12.面白い奴らが増えたじゃないか
戦場を疾駆するシャルらの前方に、濛々とした土煙が上がっているのが見えた。フロイデンが率いる騎士隊本隊が、敵本隊と正面から衝突しているのである。
シャルは声を張り上げた。
「援護! カイン、行けっ」
「よしきた!」
シャルの千騎部隊一の剛腕、カインが自らの百騎と共に乱闘の中へ突っ込んだ。テオドーラ兵から見れば思わぬ不意打ちである。前方からタックルしようとしてくる相手を受け止めようと構えていたところで、横っ面を殴られたような衝撃だ。
テオドーラ軍右翼が秩序を失った。その隙をフロイデンは見過ごさなかった。部下たちを煽り、一気に敵を押し返し、ついに突き破った。
「毎度いい仕事をするな、シャル!」
すれ違いざま、フロイデンがシャルをそう労った。シャルは少し笑みを浮かべ、それに応える。
インフェルシア軍の勝利は、もはや時間の問題であった。
★☆
「なんだこのざまは! エレアドールでの勢いはどこにいった!?」
そう怒鳴ったのは、今回のインフェルシア遠征において総指揮官を任された、サーヴル大将であった。テオドーラで騎士として昇進を重ね、やっとの思いで憎き敵国への遠征軍指揮官の座を手に入れたのだ。エレアドールでインフェルシアを敗走させたときからまだ日は経っていないというのに、この形勢逆転ぶりは何か。サーヴルの機嫌は悪くなる一方である。
いまサーヴルは本陣の中にあって騎乗し、戦場を見据えている。その両端に同じように馬をたてているのが、補佐であるタンブール中将、ノブレス中将である。直接的な軍の指揮は、主にこの二人が執っていた。いまは戦況報告のため、本陣に帰参したところである。そして理不尽な総大将の八つ当たりを喰らったのだ。
「物資徴収に出かけた部隊はまだ戻らんのか!?」
サーヴルに問われた若い騎士は、びくっとして直立し、そして答えた。
「は、はい。いずれもまだ戻っておりません」
「奴らは何をしとるのだ、まったく! これで無傷の援軍が多少なり投入できれば、戦局もひっくり返ろうものを」
悔しげにサーヴルは呟く。サーヴルはその部隊の到着を願っているのだが、残念ながらそれはもう叶わぬ夢である。
何せ、シャルはテオドーラ軍の糧食に火を放った後、近くの街へ物資調達に行って戻ってきた部隊を完膚なきまでに壊滅させてしまったのだ。どれだけ待とうと、援軍は来ない。
「にしても、インフェルシア軍はなぜここまで戦えるのだ? 兵数が半減したままであるのは変わらないのに、この士気の高さはなんだ」
タンブールはそれを疑問に思っている。王都から援軍が来た様子もないのに、敗北寸前だというのに、逆に士気が上がっているのだ。これは異常なことである。
『シャル・ハールディン』。
突如、タンブールの脳裏にその名が閃いた。確かインフェルシアにはそんな名の若い騎士がいた。遊撃を専門に担い、十年前は手痛くテオドーラも損害を被ったのだ。
アジールとの戦争が終結すると同時に姿を消したと聞いていたが、もし彼が参戦して部隊を率いているのなら。
よくよく考えれば、このやり口はシャルの手法と似ている。後方からの不意打ち、圧倒的な破壊力。タンブールの中で『シャルの参戦』は確実なものとなった。
「サーヴル大将! これは……」
タンブールが口を開きかけた瞬間、わっと前線が崩壊した。テオドーラ騎士を斬り倒して現れたのは、インフェルシア騎士の一隊だった。先頭に立つ騎士は、珍しい黒の髪の男だった。
「総大将さん?」
黒髪の男、ハーレイ・フロイデン中将はのんびりと尋ねる。彼の持つ剣は鮮血に染まり、衣服にも赤が飛び散っている。異国情緒ある装いのフロイデンは、その温和ささえも戦場では不気味に映る。
――もっとも本人は、マイペースなだけなのだが。
「大将、ここは私が防ぎます! お逃げください! ノブレス、行け!」
タンブールが剣を手にフロイデンの前に立ちはだかった。サーヴルとノブレスは馬首を返し、タンブールにその場を任せた。フロイデンがちらりとその後ろ姿に視線を送ったが、追撃は断念した。少しでも動けば、タンブールの剣が襲いかかってくるのは目に見えていたのだ。
「貴様が指揮官か」
そう問いかけられたフロイデンは、視線をタンブールに戻す。
「インフェルシア王国陸軍、騎士隊隊長ハーレイ・フロイデンだ」
