02.きな臭くなってきたじゃないの
たいして広くもない執務室で、さてどうやって襲撃者を迎え撃つか。シャルが忙しく思考を巡らせていると、アシュリーが目を見開いた。
「この人たち……アークリッジ公爵家の私兵……!?」
「なに……?」
シャルが眉をひそめた。身につけているのは、アークリッジ公爵家の家紋が刺繍された服だ。つまりアークリッジ家の私兵。レオンハルトの身内ということか。そう思って、すぐ自分の考えの馬鹿馬鹿しさに首を振った。
「んなわけあるか。服なんて、布と糸さえあればいくらでも真似できる。大方、レオンたちを陥れようとしているんだろ」
シャルには、レオンハルトに対する絶対的な信頼がある。むしろ、あれほど防御の堅いアークリッジ家を陥れようとするなど、自分の身を省みない浅はかなことだと、同情すらする。
「ちぃっ、部屋が狭くて動きにくいな。ふたりとも、自分の身とフォルケたちを守ることに専念しろ。俺が動く」
狭い室内で三人が連携を取るのは不可能に近い。シャルはくるりと剣を持ちかえた。シャルの持つ長剣は片刃だ。刃の逆は峰となっている。
シャルが床を蹴った。アシュリーが声を上げる。
「シャル!」
「心配はいらねぇですよ、殿下。准将は、相手が多ければ多いほど強さを発揮する」
カインがそう窘めた。一対一の対人戦には少々苦手意識のあるシャルだが、逆に複数の人数を相手にするのは得意だった。
振り下ろされた剣をひょいと避け、シャルは自分の持つ剣を一閃させる。剣の峰の一撃だった。腹を打たれた男はその場にうずくまる。その時には既に、シャルは二人目の脛を打って蹴り飛ばしていた。
「き、気をつけろ! この男、【ローデルの英雄】だ……!」
襲撃者のひとりがそう警告を発した。シャルはふっと笑みを浮かべる。
「気を付けたところで、何が変わるわけでもないだろうがな」
シャルのこういった不遜な発言には、色々と思惑がある。自分を奮い立たせること。味方を奮い立たせること。敵を威圧すること。諸々の思惑が重なり、シャルは意図的に強気な発言をするのだ。
「くそっ……王太子を狙え!」
その指示でアシュリーを狙おうとした男たちは、シャルがすぐさま昏倒させた。しかしシャル一人ではどうしても隙ができる。それをすり抜けられた男二人が、アシュリーに向けて剣を振り下ろした。
シャルは目の前にのみ集中していた。カインとアシュリーの腕前を信じていたからだ。
「うぉらっ」
カインがそんな掛け声とともに、剣を薙ぎ払った。上官に倣い、剣の腹で殴ったのだ。その膂力に吹き飛ばされた男は、壁際の書架に身体を強打して動かなくなる。と同時に、アシュリーもひとりを撃退していた。身を沈めて斬撃をかわし、右足で男を蹴り飛ばす。こちらは机の角に頭をぶつけたようである。
足を下ろしたアシュリーに、後ろからシルヴィアが小声で抗議する。
「お姉さまっ、いかに男装とはいえ、淑女が大きく足を跳ね上げたりしないでくださいませ!」
「そ、そんなこと言っている場合じゃないでしょ」
まったくアシュリーの言うとおりだ。
そうしている間にも、シャルは次々と襲撃者を剣の峰で打ち倒していく。そして最後に残った指揮官らしき男は、果敢にも自らシャルに攻撃を仕掛けてきた。
「くっ、くたばれっ」
「ごめん、無理」
シャルは一言で拒否すると、鋭く剣を一閃させた。男の手から剣がすっぽ抜け、床を滑る。驚愕してよろめいた男を一気に押し倒したシャルは、彼を俯せにし、右腕をねじ上げた。
「ぐはっ……」
「聞かせてもらおうか。誰に頼まれた?」
「あ、アークリッジ家の、レオンハルト様だ!」
即答した男の腕を、さらにシャルは締め付ける。
「……つくならもうちょいまともな嘘にしとけ」
「う、嘘じゃない! 俺たちは、あの人の命令でっ、王太子を連れ去るためにっ……」
「腕、折るぞ」
「いたたたっ!? だ、だからっ、ほんとにっ……!」
「はぁ……やっぱ、こういうのは専門の尋問官に任せた方が良さそうだな」
シャルは諦めたようにそう呟き、男の首に手刀を叩きこんだ。意識を失った男を解放して、シャルが立ち上がる。そうやって部屋を見回すと、室内にはシャルが昏倒させた襲撃者が全員倒れていた。シャルは一貫して剣の峰を使っていたので、一滴たりとも血は流れていなかった。
