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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
3章 立ち込める暗雲
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10.開戦なんざ至極簡単さ

 急遽、アシュリーが予定していた『生い立ちを皆に告げる演説』は先延ばしとなった。急ぎ、今後の対策を練らなければならなくなったのだ。


 味方の裏切りに遭ったティグリアの一隊は、セーラムとともにこの王都へ取って返してきていた。怪我人も多く、状況把握が必要だったため、そういう措置を取ったのだ。


 シャルに指示されて指揮官を迎えに行っていたリヒターが、昨日もここで相対したティグリアの軍人を連れて戻ってきた。彼も多少の怪我をしているらしく、顔や腕に微々たる傷がある。彼は室内に入ってまず第一に、謝罪の言葉を述べた。


「面倒をおかけして、申し訳ない」


 その男の名はメディオといった。ティグリアの貴族であるウォルディス公爵が抱える私兵団の長だそうだが、同時にティグリア王国軍の在籍している軍人でもある。つまるところ、公爵は軍人の一部を私兵化している、ということだ。


「怪我の具合は?」

「大したことはありません。掠り傷です」

「そうですか。……では早速ですみませんが、メディオ殿。色々と貴方にお尋ねしたいことがあります」


 アシュリーの丁寧な物腰に驚いたようなメディオだったが、少しばかり逡巡している。無理もない、それはすなわち主人の情報を敵に売るということだ。しかし、メディオの決断は早かった。


「私でお答えできることならば、なんでも」

「有難う」


 アシュリーが微笑み、発言権を参謀のシュトライフェンに譲った。若手の参謀は軽く咳払いをし、メディオに尋ねた。


「諸々の事情を聞く前にまず、ウォルディス公爵とはどのような人物なのですか? 確か、ティグリアの軍部に影響の強い方であったと記憶しておりますが」


 さすがにシュトライフェンは各国の情報に精通している。メディオは頷いた。


「影響が強いどころでなく、ティグリアで軍を動かす全権を任されているのがウォルディス公爵です。ティグリア王国軍は、国王ではなく公爵の指示でなければ動きません。その中で、一部の軍人を私兵化して私兵団をくみ上げた。それが我々です」

「それを率いてるのがあんたなんだな? あんた、そういう柄じゃなさそうに見えるんだけど」


 組織の一部を私兵化するなど褒められたことではない。だというのに大人しく私兵という座におさまっているメディオはどうしたことか。思わず口を挟んだシャルだったが、場違い感が漂って肩をすくめた。がしかし、誰も咎めなかったのでメディオが答える。


「私は公爵に、ご恩がありまして……当時は、自分が公爵の私兵に名を連ねることができて、心から喜んでいました」

「ご恩?」

「公爵は優秀な人材の登用を昔から推し進めていました。平民ですらない貧困層の私が軍に入り、官位を頂けたのは公爵に能力を認めて頂いたからです」

「ふうん……」


 家柄ではなく、能力で人材を登用する考え方にはシャルも賛同できる。貧しい生まれのメディオが、こうして他国への使者に立っているというのが何よりの証拠だろう。問題は、そんな有能なメディオが、なぜ味方の裏切りを受けたのかということだ。


「貴方がたを襲ったのは、同じウォルディス公爵の私兵で、貴方の仲間ですね?」


 シュトライフェンが話を戻した。


「はい。船の留守に残していった者たちです。彼らは私たちが交渉に失敗したことを聞くや、剣を向けてきたのです。『公爵さまの理想のためには邪魔になる』と、そう言って」

「そして止めに入った我が軍の者をも巻き込んだ乱闘となり、奴らは逃走した、ということか」


 シュテーゲルが険しい顔で腕を組む。シャルは頷きながら呟く。


「裏切られたんじゃなくて、捨てられたんだな。……公爵の理想、か」

「思い当るか、シャル?」

「多分、そのウォルディス公爵は、エルファーデン公爵の言葉が全部嘘だって見抜いていたんじゃないかね。それでも敢えて、何も知らないふりをして協力した。あわよくばインフェルシアを乗っ取るために。そのために送り込まれてきたのがあんたらだ」


 メディオに目を向けたシャルは、さらに続ける。


「常識的にあの条約を結べるならそれで良し。結べずに、実力行使となったとき……堅物で良識派のあんたらは邪魔になる。だから捨て置かれた、ってところじゃないか。あんたは、公爵がそんな野望を持っていると知れば諌めそうな性格だ」

「……そうですね。事前に知っていれば、間違いなくお諫めしたでしょう」


 シュトライフェンがわざとらしく咳ばらいをした。それを見て、隣に座るレオンハルトがシャルを肘で小突く。肩を竦めたシャルは「自重、自重」と口の中で呟いて沈黙した。どうやら少々勝手に喋りすぎたようである。


