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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
3章 立ち込める暗雲
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09.一難去ってまた一難、ってか

 翌日の早朝、今まさに出かけようと玄関ホールで身支度を整えていたシャルだったが、軽い足音とともに階段を降りてくる音が聞こえ、手を止めた。すると、きっちりと軍の制服を着こんだレオンハルトが歩いてくるではないか。しかも彼は笑顔でシャルに手を上げる。


「やあ、シャル。おはよう」

「おまっ……なんでそんなピンピンしてるんだよ、平気なのか?」

「うん、気分はいいよ。怪我もそこまで酷くない」

「ああ、やっぱお前化け物確定だわ」


 呆れたように言うシャルに、傷ついたふうでもなくレオンハルトはにこにこと笑う。


「僕の無事な姿を見せたほうが、よっぽど説得力があるでしょう?」

「……そりゃごもっともで」


 シャルは溜息をつき、玄関の扉を開けて外へ出た。しっかり鍵をかける様子を見て、レオンハルトは首を傾げる。


「シュテーゲル元帥は?」

「昨日は城に泊まり込みだ」

「ああ、成程。要するに、君は僕をこの家にひとりにさせないために、わざわざ帰宅したんだね?」

「はあ?」

「おまけに破れた服の修繕までしてくれて。泣かせるじゃないか、親友!」

「あんまりふざけたこと言うと、腹に一発叩き込むぞ」


 ふいっと顔を背けたシャルだったが、どれも的を射ている。安静にしていなければならないレオンハルトを、城やアークリッジ邸に運ぶことは出来ない。本来ならシャルもアシュリーの護衛に就くつもりだったのだが、シュテーゲル邸にレオンハルトをひとりにはしておけない。だから昨日は自宅に戻っていたのだ。


 それと、レーザーをかすめて焼け焦げ、刃物で切り裂かれた制服を、夜中にこっそりと縫い合わせていたのも、事実である。


 さらに言えば、平気な顔をしていてもやはり傷に響くらしいレオンハルトに合わせ、歩調がいつもよりゆっくりなのも、さりげないシャルの優しさだ。


 早朝だというのに日差しは肌に痛く、気温が高い。ゆっくり歩いているのだが、早くも汗が滲んできた。レオンハルトと肩を並べて歩きながら、シャルはちらりと右手の水路に視線を送る。生活用水として使っているはずだが、やけに透明度の高いこの水には、体温を下げるためにお世話になった。大人になった今でも、なんだか水路に飛び込んで涼みたい気分に駆られてうずうずしつつ、シャルは気になっていたことをレオンハルトに尋ねた。


「そういえばお前、どうしてあっさり連れ去られたりしたんだ?」

「ああ……あの襲撃騒ぎの時、城内でトレーネ嬢が倒れているのを見つけてね。助け起こそうとしたら、背後から近づいてきた誰かに薬品を嗅がされて」

「薬品?」


 シャルが不快げに眉をしかめる。レオンハルトは頷いた。


「症状は一過性のもので、すぐ効果は切れたけどね。麻酔薬の一種かな」

「……」

「『薬は使い方を間違えれば毒になる。けど、逆に毒だって正しく使えば薬になる。薬として使えばたくさんの命を救えるのに、どうして毒として人を殺すために使う人間が多いんだ』って……昔、君はそう言ってたね」

「もとはと言えば、俺の両親が言っていたことだけどな」


 シャルは溜息をついた。


「薬師ってのは、医者と一緒に活動することが最善なんだ。薬師は薬の調合をする人間であって、診療はできない。医学の心得があっても、やっぱり専門家には及ばない。だから医者が診察して、言われた通りの薬を出すってのが、あるべき姿なんだと思う訳だ」

「でも、いまそんな風に連携しているなんて、大型の都市の病院くらいだよね」

「ああ、それが問題なんだ。薬師が間違った診察をして、間違った薬を出す。医者が間違った薬の調合をして、それを出す。そうすると、その薬は患者にとって毒になる。……田舎じゃ、こんなことがしょっちゅうだ」


