07.ま、お前が死ぬわけないよな
玄関ホールで襲ってきた私兵を、シャルはまとめて薙ぎ払う。彼が先頭に立って敵を倒してくれるので、アシュリーとリヒターは後からついて行くだけになっていた。リヒターが苦く笑う。
「まるで雑草を刈っているかのような無造作さですね……」
「大雑把な剣技なのに、すごく正確なんですよね」
シャルの前に立った私兵が、腰が引き気味ながらも声を張り上げた。
「き、貴様! 何をしに来た!?」
「友達が長居してるみたいだから、引き取りに来たんだけど」
台詞と同時に、シャルは剣の柄を私兵の腹に叩きこんだ。そのまま私兵を突き飛ばし、壁に押し付ける。刃を首元に突きつけたまま、シャルはにっこりと笑った。
「で、どこにいるの? 俺の友達はさ」
「ち、地下……地下室だ!」
「へえ。そんで、どこから地下に行けるの?」
「公爵さまの、書斎からっ……」
そこまで聞いて、シャルは男を解放した。そしてすかさず手刀を叩きこみ、昏倒させる。
「アシュリー、リヒター、こっちだ!」
シャルはそう叫び、廊下を駆け出して行った。無論、彼はどこに書斎があるかなど知らない。それでも、何度も出入りしているアークリッジ家の屋敷と構造が似ていたから、大体の場所は分かる気がしたのだ。それに、状況的にこの家にエルファーデン公爵はいない。いるとすれば娘のトレーネだ。ならば、警備が厚い場所を探せばそこにトレーネがいて、レオンハルトがいる。
「どうして、トレーネがいるところにレオンが?」
アシュリーが駆けながら尋ねる。
「言ったろ、トレーネはレオンが好きで好きでたまらないんだ。今回のことは、トレーネと公爵の利害が一致して起こったことだ。公爵にしてみれば、レオンを誘拐して監禁さえできればいい。だから、レオンの身柄はトレーネに渡したんだろう。となれば、トレーネはレオンにうざったいくらい付きっきりのはずだ」
「面倒な女ですね……」
リヒターも、すっかりひとりの男として渋い顔をしている。シャルは苦笑した。
「どれもこれも、レオンの天然たらし癖のせいさ。ざまぁ見やがれ」
「その要素を取り除いたら、レオンじゃなくなっちゃいますよ」
「いや、あいつはもう少し誠実に生きるべきだ」
やたらと警備の数が多い部屋が現れた。きっとその先が書斎だ。
振り下ろされた斬撃をシャルは剣で受け止め、無防備な腹に蹴りを叩きこんだ。と同時に横合いからの斬撃を空振りさせ、剣を一閃させる。そして三人目は、相手より速くシャルの一撃が肩に叩きこまれていた。シャルが持つ剣は、もはや斬る道具ではなく殴打の道具となっていた。
警備をあっという間に退け、シャルは扉を開けた。そこは確かに書斎で、壁際の書架が僅かにずれている。リヒターがその書架をさらに押しのけると、その裏に地下への階段が現れた。
「見っけた」
シャルがにやりと笑う。と、アシュリーが窓の外を見て目を見張る。
「……シャル! あれ、イルフェたちでは?」
「は? イルフェ?」
駆け寄って窓を開けてみると、丁度中庭でイルフェが率いる部隊がエルファーデン公爵の私兵と交戦していた。それを指揮していたイルフェが、窓から顔を出しているシャルに気付いてにっこり笑った。
「あ、シャル先輩! ご無事ですか!?」
「無事だが、お前ら何してるんだ?」
今や賞金首となったシャルの部下たちで、しかも逃亡幇助をした者たちだ。てっきり拘束なり謹慎なりさせられていると思ったが、どうして部隊を動かしてここにいるのだろう。
「あんなド素人の監視、すぐ破りましたよ! それに、シルヴィア殿下の『お黙りなさい!』の一言で、エルファーデン公爵も怯みあがっちゃいましてね!」
「シルヴィアが……?」
アシュリーが唖然とする横で、シャルは苦く笑った。アシュリーを偽者だと決めつけても、シルヴィアは紛れもなく国王の娘で、第一王女だ。正統な王位の復活を建前としている公爵にすれば、彼女の言葉を無視するわけにはいかないのだ。
レオンハルトが行方不明になったと聞いて蒼白になっていたシルヴィアだが、やることはやってくれる。
「やるねぇ、あのお姫さん」
「そういう訳ですから、屋敷内の制圧は僕に任せて! 先輩は、レオン先輩を!」
「分かった、任せるぞイルフェ!」
シャルはそう言い、視線を地下への階段に向けた。――と、その時。
地下から、何か金属の甲高い音が聞こえてきた。例えるなら、剣を床に落としたかのような――。
それを聞いたシャルは視線を室内に転じ、棚に飾ってあった酒瓶を手に取った。それを迷わずリヒターに渡す。
