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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
3章 立ち込める暗雲
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05.陰謀の道具になるのは御免だ

 ヴィッツとアンリが確保してくれていた小舟に飛び乗り、シャルは自らそれを漕いで城から脱出した。さすがに息が切れてしまったアシュリーは、荒く肩で呼吸しながら、シャルに尋ねる。


「しゃ、シャル……一体、何が起こって……?」

「ちょい待ち。そういうことは落ち着いてからにしようぜ。まずは安全確保が先だ」


 シャルはそう言って、水路をすいすいと船で進んでいく。まったく慣れたものである。呼吸を落ち着かせたリヒターが周囲に視線を送り、警戒する。


 上空からヴェルメが舞い降りてきて、アシュリーの肩に留まった。すっかり彼女にも懐いたヴェルメを見て、シャルもほっとしたように息をつく。ヴェルメは目立つから、敵の目に留まっていたらと思うと心配だったのだ。


 住宅街まで下って、適当なところでシャルは船を捨てた。常ならば「通行の邪魔」と大ブーイングを喰らう、水上の移動で最もしてはいけないことをしてしまったが、生憎このときはシャルにも船を始末する方法が思いつかなかった。


 そうしてやってきたのは、シャルの実家『ハールディン薬舗』だった。それを見てリヒターが目を見開く。


「准将のご実家、ですか? こんなところに身を隠したら、すぐ見つかるのでは……」

「長居する気はない。けどとりあえず、落ち着いて状況整理する時間は必要だ。こんなボロ屋、すぐには突き止められないよ」


 シャルはそう言って、外れかかっている扉を開けた。室内に入る直前、「見張り頼むな」と言ってヴェルメを外の木に移した。


 椅子を引っ張り出してきたシャルは、埃を払ってそれに腰かける。アシュリーとリヒターも同じく適当に座った。それを見て、シャルはふっと笑う。


「またこの面子か……フォロッドを思い出すな。ついこの間だってのに、妙に懐かしいぜ」


 フォロッドに隠棲していたシャルの元へ、助力を乞いに来たのはアシュリーとリヒターだった。あの時とは色々と立場が違うが、シャルにとっては自分を再び戦場へ引っ張り出したふたりである。


「そうですね……あの時から私たちは、シャルの元へ転がり込んでばかりで……」


 アシュリーが寂しそうに微笑む。シャルは腕を組んだ。


「前回はそうかもしれないが、今回は違う。俺が、お前を連れて逃げた。だからそう、いちいち気に病むな」

「はい……」


 リヒターは緊張した面持ちで、落ち着かないのか剣の柄をいじりつつ口を開く。


「しかし、殿下が偽者とはどういう……?」


 その言葉に、アシュリーはびくりと身体を震わせる。リヒターを含め、親衛隊の者はアシュリーが女であることは知っている。だが、そうなった詳しい事情は知らないのだ。


「……アシュリー。説明してもいいか?」

「はい、お願いします……」


 アシュリーの許可を得てから、シャルはリヒターに向きなおった。


「元々、アシュリーには双子の兄さんがいてな。その兄の名前がアレックスで、王太子だった。けど幼くして王太子アレックスが亡くなり、その座を埋めるためにアシュリーが男としてアレックスを名乗っていたってわけだ。王家には他に男児がいなかったからな」

「……それではまるで、身代わりではないですか」

「ああ、ある意味ではそうかもしれん。だがな、間違っても偽者なんかじゃねぇ」


 沸々と煮え滾るシャルの怒りは、アシュリーにもリヒターにも伝わっていた。実際、彼は大層気に食わなかった。エルファーデン公爵が、アシュリーを『偽者』と指差したことが。


「アシュリーはアシュリーだ。アシュリーの人生捻じ曲げて王太子の座に据えたのには、エルファーデン公爵も当然絡んでる。なのに、自分の都合が悪くなったからアシュリーを偽者と決めつける……? ふざけんじゃねぇ、俺はな、自分の行動や言葉に責任持たねえ奴が、この世で一番嫌いなんだよ」


 珍しくも激情を露わにしたシャルに、アシュリーもリヒターも呆気にとられている。いつだって感情よりも現実的な理論を展開していたシャルだ。こうして感情のままに喋るのは珍しい。そもそも、レオンハルトが行方不明になってからのシャルは、どこかつっけんどんで近寄りがたい雰囲気がある。それすべて、普段の彼にはあるまじきことだ。


 同じことに、シャル本人も気づいたらしい。軽く咳払いして気分を落ち着かせ、幾分かいつもの冷静さを取り戻した。


「……まあまず、状況整理だ。要するに、ことは全部繋がってたってことだな……」



★☆



 エルファーデン公爵が今回の事態の首謀者であるというのは、もはや疑いようがない。そして公爵には、ふたつの野望がある。


 ひとつめ。『アークリッジ公爵家を失脚させたい』。


 ふたつめ。『国王の後見として権力を振るいたい』。


 このふたつは、先日シャルが祝賀のパーティーで暴露したように、明らかなことである。ふたつの野望を叶えるために、今回のことをエルファーデン公爵は画策したのだ。


 まず、傭兵を雇って彼らにアシュリーを襲わせた。そしてその混乱に乗じ、レオンハルトの身柄を手に入れた。あくまでも狙いはレオンハルトだったのだろう。傭兵たちには高い金を払い、「レオンハルトに雇われた」と証言するように頼んであった。これでまず、『レオンハルトの信頼』を多少なり落とすことに成功した。