 こういう話になると、シャルは熱っぽくなる。レオンハルトは黙って、そんな饒舌な友人を見つめる。


「どうして薬が毒になって、人を殺す道具になるのか……結局、俺が考えた答えは『何をどう使うのも人間次第で、道具に罪はない』ってことさ」

「……まったくだね。やっぱり、君は街のお医者さんであるべきなのかもね」

「人を無理矢理引きずり出しておいて、今更何を言いやがる。俺が軍に戻ってきたときは、『やっぱり君は騎士であるべきだよ』とか言ったくせに」

「後悔してる?」


 そう聞かれると、シャルも返答に困る。あのままフォロッドで、薬師としてのんびり生活していたかったという願望も確かにある。しかし今は、気心の知れた仲間たちが傍にいる生活も気に入っている。


「……してない」

「ならいいんじゃないかな。君は薬師として人を助けることもできるし、騎士として守ることもできる。そういう君がいたから、僕だって命を繋ぐことができたんだからね」


 確かにあの場で、医療の心得を持つシャルがレオンハルトに応急処置を施さなかったら、間違いなく彼は死んでいた。そういう処置をできたのも、シャルが強行突破なんて手を取ってくれたからだ。武芸と医療の心得がどちらもあったから、レオンハルトは生き永らえたのだろう。


「有難うね、シャル」

「ふん、聞き飽きたぜ」

「照れない照れない」

「阿呆か」


 照れ隠しにそっぽをむいたシャルを見て、にやにやとレオンハルトは笑った。



 ひとまずシャルは親衛隊詰所へ向かうと言うので、レオンハルトもついて行くことにした。まだはっきりとレオンハルトの無実が世に公表されていない今、部下である弓箭隊のもとへ行ってもどうすることもできないからだ。


 扉のノブに手を伸ばした瞬間、内側から凄まじい勢いでその扉が開いてきた。咄嗟に命の危機を感じたシャルは、伸ばしかけていた手で思い切り扉を押し返して閉めてしまう。と同時に何かが扉にぶつかる音と悲鳴が聞こえた。


『ふぎゃっ!?』


「……シャル、向こう側、誰かいたみたいだけど?」

「いなきゃ開かないだろ。扉が勝手に開くってか?」

「いや、あんな勢いで閉めたら激突するでしょ」

「うーん、顔面にあたってたら鼻血くらい出るかもしれないなあ」


 珍しくレオンハルトに常識的な指摘を受けながら、シャルはそっと扉を開けた。と、床に座って顔を抑えてうずくまっている青年が一人いる。シャルは顔をほころばせた。


「悪ぃなヴィッツ、お前だったか」

「じゅ、准将ぉ……酷いですよっ」

「おっ、鼻血も出てない。鼻骨も折れてなさそうだな。丈夫な身体だなあ」


 真っ赤な目をしてシャルを見上げたヴィッツ・シャステル大佐だったが、目が赤いのはあまりの激痛のために涙が滲んでいるだけである。彼にしてみればとんだ災難だっただろう。慌てて部屋から出ようと扉を開け、そのままの勢いで外に飛び出そうとしたのに、寸前で開けたはずの扉が閉められたのだから。扉に激突し、あまりの痛さにのた打ち回りそうになっていたのである。