 が、そこで気難しい参謀の口から想定外の言葉が出た。


「話を続けてくれ、ハールディン准将。私が進めるより余程スムーズだ」

「……では参謀の許しを得まして」


 知識や経験の豊富さでいえば、シャルはシュトライフェンに遠く及ばない。そもそも、シャルはきちんとした教育機関に通ったことすらないのだ。それでも彼は、並外れた頭の回転速度を持ち、優れた推察力や洞察力を兼ね備えている。中でも最たるは、相手の心情を正確に把握できることだろう。だからこそ、相手の野望もすぐに見抜けるし、戦場では「やられたら敵が一番困ること」を正確に実行できるのだ。


「公爵はまず間違いなく武力行使をしてくるだろう。が、問題はティグリアの国家元首の考えだ。いくらウォルディス公爵が軍権を一任されているとはいっても、勅命なしに軍を動かすことはできない」


 レオンハルトが軽く顎をつまんだ。


「ティグリアとは昔から戦争が絶えなかったけれども、現国王が即位されてからの二十年余りはごく平穏に国交がとられていました。民間人や貿易品も頻繁に行き来し、紛争が起こることもなかった。それはひとえに、ティグリアの国王陛下の温厚なお人柄によるものではないかと思われますが」

「国王陛下は、自国の民をとても愛しておられます。むやみやたらと戦争を引き起こす御人ではありません」


 メディオの言葉を受け、投石隊隊長のシーリン・エルドレッドがにっこりと笑う。


「でも、そういう人ほど、ヒステリックになると手がつけられなくなったりしません?」

「おいシーリン」


 幼馴染である剣歩兵隊隊長モースが慌てて窘めたが、エルドレッドはさらに想像を膨らませる。


「ティグリアの王はまだお若いと聞きましたけども。十歳のころ即位したんですよね。自国の民を愛しているという建前のもと何もせず、臣下の傀儡になっているとか」

「それはないだろう。しっかりした人だからこそ、ウォルディス公爵も下手に動けない状況なんだろうからな」


 モースの言葉にシャルも頷く。


「モース中将の言うとおりですね」


 議論が続く中で、ちらりとアシュリーはシュテーゲルを見やった。シュテーゲルとハルブルグ、そして槍歩兵隊隊長のキーファーは殆ど議論に絡んでいないのだ。しかし嬉しそうな顔をしているシュテーゲルを見て、アシュリーは首を傾げる。


「どうしたんです、元帥? やけに嬉しそうな顔をしていますが」

「いや、若者たちが議論しているのは見ていて嬉しいものがありましてね。と同時に、老いぼれはそろそろ引退するべきかと」

「ああ、これだけ優秀な奴らが揃えば、そうも思いたくなりますなあ」


 ハルブルグまでそう言い、キーファーも頷く。年配のこの三人は、やけに年寄りぶる。確かにいま軍部を引っ張る者たちの平均年齢は低くなっている。レオンハルトが良い例だ。しかしそれは、シュテーゲルやハルブルグが築いてきた基礎あってのこと。アシュリーは微笑んだ。


「駄目ですよ、まだまだ引退されては困ります」

「おや、そうですか?」

「ええ。きっとシャルやレオンが必死で引き止めると思いますよ」

「ふん、奴らも青いということか」


 貶しながらも、その表情がどこか嬉しそうなのは言うまでもない。シュテーゲルにとってシャルもレオンハルトも手塩にかけて育てた息子同然。その成長を喜ぶのは当然のことだった。


 そんな小声の会話など聞こえていないシャルは、さらに言う。


「先に手を出してきたのは、ティグリアなんだよな?」

「はい」

「けどこっちの被害は重傷一名と掠り傷数名のみ。向こうの被害は?」

「かなり流血がありましたので、相当の傷を負ったのでは……」


 セーラムの言葉に、シャルは眉をしかめた。


「……そりゃ、正当防衛とは言い切れないかもな」

「どういう意味です?」

「普通、異国の地で乱闘騒ぎを起こせば国家問題だ。ティグリアからは謝罪文のひとつでもないとおかしいんだが……その『国民を愛している国王』が、ずたぼろにやられた自国の軍人を見てどう思うかな」