 次に、あの暴露文書である。あれも、紛れもなくエルファーデン公爵がばらまいたものであろう。しかし、エルファーデン公爵はそれをアークリッジ公爵になすりつけた。あの会議の場で「王太子アレックスは実は女で、このことをアークリッジ公爵が世間に公表した」と高らかに宣言した裏には、勿論王族としての正義や忠義など微塵もない。あるのは打算だ。『王太子は民衆を騙していた』ということ、『アークリッジ公爵が裏切った』というふたつのことを、世間に知らしめたのである。


 そのうえで「自分こそ正当な王族」ということをエルファーデン公爵は強調した。こうなればもう、すべては彼の思い通りである。


 たった数日で、一方的に敵視していたアークリッジ公爵家、そして自分が権力を握るために邪魔だった王太子アシュリーの排斥に、彼は成功したのだ。



★☆



 それらのことを淡々と説明したシャルは、長い脚を組み替えて言う。


「ま、こんな感じじゃないのかね」

「……レオンをどうするつもりなんでしょう。その……まだ殺されていなければ、ですけれど」


 アシュリーは歯切れが悪い。それももっともなことだ。シャルは束の間沈黙し、口を開いた。


「これは、ちっと飛躍しすぎた俺の予想に過ぎないんだが」

「はい」

「元々エルファーデン公爵は、レオンと娘のトレーネって奴をくっつけて、その子供の祖父として権力を握りたかったんじゃないか、と俺は思ってる。けど、そうなればアークリッジ公爵も同じく次期国王の祖父だ。それじゃまずい。だからトレーネをアシュリーに嫁がせようと方針を変えた。が、勿論これじゃ子供は生まれないし、なんとか直系を廃したいエルファーデン公爵にすればアシュリーに嫁がせるというのも得策じゃない。さらに言えば、レオンに好意を寄せているトレーネが、それじゃ満足しない」


 去り際に、「レオン様を愛している」と呟いたトレーネだ。その言葉からは、単なる好意ではなく、それ以上の執着のようなものをシャルは感じた。あれは、そう簡単に諦める女ではない。


「……例えばな」


 そう言って、シャルはまた黙る。アシュリーが声をかけると、シャルは顔を上げ、頭を掻いた。


「例えば何の変哲もない、そこそこ身分の良いお坊ちゃんを連れて来て、『彼こそ本物の王太子アレックスだ』と言う。一応、これで王家は続く」

「!?」

「で、そいつにトレーネを嫁がせる。そして世継ぎの子供が生まれるが……実は、捕えたままのレオンとの子供である、とかな」

「そんな……そんなこと、公爵にはできるんでしょうか……」

「公爵がこだわっているのは、王家の正統性じゃないからな。自分が権力握って、あまつさえ愛娘の満足いく結果になれば、万々歳なんじゃないか」


 シャルは苦い顔だ。アシュリーに辛い話ばかりしている。もう少しオブラートに包んで話したかったのだが、シャルはそこまで器用ではなかったのだ。


「それよりも、俺が気になるのは……」

「気になるのは?」


 リヒターが先を促す。


「エルファーデン公爵が、こんな大それたことをするなんて予想外だった。せいぜい王家やレオンへの嫌がらせ程度しかする度胸がないと思っていたんだよ」

「……もしや、エルファーデン公爵の裏に誰かいる?」

「察しが良いなリヒター。俺はそう睨んでる」


 シャルはにやりと笑う。エルファーデン公爵がこれほど大それたことをやってのけてしまうほど、強力な後ろ盾だ。――まず間違いなく、国内の人間ではない。


「城の中枢がエルファーデン公爵に奪われた今、軍の人間はレオンの捜索に動けない。エルファーデン公爵を裏で操っている『誰か』が動き出す前に、俺たちが真っ先にするべきはレオンの救出だ」

「レオンの救出……」

「ついでに、公爵の癒着の証拠も探す。トレーネの自白でもいい。……とにかく、現状で自由に動けるのは俺らだけだ。俺らが働かなきゃならん」


 自由に動けると言えば、確かにそうだ。シャルがいち早く危機を察知し、迅速な判断でアシュリーを連れ出した結果である。しかし別の面から見れば、エルファーデン公爵の「アシュリーは女で偽者」という言葉を肯定してしまったということでもある。


 自分たちの動きで怪文書に真実味を持たせてはいけないと部下を諭したシャルだったが、さすがにアシュリーの命が危険なこの状態で何も動かないというわけにはいかなかった。そして、一度動いてしまったからには、彼は腹を括っていた。


