05.貴族さまってのは大変だね
シャル・ハールディン准将以下五人の大佐、そして五百騎で構成されている親衛隊の初仕事は、発足から僅か五日ばかりで与えられた。インフェルシア王国の勝利を讃える祝賀会――要するに、貴族たちの列席する壮大なパーティーの、会場警備を任されることとなったのだ。
王城内にあるパーティーホールは、主に舞踏会のときに使われる格式高い部屋である。しかし今回舞踏会はない。今日は立食式のお食事会だ。そこかしこに豪華な料理と大量の葡萄酒の瓶が並べられる。現れるのは国内の大貴族ばかりで、シャルなど息苦しさを感じてしまうほど世辞と見栄が飛び交っている。
会場内の警備にはシャル、リヒター、フォルケ、アンリが就いている。会場の外、つまり王城周辺の警備はイルフェとカイン、ヴィッツだ。これは公正なるくじ引きの結果であり、問答無用でこの振り分けとなった。他に数名の騎士たちが選ばれ、交代しながら警備をしている。
ホールの中央には、「馬鹿」がつくくらい巨大で豪奢なシャンデリアが輝いている。それを見て感嘆する者がひとり。
「おお、なんと美しいシャンデリアだ……そうは思わないか、フォルケ」
「はあ……確かに綺麗だとは思うが、残念ながら芸術的な目は持ち合わせていないから何とも言えないな」
芸術家気取りやら気障やら道化やら、部隊の中では面白おかしく呼ばれているアンリ・フリュードルの言葉に、半ば呆れつつもフォルケが返事をする。きっと屋内警備になって一番喜んだのは、このアンリであろう。このホールにはシャンデリアをはじめ多くの芸術品が揃っており、アンリは警備そっちのけで絵画やらステンドグラスやらを眺めてしまっているのだ。それを引っ張って警備に戻すフォルケの苦労は一言では語れない。フォルケは騎士道一本の人間であるから、シャンデリアなど「眩しい代物だ」としか思っていないのである。
そんな二人とほぼ対角線上に立っているのは、シャルとリヒターである。シャルも同じようにシャンデリアを見て「へえ」と呟いたが、それに続いたのはアンリとは真反対の言葉だった。
「よくもまあ、あんなでかいもんが天井から吊るせるよな。もし落っこちたらみんな下敷きになるだろうなあ」
「准将、不謹慎ですよ」
リヒターが小声でなだめた。おそらくシャルの親衛隊の中で最も思慮分別があり、一般的な緊張感を持っているリヒターであるが、その忠告もシャルには通じない。
最初は何かとイルフェから嫉妬一歩手前の羨望の目で見られていたリヒターであるが、最近は腹を括ったのか、イルフェは彼に『シャルとの付き合い方』を伝授していた。シャルは生粋の突っ込み人間だから、シャルの言動に突っ込むのは無駄である。話を合わせて、むしろ自分からぼけろ。そうすればシャルは突っ込んでくれるよ――とのこと。
だから先程のリヒターの忠告は少し失敗であった。多分イルフェだったら「ここにいる貴族がひとり消えたら、下町の人たちが十人くらい救われそうですね」とでも言うだろう。不謹慎だというのは、シャルだって最初から分かっている。分かっているうえで言っているのだから、せいぜいこの暇な時間を潰すための話のネタにしたいのである。
すると、こつこつと速足の足音が響いた。そちらに視線を向けると、きっちりとした正装姿のレオンハルトが、いつになく余裕のない表情でこちらに歩み寄ってきていた。リヒターがぎょっとする横で、シャルは淡々としている。
「シャル。悪い、隠して」
短いその台詞からは、レオンハルトがかなり切迫していることが伺える。シャルは無言で自分の後ろを指差した。壁際に佇んでいたシャルの背後には太い柱がいくつも立ち並んでおり、いい具合にシャルの姿でレオンハルトの姿は隠れるのだ。
レオンハルトがぱっとそこへ身を隠すと、それから数十秒ほどしてひとりの壮年の男性が歩み寄ってきた。その姿を見て、シャルが姿勢を正した。
「アークリッジ公爵。お久しぶりです」
シャルほど顔の広くないリヒターは、相手が国内最高の貴族であり、レオンハルトの父親であることにようやく気付いた。頭を下げたシャルに一秒ほど遅れ、リヒターも礼を施す。
「ハールディン君。君の復帰を心から嬉しく思うよ。親衛隊の発足、おめでとう。どうか殿下のことをよろしく頼む」
