16.泣きたいなら、泣けばいい
勝利の喜びが湧きあがったのはほんの短時間のことで、インフェルシアの軍人たちは粛々と戦後処理に当たり始めた。アレックスもレオンハルトもみな忙しそうだったため、シャルは邪魔にならないようにあちこちを転々とし、やがて軍医に交じって負傷者の手当てに本腰を入れた。応急手当で間に合う者は手早く処置を施し、重傷の者は医師に回す。シャルの仕事能率は高く、膨大な人数だった負傷者も次第にまばらになってきた。それでもすべての仕事が終わったのは、もう日が暮れてからのことだった。
「ふう、こんなもんか……いてて、腰が」
ずっとしゃがんでいたシャルが立ち上がると、腰がぽきぽきと鳴る。いささか情けなく身体を伸ばしていると、軽い足音とともにアレックスがやってきた。
「シャル!」
「どうした、アレックス? そんなに急いで」
「シャルが、どこかに行ってしまうのではないかって……そう思って」
アレックスの呟きを聞き、シャルは吹き出す。
「どいつもこいつも、俺のことなんだと思ってるんだよ。黙って出て行きゃしねえよ」
「ということは、やっぱり軍には残らないつもりですか……?」
アレックスは不安げに呟いた。なんとも可愛らしい。それを見てシャルは頭を掻く。おい、その動作と口調はやめろ。自分から女だってことをばらしているも同然だぞ、と突っ込みたい気持ちを抑え込む。
シャルとしては、アレックスのほうからそれを告白しない限り、自分のほうからそのことを口に出すつもりはなかった。これでも口は堅い。
「……どこにも、行かねえよ。もうしばらく、ここにいる」
「ほんとですかっ!?」
「ああ、ほんと」
良かった、と微笑むアレックスの表情は、やっぱりどこにでもいる貴族の御嬢さんの笑顔にしか見えなくて。――これでよく、今まで男のふりをできていたといっそ感心する。
「シャル。力を貸してくださって、本当に有難う御座いました。貴方のおかげで我が軍は勝利できました」
「そんな大層なことはしていないよ」
「それこそ謙遜です。……あの、それと。どうしても、シャルにお話しておきたいことが……あります」
シャルは瞬きした。
「なに?」
「その……シャルは、失望するかもしれないけど」
「それは聞いてからの話だ」
「……う。そうですね……」
アレックスは相当に躊躇っている。シャルとしては、その話が「例のこと」であるのを悟っているが、あえて何も言わずにアレックスの言葉を待つ。
そしてたっぷり一分間黙ったアレックスは、ようやく決心したのか顔を上げ、シャルを見上げた。
「シャル」
「はいよ」
「落ち着いて聞いてくださいね?」
「準備はいいぞ」
「では……」
アレックスはひとつ息を吸い込み、ついにその言葉を口にした。
「実は私は……女、なんです」
「……」
「だ、騙していたわけではないんですよ。急に言っても、信じてもらえないかもしれないけれど……」
「――大丈夫、信じるよ」
優しい言葉に、アレックスは目を見張る。
「信じてもらえますか……?」
「ああ。死んだ双子の兄さんに代わって、王太子アレックスを名乗ってるんだろ」
「……へ?」
そこでアレックスは拍子抜けした。それはそうだろう。アレックスがなぜ男性のふりをしていたのかの理由は、極秘事項なのだ。
「な、なんでそこまで知っているんですか……?」
「レオンに聞いた」
「えええっ!?」
それまでの深刻な雰囲気が、一瞬でぶち壊された。シャルは呆気にとられているアレックスをしり目に、腕を組んで回想する。
「お前と出会って三日目だか四日目だかには、もう薄々分かっていたんだけどな」
「……そ、それじゃあ私は、すべての事情を知っているシャルの前で、男性のふりをずっと続けていたってことですね……?」
「そういうことだな」
「さぞ滑稽だったでしょうね……」
アレックスはがっくりと肩を落とす。シャルは笑って首を振る。
「そんなことないさ。お前がどれだけ努力してきたかは、俺にもよく分かる。それを馬鹿にしたりなんてしない」
「シャル……有難う御座います」
シャルとアレックスは、櫓の残骸に腰かけた。ただし、実際に腰かけたのはアレックスだけで、シャルはその傍に佇んでいる。話は長くなりそうだと思って移動したのだった。
「でも、なんで俺に打ち明けようと思ったの?」
「これでシャルとはお別れかもって思ったら、どうしても。それにシャルは自分の過去をすべて受け入れて、自分から曝け出しているから……私も、同じようにしてみたいなって思って。シャルに嘘を吐いたままなのは、すごく嫌だから」
といっても、シャル以外に打ち明けるのはまだ無理そうですけど、とアレックスは微笑む。隠し事を告白したおかげで肩の荷が下りたのか、リラックスしているようだ。
「――シャルは、双子ってどう思います?」
「どうって?」
「気味が悪いとか……」
「世界に何組の双子がいると思ってるんだ。そりゃ男女の双子は珍しいかもしれないが、それがなんだって俺は思うね」
「そう、ですか……?」
「ああ。ついでに言えば、国王は直系で男子が絶対とかいうのも、馬鹿馬鹿しい」
アレックスがくすりと笑った。
「シャルらしいですね」
「いや、俺は割と本気で言ってるぞ? これからインフェルシアは、あんたが中心になって創っていくんだ。変えようと思えば、変えられるはずだ」
シャルの表情に笑みはない。それを見てアレックスも沈黙した。
「俺は、あんたが男として生きなきゃいけない世界ってのは間違ってると思ってる。あんたには、あんたのまま生きてほしい」
「シャル……」
「だから、いいな? 俺に対しては、王太子なんて仮面を被らなくていい」
大きく目を見開いていたアレックスの瞳が潤み、涙が零れ落ちた。はっとそれに気づいたアレックスは、慌てて目元を拭う。しかし涙はとめどなく流れ、アレックスは乾いた笑みを浮かべた。
「あれ……やだ、なんで……止まらない……」
焦るアレックスの手を払いのけ、シャルがその涙を拭ってやる。そして彼女の頭をぽんと撫でる。
「なんていうんだ、名前」
「名前……?」
「アレックスっていうのは、兄貴の名前なんだろ。お前の本当の名前は?」
彼女はひとつしゃくりあげると、笑みを浮かべた。
「『アシュリー』……私は、アシュリーです……!」
その言葉に、シャルも微笑んだ。
「そうか。じゃあ改めてよろしくな、アシュリー」
頷いてもなお涙が止まらないアレックスことアシュリーの頭を、シャルは撫でてやったのだった。