「……シャルが言った、『レオンとトレーネを結ばせる』というのだけは、絶対阻止しないと」


 ぽつりとアシュリーが呟く。それを聞いて、またシャルは胸のうちに違和感を覚えた。あえてそれを気にせず、尋ねる。


「そりゃ勿論だな。現実になったら、お前が辛いだろ」

「私も辛いですけど、レオンとシルヴィアがもっと悲しみますから……」

「……なんでここにシルヴィア殿下が出てくる?」


 きょとんとしたシャルに、アシュリーは首を傾げる。


「シルヴィアとレオンが互いを好いているのは、もはや周知の事実ですよ?」

「……マジで?」

「ええ、マジ、です」


 シャルはさっと青褪めた。それは得体の知れない羞恥心であったかもしれない。


「じゃ、じゃあ……もしかして、パーティーの時『トレーネにレオンは渡せない』ってお前が言ったのは……?」

「勿論、あのふたりの仲をトレーネに壊されたくなかったからですけど」

「うわあぁ」


 シャルは頭を抱えて悶絶した。とんでもない間違い、とんでもない失態だ。


(アシュリーはレオンに気があると勝手に勘違いして、勝手にレオン(あいつ)に妬いて、勝手に俺はへこんでたってのか!? で、それをレオンに知られた? うわっ、やっちまった……!)


 だからあの呆れたような笑みを向けられたのか。色々と合点が行き、同時に言いようのない敗北感と羞恥心が襲ってくる。あとでレオンハルトになんとからかわれるであろうか!


「あ、アークリッジ中将とシルヴィア殿下が両想い……!?」


 リヒターも、別の意味で真っ青になっている。彼からすれば雲上人であるふたりの、そんな秘密情報を図らずも聞いてしまったことに、危機感を覚えたのである。その言葉を聞いて、はたとシャルも自失から立ち直った。そうだ、突っ込むべきところはそこだ。あの色々な意味で鉄面皮な男とこの国の姫君が、まさかそんな関係であったとは。



『僕にはもう、心に決めた人がいるんだよ』



 レオンハルトははぐらかしたが、あの言葉は真実だったということか。


 一気に脱力してしまったシャルは、深い深い溜息をついたのだった。そこには、勘違いしていた自分への羞恥もあれば、知らないところでそういう関係になっていた友人への呆れもある。だがどこか――ほっと安堵している自分も、いるのだった。




★☆




「……また、食べてはくれなかったの?」


 そう尋ねると、使用人は恐縮したように頭を下げた。


「はい。何度お声をかけても、身動き一つされません」

「いいわ、私が行く」


 その少女、トレーネは使用人の手から料理の盆を取り上げ、自らの足で地下へと赴いた。自分と父、そして先程の使用人以外センサーに感知されてしまうという扉を難なく通り抜け、彼女は室内に入った。


「レオン様」


 声をかけた人物は、壁際に座って静かに目を閉じていた。片膝は立て、片足は床に伸ばした状態だ。声に反応して、レオンハルトは億劫そうに瞼を上げた。そんな胡乱気なレオンハルトは、誰も見たことがないだろう。


「……何の御用です? トレーネ嬢」

「何の御用、ではありません。お食事を摂ってくださいませ。もう三日目です……何か食べねば、死んでしまいます」


 レオンハルトは答えない。彼は食事はおろか、水さえ飲まない。ただじっと、この場所に座って目を閉じているだけだ。トレーネはスープをスプーンですくい、レオンハルトの口元に差し出した。


「毒など入っていません。本当に、お願いですから……」

「……私をここに監禁している人間のお言葉とは、思えませんね。申し訳ありませんが、貴方を信じるわけにはいきません」


 口調だけは丁寧に、しかし完璧にレオンハルトは彼女を拒絶した。勿論、差し出されたスープも口にしない。


 彼には色々と考えがある。まず第一に毒の心配。可能性は低いだろうが、媚薬でも盛られていたら困る。そしてこのまま食事を摂らなければ、まずレオンハルトの身体は限界を迎える。どうやら公爵家の人々は自分を死なせたくないようだから、そんな事態になれば医者が呼ばれるだろう。その時に逃げ出すチャンス、もしくはシャルが駆けつけてくるチャンスがある、と考えていた。


 それに、最たるはレオンハルトの意思自体が、食事を含めすべてを拒んでいる。


 元々勉学でも優れた才能を見せ、何もせずとも国のエリートになれたはずのレオンハルトが、なぜ軍に入ったのか。それは貴族という肩書を捨て、自分の力だけで出世したかったからだ。肩書を捨てるなど無理なことではあるが、中将まで来たのは紛れもなく実力である。自分の力で出世し、自分の力で国や人々を守れる。それが彼の一番の誇りだった。


 なのに、国を他国に売ろうとする謀反人たちに捕らわれてしまった。これ以上の醜態は晒せない。施しを受けるくらいなら、死んだ方がマシだ――レオンハルトの胸中には、そんな激情が渦巻いている。国に忠義を尽くすために、敵が差し出すものなど何も受け取らないと決めていたのだ。


 強情を張っている場合ではない、と言うかもしれない。しかしレオンハルトにとっては譲れないことだった。


 レオンハルトは目を閉じた。それ以降、トレーネが何を呼びかけても、彼は一切の返事をしなかった。

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