 セーラムがはっと言葉を呑む。


「それに、ティグリアとインフェルシアの間に戦争を起こしたい奴らが、『自分たちが先に手を出しました』なんて報告するかね?」

「……『インフェルシアの軍人に斬られました』と言えば、国王がそれを宣戦布告と見なす、か」


 レオンハルトが呟くと、シャルは頷く。どちらが先に手を出したかなど関係ない、異国の者が自国の者を傷つけた。それだけで、戦争の大義名分となる。


 会議室内がしんとなる。重い沈黙を破ったのはシュテーゲルだ。


「……急ぎ策を練らねばならん。シャル、お前のお喋りは終わりだ」

「はいはい。戦術は俺の守備範囲じゃねえからな」


 シャルは苦笑いをする。彼は現状の把握能力に長けるだけで、策を立てるのはシュトライフェンの仕事である。そこまでシャルが口出しすることはできない。それにしても『お喋り』とは酷い言い草だ。


「ティグリアとの戦争になれば、戦場は間違いなく海上になるでしょう。ハルブルグ大将、よろしくお願いします」


 シュトライフェンの言葉に、海軍総帥の豪傑は重々しく頷いた。他国との海戦でいまだ負けなしのインフェルシア海軍だ。いくらティグリアであろうと、そうやすやすと破られはしない。


「メディオ殿、海軍について何か知っていることは?」


 シュトライフェンに問われたメディオは、申し訳なさそうに首を振った。


「陸軍の私には、海軍の情報は何一つ……お役に立てそうもないです」


 シュテーゲルはシャルを手招きし、何かを言いつけた。頷いたシャルはメディオのもとへ行き、彼を立たせる。


「ちょいと個別に話がある。悪いが外に出てくれるか」




 そう言って部屋を出たシャルは、ふうと長く息を吐き出した。そうしてメディオを振り返る。


「悪いな、こっちの都合で振り回しちまって」

「いえ。重大な軍戦略を敵国の人間に聞かせるわけにはいかないというのは、私も理解しておりますので」


 メディオは誠意を持ってこちらの質問に応えてくれた。それはみなが分かっている。だが、それでも彼はティグリアの人間だ。策を聞かれて、裏切られるような真似でもされればひとたまりもない。


「あんたのことは信用しているよ」


 あっさりとしたシャルの言葉に、メディオは意外そうに瞬きをした。――そう言えば、シャルは何度も「悪事に加担するのはあんたの柄じゃなさそうだ」というふうにメディオを擁護してくれていた。彼は一目見て、メディオの性格を見抜いてくれたのだ。


「あの場にいるみんな、あんたの言葉を信じている。けど、今の状態であんたたちをティグリアに返してやることもできないし、自由にインフェルシアを満喫してくれとも言えない」

「分かっています」

「そういう訳だから、あんたらの身柄はフェルナンド・シュテーゲルが預かる」

「……は?」


 唐突に出てきた陸軍総帥の名に、メディオは目を丸くした。


「さすがにあの王太子さま直々にやったら、あんたら国賓になっちまうからな。だが、陸軍総帥の個人的な客として迎えれば、大抵の奴は黙る。いや、黙らせる」

「そ、そこまでしていただくわけには!」

「勿論、ただの善意じゃない。色々と聞きたいことはあるからな。その代わり、インフェルシアにいる間の衣食住は保障するぜ」


 しばらく逡巡していたようだが、やがてメディオも納得したようだ。勝手に振る舞えば騒ぎのもとである。拘留されないだけありがたく思わなければならないところである。


「……では、お世話になります」

「ああ」


 シャルは微笑んだ。と、メディオが首を傾げた。


「貴方は、【ローデルの英雄】……ですよね」

「ん、ああ……そういえば名乗ってなかったか。シャル・ハールディンだ、そんな大層な呼び名じゃなくて名前を普通に呼んでくれ、頼むから」

「は、はい」


 メディオはやっと緊張が解けてきたのか、笑みを浮かべた。その顔を見ると、どうやら年齢はシャルより少し上のようである。


「こうして貴方と言葉を交わせたこと、とても光栄に思います。改めまして、メディオ・ケルスニード陸軍准将と申します。よろしくお願いします」


 本当に、堅苦しい男だ。そう思ったシャルだったが、こういうタイプは嫌いではなかった。しかも相手は陸軍准将、同階級の人間だ。シャルは国籍など気にしないので、気楽なものである。


「ああ、よろしく。で、その敬語いらないから」

「しかし、恩人でありますので」

「俺は何もしてないよ。俺も階級はあんたと一緒。これから何が起こるか分からないが、神経張りつめてたら気が参っちまうぜ」

「……分かった。すまない、有難う」


 メディオはそう言って、シャルに頭を下げたのだった。



★☆



 ナーメルでの騒動の噂は瞬く間に王都レーヴェンまで届き、爆発的に広がった。


 世論は反ティグリアに傾き、宮廷や軍部からも開戦論が飛び交う。もはやシュテーゲルやハルブルグでも鎮圧は困難といえた。


 そんな中、ティグリアからインフェルシアに向けて通達文が届く。





 宣戦布告の文書であった。

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