口調は優しかったが、眼光には鋭いものがある。これが本当に、あのレオンハルトの父親かと思うほどだ。――もっとも若かりし頃の公爵は、レオンハルトと同じく貴公子として女性たちを騒がせていたのだとか。
「微力ながら、全力を尽くします」
「ところで単刀直入に聞くが、不肖の息子を見なかったかね?」
「さて、存じ上げておりません」
「本当かね?」
「公爵閣下に対し、偽りの情報など申し上げません」
思い切り嘘を吐いていながらよく言う、とリヒターは唖然としていた。
「ふむ、そうか……ではあの馬鹿息子を捕まえたら言ってやってくれ。『いい加減逃げ回るのを止めろ、みっともない』と」
公爵の声が大きくなった。ああ、この人はその柱の物陰にレオンハルトがいることも、そんな息子をシャルが庇っていることも知っているのだ。その上でレオンハルトに聞こえるように言っているということも、シャルは分かっている。
「分かりました、お伝えします」
公爵はシャルの返事に頷き、二言三言儀式的に会話を交わしてからその場を去った。公爵の姿が完全に人ごみに見えなくなってから、シャルは後方に隠れているレオンハルトを振り返った。
「もう行ったぜ、親父さん」
「……そうか、有難う」
物陰から出てきたレオンハルトに、シャルは丁寧に告げた。
「『いい加減逃げ回るのを止めろ、みっともない』だとさ」
「聞こえてたから、繰り返さなくていいよ。しかも一字一句間違ってないし」
どうやら本気で辟易しているらしいレオンハルトは、ふざけもせずまともな返事しかしなかった。シャルが苦笑いを浮かべる。
「また公爵による花嫁選びか?」
「ああ、困ったものだよ。僕にはその気がないと分かっているくせに、次から次へと貴族のご令嬢を連れてくる」
今ここにレオンハルトがいるのは、『陸軍弓箭隊隊長のアークリッジ中将』としてではない。『アークリッジ公爵家の長男』として、パーティーに出席しているのだ。それもこれも、二十四歳にもなっていまだに花嫁も迎えずに武芸に打ち込み、友人たちと放浪する癖のあるレオンハルトを、父である公爵が更生させるためなのだ。昔からレオンハルトはこの手のパーティーを心から嫌っており、時にはシャルを巻き込んで大逃走劇を演じたこともある。
だがどうやら、今回はそれもできなかったようだ。これはインフェルシア王国の戦勝を祝うためのものでもある。そんな席に、敵将であるサーヴルを討ち取った本人であるレオンハルトがいないのではおかしい。そう言った理由で、出席を余儀なくされたのであろう。
それでもめげずに父親から逃げるあたり、本当にこの男はたいした人間である。
「逃げたら後できつい反動が来るって分かってるだろうに、それでも逃げるなんてお前らしくないな」
「だって、嫌なものは嫌だからね」
「そういう潔さは尊敬するぜ」
レオンハルトは憮然としている。本気で不愉快に思っているようだ。
「けど、なんでそんなに逃げるんだ? お前別に女性恐怖症でもないだろうに」
「僕にはもう、心に決めた人がいるんだよ」
「……はっ!?」
「え!?」
シャルとリヒターが異口同音に驚きの声を発した。すると途端にレオンハルトが破顔する。
「ふたりとも、同じ顔しているよ。冗談に決まっているでしょ」
「何度でも言ってやる、お前のそれは冗談に聞こえねえ。心臓に悪いからまじでやめろ」
レオンハルトの浮いた話は何一つ聞いたことがない。逃げ回る理由が「面倒」とか「嫌だから」とかではなく「心に決めた人がいるから」のほうが理由としては納得できる。だがレオンハルトという男は、後ろめたいことがなければはっきりとそれを口に出す性格だ。父親に「好きな人がいる」と言えば済む話だろうに、彼はどうもそうしていないらしい。
――心に決めた人物がいるというのが仮に真実だとしたら、口に出すのも憚るような相手なのだろうか。下町の貧しい娘か、逆に手が届かないほど高貴な人か。
(いやちょっと待て、レオンの手が届かない奴なんていったら、王族くらいしか……)
「シャール。急に黙らないでよ、何を考えているんだい?」
レオンハルトに呼ばれてシャルは我に返った。彼本人が「冗談だ」と言ったのに、どうやら本気でその可能性を吟味してしまったようだ。
「あ、いや、別に……」
