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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
3章 立ち込める暗雲
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03.そう簡単にくたばられて、たまるかよ

「さてどうしたものかな……」


 ぽつりと呟いて、灰色の天井を見上げる。ほぼ正方形のこの部屋の壁も天井も同じ灰色で、鉄ごしらえの扉がある以外に窓もない。灯りはぼんやりと一か所灯っているが、酷く薄暗く頼りなかった。


 レオンハルトは冷たい床に座り、壁に寄りかかっていた。両腕は頭の後ろで組み、長い脚は前へ投げ出している。完全にリラックススタイルで、今しがた彼の口から出た言葉にも焦りらしきものは微塵も感じられない。


 つい十分前にこの部屋で目覚めたレオンハルトは、まだどこか明瞭としない頭で自分の身に起こったことを必死に振り返った。王城が何者かに襲撃され、シャルとアシュリーの元へ駆けつけようと城内を移動していた時に倒れているトレーネを見つけた。そのトレーネを助けようとしたら、誰かに妙な薬品を嗅がされ、意識をなくしたままここへ連れてこられたのだ。


 二分ほどすれば身体の自由も利いてきて、立ち上がって扉のノブを掴んでみた。開いているわけもなく、しっかり鍵はかかっているようだった。早々に諦めたレオンハルトは、こうして扉の真正面の壁に寄りかかって座っていることにしたのだ。


「弓や武具は奪われているけれど、手足の拘束はなし。……どういうつもりかな」


 身につけていた弓に矢、忍ばせていた短剣などは勿論取り上げられていたが、レオンハルトはこの室内にあって自由の身であった。体内に薬物が残っているような感覚もない。まさかこの期に及んで『貴方を賓客として扱うつもり』だとは言わないだろう。レオンハルトが逃げない自信があるのだろうか。


 意識を失う直前のことを思い出す。倒れていたトレーネを助けたときの、彼女のあの笑み。レオンハルトと向き合っていたのだから、背後からレオンハルトを襲おうとした人間のことは見えていたはずだ。それでも彼女は笑みを浮かべたまま、何も言わなかった。


「……共犯、か。だとしたら、エルファーデン公爵も絡んでいるな……」


 エルファーデン公爵が王位を手に入れたいという野望を持っているということは、レオンハルトも承知していた。そのために、娘のトレーネをアシュリーに嫁がせる気でもいた、というのはシャルから聞いた。しかしレオンハルトは、それが関の山だと思っていたのだ。まさかこんな風に武力行使に出るとは、正直公爵を甘く見ていた。


 公爵だけでこれだけ大掛かりなことができるわけがない。何か強力な協力者がいるのだろう。それは誰だ。自分をここに監禁し、何をするつもりだ?


 ここはおそらく、エルファーデン公爵が持つどこかの屋敷の地下だろう。助けが来る可能性はあるだろうか。


「シャルなら、すぐ見抜きそうだけれど……うん、駄目だな。証拠がない……これじゃシャルは踏み込んでこられないか」


 もしエルファーデン公爵が、自分の部下ではなく第三者の部下を使って襲撃したのなら、公爵がアシュリーを狙ったという証拠にはならない。


 無理矢理に踏み込んで地下に囚われているレオンハルトを見つけてしまえば万事解決だが、公爵は王家に連なる者としての絶対的な権力に守られている。いくらシャルでも、レオンハルトを見つける前にシャル自身が捕縛されかねない。


「だとすれば、自力で脱出するか……」


 さすがに素手の状態でそれは無理がありそうだ。だからと言って、シャルたちに見つけてもらうだけというのも少々心苦しい。せめてここがどこであるかを調べて、それをシャルらに伝える手段があれば。


「そんなものないよなぁ……」


 この地下から、どうやって情報を伝えるというのだ? 鷹のヴェルメが壁をすり抜けてくれるなら、可能なのだが。そんなことを考え、レオンハルトは声を出さずに少し笑う。


「……どうしたもんかなぁ」


 そして思考は、最初の地点へと戻ってくる。さっきから独り言ばかりであるというのは、彼も承知していた。それでも何か行動していないと、薄気味悪くて仕方がなくなる。大貴族の息子ではあるが、レオンハルトは今まで一度だって誘拐されたこともなければ、自国の者に敵意を向けられたこともない。まさかこんな大の大人になって、こうも簡単に監禁されるはめになるとは思わなかったのだ。


 いま、自分はどうすればいいのか。レオンハルトは苦く笑う。


(結局僕は、ひとりでは何もできないんだな……)


 敵対する者でもいい。『誰か』がいないと、レオンハルトはいつもの調子が出ない。――本当の意味でひとりになることなど、彼は今までなかったのだ。


 その時、正面にある鉄の扉に外からかけられている錠が外される音がした。はっとして顔をあげると、扉が開いて人間が入ってくる。それはエルファーデン公爵――父の従弟、というなんとも言いえない関係の人間だった。レオンハルトはどこか内心でほっとした。自分を陥れた犯人でも、人間が来たというだけで恐怖が和らいだのだ。


