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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
1章 英雄の帰還
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02.誰と誰が友人だって

 結局一睡もできなかったシャルは夜が明けてすぐに起き出した。着替えを済ませ、雨漏りの受け皿にしていた桶を取り上げる。桶の半分くらいまで水が溜まっていた。いつもだったら夜中に取り換える必要があるほど雨漏りするので、少しは補強した成果が出ているのだろう。


 桶を持ったままリビングのほうへ移動すると、ソファでは護衛の騎士がうたた寝をしていた。さすがの彼も疲れには負けたらしい。桶の中の水を捨てに行って戻ってくると、騎士は居心地悪そうに目を覚ましていた。シャルは陽気に声をかける。


「よう、おはようさん。昨日の雨が嘘みたいに、良い天気だぜ」

「……お、おはようございます」


 緊張しているのか警戒しているのか。シャルはどちらだろうが気にしないが、彼の口調が昨晩と違うことは気になる。


「なんで敬語なんだよ」

「一応、貴方に協力をお願いする立場ですから」

「あんた、名前は?」

「陸軍騎士隊所属、リヒター・オルミッド中尉です」

「なんだ、士官だったのか。案外偉いんだな。……考えてみれば、王太子のお付きが兵卒や下士官な訳ないか」


 退役時に陸軍大佐だったシャルは、リヒターにしてみれば雲上人に等しい。だが騎士隊所属の騎士たちは一兵卒に過ぎず、多少なり実力のある者は下士官、さらに実績を積めば士官となる。士官の最下級である少尉を目指すのが、新人たちの目標であろう。そう考えればこの若さで中尉となったリヒターも相当な実力者だが、シャルが言ってしまうとまったく有難味がない。


「王子さまは?」

「まだお休みですが、お呼びして来ましょうか」

「いや、いいさ、寝かせておけ。さあて、飯の支度っと……」


 シャルは茶色の髪を搔きながら台所へ引っ込んだ。リヒターが腰を浮かせる。


「何かお手伝いすることは……」

「座ってろって。俺、自分以外の誰かが台所をいじるの、ちょっと嫌でね」

「は、はあ」


 潔癖か、と思わずリヒターは突っ込む。台所から色々と物音がしてきた。袋を広げる音、野菜を包丁で切っていく音。その音がにわかに止まり、心底嫌そうな独り言が聞こえる。


「げっ……虫がついてやがる。ったく、無農薬栽培が良いのは分かるが、新鮮すぎるのも場合によりけりだよなあ……」


 作業が中断されたのも束の間で、すぐにシャルは料理を再開した。リヒターは室内を見回す。独り暮らしの男の家にしては、やけに綺麗で小ざっぱりしている。朝からまともに自炊しているし、掃除も行き届いている。大雑把な印象が強いシャルという男だが、実はかなりの几帳面な性格のようだ。


 しかしリヒターはいまひとつ、台所で鼻歌を交えつつ料理をしている男があの【ローデルの英雄】であるとは信じられない。リヒターが今まで聞いてきた話によれば、シャル・ハールディンという騎士は鬼神のような強さで敵軍を薙ぎ払い、用兵も巧みで、軍略にも光るものがある。そんな文武両道の人、という印象だったのだが、いざ本人を目の前にしてそれらががらがらと音を立てて崩れていくのを、リヒターは感じていた。


 ――同じ平民出身の騎士として、シャルのように出世するのが、リヒターの夢であり目標だったのだが。しかしそんなこと、腐っても本人には言えない。仲間内では競って誇らしげに「あの英雄みたいになるんだ」と声高々に宣言したものだったが、今のシャルを見て彼のようになることを願うことは、到底無理だった。


 所詮シャルも過去の人間。あの頃誇った武勇も、五年間剣を手にしていなければ錆びついてしまう。今の彼に求めるのは騎士としての力ではなく、薬師としての力なのではないか――?


「朝から何難しそうな顔してんだよ。眉間に皺が寄ってるぜ」


 そんな声がかけられ、リヒターは現実に立ち戻る。既にテーブルの上にはサラダにスープ、数種類のパンが用意されていた。呆然とそれを見ていると、シャルはコップに水を汲んできた。


「あんま味に期待するなよ。独り暮らしの男の朝飯なんて、こんなもんなんだから」

「い、いえ……むしろ随分しっかりした食事をお作りになるのだと驚きました」

「食事に関する手間と金はケチらないのが俺の信条でね。料理は割と嫌いじゃないからな」


 嘘だ、嫌いじゃないどころか大好きなはずだ。リヒターはもう確信を持ってそう言える。リヒターはソファから立ち上がってテーブルについた。シャルはそのリヒターの向かい側に座り、にやりと笑う。


