14.一対一は得意じゃない
ロゼリアの街は元々半ばテオドーラ軍の占領下におかれていた。領主が無用の血が流れることを避けたため、テオドーラ軍が街を占拠するのを黙って見ていたのである。敵国の騎士たちは食料さえ差し出せば民衆に手は出さなかったし、無理に戦おうとしてもロゼリアの戦力では敵わないのが目に見えていたからだ。しかし、ファルサアイル湿原の戦いで敗れたらしいテオドーラ軍は、ロゼリアまで撤退してくると強硬手段に出た。まず領主一家を捕え、その邸宅を占拠し、すぐさま城門を占めること、民衆は家から出ないことを命じたのである。領主一家を殺さなかったのは、領民の反感を向けさせないためだ。
テオドーラ軍総指揮官サーヴルは、自分の後を追って戦場を離脱してきた兵だけをロゼリアの街の中に入れて城門を閉めた。つまり、追いつけなかった部下たちを閉めだしたのである。十万騎をそろえてインフェルシアに侵攻したはずなのに、今やその兵数は半数以下になっていた。
「門を閉めろ! 味方だろうと決して開くでないぞ!」
サーヴルはそう指示をした。味方を斬り捨てる非情な指示ではあったが、同時に彼はインフェルシア軍が味方に偽装して近づくことを避けるためにも、これを決めたのだ。
付き従うノブレスは、サーヴルの指示が適正であることを認めている。だがそれは味方の士気を下げ、人望を失うことにもつながるのだ。ノブレスにはなんとも口を挟むことができない。そんなノブレスのもとに、部下の騎士が駆け寄ってきた。
「ちゅ、中将! 城門の外に味方が押しかけています!」
「どういうことだ?」
「周辺の街へ物資調達へ出ていた小隊と思われます。中へ入れてほしいと訴えが……!」
ノブレスは苦い顔をしたが、首を振る。
「入れてはならん。敵である可能性がある」
「しかし……! 味方であるなら、我々は仲間を見捨てたことに」
「これは命令だ。開けるな」
私利私欲の塊のようなサーヴルが言ったなら反感を抱いただろうが、厳格ゆえにみなに公正で信頼されているノブレスにそう言われては、反論の余地はなかった。すごすごと兵士が引き下がろうとすると、別の兵士が慌ただしく飛び込んできた。
「ほ、報告致します! インフェルシア軍が街の中へ突入して参りました!」
「な、なんだと!?」
サーヴルが血相を変えて振り返った。兵士が凍りつく。
「はっ……兵士たちに城門を開けないよう徹底させていたつもりなのですが、開けてくれという声に心を動かされた者たちが、城門を開けてしまいまして……」
「自ら敵を引き入れたのか! くそっ」
それ見たことか、とサーヴルの顔にありありと書いてある。こうならないために味方を切り捨てたというのに、末端の兵卒たちには伝わっていなかったらしい。
――その数分前。一体ロゼリアの城門で何が起こっていたのかというと。
城門の守りに就いていた兵士たちは、街道の向こうからこちらへ駆けてくる二百人規模の騎影を見つけた。敵襲かと思って緊張したところ、その騎兵たちは力の限り城門を叩いてこう叫ぶ。
「俺たちは味方だ、開けてくれ!」
「物資の調達を終えて帰ってきたんだ!」
「敵に追われている、早く開けろ!」
城壁上から姿を確認してみると、それは確かにテオドーラ軍の装備を身につけた騎士たちだった。調達に出たまま合流していない部隊もあり、きっとそうだろうと思って門を開けようとしたのだ。しかし現場監督の騎士たちはそれをさせなかった。敵が味方に化けているに違いない、そう言って部下たちを制止した。しかしいよいよ城門の外にいる味方と思わしき騎士たちの声は鬼気迫るようになり、彼らが言っているように、追っ手らしき大軍が濛々と土煙を上げて迫ってきたではないか。