「騎士隊隊長……さすがの力量だな。テオドーラ陸軍中将タンブールがお相手仕る!」
タンブールが馬を駆り、フロイデンに突進した。振り下ろされた剣を、フロイデンは自分の剣で受け止め、そして弾く。そして追撃したフロイデンの攻撃は、紙一重でタンブールに避けられる。
斬撃は何合も続いた。さすが軍を統率するだけの力量である。フロイデンが繰り出す突き、払いはことごとく避けられ、また弾かれる。
しかし若さゆえの持久力はフロイデンが圧倒的に勝っていた。最初こそ完璧だったタンブールの防御も、徐々に崩れていく。そしてフロイデンが勝っていたのは若さだけではなく、剣の技量と馬術においても然りだった。一瞬の隙を突いて叩き込まれたフロイデンの剣が、タンブールの首の動脈を断ち切った。一瞬のうちに絶命したタンブールは落馬し、永遠に沈黙した。
ひとつ息をついて剣を下ろしたフロイデンの元に、万騎隊長セーラム少将がやってきた。
「敵将さんは?」
「申し訳ありません、討ちもらしました。指揮官に従い、テオドーラ軍も次々と逃走しています」
「そうか……逃がしてしまったものは仕方がない。深追いはするな。一度退き、こちらも軍を整えるぞ」
「はっ!」
フロイデンとしても、この一戦だけで勝敗が決するとは思っていない。このファルサアイル湿原からじわじわと北上しつつ勝利を重ね、エレアドールでの戦いでテオドーラを国境の向こうへ追い去り、やっとそこでインフェルシア軍は勝利となる。ここでは、有力な敵将をひとり討ち取っただけで良しとするべきだ。
フロイデンの指示で、騎士隊は撤退した。テオドーラ軍は相次いで逃走し、その一部は降伏を申し出てきた。とにかくこの戦場となった湿地帯に残ったのは、おびただしい数のテオドーラ騎士の遺体であった。敵の損傷は激しく、王都を守ることができた。数日前まで敗戦色濃厚だった軍とは思えない善戦ぶりである。
兵士たちには休息が与えられたが、将官たちは休息もそこそこに今後の対策を練らねばならない。軍議用の天幕に集まった各部隊の将軍たちに向け、アレックスが労いの言葉をかける。
「テオドーラ軍は北へ陣を下げました。諸卿の尽力のおかげです。有難う」
腰が低すぎるのではと言いたくなるほど低姿勢のアレックスの言葉に、将軍たちは頭を下げた。隣に佇むシュテーゲル元帥の視線を受け、さらにその横に立つ細身の男性が咳払いをする。軍参謀のシュトライフェンだ。神経質そうで融通が利かなさそうで、シャルの苦手なタイプの人だなあ、とレオンハルトは内心で思っている。
この軍議に出席しているのは、主に各部隊の隊長格の者である。騎士隊のフロイデン、弓箭隊のレオンハルト、槍歩兵隊のアーデル、剣歩兵隊の隊長モース中将、そして投石隊の隊長エルドレッド中将だ。あとは各隊長が出席を許した者で、騎士隊からは万騎隊長格の者までが軍議に出る。
千騎隊長のシャルは、本来なら軍議に出ることを許されない立場である。しかし彼は今回、誰の旗下にも入らず独自の意思で行動する権利を得ている。それは結局万騎隊長と同じ待遇なので、フロイデンがシャルを出席させているのだ。シャルのほうは自分がイレギュラーな存在であることを自覚しているため、出入り口のすぐ傍で目立たないように沈黙を貫いている。
「敵の逃走した方向から判断すると、テオドーラ軍はロゼリアの街を占拠、籠城する構えかと思われます」
軍師シュトライフェンが、卓上に広げられた周辺地図の一点を指差す。そこは現在地ファルサアイル湿原で、彼はそこからつと指を北の方角へ動かす。シャルとアレックスが軍に合流する前に見たロゼリアである。あの街は堅牢な城壁で守られている城塞都市でもあるし、物資も豊富だ。籠城にはうってつけである。
ちなみに、いまテオドーラを追撃して打ち倒し、籠城を阻止するという案はとれない。テオドーラ軍はかなりの兵力をロゼリアに残しているようだし、下手なことをすればロゼリアからの援軍で返り討ちに遭う可能性があるからだ。
「しかし、籠城されるとちと厄介なことになるぞ。我が軍は攻城戦の経験も乏しく、加えて今の状況はロゼリアの民数万人を人質に取られているようなものだ。長期間に渡る戦いには厳しいものがある」