「リヒター、悪いがこれ持ってってくれ」
「は、はい……?」
怪訝そうながらも、リヒターがそれを受け取る。シャルは先程までとは打って変わって緊張した面持ちで、地下への階段を降りはじめた。
地下にも明かりがあり、歩きにくいということはなかった。廊下の先に、鉄製の扉が一枚。鍵はかかっていなかった。シャルが歩み寄り、その扉を開けた瞬間、赤い閃光が迸った。
「おわっ!?」
シャルは慌てて飛びのいた。驚異的な反射神経で難を逃れたが、一歩間違えればシャルはレーザーで貫かれていただろう。
「ふうむ、さすがティグリアの技術か……」
そんなことに感心していたが、この敷居の先に人間がふたり倒れていることに、シャルは気付いていた。片方は、十代の少女。そしてもう片方は、金髪で長身の男――。
「レオン!」
アシュリーが飛び出そうとするが、寸前でシャルがそれを押しとどめた。
「ちょい待ち! 今の見ただろ、一瞬で黒焦げだぞ!」
「でも、レオンが!」
レオンハルトは倒れたままびくともしない。その周囲の床に、赤い血の池ができていることは、ここからでも見て取れる。あれでは失血死の恐れがある。
「慌てるな。……機械なんて繊細なものはなあ、壊すのが簡単なんだよ!」
シャルは剣を壁に向かって突きだした。壁に埋め込まれていたセンサーやレーザー発射口がそれで破損し、青白い火花を散らした。試しに剣の鞘を室内に放り込んでみたが、レーザーは発射されなかった。
簡単に室内に入ってすぐ、シャルは言う。
「リヒター、トレーネを抑えろ」
「はい」
リヒターがトレーネを診ている間、シャルとアシュリーはレオンハルトの元へ駆け寄った。血で汚れるのも構わず友人の身体を起こしたシャルは、その異様な体温の低さに眉をしかめた。だがとりあえず、浅くはあるが呼吸もあり、脈もあったので、一安心だ。
レオンハルトの顔色は、これ以上ないくらいに青白い。目も固く閉ざされ、意識を取り戻す気配はない。そしてシャルは、腹部の傷を診る。折れた短剣の刃が体内に残っているというのは、すぐに見て取れた。
「まずはこいつを抜かねえとな……リヒター! トレーネはどうだ?」
「どうやら、折れた短剣で脈を切ったようです」
「そうか。……アシュリー、悪いがリヒターと代わってくれ。そんで、トレーネに応急手当」
「分かりました……!」
アシュリーはリヒターからトレーネを受けとり、血が噴き出している傷口の止血に取り掛かった。シャルはレオンハルトを仰向けに寝かせ、リヒターにレオンハルトの腕を押さえているように指示した。それだけで、リヒターにはシャルの意図が伝わった。
「大丈夫ですか、准将?」
リヒターがそう尋ねたのは、シャルの額に緊張からか汗がにじんでいたからだ。だがシャルは不敵に笑う。
「俺の元々の職業を忘れたか? フォロッドじゃ、どちらかといえば俺は薬師じゃなくて外科医だったよ」
シャルは上着に忍ばせていた短剣を取り出した。その時、レオンハルトが僅かに身動きした。シャルが身を乗り出す。
「レオン?」
「……シャ……ル?」
「ああ、俺だよ。生きてるな?」
「どうやら……そう、らしい……」
レオンハルトは力なく呟く。シャルはふっと微笑んだが、すぐに笑みは収めた。
「レオン、荒いことするぜ。歯ぁ食いしばるか気絶しちまうか、どっちかしろ」
「ん……」
小さく声を出して、レオンハルトは瞼を閉じる。シャルは短剣を持ちなおした。
「リヒター、全体重かけて押さえろよ?」
「はいっ」
シャルはレオンハルトの着ている制服の前を切り裂き、傷口部分に刃をあてた。そして慎重に、その傷口部分に短剣の刃をすべりこませた。
「ッ!」
レオンハルトの身体が跳ね上がる。それをリヒターが力づくで押さえつけた。
傷にもう一度刃物を入れる痛みは想像を絶する。しかも、緊急とはいえ麻酔も何もないのだ。なるべく短時間で終わらせられるように、シャルは慎重に急いで作業を行った。横目でその様子を見ているアシュリーも、耐え難い様子でぎゅっと目をつぶる。
「う……あ、ぁッ……!」
さすが誇り高い貴公子、意識が飛びそうな激痛に襲われても、みっともなく悲鳴をあげたりしない。だがそれだけに、その呻き声から辛さが滲み出ている。シャルが声をかける。
「もうちょっとだ! しっかりしろよ……!」
見事な手際で、シャルはレオンハルトの体内に残っていた折れた刃を取り出した。と同時にシャルは先ほどリヒターに持たせていた酒瓶を開け、消毒として傷口にぶっかけた。
「いッ……!?」