「なんだろう。こういう不運に出遭うのって、大概シャステル大佐だよね」

「そういう体質なんだよ」


 さらっとふたりして酷いことを言う。室内からはカインが爆笑している声が響いた。と、イルフェが険しい顔つきで歩み寄ってくる。


「なんで緊迫感ぶち壊してくれるんですかッ、シャル先輩も、レオン先輩もっ!」

「おや、そういえばアークリッジ中将、お加減はよろしいので?」

「ああ、有難うフリュードル大佐。おかげでなんとかね」

「人の話を聞いてくださいッ!?」


 ほのぼのとしたアンリとレオンハルトの会話を聞いてひときわ怒鳴り声をあげたイルフェを、リヒターが「まあまあ」となだめる。シャルは肩をすくめた。


「なんだよイルフェ、そんなに怖い顔して。あんまりカッカすると、身長伸びないぜ?」

「まだこれから成長期が来ますから、平気ですッ!」

「二十一歳にもなって、まだそれを言うか……」


 小柄なイルフェの頭に手を置いてみると、すごい勢いでそれを跳ね除けられた。シャルにこんなことをできる後輩はイルフェしかいないだろう。


「それどころじゃないんですってば!」

「分かった、分かったから言ってみろ」

「ティグリア軍と、随行した我が軍の騎士が争いを起こしたそうです!」


 その穏やかでない報告に、シャルとレオンハルトが顔を見合わせる。


「ティグリアがちゃんと帰るのを見届けるために、港まで同行したんだったな?」

「はい。まだ報告だけで、詳しいことはなんとも言えませんが……こちらはひとりが斬られて重傷、ティグリア側には数名の負傷者が出た模様です」

「奴らはインフェルシアから出たのか?」

「はい、出航したようです」


 レオンハルトがシャルの後ろから顔をのぞかせる。


「どっちが、先に手を出したの?」

「……そこまでは、分かりかねます」

「これは、ちょっとまずいんじゃないかな、シャル」


 シャルは顎をつまんで頷く。


「ああ。こっちが先に手を出したのならあちらは開戦の大義名分を手に入れたことになる。向こうが先だったとしたら、こっちの開戦派が黙っちゃいない」

「あれかな、条約締結に失敗したから武力行使ってこと?」

「どうだろうな。だが、どうも腑に落ちない。あの使者としてきた男は、なかなか話の分かる実直そうな奴だった。陰謀とかは縁遠そうに見えたんだが……」

「人間、裏の顔なんていくらでもあるよ、シャル」

「ああ、お前が表と裏を器用に使い分けているようにな」


 思わぬ反撃を受け、レオンハルトが困ったように首をすくめる。シャルは腕を下ろした。


「じいさんとアシュリーのところへ行くぞ。詳しい話が聞けるはずだ。リヒター、来い」

「はい!」

「言われなくても僕はついていくよ」


 リヒターとレオンハルトを引き連れ、シャルは詰所を出て行った。若干赤くなっている鼻の頭をさすりながら、ヴィッツが不安げに呟く。


「戦争に……なるんでしょうか」

「そうならないための解決策を、考えに行くんだろうよ」


 カインが自信たっぷりに宣言し、アンリも同意するようにうなずく。その中でイルフェはすっと目を伏せた。


「本当に、そうなればいいんだけど……」



★☆



 シュテーゲルは軍議室にいた。室内には陸軍の各部隊長に、海軍総帥のハルブルグ大将、陸軍参謀のシュトライフェンが揃っている。シャルらが入室してすぐ、アシュリー、シルヴィア、侍女のテューラ、そして忠実にシャルの命令を守り続ける護衛のフォルケも姿を見せた。一通りレオンハルトが「もう大丈夫なのか?」という質問を受けてから、本題に入る。


「話は聞いてる?」


 フロイデンに問いかけられ、シャルは頷く。シュトライフェンはシャルの姿をちらりと見て、視線をそらす。そういえば彼は、正式に復役する前のシャルが軍議にさも当然と言った様子で参加しているのを見て、という理由で不快感をあらわにしていた人物だ。シャルがまた軍に戻ってきた今、もう咎めだてすることができない。


「悪いな参謀さん。俺みたいな粗忽者と同じ空気は吸いたくないかもしれねえが、成り行き上、口を挟まさせてもらうぜ」

「ちょっ、シャル」


 アシュリーがひやっとして声をかけたが、シュトライフェンは溜息をついた。シャルは、シュトライフェンが自分を忌避する理由を正確に知っていたのだ。彼のような堅物は、平民で言動も荒いシャルが気に食わなかったのだろう。それでも、アシュリーとリヒターを連れて逃げる際にしっかり協力してくれたということはシャルも知っているので、彼からは憎む気はないのだ。