テューラが涙をぽろぽろと流しながら、フォルケの腕の怪我の手当をしている。騎士のフォルケからすればそれほど酷い怪我ではなかったが、目の前で庇ってくれた人が負傷したということにかなり彼女は動揺しているのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
そう何度も言いながら、テューラは震える手で止血をしている。フォルケは微笑んだ。
「大したことはない。大丈夫だ……」
「でもっ……私を庇って……」
「大丈夫だ。……傷の手当、有難う」
フォルケは再びそう言い、テューラの肩にそっと手を置いた。そんな様子を横目でちらりと見て、シャルはアシュリーらに向きなおる。
「お前らも、怪我はないか?」
「はい、平気です」
「俺も平気だぜ」
「わたくしも……」
アシュリー、カイン、シルヴィアが答えた。シルヴィアの声にいつもの張りはない。これしきのことで動揺するような少女ではないと思っていたが、シャルが思っていたより彼女は繊細なのかもしれない。
「ハールディン准将っ」
執務室にヴィッツが到着した。部下も引き連れている。
「准将、ご無事ですかっ!?」
「ああ、問題ない」
「良かったぁ……」
ほっと安堵の声を漏らしたヴィッツに、カインが尋ねる。
「お前らが動いているってこたぁ、そっちも襲撃されているってことか?」
「はい、数か所同時に襲撃されました。いま、みんな手分けして収拾にあたっています」
「ご苦労さん。ヴィッツ。こいつら連行してくれ」
シャルの指示で、ヴィッツと彼が率いてきた部下たちが襲撃者の拘束に取りかかった。その様子を見ながら、シャルは腕を組んだ。その横顔は酷く鋭い。
「……どうしてことさらアークリッジ家になりすましたんだ。忠臣の中の忠臣であるアークリッジを陥れようとする、そんなことが成功する見込みなんてありゃしない。リスクのほうがでかすぎる。……そうまでして、公爵とレオンを失脚させたいのか……?」
アシュリーは無言でいる。シャルの考えは、きわめて的を射ている可能性がいつも高い。聞き逃すことのないようにしているのだ。
「……いや、違うな。公爵らの指示でないことは明白でも、一時的に公爵とレオンは聴収のために身動きができなくなる。その拘束が解除されるまでの時間が必要ってことか……?」
先程襲撃者は、「レオンハルトに頼まれた」と言った。誰もが『レオンハルトがそんなことをするはずがない』と信じていても、体裁的には彼から事情を聞かなければならない。そうして身の潔白が証明され、レオンハルトは自由になる。その一日か二日、レオンハルトが身動きを取れない間に次の行動を起こすつもりか。
誰が、なんのために、なにをするつもりだ?
「……分からねぇ」
ぽつりと呟いたシャルは、ゆるゆると首を振った。ひとりでの思考は盲点を生む。もっと多くの人間と意見を交わすべきだった。
「他の奴らと合流しよう。カイン、お前もヴィッツと作業にあたってくれ。護衛は俺とフォルケが務める」
「了解」
カインは頷き、ヴィッツらとともに襲撃者を連行していった。残ったのはシャルとフォルケ、そしてアシュリー、シルヴィア、テューラである。
「俺たちも場所を変えるぞ。……考えるのはそれからだ」
★☆
王太子アレックスの執務室をはじめ、合計六の地点を同時襲撃した謎の刺客たちは、残らず取り押さえられた。幸い死人も出ず、事なきを得たのだ。
そのうえで、アークリッジ公爵とレオンハルトには至急登城するようにとの命令が出された。勅令に応じて現れたのは公爵のみで、彼は堂々とアシュリーの御前に参上した。会議室のひとつである室内には、アシュリー、シュテーゲル、フロイデン、海軍総帥のハルブルグ、陸軍参謀のシュトライフェンなど名だたる将校、さらに宰相をはじめとする高官たち、彼らを護衛する親衛隊としてシャルが出席していた。
何が起こったのかは、アークリッジ公爵も把握していた。宰相が率直に「公爵の指示か?」と問いかけると、公爵はきっぱりと答えた。
「そのような指示は一切出しておりません。そもそも、襲撃者は我がアークリッジの者ではなかった。当方とは全くの無関係です」
この場にいる誰もがその言葉を信じた。しかし、公爵は付け加える。