「なんか挙動不審だな。まあいいけど……さてと、そろそろ脱出しないとね。できれば君を引きずり出したいけど、警備中のシャルを連れ出すわけにはいかないからね」
「当たり前だ、馬鹿野郎。……あ、ついでに家に寄ってヴェルメに飯をあげてきてくれないか? こんなに長引くとは思わなかったから、用意しそびれていたんだ」
「まったく、それでも飼い主かい? 分かったよ、それじゃ」
レオンハルトはシャルに片手をあげると、悠々とその場を去った。会場を抜け出して、シャルの家に行って用事を済ませたらすぐ宿舎に戻るのだろう。シャルがいれば街で夕食でも摂ったかもしれないが、レオンハルトはひとりであまりそういうことはしない。
それを見送ったリヒターがシャルに言う。
「いいのですか、アークリッジ中将に雑用を押し付けて……指示して頂ければ私がやっておきましたが」
「ああ、いいんだよあれで。ただ単に、あいつが抜け出すための口実を与えてやっただけなんだから。大体、俺がヴェルメの飯を用意せずに出かけるわけないだろ。ほんと、ただの口実だよ」
「は、はあ……でも公爵がそれを許すのでしょうか。貴族の理由など私には分かりませんが、いつまでも逃げていることはできないでしょう」
シャルは少しばかり沈黙し、そして言った。
「――あの親父さん、そりゃ厳しいところはあるが親子仲は良好なんだぜ。レオンだって見合い話さえされなきゃ父親を避けたりしない。公爵のほうも、俺に分け隔てなく話しかけてくれるあたり、気さくな人なんだし」
「そうですね……大貴族といった印象はあまりなかったかもしれません」
「アークリッジ家の問題は、ふたりでなんとかするだろ。レオンもいい加減な男じゃない」
夜も更け、パーティーにもやっと終わりが見えてきた。密かに欠伸をかみ殺したシャルの元に、アシュリーが歩み寄ってきた。王族の正装をきっちり着こなしているが、それが美しいドレスでないことが残念である。
「シャル」
「殿下。そろそろお休みになられますか? 部屋までお送りいたしますが」
大勢の人の目があるので臣下の礼をとったシャルだったが、アシュリーは首を振った。
「いえ、そうではなくて……シャルもリヒターも、何も食べていないのではないですか?」
「警備中ですから、それはまあ。お気づかいなく、仕事が終わり次第夜食は取りますから」
「でも、フォルケとアンリはあの通り」
アシュリーが指差した先では、シルヴィアの侍女のテューラが、残り物らしき料理の皿を持ってフォルケとアンリに話しかけていた。テューラの目的がフォルケなのは見え見えであったが、アンリもフォルケの肩を肘で小突きながらも、おこぼれにあずかっている。ふたりは彼女の厚意に甘えて軽く食事をしていたのだ。
「あの野郎……」
シャルは憎々しげにつぶやいた。まあ、他人の恋路を邪魔する趣味はないのでシャルはスルーするしかない。
「もう宴も終わりますし、シャルたちも……」
アシュリーが言いかけた時、一人の男性と、アシュリーと同年代らしき少女がこちらに歩み寄ってきた。それに先に気付いたのはシャルで、彼はさりげなくアシュリーにそれを示した。アシュリーもすぐに気付き、振り返ってその男性を見やった。
「王太子殿下、こちらにおられましたか」
「エルファーデン公爵。それにトレーネ殿も。どうしましたか?」
エルファーデン公爵と呼ばれた男は五十代で恰幅の良い貴族の男だった。その名を聞いたシャルは、慌ただしく王族の家系図を思い起こす。
確かエルファーデン公爵は国王の従弟である。つまり、アークリッジ公爵も従兄にあたる。
戦死したアシュリーの父である国王の先代を務めた王には、二人の弟がいた。長男は直系としてインフェルシアを名乗り、次男はアークリッジを、三男はエルファーデンを名乗った。その長男の孫がアシュリー、次男アークリッジの孫がレオンハルト、そして三男エルファーデンの息子が、いま目の前にいる公爵である。
アシュリーにとってエルファーデン公爵は父の従弟だ。この関係を表す言葉をシャルは知らないが、アークリッジ公爵家に次いで有力な外戚である。確かエルファーデン公爵の王位継承権は、アシュリー、アークリッジ公爵に次いで三位。四位がレオンハルトだ。
