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不遜な騎士と仮面の王子  作者: 狼花
1章 英雄の帰還
12/51

11.ほんと、命知らずな奴だよ

 打って変ったようなインフェルシア軍の猛攻に、勿論テオドーラ軍は大人しくやられていたりしなかった。混乱の中でも統制を回復した部隊はインフェルシア軍に攻撃を仕掛け、敵方から国王を殺害した投石も始まった。


 降り注ぐ礫を払いのけつつ、レオンハルトは敵投石台に目を向ける。そして半瞬のうちに決断していた。


「……うん、ぶっ壊すか」

「なんですと!?」


 何気ない呟きを聞き取ったのは、副官のヘルマン大尉だけであった。弓箭隊は騎士隊や歩兵隊と異なり、人員もそれほど多くない。隊長であるレオンハルトの下には副官、副隊長という二つの役職しか設けておらず、細かい指揮系統は存在しなかった。


 レオンハルトはやや後方を返り見て、まさに矢を番えようとしている壮年の弓箭兵に声をかけた。


「ブラント少将、この場の指揮を一任する。私が戻るまで味方の援護射撃を継続するように」


 彼はそう言うと、その場を離れてしまった。副隊長であるブラントは溜息交じりに、どうすれば良いのかおろおろしている若い副官に指示を出す。


「……ヘルマン、アークリッジ中将にお供せよ」

「はっ、はい!」


 ヘルマンは頷き、上官の後を追いかけた。この奔放さが、レオンハルトを「問題児」たらしめる要因であり、その点ではさすがシャルの親友なのであった。


 レオンハルトは西へ向かって移動した。西はつまり自軍の左翼方向で、ちょうどその正面にテオドーラの投石台がひとつ配置されている。レオンハルトはそれを狙っていた。味方陣営の中を横切っているとはいえ、敵陣から矢が飛来する。身をかがめてそれをやり過ごしつつ移動を続けていると、副官のヘルマンが追いついてきた。


「や、ついて来てくれたのかい? 危険だから無理をしなくてもいいのに」

「私はアークリッジ中将の副官です。どこまででもお供します!」


 力んでいる副官に思わず笑みを浮かべ、レオンハルトは前方に視線を戻す。


「駆け抜けるから、ちゃんとついておいで」

「はい!」


 味方陣営を横切るふたりが一体何を狙っているかなど、当人たち以外に分かるわけがない。まさか弓箭兵があの巨大な投石台を破壊するつもりであるなどということを、誰が想像しようか。しかしレオンハルトは本気であった。投石台を破壊すれば味方の損傷は抑えられるのだから。


 この戦場には背の高い障害物がない。大木もなければ身を隠せそうな茂みもなく、今回インフェルシア軍は櫓を組んでいない。平地から遠方の対象物を射抜く必要があり、これにはかなりの技量が必要とされる。


 レオンハルトは足を止め、敵投石台を透かし見る。


「ここでいい」

「まだだいぶ距離がありますけど……」


 ヘルマンが心配そうに言うが、レオンハルトは余裕で笑みさえ浮かべている。彼は矢筒から矢を引き抜いた。それは彼が日頃から温存している特別な矢で、普通の矢に比べて太く、先端には発火物が取り付けられている。何かにぶつかれば爆発する仕組みだ。


 なぜレオンハルトが二十四歳という若さで中将にまで上り詰めたか――それはひとえに、狙撃の正確性にある。彼が「ここからでいける」と言った距離からの狙撃は必ず成功する。同じ弓箭兵には到底不可能な距離を、いとも簡単に射てしまう。


 少しはアークリッジ公爵の一人息子という影響があっただろう。王家に名を連ねる大貴族、王位継承権を持つレオンハルトだ。しかし、【遠弓のレオン】という異名は、彼自身が実力で獲得した名誉である。


 レオンハルトはその秘蔵の矢をヘルマンに一度預けると、さらに普通の矢を2本引き抜き、弓に番えた。そして無造作にすら見える動作で矢を放つ。間髪入れずに、もう一矢。投石台を操る敵を射ぬいたのだろう。弓箭兵であるヘルマンでさえ、本当に敵を倒したのかどうかが見通せない。レオンハルトにははっきり見えているのだろう。


「さて……」


 レオンハルトはひとつ息を吐き出す。無造作に見える彼の弓術だが、実際はもちろんそんなことはない。彼なりに集中するし、精神力も消費する。


 ヘルマンを振り返ると、彼は矢を差し出してきた。その表情が妙に生き生きしているので、レオンハルトは思わず苦笑してしまう。


「何をそんなに嬉しそうにしているんだ?」

「あ、す、すみません。でも中将の神業をこんな近くで見られると思うと……!」

「私の一番傍にいるのは、いつだって君じゃないか」

「それはそうですが、やっぱりそれとこれとは別というか!」


 レオンハルトが弓箭隊隊長になったのは昨年のことであり、ヘルマンもまた同じときにレオンハルトの副官になった。どうやら彼はその前からレオンハルトを尊敬していたらしく、副官に任じられたときの喜びようと力みようは言葉では語れないほどだった。最近はやっと落ち着いて業務をこなし、能力は優秀なのだが、テンションが高いのは生来のものであるらしい。


