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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
1章 英雄の帰還
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15.腹は括らないとな

「フロイデン中将が逃がして、アンリ、レオンまで失敗か。あの敵将のサーヴルとかいう奴は、よっぽど逃げ上手だな」

「いや、面目ない。ははは」

「思ってないだろ」

「痛い痛い。痛いって、シャル」

「痛いように締めてるからな。痛覚が正常で良かったな」


 そう言いながら、シャルはレオンハルトの腕を包帯で強く巻く。戦いを終えてシャルと合流したレオンハルトは、親友の顔を見るなり『ちょっと消毒お願いできる?』と頼み込んできたのである。そのためシャルは、フォロッドの街から持参した包帯や薬を手に、領主の館の一室を借りうけていた。


「ほい、終わり。というか、なんで俺に言うんだよ。軍医に頼めばそっちのほうが確実だろ」

「軍医になんてかかったら、話を大きくされちゃうでしょ。ただのすり傷で騒がれたくないしね」


 不死身、殺しても死なない、などと言われるレオンハルトだからこそ、すり傷ひとつで騒がれるのは容易に想像できる。シャルは声を出さずに笑い、左腕の感覚を確かめているレオンハルトに聞く。


「弓は射れそうか」

「問題はないよ。多少の違和感はあるけどね」


 多分それは、百発百中の腕前が百発九十九中になるくらいの違和感だろう。


「にしても珍しいな、お前が敵の攻撃を避け損ねるなんて。しかも下からの攻撃を」

「言わないでくれ、僕もちょっとショックなんだよ。まさかあそこで槍を投げてくるとは思わなかったし、あの威力と速さはとんでもなかった。こう、生への執着というのかな。とりあえず、技量も心意気も軍の総指揮官たりえるものだったよ」

「お前がそう言うなら、相当だったんだろうな」


 部下を見捨ててでも生き延びようとする生存本能。薬師としてシャルが人々に願っているのは、「生きることに貪欲であること」。時には石にしがみついてでも生きてほしい。自殺なんては決してしてはいけない。


 しかし――だからといって、他人を蹴落としていいわけではない。


「……あの敵将、このまま兵をまとめてテオドーラに逃げ戻ると思うかい?」


 ぽつりとレオンハルトが尋ねる。シャルは首を振った。


「俺にはそう思えないな」

「ああ、僕もだ」

「もう一戦、やらかすことになるだろう。人命を優先するような人間でもなさそうだし」

「エレアドールの野。因縁だね」


 その言葉に、シャルは腕を組んで窓の外の景色に視線を送った。彼の横顔には何とも言えぬ複雑な色の表情が浮かんでいた。悩んでいるような、怒っているような、悲しんでいるような。レオンハルトは椅子から立ち上がり、友人を見やる。


「……シャル。戦いが終わったら一緒に食事に行かないかい」

「飯?」

「そうだよ。君が王都を去って5年の間に、色々と新しい店も増えてね。君にもぜひお勧めしたいんだ」

「俺はどっちかっていうと、行きつけの店のほうが好きだぜ」

「ああ、あの焼肉屋とか?」

「そうそう」

「じゃ、そこも行こう」


 レオンハルトがにっこりと微笑んだ。シャルは腕組みを解く。


「急に飯行こうなんて、どうしたんだよ?」

「こういう約束でも取りつけておかないと、シャルは誰にも言わずにふらっと消えてしまうんじゃないかって思って」


 シャルが瞬きする。それはつまり、戦いが終わったらシャルは、誰にも見つからないようにフォロッドに帰ってしまうのではないかという懸念だ。


「君が今すぐ剣を捨ててこの場を去りたいと思っているのは、僕にも分かる。でも、友と久々に他愛無い会話を交わすという僕の我が儘にくらい付き合ってもらえるよね?」


 するとシャルは笑った。


「大丈夫だよ、消えたりしねえって。……それに、さ。一度剣を握ったが最後、剣ってのは死ぬまでついてまわると思うんだ」

「え……?」

「端的に言うと、やっぱ居心地良いんだわ。ここ」


 フォロッドのあの開放的な雰囲気も好きだ。のどかで、争いごとと言ったら子供の喧嘩くらいで、みんな朗らかで。しかし、慣れ親しんだ軍の雰囲気も、シャルには最高のものだった。五年ぶりに現れた自分を慕ってくれる者、歓迎してくれる者、激励してくれる者。どれだけ恵まれているのだろうか。


「五年間も俺はみんなに自由にさせてもらった。要するに、俺が立ち直るまで待っていてくれたわけだ。そろそろ腰を上げてもいい頃だろ」

「シャル……! 君って人は……何も考えていなさそうで実は割と真面目にっ」

「だーから、てめえは一言多いんだよ」


 シャルはレオンハルトの頬を思い切りつまんだ。こんなことをして整った顔が歪んでも美しさが消えないのは、まったく羨ましい限りである。


 ぐりぐりと頬を押されたり引っ張られたりしながらも、レオンハルトは表情をほころばせた。とそこで、照れくさそうにシャルは視線をそらし、レオンハルトを解放して頭を掻く。