開けるか、開けないか。板挟みになっていたテオドーラ騎士たちはパニックに陥った。門を開けて味方を招き入れたらそれを追って敵も入ってくるだろうし、開けなかったら味方は一人残らず殺される。それは罪悪感がある。現場監督の騎士も咄嗟に命令を出せなかった、その僅か数秒のうちに、早まった数人の騎士が門を開けてしまったのだ。
そこからは怒涛の展開である。今の今まで必死な声で「開けてくれ」と叫んでいた騎士たちは、門が開いた瞬間に街の中へ雪崩れ込み、テオドーラ騎士たちを斬り殺したのである。誰もが想像していた通り、テオドーラ軍に偽装したインフェルシア軍、しかもシャルの部下たちであった。
「けほけほっ……うぅ、久しぶりに叫んだから喉が枯れちゃいましたよ……」
「おいおい、しっかりしろよ。そんなんで千騎隊長が務まるのか?」
「命令を出すのと、必死な声で叫ぶのとでは、労力が違いますよ……カインさんじゃあるまいし、そんな馬鹿でかい声出ませんって」
そう嘆いたのはヴィッツである。隣にいるのはカイン。ふたりが百騎ずつ率いて城門に押しかけ、「助けてくれ」だの「開けてくれ」だのと叫んでいたのだ。カインはその声量がシャルの千騎隊の中で最も多いからであるが、ヴィッツが選ばれたのは「命乞いの声が似あいそうだから」という理由である。勿論本人はそんなことを知らされておらず、なぜ自分が、と首を捻っていたものだ。
彼らが率いる二百騎は皆一様にテオドーラ軍の制服を着ていた。戦場に取り残された敵の制服を頂戴したのである。
遅れて、騎士隊の面々が突撃してきた。そこにはシャルの姿もある。
「お疲れ、お前ら! さあ、攻め上がるぞ」
「あいよ」
「あっ、は、はいっ」
カインとヴィッツが頷き、馬を駆った。
「逃げる敵は追うな! それよりも、民衆の救助を最優先とせよ!」
フロイデンが声を張り上げる。パニックになっているのは民衆もテオドーラ騎士も同じで、逃げ惑う民衆が訳も分からず騎士に斬り殺されかねない。もしそんな風に虐殺が起こったら本末転倒である。
「領主の館から炎が!」
その叫びを聞き、フロイデンは屋敷の方角を見やる。確かに煙が上がっている家屋があった。不測の事態で火がついたのか、それとも将軍たちがどさくさに紛れて逃げるために火を放ったのか。どちらにせよ状況が悪くなったことに違いはない。
「既に部隊が向かっている。我々はここでの戦闘を継続する」
フロイデンには、シャルが向かっただろうという確信がある。一時的な協力者として戦っているシャルは、誰の指揮下にもない。もし正規の軍人としてここにいても、彼は遊撃として自由に動くことを許可されていた。それはシャルに高い判断能力があるからで、彼ならば火が上がるよりも前に領主の館に隊を向け、総指揮官サーヴルを捕えようとするはずだ。
実際シャルはそうするために動いていた。屋敷の前に辿りついたと同時に炎が上がり始め、シャルはそれを見て落胆する。消火をカインスの百騎に命じ、アンリには屋敷の裏手に回るように指示する。その上でシャルは屋敷内に突入した。――無論、馬は下りている。
「屋敷のどこかに領主が捕えられているはずだ! 一刻も早く見つけ出せ!」
シャルが声を張り上げる。火は数か所に放たれたらしく、まだカインの消火が追いついていない。いよいよ煙も濃くなってきたところで、シャルは一度部隊を停止させた。
「このままじゃ全員一酸化炭素中毒だな。……領主って何人家族だ?」
「ええっと、夫妻と幼い娘二人……の、四人家族だったと」