「それじゃあ、よく見ておくように」

「はいっ」


 元気の良い声の背に受けながら、レオンハルトは矢を番える。その横顔は、貴公子然として女性たちを惹きつけるものでありながら、このときは研ぎ澄まされた武人の顔であった。


 満月のごとき引き絞られた弦を、レオンハルトは放った。ひゅっと、矢にあるまじき空を切る音が響く。豪速で宙を飛ぶ一本の矢は、敵陣の投石台を組み立てている要の部品に突き立った。その瞬間に矢は爆発した。要を失った投石台はあっという間に倒壊し、打ち出すために置いてあった巨大な石が落下する。不幸な騎士数人がその下敷きとなった。


 いったい誰がこんなことをしたのかとインフェルシア軍を見てみても、それらしき人物は見当たらない。当然である、レオンハルトは数百メートル離れた場所から射たのだ。


 ただし、レオンハルトの神業を目の前で見せつけられた者は別である。


「相手は弓兵、射られる前に懐に潜り込め!」


 そんな大喝がレオンハルトの耳に聞こえた。敵百騎部隊であった。彼らの考えは半分正しく、半分間違っている。確かに懐に潜り込まれれば弓兵になすすべはないが、近づいてくるまでにどうとでもできる。飛来する矢の雨のなか突撃するのは無謀といえた。だが彼らはそうしなければならぬほどに追い詰められていたのである。


 肉薄してくる敵騎士におののいていた弓箭兵たちだが、レオンハルトがすぐさま指示を下す。


「速射の構えをとれ! 狙いを定める必要はない、打ち倒せ!」


 言いながらレオンハルトは弓を寝かせて構え、立て続けに矢を放った。集団で突撃してくる者たちに対して狙いを定める必要は確かにない。そこへ向かって射れば必ず当たるからだ。


 前を行く味方が続々と倒れる中で、後続の者たちは味方を盾にすらして突進してきた。もはや死兵、死を覚悟した突撃騎士である。


 さすがにレオンハルトが険しい表情になったとき、鷹の甲高い鳴き声が響いた。はっとして顔を上げると、鷹のヴェルメが急降下してきた。そのままテオドーラ騎士の顔をえぐり、落馬させる。実に頼もしい勇者である。彼女――実はヴェルメは雌である――が傍にいるということは、友人が傍にいるということだ。


 空からの襲撃に混乱しているテオドーラ騎士を、レオンハルトは更に射倒す。すると百騎を率いる部隊長らしき男が、血走った目をレオンハルトに向ける。


「貴様が【遠弓のレオン】かっ!」

「別に私がそう名乗っているわけではないがね」


 こんな時でもレオンハルトは飄々としていた。それがこの男の持ち味で、彼が余裕を失ったらすべておしまいなのである。


「貴様の命貰い受ける! 覚悟!」


 弓箭兵に騎士が攻撃を仕掛けるとは、不公平もいいところである。しかし戦場でそんなことを言っていられるはずもなく、レオンハルトに向けて男が剣を振り下ろす。レオンハルトは身体を左に反らしてそれを避けた。


 ヘルマンが矢を放つ。レオンハルトが敵の相手をしているうちに討ち取ろうとしたのだが、矢は男の剣で弾き落とされてしまった。少しは実力があるようだ。


 レオンハルトは矢筒から一本の矢を取り出し、それを自分の手で馬の肢に突き立てた。馬が嘶き、どうと横転する。跳ね起きた騎士が間髪入れずにレオンハルトに斬りかかるが、その時すでにレオンハルトの手にはまた矢が握られていた。斬撃を避けて位置を入れ替えざまに、騎士の腕に矢を突き立てる。「あっ」と声を上げてよろめいた瞬間、レオンハルトは左腕を思い切り振るった。


 凄まじい音が響き、騎士が地面に倒れた。何があったのだとヘルマンが目を大きく見開く。当のレオンハルトは涼しげな顔で「少し曲がっている」弓をしならせている。


 要するに、レオンは弓で騎士の顔面を大きく引っぱたいたのである。


「援軍だ! ハールディン大佐だ!」


 レオンハルトの部下のひとりが大声でそう告げた。その声はこの場にいるすべての味方に生気を与え、敵を怯ませた。ハールディンという名を知らずとも、援軍が来たという恐ろしさは相当なものである。


 駆けつけたのは、裏方での仕事を終えたシャルの千騎全員であった。傍に待機していたフォルケらと合流したシャルはこのまま敵陣を切り崩そうとしていたのだが、その直前に弓箭隊に突進していく敵を見て方針を転換したのである。