「やあレオンハルト、気分はどうだ?」

「そうですねぇ、涼しくて良い場所ですよ、ここは」


 おどけて言うと、エルファーデン公爵もまだ余裕があるのか、ふっと笑う。


「手荒な真似をして悪かったな。だが、どうしても君の身柄が必要でね」

「呼んでいただければ、堂々とお宅にお邪魔したのですが?」

「だが君は必ず、反対するだろう」

「ええ、勿論。貴方は私を説き伏せるおつもりでしょうが、私も説き伏せるつもりですからね」


 レオンハルトはゆっくりと立ち上がり、エルファーデン公爵を見下ろす。



 ――無防備にも、公爵はひとりでここへやってきた。そして地下室の扉は開けたまま。逃げろと言っているようなものである。



「公爵、馬鹿な真似はよしてください。我がアークリッジも、エルファーデンも、同じ王家に連なる血族。何をしたいのかは知りませんが、恥を晒すことになりますよ」

「君こそ目を覚ませ。君は王家の血を引き、あの偽王太子よりもずっと知恵があり、人をまとめるにたる器の持ち主。それなのに、君は一臣下としての身分で満足するつもりなのか?」


 要するに、レオンハルトを担いで王家を掌握したいのか。レオンハルトを王に据え、レオンハルトとトレーネの子の祖父として。トレーネはレオンハルトに執着しているし、エルファーデン公爵にとっても都合がいいのだろう。だからアシュリーを廃するつもりか。


 レオンハルトはうっすらと笑みを浮かべる。


「……もしこの場でなければ、貴方を不敬罪で捕縛できたのに、残念です」

「不敬罪? 偽王太子に対してか?」

「私はアシュリー殿下のお傍に仕えることに誇りをもっています。あの方を愚弄するならば、等しく私の敵だ」


 口元は笑っていたが、瞳はまったく笑っていない。むしろ冷たい光を湛えていた。


「殿下を、亡きアレックス殿下の座に据える。それを決めたのは我々です。厳密に言えば、国王陛下とアークリッジ公爵、そして貴方だ。にもかかわらず、身勝手にも程がある」

「交渉は決裂か」

「交渉も何も、はじめからそんなものをした覚えはありませんよ」


 言い終える前に、レオンハルトは大きく踏み出していた。公爵の胸襟を掴んで押し倒したのだ。


「ぐはっ……!」

「私を自由の身にしておいて、一人で入ってきた不備を呪ってくださいっ……」


 レオンハルトはエルファーデン公爵を床に叩きつけた。公爵は武芸の心得などない。呆気なく身動きが取れなくなり、その隙にレオンハルトは悠々と扉を開けた。そして外の廊下に一歩踏み出した瞬間――。


「ッ!?」


 レオンハルトの腹のあたりを横一文字に、赤い光が奔った。咄嗟に飛びのいたレオンハルトだったが、がくんと膝を床についた。腹を抑えている手をそっとどかすと、レオンハルトの着ていた軍の制服が焼け焦げてしまっていた。


「なんだ、今のは……」


 すると、倒れていたエルファーデン公爵が起き上がって愉快そうに笑う。


「驚いたか? そこには特殊なセンサーがあってな、私と娘のトレーネ以外が通ると、今のような熱レーザーが放出される。君は反射神経がいいから服が焦げたくらいで済んだが、通ろうとすればまず即死だ」

「センサー? 熱レーザー……?」


 聞き覚えのない単語に、レオンハルトは呆気にとられる。


「最新鋭の機械だ。南の国々は、我々などよりずっと技術が進んでおるからな」

「南? ……まさか、ティグリアと通じたのか!?」


 南海を隔てた向こう、ティグリア王国。一応インフェルシアとは陸続きで行けないこともないが、テオドーラを通過して大きく迂回する必要があるため、勿論船で海洋を横断したほうが早く行ける。そんな向かい側の国は、列強に囲まれていることもあり、機械技術の進歩がインフェルシアの何倍も速い。


 しかしティグリアとは、インフェルシアが有する領海を巡って激しく争う仲である。インフェルシアは、機械技術の輸入も制限している。そのため、政府が許可した機器類でないと国内には入れることができないのだ。


 それなのにエルファーデン公爵は、ティグリアの機材を使用している。これは、かの国と通じたことが明白である。


「なんということを……!」


 レオンハルトがエルファーデン公爵を睨み付ける。だが心情的な優位に立っている公爵は、笑うだけだ。


「真にこの国の未来を憂いているからこその措置だ。進んだ技術は逐一吸収する必要がある。ティグリアの援助を受けつつ、この国をもっと豊かにしてみせようではないか」

「援助? 何を寝ぼけたことを。ティグリアからすればインフェルシアなど、取るに足らぬ小国に過ぎない。それでもその侵略を防げているのは、我が国の海軍と、王家の方々の尽力あってのこと……国内に手引きするような真似をすれば、一気に制圧されるのは目に見えている! 貴方のしていることは売国以外の何物でもない!」


