06.剣技なんて口で教わるもんじゃない
不遜っぷりを如何なく発揮したシャルは、翌日から訓練漬けの日々を送ることとなった。要するにアシュリーに公務の予定がないので、暇になったのである。
正直に言ってシャルは訓練の仕方など知らない。技術云々より先に体力が重要だと思っているので、走り込みなどが主である。そんなシャルのやり方を部隊の者は殆ど把握しているので、各々自由にやっている。どうしてもやることに困ったら、フロイデンあたりの訓練に合流させてもらうこともあった。
その日シャルは、部隊の訓練はイルフェに任せ、自身は剣歩兵隊の訓練地にいた。好き好んででは、決してない。剣歩兵隊隊長のモースから、「是非剣のご教授を」と頼まれたのである。いつもなら面倒だから断るところであるが、モースとはいつか交流を持ちたいと思っていた。だから今回に限って快諾したのだ。
「……と言ってもなあ。馬上からの騎士の剣技と、地上での剣技は別物だからな。俺にも自信はないんだが……」
「まあそう言わずに、好きなようにやってくれ。みな、ハールディン准将の剣の稽古を楽しみにしている」
「そうだよー。頑張れ、シャルー」
「――だから、てめえはなんでここにいる!?」
無責任な応援の声に、シャルは首が千切れんばかりの勢いで振り返った。少し離れた石垣の上に、レオンハルトがのんびりと座っているのである。
「暇だったんだよね、これが」
「俺は暇つぶしか!?」
「うん」
「即答すんじゃねえ、阿呆!」
その様子に、剣歩兵隊の兵士たちが笑った。彼らからすればシャルは『憧れの英雄』だし、レオンハルトなど王族だ。だというのに、本人たちの親しみやすさでつい気が抜けてしまっているのだ。
「それで、そのお隣はなんだ?」
シャルが視線を動かした先、つまりレオンハルトの隣には、これもまた若い将校が座っている。投石隊隊長のエルドレッド中将だ。彼は人懐っこい笑みを浮かべて手を振ってくる。
「僕も暇だったので、ふらりと立ち寄っただけですよ」
「ここは暇人の溜まり場か」
シャルが思わず突っ込むと、空からヴェルメが舞い降りてきた。レオンハルトが差し出した腕にヴェルメは留まり、優雅に毛繕いをする。
「やあヴェルメ、空中散歩は楽しかったかい?」
「わっ、すごい、こんな近くで鷹を見たのは初めてです……! 触っていいですか!?」
「うん、それは僕じゃなくて彼女に聞いてみて」
エルドレッドは興奮したようにヴェルメを観察している。根っからの天然か。シャルは自分の中でそう結論付けた。
「……シーリンのことは大目に見てやってくれ。昔からああなんだ」
モースが苦々しく呟いた。シーリン・エルドレッドという名の若い将軍は、楽しそうにヴェルメの頭を撫でてやっている。ほんの少年のようだ。
「付き合いが長そうですね」
「幼馴染だからな……」
モースは困ったように肩をすくめた。と、レオンハルトが声をあげた。
「僕らのことは空気だと思って、続けてくれ。今日はただの見学だから」
レオンハルトにそう言われたシャルは、勿論親友の存在をなかったことにして訓練を進めるつもりでいた。憮然として前を見たシャルだったが、横合いでモースがくすくすと笑っていることに気付いて怪訝な顔になる。
「何かおかしかったですか?」
「フロイデン中将やキーファー中将から聞いていたが……本当に、君たちふたりは面白いんだなと思ってな」
「そりゃ聞いている分には面白いでしょうがね」
シャルは苦々しくそう呟くと、改めて剣歩兵隊の面々を見やった。ここに並んでいるのは隊長のモースが直々に率いている者たちで、騎士隊で言うならば万騎隊長や千騎隊長にあたる者だ。つまり階級的にはシャルより上の者がたくさんいるわけで、どうしてこんなことになっているのかシャル自身も分からない。
「さてと……」
シャルは一度咳払いをする。
「最初に言っておくが、俺は人にものを教えるのが苦手だ。あんたたちに剣を教えられるほど偉くもない。だから今からやるのは、俺が昔、兄から剣を教えてもらった時と同じやり方だ」
ごくり、と何人かが生唾を飲み込んだ。
「剣技ってのは言葉で覚えるもんじゃない、身体で覚えるもんだ。強い奴とぶつかって、己の未熟を痛感しろ。……つまり、今から俺がお前ら全員ぶっ倒すから、それを見て感じて何かを獲得しろ!」
「なんとも豪快な……」
モースは苦笑いである。シャルは腰帯から鞘ごと剣を引き抜き、前に進み出た。
「腕に自信がある奴、前に出ろ!」
どよめいた兵士たちだったが、その中で一人の男が勇んで前に進み出てきた。
「まず私が!」
「いいぜ、来い」
