもッ!」
「早くッ!」
死なせるわけにはいかなかった。ヴィッツには結ばれたばかりの妻がいる。その妻、クローテルにシャルは誓ったのだ。絶対に死なせない、と。
ヴィッツがその言葉に従ったのかどうか、確かめる余裕はなかった。シャルの剣はヴァンドールに押し切られ、態勢がよろめく。
その時、ヴァンドールの攻勢が崩れた。真横から凄まじい勢いでヴィッツが駆けてきて、減速せずに馬ごとヴァンドールに体当たりしたのだ。これにはヴァンドールが平気でも馬が耐えられず、ヴァンドールの足は地に着いた。体当たりしたほうのヴィッツは巧みに態勢を取り直し、その場を離れる。彼の決死の攻撃で、シャルの生命は繋がった。
シャルの息は激しい。冷や汗も頬を伝っている。ヴィッツの勇敢な行動に礼を言う余裕すらなかった。対するヴァンドールは、相変わらず口元に笑みを浮かべたまま、息ひとつ切らさずにシャルを見上げて言う。
「良い太刀筋だが、甘い。お前の実力はその程度ではないはずだ」
「……なん、だと……?」
「追い詰められれば人は真価を発揮すると言うが、お前はどうかな……?」
シャルはヴィッツに手綱を引かれ、無言のままその場を駆け去った。徒歩になったヴァンドールは追いかけては来ない。それでも、シャルには言いようのない恐怖がある。あんな男は、初めてだった。
「准将、大丈夫ですか!?」
横をかけながら、ヴィッツが尋ねる。シャルは我に返り、頷いた。
「あ、ああ……すまんヴィッツ、助かった。だが、あんな危険な真似はよせ」
「俺も無我夢中でしたから……」
ヴィッツは軽く笑う。気弱で臆病に見られがちでも、この男は強い。心も、技術も。
「にしても、准将が追い込まれるなんて。何者なんでしょう、あの人は」
シャルの顔は青白い。血の気が失せてしまっていた。
「ヴァンドール……なんだか、嫌な予感がしやがる」
追い詰められれば人は真価を発揮する。
その言葉が不気味で、シャルの胸に大きなしこりを残していた。
★☆
時同じくして――。
「面会? 私と……?」
インフェルシア王都レーヴェン。シャルらが出立し、入れ替わりでヴェルメが戻って来て、数日が経った。おそらく戦場では戦闘が開始されただろうと感じていたアシュリーにもたらされたのは、意外な言葉だった。
「はい。拘束中のエルファーデン公爵が、どうしても殿下に直接謝罪したいと」
その話を持ってきたシュテーゲルも、解せないといった顔色である。その証拠に、老将軍はこう付け加えた。
「あれほどのことをしておいて、謝罪などという人間ではありますまい。しかもこのような時期に。仮にも王家の血筋ということで拘束に留まっていますが、公爵は罪人。本音を申し上げれば、面会などやめて頂きたいのですが……」
そう思っていてもシュテーゲルが事情を話したのは、アシュリーの性格をよく知っていたからだ。
「それでも、公爵が本当に罪を罪と認め、償いたいと考えているのなら。それを潰すことはしたくないです」
「……そうおっしゃられると思っていました。公爵は別室にて待機しています。こちらへどうぞ」
アシュリーは頷き、シュテーゲルの後を追って執務室を出た。
彼女の耳には、赤い耳飾りが光っていた。