イルフェが答える。つい最近ロゼリアの領主は交代したばかりなので、イルフェの記憶にも新しいのである。シャルは適当に相槌を打つ。
「ふうん、まだ若いんだな。じゃ、俺とイルフェとフォルケで十分だな。残りは屋敷の外で待機! ヴィッツ、指揮は任せた」
「ふぇっ!? お、俺がですか?」
「そう、お前が」
ヴィッツとシャルは同階級で、しかもシャルは退役してしまっているので実質ヴィッツのほうが地位は上だ。しかしヴィッツは、シャルがいると『自分はいいか』という考えになって楽な方へ走る傾向がある。ヴィッツのためには戻ってくるんじゃなかったかな、とシャルは本気で思う。
シャルは頭から水を被り、側近二人を引き連れて煙の中へ突入した。屋敷の大部分は既に探索済みで、残りは離れのみである。規模も狭く、捜索はすぐ終了するはずであった。
案の定、寝室と思わしき部屋に領主一家は捕えられていた。両手両足を縛られ、口にも轡を噛まされ、室内の柱に四人が固定されている。まだ三歳ほどだろう娘二人は父親にしがみついている。煙を吸わないようにだろう。恐怖に満ちた表情の領主は、シャルらの姿を見て大きく目を見張った。
「見っけ。縄を解くぞ」
シャルは腰帯から短刀を取り出し、縄を断ち切った。轡も外すと、領主は激しく咳き込んだ。イルフェとフォルケも、同じように領主の妻、そして娘たちを救出する。シャルは制服の上着を脱いで娘ふたりをまとめてくるんだ。
「あっ、有難う……!」
領主の青年が震える声で礼を言う。まだ二十代半ばらしく、本当に若い。シャルは不敵に笑う。
「そういうことは無事脱出できてから言ってくれ」
まだ余力のありそうな領主に妻は任せ、イルフェが娘を抱き上げる。そうしてフォルケが先導しつつ来た道を戻り始めたが、シャルが不意に鋭い警告の声を発した。
「フォルケ、伏せろ!」
フォルケはすぐさま反応して床に伏せた。すると、フォルケの首があった部分を銀色の光が通過した。飛び退ったフォルケの前にふらりと現れたのは、テオドーラ軍のノブレス中将だった。シャルが逆に前に進み出た。
「貴様、何者だ」
ノブレスが問いかけると、シャルはにやりと笑って剣を抜き放った。
「あんたの敵さ。それで十分じゃないか?」
「……ふ、確かに」
ノブレスも剣を抜いた。彼はサーヴルやほかの将兵を逃がすため、自らここに残ったのである。そして屋敷の至る所に火を放った。領主が捕えられていることを知れば、必ず誰かこの屋敷へ救出に来るだろうことを見越して。その指揮官でも討ち取れれば、テオドーラの脅威がひとつは消えてくれる。だからノブレスは、目の前にいるこの若い指揮者を討ち取らねばならない。
「ふたりとも、先に行け」
シャルは部下二人に促す。本来シャルは真っ向から敵将とぶつかったりしない。それは彼の仕事ではないからだ。だが目の前の雄敵から逃れようと思うほど無責任でもない。本来の役目からは外れるが、たまにはこういうこともある。
イルフェとフォルケが領主夫妻を連れて離脱した。シャルはもう無駄口を叩かない。彼は仕事には忠実であった。
緊張感に満ちたまま、ふたりは激突した。シャルの斬撃を受け止めたノブレスは、その膂力に驚いた。嫌というほど見てきたインフェルシア陸軍の制服の襟元には、『佐官』を表す赤の線が三本入っている。つまり大佐である。大佐でありながらこの威力は桁違いだ。ノブレスは額に汗が浮かぶのを感じた。
誰だ、この男は。敵軍で危険視しているのはフロイデンやアーデル・キーファーであり、大佐階級の人間はリストアップされていなかった。こんなはずではなかったのに。
戦いながらもノブレスは、シャルの正体を必死で考えている。その隙をシャルが見逃すわけがない。