「……しかし、レオンハルトの行動のすべてを私は把握しておりません。当家とは無関係のことであっても、息子個人が何を思っていたかは、本人にしか分からぬことです」
まるで突き放すような言葉であったが、そこにはレオンハルトへの確かな信頼が込められていた。レオンハルトが謀反などするはずがない。誰よりも昔から王家を案じ、アシュリーやシルヴィアの面倒を見てきたレオンハルトだ。そして彼ならば、自らの口から身の潔白を証明するだろう。下手に父親のアークリッジ公爵が庇えば、かえって疑われてしまう。
しかし、肝心のレオンハルトはいまだに姿を見せない。
会議室の扉が開き、リヒターが入ってきた。リヒターは室内にいる者たちに一礼すると、真っ直ぐシャルの元に歩み寄った。難しい顔をしているシャルが、短く問いかける。
「いたか?」
「いえ。襲撃を受けた際、『殿下のもとへ行く』と中将は単身行動をされたようです。その後の足取りは不明です」
「城内調べつくしたんだろうな?」
「王城の敷地は勿論、アークリッジ公爵邸や市街も捜索しました」
シャルの難しい顔が、さらに歪んだ。
「……なんで、レオンが行方不明になる……!」
レオンハルトならば、悠々とこの場に来て、『私は無実です』とさらりと言ってのける。無実なのだから何も恥じることはないのだ。
だというのに、彼は行方をくらませた。逃げたのか。連れ去られたのか。どちらにせよ、消息がつかめなくなれば人々は「レオンは逃げた」と考えるに違いない。そうすれば、彼は本当に罪人として追われることになる――。
(レオン、お前は何か事件に巻き込まれたのか? それとも、自分で逃げたのか――?)
事件に巻き込まれるような不用心な男ではないのは、シャルも分かっている。それでも、レオンハルトも人間だ。油断することもあれば、調子が悪い時だってある。だが他の人間に比べると明らかに隙が少ない親友が、いとも簡単に連れ去られたりするか?
――クライスは強かった。剣で誰にも負けたことはなかった。シャルも、兄には一度たりとも勝てなかった。そんな最強の剣士だった兄は、敵の矢に射抜かれて帰らぬ人となった。
死なないと思っていた人でも、死ぬときはあっさりだ。
まさか、レオンハルトも――?
……あの雨の日の、兄の死に際が脳裏をよぎる。
「……シャルっ!」
強く腕を引っ張られ、シャルははっと我に返った。顔をあげると、みなの注目が自分に集まっていることに気付く。そして自分の腕を掴んでいるのはフロイデン。よろめいたところをフロイデンが引き起こしてくれたようだ。
「大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
フロイデンの言葉に、シャルは苦笑いを浮かべて首を振った。
「すみません、大丈夫です」
アシュリーが心配そうにシャルを見たが、シュテーゲルが言葉を発してそちらに視線を向ける。
「依然として、襲撃者どもは『レオンハルトに指示された』と主張し続けておる。それが真実かどうかは、レオンハルト本人に確かめなければ分からぬことだ」
「……アークリッジ中将の捜索規模を拡大してください。襲撃者たちへの尋問は引き続き行います。まずは、何にしても中将を見つけなければ。……逃亡したのだとしても、事件に巻き込まれたのだとしても」
アシュリーはそう指示を下した。
一足先に廊下に出たシャルは、リヒターにレオンハルト捜索を続行させるように指示を出し、副官を見送った。それと入れ違いに、シルヴィアがテューラと共にやってきた。護衛につけていたフォルケも一緒だ。
「ハールディン准将……その、レオン様は? レオン様は、まだ見つかっていないのですか?」
シルヴィアの問いに、シャルは頷いた。
「探しているのですが、消息がつかめません」
「そんな……! それでは、疑いの目はレオン様に向けられるではありませんか! レオン様はきっと、何か事件に巻き込まれたのです! あの方が、こんなことをするわけ……!」
「分かっていますよ。レオンは決して犯人ではない。いま行方がつかめないのも、レオンの意思ではない。何者かに嵌められたんです、あの男にしては失態ですが」
レオンハルトがシャルに全幅の信頼をおいてくれるように、シャルもまたレオンハルトを信じていた。それに、レオンハルトが行方をくらませるほんの十分前まで、シャルはレオンハルトとふざけて遊んでいたのだ。これから謀反を起こそうという男のとる行動ではない。