一難去ってまた一難。レオンハルト的には、そういう心情だったかもしれない。
それが終わって、シャルは適当な布で止血をした。先程とは打って変わって荒く激しい呼吸を繰り返すレオンハルトの肩を、シャルは叩いた。
「お疲れ。終わったぞ」
「……容赦、ないね」
「容赦なんてしてたらお前、死んでるぞ」
「うん……君に、医学の心得があって助かった……」
「上から目線だな、おい」
薬師として、だがそれ以上に知識と経験が豊富なシャルだからできた荒療治だ。これ以上のことはきちんとした専門医に任せるしかないが、とりあえずレオンハルトの失血死の恐れはなくなった。勿論彼はかなり衰弱しているから油断はできないが、それでも一安心といったところだ。
「起こすぞ」
「頼む……」
シャルはレオンハルトをゆっくりと立たせる。すると、アシュリーの処置を受けて意識を取り戻したらしいトレーネが、はっとして身体を起こした。
「れ、レオン様……!」
だがレオンハルトは無言を貫いた。言葉をかけたくもなかったし、そんな気力もなかったのだ。代わりに、シャルが答えた。
「世の中には、相手のことを殺しちまいたいくらい愛してる、とかほざく輩が男にも女にもいるようだけど」
「……」
「あんたが好きで好きでたまらなかったレオンが、こんなに弱っている姿を見て、まだそんなことが言えるか? もし言えるなら、あんた人としてどうかしてると思うぜ」
アシュリーがトレーネを諭すように言う。
「ここを出ましょう。いいですね?」
「……もう、どうでもいいわ……レオン様がいないのなら、私にはなんの野望もない……お父様のことでもなんでも、話すわよ……」
こうして、トレーネは身柄を抑えられた。
★☆
衰弱したレオンハルトを、シャルはシュテーゲル邸へ運んだ。医療機関に運ぶのは気が引けたし、陸軍元帥の屋敷は監視下になかったからだ。リヒターに馴染みの医者を呼びに行ってもらい、医者が来るまでの間はシャルが処置を施す。アシュリーは、シャルが指示したとおりの薬を調合してくれている。
「レオン、気分は?」
改めて傷口を治療しながら静かにそう尋ねると、レオンハルトは目を閉じたまま答える。
「身体が、だるいな……頭も痛い……気持ち悪い……」
こんなにも素直に不調を訴えるのは、相当堪えているということだろう。シャルは瞬きする。
「もしかして、脱水……? お前、飯抜きでもされていたのか?」
「……何も食べなかった」
「……まあ、毒の混入を疑うのは当然だけどな。にしても、水すら摂らないなんて、自殺行為だぞ」
「ああ……君には、申し訳ないけどね。敵の施しを受けるくらいなら、朽ちたほうがマシだと本気で思っていたんだ……どうか、してたね、僕は……」
薬師として人々の生死を間近で見てきたシャルに『死んだほうがマシ』などと言えば、烈火のごとく怒られることが目に見えていた。そんな友人のことをよく知っているのに、レオンハルトは死を選んだのだ。きっと捕らわれたのがシャルだったら、何としてでも生き残るために、毒入りであったとしても水くらいは飲んだだろう。
「……無事でよかったよ。本当に」
シャルの口から出たのは、怒りの言葉ではなく安堵の言葉だった。レオンハルトはちらりと瞼をあげてシャルを見る。
「医者が来たら輸液してもらう。それまで、とりあえず安静にしていろ」
「うん……ねえ、シャル……」
「なんだ? どうしてほしい?」
病人に対するシャルは、本当に優しい。自分にその優しさが向けられていることにむず痒さを覚えつつ、レオンハルトは答えた。
「シルヴィアに……会いたいんだ」
シャルは息を呑んだ。
レオンハルトとシルヴィアが、いつからそんな間柄だったのかをシャルは知らない。つい最近なのかもしれないし、シャルがいなかった五年間に何かあったのかもしれないし、もしかしたら子供の時からなのかもしれない。だが、そんなことを表に出すような人間ではないのだ。いまこの場で彼女の名を出したのは、相当精神が参っている表れなのか。レオンハルトの弱さ――シャルにだけ見せる、甘えだ。
「分かった。すぐには無理かもしれないが、掛け合ってみる」
「有難う……それと、さ」
「ん?」
「なんか、すごく腹が減った……」
「……そこまで衰弱していても空腹は感じるのか? 恐ろしい奴だな。残念だが、ここまで弱っていると急に塩分とか摂るのは駄目だ。もうちょい待て」
呆れたシャルは肩をすくめた。レオンハルトもうっすら微笑み、目を閉じた。
「――有難う、シャル……」
その一言には、レオンハルトの万感の思いが込められていた。