そう口を開いたのは、槍歩兵隊のアーデル・キーファーである。豪快な人柄はシャルの部下のカインに通じるところがあるが、アーデルには慎重さや思慮がある。だからこそ槍歩兵隊の隊長を務めているのである。実をいうとシャルは他の武器に比べると槍が苦手で、それを克服するために二か月ばかりアーデルの稽古漬けになった過去があるのである。おかげで槍の腕は上達したが、「もうしばらく槍は見たくない」という症状にも陥ったのだった。
アーデルの懸念はもっともだったが、シュトライフェンの答えはあっさりとしていた。
「やり方などいくらでもあります。手っ取り早くするのなら、ロゼリアに向けて投石を行うという手段が……」
それではロゼリアの民も犠牲になる。あまりに非情な策に天幕がどよめく。その中で剣歩兵隊長モースがぽつりと呟く。
「馬鹿かあんたは」
むすっとした様子で放たれたその一言に、シュトライフェンはぐっと呻いた。逆に笑いをこらえきれずに吹き出してしまったのは、投石隊隊長エルドレッドだ。彼はまだ若く、二十代である。投石隊などと名がついているが、投石だけでなく砲撃台も扱っている。昔の名残で部隊名が変わっていないだけだ。とにかく、投石隊は人数が最も少ない部隊で、することも単調なので、若い人間でも将官が務められるのだ。
良い性格をしている。シャルはモースという男になんとなく親近感を抱いた。
思わず吹き出してしまった投石隊長エルドレッドは、なんとか笑いを呑み込み、軍師に向きなおった。
「軍師殿。我が投石隊に民間人虐殺を指示するとあれば、私は投石隊隊長の任を下りさせていただきます。軍人として、非道を行う訳には参りません」
こっちも良い性格だ。若いくせに度胸が据わっている。
「シュトライフェン殿。貴方の言うやり方で、確かに我が軍は勝利するかもしれない。けれど、勝利という名誉以上の不名誉を被ることになります。民を犠牲にして得る勝利に、私は賛同できません」
アレックスの言葉に、シュトライフェンは恐縮したように頭を下げた。
「……失言でございました。どうかお忘れ頂きますよう」
そこをシュテーゲルが軌道修正し、話を元に戻した。
「とにかく、城を陥落させるには迅速さが必要。それが無理なら平野戦に持ち込みたいが、どうやって敵を引きずり出すかが問題というわけだ」
各将軍が思案を始めたとき、シャルは手を伸ばして傍にいるフロイデンの肩をちょいちょいと叩いた。フロイデンは視線を前に向けたまま、身体を傾けて耳をシャルの元へ寄せる。そして何かをシャルから聞いたフロイデンは、頷いて口を開いた。
「ひとつ提案があります」
「なんですか、フロイデン中将?」
アレックスに発言を許可されたフロイデンは王太子に一礼し、諸将を見渡す。
「先程の戦いにおいて、物資調達のため戦場を離れていたテオドーラ騎士の一隊を、ハールディン大佐が壊滅させています。であればこそ、その騎士たちを装って開城できるのではありませんか?」
シャルがその一隊を殲滅したことを、テオドーラ側は知らないのだ。今も彼らは、物資調達隊の帰還を待っているだろう。そのことを考えて、シャルは補給隊を襲ったのである。
成程、奴らが余程の薄情者の集団でない限り、門を開けるだろう。各々はそう思って納得したが、シュトライフェンは険しい表情である。
「……確かにそれは有効な手段です。が、フロイデン中将。なぜ大佐階級であるハールディン殿が軍議に出席しているのです?」
もっともである。こういう反応をされるだろうから、シャルは自分の考えをフロイデンに言わせたのだ。しかしシュトライフェンには勿論ばれている。フロイデンはしれっとして答えた。
「私が許可したためだが」
「いくら中将でも、いささか贔屓をしすぎなのではありませんか」
「彼は軍に合流するまでに、テオドーラ軍の動向を観察してきた。その報告は貴重なものであると思うが、いかがだろうか?」
「ハールディン大佐の合流と、巧みな指揮による戦闘。これが今日の戦いで大きな功績を残したということは紛れもない事実でしょう」
沈黙を保っていたレオンハルトも、そうシャルを擁護した。そこまで言われるとシュトライフェンも言葉を返せない。
着々と策が練られていくなかで、フロイデンはちらりと背後を振り返る。そこにシャルの姿はなかった。あれだけ庇ってやったのに、シャルは自分の意見をフロイデンに言った直後に天幕から逃げ出していたのである。