「ただし! ひとつ条件がある」

「いてて、さすがに痛いな……で、なんだい? 僕にできることならなんでも……」

「フォロッドに腕のいい医者か薬師を派遣しろ。食料の配給とか、そんな余計なことはしなくていい。医者さえいれば、あの街は安泰だ」


 シャルらしい意見だ。つねられた頬をさすりながら、レオンハルトは微笑んで頷く。


「お安い御用だ。僕が自ら厳選して、最終的に君の許可が得られた者を派遣しよう!」

「そこまでしなくていい! お前が信頼できると思った奴で結構」


 レオンハルトがここまで感激するのも無理はない。彼はずっとシャルが前線復帰することを願っていた。この五年、手紙でなんど口説こうとしてもシャルは折れなかった。それが、いまシャルは自分から戦線に戻ることを告げた。なんと喜ばしいことであろうか!


「……なんでお前、俺に軍に戻ってほしいわけ?」


 根本的な質問をすると、レオンハルトはにこにこと答える。


「寂しいからだよ。僕が」

「……阿呆か」




★☆




 エレアドールの野。テオドーラとの戦いでは常に名が上がる戦場。ここで幾人もの将と兵士が命を落とし、流血に大地は赤く染まってきた。そんな戦場は、数日前に国王を失った場所でもあった。彼らはそこに戻ってきたのである。


 この日、両軍は先日の戦いと同じように布陣していた。戦場の北側にテオドーラ軍、南側にインフェルシア軍。しかしその兵力は明らかに逆転していた。今やテオドーラ軍の兵力はインフェルシア軍の半数に満たない。しかもみな満身創痍だ。ここまで撤退する途中に合流した将兵たちのかき集めで、やっと軍が成り立っている状態である。対するインフェルシア軍はここ数日の連勝で士気も上がり、統率がとれている。


 やっとここまで戻ってきた。シャルはそう思いつつ、腰帯に剣を佩く。と、そこへフォルケとイルフェがやってきた。


「大佐。この者をご存知ですか?」

「ん?」


 振り返ったシャルは、ふたりと共にそこに立つ青年を見て笑みを浮かべた。


「リヒターか。久しぶりだな、怪我はもういいのか?」

「はい。大佐の薬と、街の人の心遣いのおかげで」


 アレックスとともにシャルの元を訪れた騎士、リヒター・オルミッド中尉だった。テオドーラ軍の襲撃で負傷し、フォロッドに残らざるを得なかったのである。リヒターの様子を見ると、どうやらあのあとフォロッドはテオドーラの襲撃を受けずに済んだようである。


「戦線復帰のご許可を頂きたく、馳せ参じてまいりました」

「心意気は買うけど、その許可を出すのは俺じゃないぜ。あんたの直属の上官は、あの王子さまだろ」

「殿下はもはや私の上官ではなく、この軍の総帥。事前に殿下には、好きにせよとの指示を頂いてあります」


 何ともかしこまっているリヒターにむず痒さを覚えつつ、シャルはさらに尋ねる。


「それで、どうして俺のところに?」

「ここに来るまでに、貴方の活躍をお聞きしました。失礼ながら、貴方と初めてお会いしたときは本当に元騎士だったのかと疑心暗鬼だったのですが……」


 そこまで言ったところで、イルフェがむっとしたように眉をひそめる。それを『まあまあ』とフォルケがなだめる。


「しかし、やはり貴方は正真正銘の騎士であられた。ですからどうか、私をハールディン大佐の部下として戦わせてください!」


 頭を下げるリヒターを、じっとシャルは無言で見つめている。そしておもむろに鞘ごと剣を取り上げると、その先端でリヒターの左足をつついた。


「いっ!?」


 途端にリヒターが顔をゆがめ、声を詰まらせた。これにはイルフェとフォルケも唖然とするばかりである。シャルは剣をもう一度佩き直し、痛みに悶えているリヒターを見やる。


「怪我が治りきってないのにあんま背伸びすんな。お前じゃまだ無理だ」

「し、しかし……!」


 悔しそうなリヒターの肩を、シャルは叩く。


「そういうわけで、お前は完治するまで俺の副官な」

「……え?」

「本来なら千騎隊長に副官なんてつかないけど、まあいいだろ。俺の傍で事務方の仕事をしてくれたら、助かる」


 沈み切っていたリヒターの表情が、一瞬で明るくなる。すると少し不満げにイルフェが口を挟む。


「……先輩、副官の仕事なら僕にお任せして頂ければ……」

「お前は駄目だ。信頼できる優秀で貴重な戦力だからな」


 褒め言葉を列挙され、「そんなぁ、照れちゃいますよぉ」とイルフェが顔をにやけさせる。それを無視したフォルケが渋い表情でリヒターに尋ねる。


「副官という名の雑用係りだぞ。よく考えて決めろ」

「人聞きの悪いことを言うなよ、フォルケ」


 シャルが腕を組んだ。しかしリヒターは首を振り、しっかりと顔を上げて答えた。


「そのお役目、誠心誠意務めさせていただきます!」


 どうやらこれでまた、イルフェやヴィッツを筆頭とする『シャル崇拝者』が増えたようだ。フォルケは内心でそう思った。シャルはいささか大袈裟なリヒターに肩をすくめつつ言う。