その勇士は訓練用の木刀を構え、威勢のいい声と共にシャルに向けて突進してきた。大きく剣を振りかぶった木刀をシャルの頭めがけて振り下ろそうとした瞬間に――シャルはふっと身体を沈めた。目標物を失った男が「あっ」と声を上げる。シャルは身を低くしたまま、持っていた剣の鞘を振り上げた。鞘が男の鳩尾にめり込み、男は吹き飛ばされた。
「かはっ……!?」
シャルは立ち上がって剣を肩に担ぐと、倒れた男に告げる。
「あれだけ大きく剣を振りかぶっちゃ、腹ががら空きだ。今回は鞘だったが、これが抜き身の剣だったら痛いじゃ済まないぞ」
悠々と言葉を紡ぐシャルを、歩兵たちは呆気にとられた顔で呆然と見上げている。今の一撃は、シャルだから避けられたのだ。あれだけ的確に行動できたのは、彼が冷静さを保っていたからである。
「お前らがどういう心持で剣を扱っているかは分からないが……俺が使うのは、『生き残るための剣技』だ。まずは心の平静を保て」
『――いいか、シャル。お前は、自分が生き残るために剣を振るえ。誰かを守る、なんていうのは余力のある奴に任せればいい。今は生きるために戦うんだ』
シャルが兄のクライスに剣の教えを乞うたとき、クライスは最初にそう言った。人と人が殺し合わなければいけない、このろくでもない世界で、生きるために剣を取れ。他人を蹴落としてでも、生き残れ。誰かを助けるために命をかけていいのは、自分の身をきちんと守れるようになってからだ。でないと、周りの人間の迷惑になる。兄はそうシャルを諭した。
自分の身を守れるようになったら、誰かのために戦えばいい。お前の空いている左手で誰かの手を掴み、その背に誰かの命を背負って。俺は一応自分の身はどうとでもできるようになったから、お前を生かすために戦うよ――クライスはその信念のもと、シャルを守って死んだ。
自分でない他人を守って死ぬなんて、馬鹿馬鹿しい。シャルはそんな風に思ったこともあった。けれど、生きるだけで精一杯の人間を守るのは、守れるだけの力を持つ者の義務なんだと最近は思う。シャルもあの頃のクライスと同じ年齢になり、一人前と呼ばれるだけの力は持っている。だからこそ、目の前で困っている人間には必ず手を差し伸べる。傷つきそうになっていたらそれを庇う。今はそれを己に課している。
「さあ、次!」
自然とシャルを包囲するように、歩兵たちは輪を作っていく。そして隙を突いて一人が斬りかかった。シャルは鞘を振るい、相手の脛を打ち付けて転倒させる。次に振り下ろされた剣は鞘で受け止め、圧倒的な力で弾き返す。シャルの獲物はあくまでも鞘なので致命傷にはならないが、それでも殴られれば痛い。あっという間に腹や脚、腕を抑えてうずくまる者が続出した。
「ほらほら、腰が引けてる! もっと力強く踏み込め!」
「はっ、はい!」
「今のは良い一撃だ、あとはもっと腕に筋肉つけな!」
「了解しましたっ……」
シャルに飛び掛かっては打ち倒される、を繰り返しながらも、シャルは個別にアドバイスをし、兵もそれに応えている。これがシャル・ハールディン流の訓練か。モースは感心したようにその様子を見ている。
「……すごいなあ、ハールディン准将。さすが【ローデルの英雄】……」
エルドレッドがぽつりと呟いた。レオンハルトはそんな青年将校の横顔をちらりと見ると、ゆっくり首を振った。
「シャルが英雄だから、強いわけではないよ。彼自身の努力の賜物があの強さで、英雄という呼び名を引き寄せたに過ぎないんだから」
エルドレッドは不思議そうな顔で沈黙している。レオンハルトは独り言のように続けた。
「シャルは確かに強いし、強いからこそ国王陛下を守って英雄の名を手に入れた。けど、それと引き換えにシャルは大量の命の重さを背負わされ、同時に自由も奪われたんだよ。シャルがどれだけ苦しんできたかは、僕がよく知っている。……だから、あまり軽々しく彼を『英雄』とは呼ばないでやってほしいな」
シャルのことを、『平民』だの『不逞の輩』だのと蔑む者がいる。その者たちに、レオンハルトは強く不快の念を感じるのだ。望みもしない英雄の名を背負わされたシャルばかり馬鹿にして、本当のシャルを誰も見ようとしない。友人贔屓と言われればそれまでだが、それでもレオンハルトは彼を庇い続けた。恩を売っているつもりではない。シャルはそんなことを望まないからだ。庇うのは、レオンハルトが納得しないからであって――。
「……ああ、そうか。僕がシャルを戦場に引き戻したかったのは……シャルの功績を正しく評価してもらいたかったからなんだ」