シャルの渾身の一撃が、ノブレスから剣を叩き落とした。その瞬間にノブレスは悟る。
「! 貴様、まさかシャル・ハールディン……!?」
どこでどうやってそう思いついたのか知らないが、シャルは薄く微笑む。
「正解」
その後、ノブレスの思考は永遠に断ち切られた。
★☆
サーヴル大将と付き従う護衛の騎士たちは早々に館を脱出した。急いで街の外に逃げようとしたところで、背後から声がかかった。
「お待ちあれ、そこの騎士殿!」
戦場にそぐわない、なんとも紳士な呼びかけに、思わずサーヴルは振り返ってしまった。そしてぎょっとする。剣を構えたひとりの騎士を先頭に、百人規模の部隊が迫ってきているではないか。
「お命頂戴」
芝居がかった台詞を好むのは、シャルの部下のアンリ・フリュードルであった。シャルに館の裏手に回るように指示され、そして逃げようとしている敵将を見つけたのだ。
「ふ、防げっ」
裏返りかけた声でそう命じたサーヴルだが、彼本人は一目散に逃げ出している。突撃してきた騎士を一人斬ったアンリは大袈裟に肩をすくめる。
「味方を盾に逃げるとは。うちの上官は断じてそんなことしないな」
むしろ残って戦うというシャルを、部下である自分たちが必死で逃がすだろう。部下が自分から守りたいと思える上官。これがあるべき絆だとアンリは思っている。
アンリたちが敵を叩きのめしたときには、すでにサーヴルの姿ははるか遠方にあった。アンリは剣を下ろす。
「今から追うのは無理か。ま、外にも伏兵が控えている。私たちの出番はここまでだな。さあて、戻ろうか」
追撃を打ち切ったアンリは部隊をまとめ、さっさとシャルの元へ戻ったのである。
★☆
街の外まで逃げたが、部下の三分の一を失ってしまった。なんとかエレアドールまで逃げ延び、その道中に味方と合流したい。これでは総指揮官としての面目丸つぶれだ。
「くそっ、役立たずどもめ」
自分の不手際を部下のせいにして、サーヴルは吐き捨てる。
広い平原を駆け抜ける。前方に小高い丘があった。それを越えようと向かった瞬間、丘の上に多数の人影が現れた。風に乗って声が聞こえてくる。
「弓箭隊、攻撃開始!」
その号令と共に、丘の上から雨のように矢が降り注いできた。わっと声を上げてテオドーラ軍が逃げ惑う。サーヴルはいよいよ真っ青になった。
「小癪な……! 弓の若造め!」
サーヴルは、声の主がレオンハルトという若い将軍であることを知っていた。怒りに任せてサーヴルは馬の鞍から槍を引き抜き、陽光の下で輝く金の髪を見つけた瞬間、槍を投じた。
豪速で飛来した槍に、レオンハルトともあろう者が圧倒された。対応が遅れ、咄嗟に避けたが、完全ではなかった。レオンハルトの左腕をかすめた槍は、彼の軍服の袖を切り裂き鮮血を散らした。怪我こそ大したことはなかったが、その威力を受けてレオンハルトは地面に倒れた。
「中将っ」
完全無敵で、下手をしたらシャル以上に不遜なレオンハルトが、敵の攻撃を受けて倒れるとは。そのことに動揺した部下たちに、レオンハルトは身体を起こして叫んだ。
「構うな! 攻撃を続行しろ!」
その指示ですぐさま攻撃が再開されたが、サーヴルの姿はなく、残っているのは矢で貫かれた不幸な敵の死体だけだった。
身体を起こしたレオンハルトは、肩をすくめる。
「やれやれ、無様だな……こいつはシャルに笑われちゃうかな」
敵将を逃したことよりも、シャルに笑われるかもしれないという心配のほうが勝っていた。その呟きを耳にした副官のヘルマンと、副隊長のブラントは、呆れた様子で顔を見合わせたのだった。