「でも、王都の騎士隊宿舎の食堂の飯に比べりゃ、ずっとマシだと思うぜ? 今も不味いの、あそこ?」


 リヒターが目を見開く。そして笑みを浮かべた。


「はい。くそ不味いです」

「ははっ、ありゃ精進料理みたいなもんだしなあ。俺なんて宿舎を抜け出して、城下で焼き肉とか食ってたっけ」

「えっ、焼き肉? おひとりで?」

「ひとりで焼き肉とか、どんだけ寂しい奴だよ。レオンなんたらとかいう弓箭隊士と一緒にだ」

「アークリッジ中将が、宿舎を抜け出す!?」


 レオンハルト・E・アークリッジは、言わずと知れた陸軍弓箭隊隊長だ。国内屈指の貴族であるアークリッジ公爵の一人息子でもあり、インフェルシア王家とは親戚筋にあたる。確かアレックスとは、はとこ同士だ。若くして既に国の要たるレオンハルトが、宿舎を抜け出すなんて所業をするとは。シャルが苦笑いを浮かべる。


「お前らから見たあいつの印象ってなんなの? 貴公子然としてる? 堅物? 雲上人? そんなの全部幻想だぜ。何しろ、俺みたいな変わり者の親友を、いまだに名乗るような俺以上の奇人だからな」


 なんだか納得しかけてしまったが、いつの間にかリヒターはシャルのペースにどっぷりと嵌っていた。さっきまで色々考えていたのに、そんなことなどどこかに吹き飛んでしまったかのようだ。


 と、奥の部屋からアレックスが飛び出してきた。


「すっ、すみません……寝過ごしてしまって!」


 恥ずかしそうにアレックスが謝る。リヒターが頭を下げたが、奥に座っていたシャルは特に何もしない。


「よく眠れたようだな」

「はい、おかげさまで……」

「軍人にとって健康は資本だ。よく眠って疲れが取れたなら、それに勝るものはないさ」


 シャルはそう言って椅子を指差す。座れという意図をくみ取ったアレックスが席に着くと、シャルはフォークを手に取ってサラダをつつき始めた。


 三人とも、元々名前を知っている程度の仲である。昨日の今日でいきなり話が弾むはずもなく、食事の席は非常に静かだった。だが、ちらちらと何か言いたそうにシャルの顔を窺っていたアレックスは、思い切ったように口を開く。


「……あの、ハールディン大佐」

「なんだい」

「ずっと気になっていたのですが……どうやってレオンと親しくなったのですか?」


 アレックスにとって最大の謎がそれである。貴族でもないシャルが、大貴族であるレオンと親しくなるのは少し異例なのだ。しかもふたりは騎士隊と弓箭隊と、所属まで違う。余程仲が良くなければ、所属をまたいでまで友情を育むことはできないはずだった。だから相当親しいはずなのだが、これまでのシャルの言動は、レオンをけなし扱き下ろすものばかりだ。アレックスには理解できない関係である。


「同期で同い年、きっかけはそれだけさ。訓練期間中は所属関係なしに訓練を受けるし、そのあともレオンの奴はしょっちゅう騎士隊の詰所に顔を出してきたからな。気は合っていたから、別に相手するのは苦じゃなかった」

「でも、昨日からハールディン大佐はレオンを軽んじるような言葉を……」

「軽んじてねえよ。これでも高く評価してんの」

「そ、そうなんですか?」

「こういう友情も、ありなのさ」


 シャルはフォークを置き、パンをちぎって口に運び始める。アレックスは身を乗り出した。


「レオンのことが心配ではないのですか?」

「心配はしてない。死んでくださいとお願いしても、死にゃしねえからな」

「……レオン本人も、同じことを言っていました」

「自他ともに認める不死身男なんだよ」


 それから再びパンを口に運ぶ。噛んで咀嚼するまでは沈黙を保っていたシャルだったが、ふと視線を明後日の方向に向ける。そしておもむろに尋ねた。


「……そういえば、じいさんはどうしてんだ?」

「じいさん?」

「シュテーゲル元帥だよ」


 インフェルシア陸軍全体を束ねる元帥、すなわち陸軍最高司令官。それがフェルナンド・シュテーゲルだ。既に六十歳を越えていながらその武勇はまだまだ現役で、陸軍の者たちからは親しみを込めて「老将軍」と呼ばれている。騎士の家系に生まれたが没落寸前であり、シュテーゲルは家族の後ろ盾さえ得られずに陸軍騎士隊に入隊した。それから約四十五年。実力だけで元帥にまで上り詰めたのである。若者からすれば憧れだし、その剛直な性格が気に入られてもいる。


「老将軍はいつもお元気ですよ」

「ふうん、そう……」

「元帥とも面識が?」


 そう問いかけたのはリヒターだ。シャルが肩をすくめる。


「面識も何も、俺に剣を教えてくれたひとりがじいさんだからな」

「え、ええっ!?」


 これまた驚愕の真実である。いまだお目にかかれないが、英雄と称されるシャルの剣技はインフェルシア最高の将軍に仕込まれたものなのだ。国内随一の貴族の子息と親友になったり、元帥から剣技を教えてもらったり、やはりシャル・ハールディンは、常人が持ち合わせていない『何か』を持ち合わせているのだろう。