レオンハルトはぽつりと、口の中で呟いた。正直、自分でもよく分かっていなかったところがある。シャルがいないとそれは寂しいし、彼の力はインフェルシア軍に必要だったし、こんなところで世を捨てては駄目だと、本気で思っていた。だがそれらはすべて建前で、結局はレオンハルトが「納得」できなかったからなのだ。
昔からそうだった。シャルがするのは裏方の工作で、敵将と戦うことは殆どない。だが逆に、彼がいなければ敵将を討ち取ることなどできないのだ。そういう見えない部分の働きこそ讃えるべきことであるはずなのに、実際に讃えられるのは敵将を討ち取ったという華々しい武勲を立てた者のみ。今回だってそうである。シャルが敵の輸送隊を攪乱したからインフェルシア軍は突撃でき、フロイデンが敵将のタンブールを討ち取った。しかし評価されたのは、フロイデンのみである。
サーヴルを討ち取ったのはレオンハルトで、レオンハルトは先日のパーティーに武勲者として招待された。だと言うのに、シャルは警備だなんて――そんな理不尽を許してたまるものか。
(……シャルはきっとそんなこと、望んでいないだろうに。僕も随分身勝手な理由でシャルを巻き込んだんだな……)
ひときわ高い音が訓練場に響いた。レオンハルトはそれで意識を前方に戻す。シャルが歩兵の剣を叩き落とした音だった。この場に集まっていた歩兵数十名が、一様に地面でへばっている様は壮観であった。
(……まあ、本人もなんだかんだで楽しそうだから、別にいいか)
レオンハルトはそう思って微笑んだのだった。
「全滅か。少し情けないぞ、お前たち……」
モースが溜息交じりに嘆くと、途端に息も絶え絶えの歩兵たちから抗議の声が上がった。
「そんなこと言ったって!」
「中将も戦ってみれば分かりますよ!」
「そうだ、中将と准将で戦ってみればいいんです!」
「なっ……!?」
どうやら部下にいじられやすい上官のようである。慕われているのは良いことである。シャルがふっと笑みを浮かべた。
「中将のお相手をするんじゃあ、鞘だけという訳にもいきませんね」
「……まったく。どうしてこういうことになるんだろうな」
言いながらもモースは剣を抜いている。やる気は十分にあるらしい。シャルもモースに向きなおって鞘を払った。
「剣歩兵隊と言えば、剣技のスペシャリスト。俺も中将から大いに学ばせてもらいますよ」
「変に重圧をかけるのはよしてくれ……」
シャルは声を出さずに笑うと、不意に神経を研ぎ澄ました。そして身を低くすると、一気に地面を蹴った。
あっ、と歩兵たちが思わず声を上げた。それほどの速さの突進であった。歩兵たちの相手をしていた時は、本来の実力の四分の一も出していなかったことを悟り、そして改めてシャルの凄さを思い知った。
シャルが下から振り上げた剣を、モースは危なげなく受け止めた。それを受け流してシャルの追撃を避けつつ、モースは言う。
「っ……まったく、どこが『俺にも自信はない』んだ? 君のほうがよほど、地上での戦いに慣れているではないか……っ」
「そりゃ、馬上での剣技も基本は一緒っ……昔から散々やってきましたからっ」
シャルはそう言いながら間合いを取る。だがモースは一瞬で間合いを詰め、シャルを追い詰める。シャルは紙一重でその斬撃を避けた。
思い切り本気になってしまったふたりの攻撃を避けるため、わっと歩兵たちが退避する。エルドレッドもさすがに慌てはじめた。
「と、止めたほうがいいんじゃないですか?」
「やれやれ……世話が焼けるねぇ」
レオンハルトは座っていた石垣から降りて地上に立ち、ヴェルメを宙に放った。そして傍に置いていた弓に矢を番えた。エルドレッドがこれにも仰天する。
「って、ま、まさか射抜く気……っ!?」
きりきりと音がするまで引き絞った弦を、レオンハルトはぱっと放した。一直線に飛んだ矢は――今まさに鍔迫り合いを行っているシャルとモースの僅かな頭の間を、通り抜けて行った。
「うっわ!?」
「っ!」
シャルとモースは途端に飛びのいた。目の数ミリ前を豪速で矢が通過したのだから、驚くのも無理はない。もし失敗したら、などと考えると背筋が凍る。
よろめいたシャルは無様に地面に尻もちをついた。そして悠々と微笑んでいるレオンハルトを睨み付ける。
「お前って奴はぁ……!」
怒鳴りたい気分であったが、レオンハルトはシャルとモース両名の面目を守ってくれたのだ。シャルは、『英雄と呼ばれる男が負けるさま』を見せつけずに済み、モースは『剣歩兵隊長が格下に負けるさま』を見せつけずに済んだのである。
結局レオンハルトの一人勝ちだ。シャルは大きく落胆の息を吐き出し、彼の肩に舞い降りたヴェルメが軽く主人の頭を「いい加減にしなよ」とばかりにつついたのであった。