 ここまでの怒声は稀に見るものであった。いつも怒ったり反論したりするのはシャルに任せてきたレオンハルトだったが、そもそも彼は極めて優秀な頭脳の持ち主であった。頭の回転が速いシャルがいなければ自分で戦うしかなく、そしてこのときは本気で公爵に対し憤りを覚えていた。


「いつか、自分の甘さを悔いるときが来ますよ」

「さて、本当にそんな日が来るかね?」


 公爵は悠々とレオンハルトに背中を向ける。


「君はここにいたまえ。世間では、君が偽王太子を襲撃した犯人と疑われているからな。助けを求めよう、などとは思わぬことだ」

「……」

「ところで、君はどう思う? 女が国の頂点に立つことを」


 急に話を変えた公爵だったが、レオンハルトは動じずにきっぱりと答える。


「男女の差がなんです? そんなものに囚われるなど時代遅れですよ」

「そうだな、君はそう思うだろう。だが、この男子優先の考えは根強く国民の意識に残っておる。それを、私が証明してやろうではないか」

「! ま、待てッ!」


 廊下に出て行った公爵を追おうとしたが、公爵は振り返ってレオンハルトに何かを投げつけてきた。その『何か』は、扉のセンサーに感知されて一瞬で焼失した。ぴたりと足を止めたレオンハルトに、公爵は告げる。


「焼け焦げたくなければ、大人しくしていたまえ」

「ッ!」


 目の前で扉が閉まるのを、レオンハルトは黙って見送るしかなかった。レオンハルトはらしくない舌打ちをし、また先程と同じように壁に背を預けて座り込んだ。右手で顔を覆ったレオンハルトは深く溜息をつく。


 エルファーデン公爵は、アシュリーが女であることを世間に公表するつもりだ。事情がどうあれ、アシュリーが性別を偽り民を欺いてきたことに変わりはない。アシュリーが女と知られれば、民意は傾く。


「シャル……今すぐ、アシュリー殿下を連れて逃げろ……僕のことはどうでもいいから、早く……」


 そう呟くレオンハルトの声に、いつもの余裕は微塵もなかった。



★☆



 街をぐるっと上空から偵察していたヴェルメは、主人の姿を見つけてゆっくりと舞い降りてくる。シャルが差し出した片腕に留まったヴェルメの様子を見て、シャルは小さく溜息をつく。


「見つからない、か……ま、お前は目はいいけど、鼻は利かないもんな」


 その言葉に、『ごめんね』とでも言いたげにヴェルメは一声鳴く。


 鷹を含め鳥類は嗅覚に頼らず生活を送っているため、視力が良い反面嗅覚や聴覚などは弱い。この真昼間に捕らわれていると思われるレオンハルトが堂々と市街を歩いているわけもなく、そういう意味では嗅覚による追跡が望ましかったのだが、ヴェルメには無理なことであった。


 そもそも、レオンハルトはどうやって行方をくらませたのだろう。何か弱みを握られてついて行かざるを得なかった、という状況も考えはしたが、それにしてもあれほど目立つ男である。誰の目にも止まらずというのは不可能に近い。しかし、意識を失っていたとしても同じことが言える。レオンハルトは背が高いし、担いで運ぶのも目立つだろう。


 抜け道でもあったのかもしれない。王城内から、市街へと抜ける隠し通路が。もしそんなものがあるとすれば、知っている人間は限られてくる。


 シャルは大木の陰に身を隠しつつも、ちらりと目線を上に向ける。


 目の前にそびえたつ巨大な屋敷――それはエルファーデン公爵の屋敷だった。シャルは門のところに警備が立っているのを眺めやりつつ、遠くからかれこれ二十分近く観察している。


「なかなか厳重な警備をしてらっしゃる。……どうしたもんかね」


 図らずも、シャルもレオンハルトと同じ言葉を口にする。勿論シャルとしては、レオンハルトがここにいるという推測でしかない。だが、祝宴のときのことからどう考えても、手を引いているのはエルファーデン公爵だ。


 証拠がない。むりやりでっちあげるか。どうやって? たとえば屋敷でボヤ騒ぎがあれば、協力と称して押し入ることができるのだが――。


「……ああ、いかんいかん。アシュリーの面目をつぶすわけにゃいかねえな」


 窮屈なもんだ、宮廷ってのは――。


 シャルは改めてそう思い、この日は大人しく引き返すことにした。



 彼はまだ、危機が迫ってきていることを知らない。


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