それにしても、このシルヴィアの動転っぷり。凛とした佇まいの彼女からしたら、尋常なことではない。それだけ、彼女にとってレオンハルトは特別というわけか――この天然タラシめ、とシャルは内心でどこにいるともしれない友人に毒づく。
「レオンは必ず探し出します。だから、安心してください」
「……はい」
「フォルケ、お前はしばらくの間シルヴィア殿下の護衛につけ。何があるか分からないからな、気を抜くな」
「心得ています」
フォルケは几帳面に答えた。シルヴィアがフォルケに促されて部屋へ戻ると、後ろから声をかけられた。いつからそこにいたのか、アシュリーである。
「シャル。大丈夫ですか?」
「何が?」
「さっき、すごく顔色が悪かったから……」
シャルは振り返り、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「ああ、まあ……ぼんやりしていただけさ」
「またそんなことを……レオンのこと、すごく心配しているんですよね」
アシュリーは指をせわしなく組んだり解いたりしている。
「レオンは……不死身、なんですよね。死んでも死なない人ですよね。だからきっと、大丈夫ですよね……」
「……」
「もう……なんで、黙ってるんですか? 大丈夫、なんでしょう……?」
小刻みに震える身体。無理に浮かべた笑み。しかし隠せない恐怖の色。
ああそうだ。彼女にとってのレオンハルトも、また特別な相手――。
「……俺は、一度も兄さんに剣で勝てたことがなかったんだ」
「え……?」
急に何の話をするのだ、とアシュリーの目が見開かれる。だが構わずにシャルは続けた。
「俺だけじゃない。レオンも無理だった。じいさんも無理で、フロイデン中将も無理だった。間違いなく、兄さんは当時最強の騎士だったんだ。――そんな人間でも、不意を突かれれば死ぬ。騙し討ちされれば、死んじまう」
「シャル……」
「レオンは確かに不死身だ。それはあいつのメンタルの話であって、身体は普通の人間なんだよ」
すっかり黙り込んでしまったアシュリーを目の前にして、シャルは失敗を悟った。苦し紛れに、アシュリーの頭を撫でてやる。
「……怖がらせるようなこと言っちまったな。すまん」
「い、いえ……」
「心配すんな、あいつがしぶといのは周知の事実だ。今のは、俺自身に向けた言葉なんだよ。あいつは普通の人間なんだ、だからちょっとは焦れ俺、ってさ」
「シャルは全然……焦ってないんですか?」
「そうなんだよ、あいつなら一人でもどうにかなるんじゃないかって楽観視している自分がいるんだ。あいつを化け物扱いするのはやめて、真面目に探してやろうと思っているところ」
レオンハルトのことが心配で泣きそうになっているアシュリーを、更に怖がらせてどうする。そんな風に己を叱咤したシャルは、あえて軽い口調でそう告げる。
アシュリーはそっと、自分の頭を撫でてくれるシャルの手に触れた。何をするのかと思ったら、アシュリーはばっとシャルの胸に飛び込んできたのだ。これにはシャルも仰天した。
「ちょっ、おまっ……」
誰かに見られたらどうする――と言おうとしたが、アシュリーがシャルの身体を使って隠したいのは、彼女が流す涙なのだと知り、沈黙した。
「……なんだか、すごく怖いです。……自分が狙われたことよりも……見えない何かの陰謀が渦巻いているっていうことが、すごく怖い……」
「――大丈夫だ。俺が傍にいる。必ず……」
シャルはそう呟き、そっとアシュリーを抱きしめた。
好きな女が自分の腕の中で泣いているのに、放り出せるわけがない――。
そう思ってから、シャルは自分の正気を疑った。――誰が『好きな女』だというのだ?
アシュリーは王族。いくら彼女がシャルを慕ってくれても、シャルは一臣下に過ぎない。
(そんなこと……許されるわけがない)
そう思いつつも、シャルは束の間、腕の中にあるアシュリーの温もりに言い表せない心地よさを感じた。
アシュリーが流す涙は、レオンハルトへの危惧からくるものだ。
(レオン。女の子泣かせといて、ぽっくり死ぬんじゃねえぞ)
胸中で、シャルは友人にそんな罵声を浴びせたのだった。