「別の視点からの意見、というのも重要だ。……早く座りなさい」


 どうやら、シュトライフェンもシャルのことを多少は見直してくれたらしい。シャルやレオンハルトが黙って座ると、フロイデンの隣に佇む騎士をシュテーゲルが示す。


「随行した騎士隊の指揮官は、このセーラムに任せていた」


 セーラム少将はフロイデン直属の万騎隊長だ。これまた大物を同行させたものだ、とシャルは内心で思う。そのセーラム少将は腕に包帯を巻いている。乱闘で怪我をしたのだろう。重傷者は一名とイルフェが言っていたから、軽い怪我だと思われた。


「状況をお話します」


 セーラムがそう前置きし、事情を話し始めた。



★☆



 インフェルシアと南の国々を繋ぐ重要な貿易港が、インフェルシア最南端の港町ナーメルだった。王都レーヴェンとはほんの数キロ離れているだけで、歩いてでも一日あれば往復できる距離だ。大河ダルメルティを越えればすぐ港町ナーメルの土地となり、ナーメルは王都レーヴェンと同じ街であると思っている国民も多い。


 陸軍騎士隊所属、万騎隊長セーラム少将は、十名ほどの部下を伴って港へ向かうティグリア軍に同行した。ティグリア軍はおよそ二十名。セーラムが危惧していた、『道中で取って返して襲撃する』というようなこともなく、一行は無事ナーメルに到着した。


 港には旅客船が停泊していた。これで軍艦ならばナーメル駐在の役人も港へは入れなかっただろうが、ただの旅客船で、しかも緊張状態にあるティグリアの船である。下手なことをして逆鱗に触れることは避けたかったので、大人しく港へ入れたのだろう。しかしまあ、降りてきたのは軍の者であったのだが。


 ティグリア軍の指揮官らしき男はセーラムを振り返ると、深々と頭を下げた。


「先導、感謝します。王太子殿下によろしくお伝えください」


 この丁寧な対応にはさすがのセーラムも驚き、慌てて『無事の航海を祈る』と返した。これほど実直な男、インフェルシア軍にも少ないだろう。

 

 そうしてティグリアの一行が船に近づいていくのを見送った。船からは、おそらく留守組である一隊が出てきて、首尾はどうだったのかを報告し合っているのだろう――と思ったのだが、何やら様子がおかしい。セーラムが同行してきた一隊と留守隊の間に、何やら不穏な空気が漂っているのだ。


 留守組の人間が剣を抜き放ったところで、セーラムも動かざるを得なかった。どういう会話があったのか知らないが、同じティグリア軍同士で仲間割れを起こされてはたまらない。仲介しようと近づいた瞬間、セーラムの部下の一人が留守組の軍人に斬られたのだ。


 これには現場も大騒ぎになった。仲間割れが起こったと思ったら、ティグリアの人間がインフェルシアの大地で、インフェルシアの人間に危害を及ぼしたのだ。セーラムも武力を用いての制圧を図ったが、寸でのところで船に乗っての逃走を許した。


 使者として王城に出向いてきたティグリアの一隊は、味方だと思っていた者たちに裏切られ、置き去りとされたのだ。

こんにちは、狼花と申します。

『不遜な騎士と仮面の王子』を読んで下さり有難う御座います。

また、連載を楽しみにしてくださっている皆様、重ねて感謝申し上げます。


さて、今回の話で登場したことについて、少しばかりお話を。

疑問に思った方がおられるかは分かりませんが、「薬師」というシャルの役職についてです。


本来の「薬師」とは、日本における医師の古称を指します。扱うのは漢方医学をはじめとした東洋医学です。しかし今回、シャルはあくまでも「薬の調合をする人間」で、「医者」ではないと明言しております。


よって、拙作で登場する「薬師」は、本来の辞書的説明とは別の、私の創作語彙でございます。

概念的には、「薬剤師」というべきでしょう……世界観に合わない言葉ではありますけれども。


では、今後とも『不遜な騎士と仮面の王子』をお楽しみ頂ければ幸いに存じます。

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