エルファーデン公爵も男児には恵まれず、娘がひとりいるだけであった。それがトレーネである。アシュリーの父には姉と妹しかおらず、結婚して子供ができても、それもまた女児であった。つくづく、恵まれない王家である。
それらの事情をほんの五秒ほどで整理したシャルは、改めてエルファーデン公爵を見やる。王位継承権は持っていても、実際に王になれる確率はかなり低いはずのこの男であるが、用心に越したことはない。シャルにとって初対面だ、何かあってもすぐアシュリーをフォローできるように脳を活性化させておく。
「久々に娘も連れて出席しましたので、ひとつご挨拶にとお伺いしたのです」
そんなふうにやり取りが交わされたが、公爵はすぐに本題に入った。
「殿下も、国王陛下という大きな後ろ盾を失ってさぞ大変でしょう。インフェルシア王家は直系を残すことこそ第一の役目。ご結婚はどうお考えですかな?」
アシュリーは少々戸惑った顔をした。シャルとリヒターも密かに眉をひそめる。王族の血を引くエルファーデン公爵は、勿論アシュリーが女であることを知っているのだ。それなのに、ことさらその話をする意図が分からない。
「……どうでしょう、このトレーネを妻にするというのは?」
「え……!?」
彼女が思わず声を上げてしまったのも無理はない。エルファーデンの隣に立つトレーネは、先刻承知なのか憮然としている。トレーネはちらりとアシュリーを見やる。
「私は嫌なのよ。貴方が男であるなら喜んで嫁いだかもしれないけれど……」
「これ、トレーネ。それもインフェルシア王家存続のためだ、文句を言うな」
「――口では何とでも言えますねぇ」
唐突に口を挟んだのは勿論シャルだ。その場が色々な意味で凍りついたようだが、そんなことを気にするような性格ならそもそも口など開かない。
「性別を偽っている殿下が、何も知らない貴族の令嬢を妃に迎えたら大きな混乱になる。その点、すべてご存じのエルファーデン公爵令嬢が王妃となれば、成程、万事うまくいくでしょうね。勿論殿下との間に世継ぎはできない。中流階級の人間の子供でも攫って、王太子の座に据えますか? そうなれば公爵は王太子の祖父、そしてトレーネ嬢は王妃。上を行くアークリッジ公爵を差し置いて、一気に王家を掌握できるわけだ」
「なっ……!?」
「継承権三位をお持ちとはいえ、貴方は今から王になるには年を取りすぎている。このままいけば、世論はレオンハルトに傾くでしょうし、どうにかしてそれを阻止したいとお考えなのでしょう」
「貴様っ! 平民の分際で……! 口を慎め!」
エルファーデン公爵がそう怒鳴りつけたが、シャルはにっこりと微笑んだ。
「すみませんね。生憎、貴族方への尊敬の念など、これっぽっちも持ち合わせておりませんもので」
怒りが頂点を通り過ぎ、何を怒鳴ればいいのか分からずに口をもごもごさせている公爵を見て、アシュリーとリヒターがおろおろしている。一方のシャルは涼しげな顔である。
「あの、すみません」
急に声をかけられ、沸騰寸前だった空気が一気に冷めた。すぐ傍に、テューラが立っていたのだ。
「エルファーデン公爵、玄関にお迎えの船が到着しております」
「……そうか、分かった」
ナイスタイミングである。ほっとしたようにアシュリーがテューラを見ると、テューラはにっこりと微笑んだ。どうやらシルヴィアの指示で、声をかける機会を窺っていたようだ。
「では殿下、我々はこれで」
表面上は丁寧に礼を施したエルファーデン公爵は、娘のトレーネとともに踵を返した。
するとトレーネは、去り際にこんなことを呟いた。
「……私はレオン様を愛しているのに」
それはばっちりシャルにもアシュリーにもリヒターにも聞こえた。シャルは感慨深げに腕を組んだ。
「いやあ、あの女に追われているなら俺でも逃げるわ。どう思う、リヒター」
「ええっと……まあ、確かに綺麗な方ではありますけれども」
「そうか、じゃあ嫁にもらってやれ。それだけでレオンの身を脅かす脅威がひとつ消える」
男性陣がそんな話をしている最中で、アシュリーがぐっと悔しそうに拳を握った。シャルがそれに気づいて声をかけようとすると、彼女はぽつりと呟いた。
「――レオンは、トレーネには渡せない……」
「……」
女の戦争、勃発か?
そう思ったシャルだったが、不思議と釈然としない気持ちが心に棘のように残っていた。
 