「よろしく頼むぜ」

「はい! こうして傍でハールディン大佐の戦いぶりを見ることができるのは光栄です」

「あ? 残念だけど、今日俺は戦場に出ないぜ」

「え、出ない?」


 リヒターが目を丸くする。シャルは笑った。


「今日は王太子殿下の護衛だ」

「先輩が護衛なんて、僕はまだ納得できないんですけど」


 イルフェの言葉にシャルが振り向く。


「俺が出るまでもないんだよ。戦ってのは、実は戦い始める前に勝敗が決まっていることが多い。今はまさにそういう状態だ」

「はあ……」

「それに、まだ俺は完璧に復役したわけじゃない。あんまり目立たないほうがいいこともある」

「そういうものなんですかねぇ」


 イルフェは不思議そうに首を傾げたのだった。


 実をいうと、これはシュテーゲルに指示されたことである。そんな心配はないと思うが、万が一ここでアレックスを失ったら。そんな不安が誰もの胸の中にある。このエレアドールは、インフェルシア軍が国王を失った場所。そんな恐怖を、アレックスの隣に控える英雄、シャルが晴らしてくれる。シャルが傍にいるからきっと大丈夫だ。彼の存在は、人々をそんな気持ちにさせる。


 お前の名を道具にして悪いな――先だってシュテーゲルからはそう言われた。この程度ならいくらでも名前を貸してやるよ、とシャルは答えたものである。


 イルフェ、フォルケと別れたシャルは、リヒターを伴って護衛対象であるアレックスの元を訪れた。アレックスは愛馬の傍に寄りそい、不安げに佇んでいた。そしてシャルの姿を見て笑みを浮かべる。


「あ、シャル……それに、オルミッド中尉も!」

「王太子殿下、お久しぶりでございます」


 リヒターが恭しく頭を下げる。シャルは気安げに歩み寄り、片手を上げた。


「なんか顔が強張っているが、大丈夫か?」

「はい。少し緊張しているだけです……」


 アレックスが緊張するのは、毎度のことである。自分が騎士のひとりとして戦場に出ている間はまだ良かった。こうして後方で味方の戦いを見守っているだけのほうが、余程怖いのだ。


「無理もねえが、しゃんとしな。みんなあんたのために命をかけるんだ。堂々としろ」


 シャルの言葉を聞くと、アレックスの背筋は不思議と伸びる。シャルの前でみっともない姿は晒したくない。


「味方を信じて、ここで俺たちは待つぞ」

「はい」


 アレックスはしっかりと頷いた。さしあたってシャルはリヒターに旅装を解くように指示したのだった。




★☆




 戦闘が開始された。もはや最初の激突の時点でテオドーラ軍はインフェルシア軍に後れを取り、あっという間に勢いに押された。本当に、敗れるのは時間の問題である。


 それでも粘り強くテオドーラ騎士が抵抗しているのは、生への執着と帰国する願望の強さゆえだろう。追い詰められてようやく真の力を発揮する、火事場の馬鹿力、背水の陣ともいえるだろう。


 有力な将軍だったタンブールとノブレスを失ったテオドーラ軍の統制はまったく取れていなかった。おのおのが勝手に戦い、敵を倒している状態だ。これはお世辞でも軍隊とは呼べない。


「このままでは済まさん……このままでは済まさん……このままでは」


 呪詛のようにその呟きを繰り返すサーヴルは、一応馬上にあって剣を握っていた。いま彼の思考の大半を占めているのは、「少しでもインフェルシア軍に痛手を被らせる」ことだった。将兵の命を犠牲にしないために撤退するなどという考えはない。すべて己の名誉を守るためだ。


 だから、最後の一兵になろうと。ひとりでも多くの敵を倒し、そして――。


 ひゅっ、と空気を切り裂いて何かが飛来する。サーヴルがそれに気づいてそちらを見た瞬間、このテオドーラ軍総指揮官の胸に深く矢が突き立った。サーヴルは血を吐き出し、そして落馬する。傍に控えていた部下たちが驚愕して駆け寄ってくる。


「驕りの罪だ。潔く受け取れ」


 そう呟き、弓を下ろしたのは弓箭隊の若き隊長である。ここに来てようやく真価を発揮したレオンハルトは、はるか遠方で敵将が絶命したのを確認すると、満足げにその場を立ち去った。


 指揮官サーヴルを失ったという情報は瞬く間に広がった。そして、守るべき相手、戦うべき理由を失ったテオドーラの騎士たちは、一斉に瓦解した。剣を放り捨て、鎧も脱ぎ捨て、一目散に国境の彼方の故郷へ逃げ去ったのである。フロイデンは部下に命じ、それを追わなかった。


 インフェルシアとテオドーラの戦いは、最終的にインフェルシアの勝利で終わったのだった。

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