 敵部隊とまともにぶつかったのはヴィッツとアンリの部隊である。どこか気弱なヴィッツと、人をおちょくるのが好きなアンリであるが、無論のこと百騎隊長としての実力がある。いつもアンリの冗談で涙目になっているヴィッツだが、それでもこのふたりは仲が良く、その分連携も巧みであった。


「大丈夫か?」


 シャルがレオンハルトに声をかける。レオンハルトはにっこりと微笑んだ。


「おかげさまで」

「っていうか、まさか弓箭兵の命である弓で敵をぶん殴るとはね。恐れ多いことをするもんだ」

「形あるものはいつか滅びるというじゃないか。この弓も、あの騎士を張り倒して役目を終える運命だったんだよ、きっと」

「そういうことじゃないだろ、ったく。投石台を壊してくれるのは有難いが、無茶するなよ」


 シャルはきちんとそこまで知っているのである。レオンハルトは素直に頷く。


「ああ、有難う。君も気を付けて」


 頷いたシャルは馬腹を蹴り、戦場の中心へと駆けて行った。千の騎兵がそのあとに従う。昨日の今日でよくあれだけ兵がついて行く、とレオンハルトは心から感心している。


「中将、中将、お怪我は!?」


 ヘルマンが駆け寄ってくる。レオンハルトは首を振った。


「大丈夫だ、何ともない」

「そうですか……しかし、中将は接近戦までお得意とは!」

「弓兵の接近戦は褒められたことではないけれどね」


 当然である。弓とは遠方からの攻撃手段で、味方の援護が主流だ。それなのに一騎打ちを挑まれるとは、それだけ前線の兵士たちが勢いに押されているということである。本来なら弓兵が剣を手に戦う時点で負けなのであるが、こればかりは投石台の破壊のために前に出過ぎたレオンハルトのミスである。


 こんな無謀なことができるのも、きっと駆けつけてくれると信じるシャルがいるから。彼がいなかったら、レオンハルトもここまで大胆に行動はしなかっただろう。


「人頼みだなんて、まったく……僕も甘いね」


 口の中でそう呟いて苦笑したレオンハルトは、先程敵を殴打して無残にひしゃげてしまった弓を取り換えるべく、一時後方に下がったのだった。




★☆




 レオンはどうかしている、と時々思うことがある。


 自分とて感情の揺れ幅は大きくはないが、レオンハルトと比べればまだ感情的だと思う。戦場だろうがどこだろうがレオンハルトは余裕綽々、飄々としてその態度を崩さない。貴族らしくもない振る舞いもするし、下町の安っぽさ全開の酒場にだって平気で入れる。自分が部下を指揮統率する将軍であることも、王位継承権を持つ貴族であることすら忘れてしまったかのように、悠々と敵の前に姿をさらし、案の定敵に襲われる。


 訓練生のころ、レオンハルトは何をやっても常にシャルの上にいた。剣術だけはシャルが僅かに上回っていたが、少し気を抜けばあっという間に負けてしまうほど僅かな差であり、当時からレオンハルトは騎士隊や剣歩兵隊への勧誘が絶えなかった。そんな中でレオンハルトは弓箭隊を選んだのだ。


 曰はく、「騎士隊とか歩兵隊は縦社会って感じで嫌だ。弓箭隊は人数も少ないし、規律とか緩そうじゃないか」。


 阿呆かこいつは、とシャルも本気で思う時があったりする。


 自分の将来のことについてなんで感覚で決めるんだよ、と散々説教した記憶もあるが、レオンハルトはにっこり笑ってやり過ごす。あの男が自分の意見を曲げたことは一度だってないのだ。


「……アークリッジ中将があんな無謀なことをするなんて。やっぱりシャル先輩が戻って来てくれたからなんですね」


 横で馬を駆るイルフェが急にそんなことを言ったので、シャルは思い切り怪訝な顔でイルフェを見る。


「レオンはいつもいつもあんなだろ」

「そんなことありませんよ。確かに中将の無謀な行動は目立ちますけど、先輩が退役してからの五年間、中将があんなふうに自ら前線に出ることなんてありませんでした」

「……そうなのか?」

「はい。ですから中将は、『いざという時はシャルが助けてくれる』っていう前提で戦っているんだと思いますよ」

「それに関しては、私も同感です」


 反対側から、フォルケも同意した。シャルは渋い顔で呟く。


「ということは、俺はあいつの甘えにほいほい応えてやっていたってわけか」


 今も助けてしまったことだし。信頼されているというよりは、うまいこと誘導されている気すらするが、結果は同じである。


 騎士に戻ることは死ぬほど嫌だったのに、こうしている自分にしっくりきている部分もある。意思が弱いなと思いつつも、どこかでこれで良いと思っている。生き生きしている自分がいる。


 とりあえず今願うのは、一刻も早く戦争を終わらせること。それが終わったら、レオンハルトと旧交を温めるためにも、ゆっくり食事でもしながら話をしたい――と、そんなことをシャルは思った。

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