「元気ならいいんだ。耄碌してねえなら心配することもない」

「……ハールディン大佐は、老将軍を慕っているんですね」


 アレックスの率直な感想に、シャルは心底嫌そうな顔をした。


「……妙なこと言うと、飯取り上げるぞ」

「あっ、ごめんなさい、ごめんなさい」


 慌てて謝るアレックスが、年不相応に幼く見えた。どうやらこの王太子も、すっかりシャルのペースだ。シャルもリヒターも思わず笑ってしまうほどである。


 不思議と打ち解けた三人だが、だからと言ってシャルの意思が揺らぐわけでもなかった。師であるシュテーゲルの安否を尋ねたのは、弟子としての礼儀のようなものであったようだ。アレックスがひそかに期待していた「師が困っているなら助けよう」というような展開にはならなかった。


 朝食の片付けも終えたシャルが、大きく腕を天井に向けて伸ばす。


「さてと、今日も頑張りますかね」

「何をするんですか?」


 アレックスが尋ねると、シャルは壁際に置いてあった籠を手に取った。


「裏山で薬草摘み」

「……ああ、今の貴方は薬師でしたね」

「最初からそう言っているだろ。自由に街とか見て回ってくれて構わないけど、ここの住民は余所者に優しくないぜ。家で大人しくしているのが賢明だと思うね」

「いえ、私は観光でフォロッドに来たのではありませんから。お邪魔でなければ、大佐のお供をしたいと思います」


 その顔には、なにがなんでもシャルを戦場まで引きずっていくと明記してある。リヒターも頷くので、シャルは諦めて溜息をついた。


「好きにしろ」

「はい」


 アレックスは微笑んだ。


 シャルは手早く身支度を整えた。フォロッドを囲うように存在する山々には、薬草が豊富に自生している。知識があっても肝心の薬草がなければ薬は作れないが、このフォロッドは薬師として生計を立てるには絶好の場所だった。


 早速出かけよう、とシャルが玄関を振り返るより一瞬早く、その扉がかなりの力で叩かれた。


「……シャル! シャル、開けてっ!」

「ティリー?」


 シャルはぽつりと声の主である少年の名を呟く。こんな早い時間にどうしたのだろう。しかも、やけに鬼気迫る声音だ。


 シャルが扉を開けると、市街からこの小屋まで全力で駆けてきたのか、ティリーは息を切らしてシャルの腕の中に飛び込んできた。それを受け止めて声をかけようとすると、ティリーは顔を上げてシャルを見つめた。


「た、大変なんだ! なんか、剣を持った男の人たちが大勢来て、ま、街のみんなを……っ!」

「!?」


 シャルの表情から余裕が消えた。すると、室内にいたアレックスが叫んだ。


「大佐! 危ないっ……!」


 ティリーの後をつけてきたらしい男が、木の陰から飛び出してきた。剣を振りかざし、ティリーを襲おうとする。シャルがティリーの身体を引き寄せて庇おうとした瞬間、シャルと敵の間に剣を抜いたアレックスが割り込んだ。アレックスの剣が敵の剣を防いだが、急に彼の顔が歪む。つい昨日負った肩の傷が激痛を発したのだ。


 態勢を崩してよろめいたアレックスめがけ、敵が第二撃を叩きこもうとする。それを身体を張って防いだのは、リヒターだった。


 リヒターの斬撃は敵の肩口から腹にかけてを切り裂いた。だが絶命する間際、その男は最後の力を振り絞って剣を投じたのだ。鋭い切っ先はリヒターの左足に深く突き刺さり、リヒターは地面に倒れた。


「オルミッド中尉!」


 アレックスが駆け寄るよりも早く、シャルがすぐさま止血にあたっていた。リヒターの左の太腿からは血があふれ続け、止まる気配がない。みるみるリヒターの顔色も青褪めてきた。


 シャルはちらりと、リヒターが斬り捨てた男を見やる。……間違いなく敵国、テオドーラの騎士だ。


 とりあえずの止血を済ませたシャルは、硬直しているティリーを振り返る。


「……ティリー。相手は何人だ」


 酷く静かな声だったが、それが逆にシャルの怒りを物語っている。ティリーは首を振った。


「わ……分かんない。僕が見たのは、十人から十五人くらいだったけど……」

「多くて二十人か」


 シャルは呟きながら、リヒターが取り落した剣を掴む。そして立ち上がった。


「リヒターはここで待機。ティリーのことを頼む。お前の剣だけ借りていくぜ。王子様、あんたはついてきな」

「ハールディン大佐!?」


 アレックスが呼びかけると、シャルは彼に背を向けた。


「……いいから、ついてこい」


 シャルはそう言い残し、駆け出した。つい先程まで盛大に欠伸と伸びをしていた青年とは思えない疾走だ。それは確かに陸軍騎士としてのシャル・ハールディンであった。ご指名を受けたアレックスも、急いでそのあとを追った。

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